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『32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~』  作者: ひろボ


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第16話:夜勤の休憩室:秘密の小瓶と、一瞬の奇跡

 リヴが去り、ウロには寂しい静けさだけが残った。


 薄く揺れるランタンの光と、青黒い薬草の束。

 リヴが最後に残していったキノコが、ブルーシートの上でぽつんと転がっている。


(三度、月が満ちる頃……三か月くらいか。長いな)


 名残惜しさと一緒に、その猶予が胸の中に落ちてくる。

 泣いてばかりもいられない。直輝は、残された時間を「準備期間」として使うことにした。


 薬草とキノコの検証。

 在庫を切らさないためのルーチン。

 次にリヴが来たとき、迷いなく差し出せる「取引の品」。


 ウロの片隅には、少しずつ工業製品の山ができていった。

 液体石けん、軍手、トング、チャック付きポリ袋。

 保存が利いて、少量でも価値がありそうな醤油と味噌の小瓶、砂糖と塩の小袋。


 増やす実験がうまくいけば理想だ。

 けれど今のところ、あの薬草もキノコも、リヴの命がけの採取に頼っている。それだけは、嫌でも分かっていた。


 それでも、孤独な準備の中で、少しずつ「やれること」が増えていく感覚があった。


 


 ウロでの作業を切り上げ、直輝は夜勤のため介護施設へ向かった。


 キノコ粉入りスープのおかげか、身体の重さはまだましだ。

 午後十時。休憩室のドアを開けると、美咲が片腕を押さえて椅子に座っていた。


「美咲さん、どうしたんですか?」


「ああ、直輝くん。大丈夫、大丈夫」


 そう言いながらも、表情の端にわずかな歪みがある。


「さっき移乗のときに、ベッドの角で肘ぶつけちゃってね。けっこう深くいったみたいで……縫うほどじゃないけど、テープで固定してあるから、明日までちょっとしんどいかも」


 肘には縦に走る数センチの切り傷。

 ステリーテープでしっかり押さえられているが、上腕に力が入らないのか、動きはぎこちなかった。


 美咲は、直輝が心から信頼している先輩だ。

 忙しい現場で、何度もさりげなくフォローしてくれた相手でもある。


(このまま働かせたら、絶対負担になるよな)


 直輝は、肘と顔とを交互に見ながら、胸の奥で計算を始める。


(消毒とテープだけじゃ、多分まともに動かせない。だけど、俺には)


 冷蔵庫の中の、小さなガラス瓶。

 自分のささくれに塗っただけで、あっという間に皮膚を修復した、あの軟膏。


 脳裏に浮かぶのと同時に、別の言葉もよぎる。


(見つかったらアウトだな。クビどころか、資格も、リヴとのことも全部吹き飛ぶ)


 それでも目の前には、痛みをこらえて笑顔を作ろうとしている先輩がいる。


(俺は介護職員だろ。目の前で困ってる人を放っておくほうが、よっぽど後悔する)


