黒い影のささやき
昼を少し過ぎた頃、六畳の部屋はようやく落ち着きを取り戻していた。
朝に漂っていた小さな“揺らぎ”の余韻は、今は遠くへ引いているように見える。静かで、穏やかで、何も起きていないかのような空気。
美咲は用事を思い出したと言って、玄関で振り返りながら笑った。
「今日はリヴちゃん無理させないでよ。また来るから」
そう言って、軽く手を振り、扉の向こうへ消えていった。
扉が閉まった瞬間、六畳の空気は急に音を吸い込んだように静かになった。
直輝はソファに腰を下ろし、深く息を吐いた。
(……静かだな)
美咲がいないだけで、部屋の響き方が全然違う。
リヴはミシン台のそばに座り、膝の上で指を組んだままじっとしていた。
香草の袋には触れようとしない。
いつもなら、朝の続きを楽しみにしているはずなのに。
「リヴ、大丈夫か?」
声を掛けると、リヴは少しだけ顔を上げた。
その耳は、ぴんと立つでも伏せるでもなく、中途半端に揺れていた。
「……だいじょうぶ……すこし……つかれただけ……」
力のない声だった。
午前中、テレビの裏から何かを感じたあの瞬間のあとから、ずっと気になっている。
直輝は少し躊躇してから、隣を軽く叩いた。
「こっち来いよ。無理しないほうがいい」
リヴはