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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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帰還の夜

 光が閉じる直前、直輝は振り返れなかった。


 六畳の部屋。

 カーテンの隙間からの冷たい街の光。

 散らかったテーブル。

 そして泣きそうな顔で鍵を握っていた、美咲。


 その光景が、揺れる白い膜の奥へ吸い込まれていき――

 テレビと同じ大きさの“薄い光の窓”が、最後にひときわ強く脈打つ。


 すっ……

 空気ごと吸われるように閉じた。


 音が一つ抜ける。


 静寂。

 別の匂い。

 別の温度。


 直輝は一瞬、呼吸の仕方を忘れた。


 足元は土の床。

 両脇には木の皮のような壁。

 視界には暗い天井の曲面。


 ――ウロ拠点だ。


 光の窓のすぐ前、ふたりはウロの中心部に立っていた。


 異世界側の拠点。

 半年間、地球へ行くときも帰るときも使い続けた場所。

 そこに帰還した。


 しかし、直輝の安堵は喉で止まった。


「……はぁっ……、……っ……」


 隣でリヴが肩を震わせている。

 呼吸がまだ乱れている。

 地球の黒い揺れを引きずっているのだ。


「リヴ、大丈夫か」


「……ナオキ……。だいじょうぶ……。

 でも……ちきゅう、こわかった……」


 ふらりと傾いた身体を、直輝がすぐ支える。


(一歩間違えれば、あの黒い枝がポータルまで押し寄せてたかもしれない……)


 そう思うだけで背筋が冷える。


 地球側の黒い揺れは、ただ部屋を揺らしただけじゃない。

 あと少し進めば、光の窓――このポータルの縁に触れていたかもしれない。


 触れたらどうなる?


 窓が壊れるのか。

 侵食が逆流するのか。

 それとも……


(……考えても仕方ねぇ。でも、怖かったのは事実だ)


 リヴは胸に手を当て、小さい息を何度も吐いている。

 呼吸は荒いが、痛みそのものは弱まっているようだった。

 地球よりは確実に楽だ。


「よく帰れたな、リヴ。一人で戻ろうとしたんだぞ」


「……ナオキ、いっしょ……。だから……いま、ここ……」


 言葉の途中で、声が震えた。


「ひとりだったら……ポータル……しめるまえに……

 あれが……くる……かもしれなかった……」


「もう大丈夫だ。閉じた。こっちには来てない」


 そう言いながら、直輝は光の窓の跡を確認する。


 ウロの壁に寄り添うようにして設置された“枠”。

 そこに今は薄い膜すら残っていない。


(……よし。閉じてる。追ってくる気配もない)


 ほんの少しだけ肩の力が抜けた。



 だが、すぐに別の違和感がのぼった。


 ウロの空気が、以前と違う。


 湿り気。

 木の匂い。

 土の冷たさ。


 どれも知っているはずなのに、どこか輪郭が薄い。


「……ナオキ。ここ……ちがう……」


 リヴが袖をつまむ。


「なにが?」


「おと……ない……。

 うろ……いつも……ちいさいの……いた……。

 きょう……ぜんぜん……うごいてない……」


 たしかに、聞こえない。


 小虫の羽音。

 木の内部を走る小獣の気配。

 遠くで鳴く鳥の声。

 魔素が枝を渡るときの微かなビリつき。


 それらが全部、欠けている。


「……森が静かすぎる」


「うん……。

 もり……おつかれ……してる……。

 なにか……おしてる……」


 言葉が幼い。

 だが、この表現はリヴが“本当にヤバい時”に使うものだ。


 森が押されている。

 森が疲れている。

 森が頑張っている。


 それはつまり――

 森が“耐えている”ということだ。


(黒い揺れの本流は……この世界側にある)


 頭の奥が冷たくなる。


 ウロ内部の生活器具――

 ガスコンロ、折りたたみテーブル、小さな木箱、ランタン。

 半年間の痕跡はそのまま残っているのに、

 空間全体が薄くなっているせいで、景色まで違って見える。


「……ウロまで来たのに……ちっとも安心できねぇな」


 直輝が呟くと、リヴが小さく頷いた。


「うろ……すき……。

 でも……こわい……。

 もり……ねむってない……。

 がまん……してる……」


 木の壁に手を当てると、前より冷たかった。

 いつもは感じる“中に生き物がいるような温もり”が薄い。


 リヴが再びふらつく。


「リヴ!」


「……だいじょうぶ……。ちょっと、くらって……した……」


 直輝は肩を抱き、ウロの奥へ歩かせた。


 寝袋やランタンの置かれた“生活スペース”。

 そこに腰を下ろさせると、リヴはようやく息を落とした。


「ナオキ……。そば……にいて……」


「いるよ」


 袖をつまむ小さな指が震えていた。


 半年の地球生活でついた癖。

 痛みの波に襲われる夜、いつもこうして袖を掴んでいた。


 直輝はその手を包んだ。


(……大丈夫。ここは地球じゃない。揺れは弱い。痛みも少ない)


 しかし森そのものは、明らかに弱っている。


 そして――

 ポータルの向こうが安全とは、二度と言い切れない。


 静まりすぎた拠点で、火を点ける


 リヴの呼吸がようやく安定してきたころ、

 直輝はランタンを手に取った。


 半年間の地球生活で使っていたLEDランタン。

 普段ならスイッチを入れれば、白い光がウロの壁を柔らかく照らす。

 けれど今、スイッチを押した瞬間――


 ぴ、と弱い光が漏れただけで止まった。


「……おかしいな。電池は変えたばかりだぞ」


 直輝は眉を寄せ、ランタンを軽く揺らす。

 光はつくにはつく。

 だが、以前より明らかに拡散しない。


 リヴが、視線だけでこちらを見た。


「ナオキ……。ちがう……。

 うろ……ひかりのばすとこ、すくない……」


「光の……伸びるところが少ない?」


「うん……。

 ひかり……つよくしても……

 ここ……うすい……から……ひろがらない……」


 言われてみれば、ランタンの灯りは

 壁に届く前に弱くなっている気がした。


 光が吸われているような、

 光の通り道が“細くなった”ような。


(空気そのものが弱ってるみたいだ……)


 ランタンを置き、今度は地球から持ち込んだ

 ガスコンロを取り出した。


 火を使えば、空気の流れがわかる。

 熱がどう広がるかで“ウロの状態”も見えるかもしれない。


「ちょっと火を点けるぞ。リヴ、離れなくていいから」


「……うん。そば、いる……」


 リヴは袖を掴んだまま、ほんの少し体を寄せる。

 怖いときの癖が抜けていない。


 直輝はガスコンロに点火した。

 ぼっ、と青い炎が起きる。


 その炎を見た瞬間――違和感は決定的になった。


「……熱が広がらない」


「ナオキ……?」


「ほら、手をかざすと分かる。前より熱が跳ね返ってこないんだ」


 ウロの空気は、本来なら生きている。

 湿度が適度にあって、火を使えば

 壁や天井が“柔らかく返してくる”ような温度の動きをする。


 だが今日は――


 熱が真上へ上がるだけで、横へ広がらない。

 壁まで届く前に弱くなり、

 戻りの温度がほとんど感じられない。


 リヴは小さな声で呟いた。


「……やっぱり……うすい……。

 ここ……いきてるとこ、すくない……」


「いきてるところ、って……」


「うろ……まえは……あったかかった。

 いきもの……みたいだった。

 いまは……つかれてる……かんじ。

 ……おなか、すいてる……みたい」


 胃が沈むような感覚が走った。


(森が魔素を吸われてるって、こういうことか……)


 ガスコンロの火を弱め、直輝はそれを静かに消した。


 ふたりの影が薄暗いウロの壁に揺れ、

 その揺れすら前より小さく見えた。


 ランタンの光も、火の光も、

 空間に吸われているように見える。


 リヴは膝を抱えている。

 その顔が、弱い光にぼんやり照らされた。


「……リヴ、寝袋で少し横になるか?

 今日はもう無理するな」


「うん……。

 でも……ナオキ……いっしょ……」


 袖を掴んだ手はそのまま。

 離す気配はない。


 直輝はうなずき、あの地球の夜のことを思い返す。


 テレビ裏の影。

 美咲の震えた声。

 鍵の重さ。

 黒い枝が部屋を舐めるように伸びてきた光景。


 あの“黒い揺れ”と比べれば、今のウロはまだ安全。

 しかし――森が弱っている事実は消えない。


(どっちにしても……この状態が続けば、また地球へ漏れ出す。

 あの黒い“波”そのものが。本流はこっちにあるんだ……)


 考えた瞬間、胸がざわついた。


 もし今日ポータルが閉じる前に“枝”が近づいていたら――

 ふたりとも巻き込まれていたかもしれない。


 ウロの内部に戻れたのはギリギリだった。


 そして、ポータルが無事でも、森そのものが踏ん張っていなければ

 いつかウロまで飲まれる。


 リヴは、直輝の不安を読むように小さく言った。


「ナオキ……かえるとき……こわかった……?」


「当たり前だ。お前ひとりで帰らせられるわけないだろ。

 あれ……追ってくるかもしれなかったし」


「……ナオキ……」


 リヴが、自然と身体を寄せてくる。

 耳の横で、弱い息が落ちた。


 リヴは地球で半年間、

 黒い揺れにずっと耐えてきた。

 痛みの波、夜中の息の詰まり、

 六畳で眠れずに震える時間。


 ようやく帰ってきたのに――

 帰った先が“前と同じ安全な森”ではなくなっている。


「……とりあえず寝よう。明日の朝、村へ行こう。

 森の異変を知ってる人がいるかもしれない」


「……うん……。ナオキ……ねる……」


 リヴの声は、もう半分眠りのなかにあった。


 直輝は寝袋を広げ、その隣に腰を下ろす。

 リヴは自然と手を伸ばし、直輝の袖をつまんだ。


 その仕草は、恐怖の余韻から来るものでもあり、安心の証でもある。


 ランタンの弱い光がゆらゆらと揺れ、

 ウロの中の暗さはゆっくりと溶けていくように広がった。


 しばらくのあいだ、ウロの中には寝息しかなかった。


 リヴの呼吸は徐々に一定になり、

 眉間の小さな緊張も少しずつほどけていく。


 半年間の地球生活では、

 彼女がこんなふうに深く眠れる夜はほとんどなかった。


 直輝はその寝顔を確認しながら、

 入り口のほうへ視線を向けた。


 外は静かだ。

 静かすぎる。


(風があるのに、音が届かない……)