 考える時間は長くない。

 一瞬だけ目を閉じ、直輝は腹を括った。


「美咲さん、もしよかったらですけど……休憩室で、ちょっと試してみませんか」


「試す?」


「すごく効く塗り薬があるんです。市販じゃないんですけど……」


 言葉を選びながらも、声だけは真っ直ぐに出す。

 美咲が、少し目を丸くした。


「……本当にそれ、大丈夫?」


 不安が混じった視線だ。

 けれど、その奥には、日頃の仕事ぶりに対する信頼も見える。


 直輝は、できるだけ軽く笑ってみせた。


「変なものじゃないです。もし合わなかったらすぐ洗い流しますし」


 数秒だけ沈黙が落ちる。

 そのあと、美咲は小さく息を吐いて、肘をこちらへ差し出した。


「……分かった。じゃあ、直輝くんを信じてみる」


 その一言に、背筋が伸びる。


 直輝は手袋をはめ、ポケットから小さな容器を取り出した。

 中の淡い緑色の軟膏を、少量だけ指先に取る。


「少しひんやりします」


 声をかけてから、テープの端を浮かせ、なるべく傷口に触れないように塗り広げる。

 冷蔵庫から出したばかりのひんやりした感触が、美咲の皮膚に触れた。


 数秒。

 そのあいだに、赤く盛り上がっていた部分が、じわじわと落ち着いていく。


「……あれ?」


 美咲が、小さく声を漏らした。


 痛みが引いていくのが、自分でも分かるのだろう。

 さっきまで強張っていた表情が、驚きへ、そして戸惑いへと変わっていく。


「ちょ、ちょっと待って。今、塗ったよね?」


「はい」


「……え、なんか、もうほとんど痛くないんだけど。何これ」


 声は半分笑い、半分震えだ。


 直輝は、テープを軽く押さえながら経過を見る。

 腫れが引き、皮膚の色が落ち着いていく。


 医学書で見たどの経過とも違う速度だ。

 誰よりも自分が一番、おかしさを理解している。


「ちょっと、腕動かしてみてもらっていいですか」


 言われるままに、美咲は肘をゆっくり曲げ伸ばしした。


「……うそ。さっきまで、この角度でズキってきてたのに」


 また少し沈黙。

 今度は、美咲が自分から口を開いた。


「直輝くん、これ、市販の薬じゃないよね」


 疑うというより、確認する声だった。


「はい。……あんまり人には言えないやつです」


 正直に答えると、美咲はふっと息を漏らし、表情を緩めた。


「そっか。うん、納得した。こんなの、普通の薬なわけないよね」


 看護師の目は誤魔化せない。

 それでも、問い詰めるかわりに、彼女は肘をさすって笑った。


「でも……助かったよ。本当に。明日もふつうに仕事できそう」


「よかったです」


 安堵と同時に、胸の奥でさっきの不安が再び顔を出す。

 ここから先の一言で、すべてが変わる。


 直輝は、少しだけ頭を下げた。


「お願いが一つだけあるんですけど……今日のことは、できれば内緒にしてもらえませんか」


「内緒?」


「はい。俺にも、いろいろ事情があって」


 全部を説明することはできない。

 それでも「真面目にやってるから信用してくれ」とだけは伝えたかった。


 美咲は数秒だけ考えてから、くすりと笑う。


「分かった。誰にも言わない」


「ありがとうございます」


「直輝くんの、企業秘密ってことにしておく」


 その言い方が可笑しくて、緊張が少しだけほぐれた。

 二人とも、同時に小さく笑う。


 美咲はもう一度、肘を大きく回してみせた。


「ほんとに、すごいね。……不思議な人だなあ、直輝くん」


 照れくさくて、直輝は肩をすくめる。


「不思議なのは軟膏のほうです。俺はただの、夜勤明けが多い介護職員ですよ」


 休憩室の窓の外では、駐車場の外灯がじんわりと地面を照らしている。

 自販機のモーター音と、遠くのナースコールが、いつもの夜勤の音として戻ってきた。


「とりあえず、今夜はそれで乗り切れそう。ありがとね」


「こちらこそ、試してくれてありがとうございます」


 それきり、二人はいつもの仕事の話に戻った。

 新人の失敗談や、明日のシフトの愚痴。

 さっきまでの出来事が嘘のように、会話はいつもの調子を取り戻す。


 ただ一つだけ違うのは、美咲の肘が、もう仕事の邪魔をしていないということ。


 直輝は、休憩室を出る前にもう一度だけ、彼女の腕に目をやった。

 テープの下で静かに落ち着いている皮膚と、ほっとした笑顔。


(今日のことは、ここだけの話だ)


 声には出さず、心の中でそう区切りをつける。


 秘密を一つ抱えた夜勤。

 それでもフロアに戻る足取りは、いつもより少しだけ軽かった。

 ポケットの中で、小さなガラス瓶が冷たく揺れている。

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