 葉が揺れているのは見える。

 枝がかすかに揺れ、月の光が木々を縁取っている。


 それなのに、その揺れはウロの中まで届かない。

 “途中で切り落とされている”ように感じられる。


 まるで森の奥に、

 音を飲み込む壁ができたような――


 そんなときだった。


 “……ごうっ……”


 声なき圧が、森の底から突き上げた。


 空気が押し上げられ、

 地面がひと呼吸だけ沈む。


 木の幹が遠くで軋み、

 ウロの壁がわずかに震えた。


(……来た……)


 小さな揺れではない。

 “本流の端が触れた”揺れ。


 地球でテレビ裏に滲み出していた黒い波――

 その正体と同じ質だ。


 リヴのまぶたがぴくりと震え、

 寝袋のなかで小さく身を丸める。


「……っ……」


 声にならない、痛みの記憶に似た反応。

 直輝は即座に手を取った。


「大丈夫。ここにいる。大丈夫だ」


 その一言で、リヴの呼吸がゆっくりと落ち着いていく。


 眠りの深さが、揺れの端を“遮る”まで数十秒。

 ふたりを包むウロの空気は、弱い絆のように震えを抑えていく。


(……ウロも耐えてるんだな)


 森の浅い層にあるこの拠点。

 本流に比べれば揺れは薄い。


 それでも、

 “森そのものが押されている”のは確かだ。


 森の深部は、もっと苦しいはず。

 精霊の流れが詰まり、魔素の道が押し縮められ、

 奥行きそのものが削られている。


(このままじゃ――)


 考えかけたところで、揺れはふっと消えた。


 静寂。


 いつもの夜の静かさではない。

 “森が息を潜めている静けさ”。


 直輝は身を起こし、

 そっとウロの入り口まで移動した。


 外の空気は冷たく、湿っている。

 なのに、その湿度に“重さ”がない。

 薄い霧が常に胸から先の世界の奥行きを隠すように漂っている。


 風が吹く。

 葉が揺れる。

 けれど――音はすぐに消えた。


(……どこかで“圧”がかかってる)


 森が押し縮められ、

 夜の層そのものが削られている。


 魔物の仕業でも、森の病でもない。

 これは“外からの圧力”。


 地球に漏れ出した黒い揺れが、

 逆にこの世界の深部を削り続けている。


 ポータルもまた、

 安全でいられる保証はない。


(……急いだほうがいいな)


 リヴの痛みが戻る前に。

 森が耐えているうちに。


 原因を突き止める必要がある。


 東の空が、いつの間にかほんのり白んでいた。

 夜の境目は、いつもよりずっと薄い。

 朝が“押されている”ような頼りなさがある。


 ランタンの光を落とし、

 直輝は寝袋のそばまで戻った。


「……ナオキ……?」


 リヴが目を開けた。

 まだ眠気が残っているが、呼吸は安定している。


「起こしたか?」


「ううん……。

 ナオキ……そと……みてた……?」


「ああ。外の様子を少しな」


 リヴは胸のあたりを押さえながら起き上がる。


「……もり……きのうより……とおい……。

 でも……さがってる……のは……おなじ……」


「森の声が……?」


「うん……。

 “がんばってる”って……かんじ……」


(やっぱり、森全体が押されてる……)


 直輝は寝袋を畳みながら言った。


「準備できたら、村に行こう。

 森の長老や、魔素の流れが分かる連中に話を聞くんだ」


 リヴはこくりと頷いた。


「むら……なにか……しってる……。

 “しずみ”のこと……ぜったい……」


「しずみ……?」


「もりが……おちてる……ところ。

 したへ……おちていく……かんじ……」


 直輝の背筋が冷えた。


(沈んでる……。森が“沈んでる”ってことか……?)


 それは森の衰弱ではなく、

 “向こう側に引っ張られている”のかもしれない。

 地球に漏れ出していた黒い波――

 その根がこの世界の深部にあるなら。


 急がなければ。


 森が完全に沈む前に。


「行こう、リヴ。朝のうちに」


「うん。ナオキといっしょなら……だいじょうぶ……」


 袖をつまむ指先が、

 ほんの少しだけ強くなる。


 直輝はその手を握り返した。


「大丈夫だ。もうひとりにしない」


 ウロの入口から、弱い朝風が吹き込む。


 その風もまた、

 途中で音を失い、

 光より早く消えていく。


 異世界の森は、確かに弱っていた。


 ふたりは、変わり始めた世界のなかへ

 静かに踏み出した。



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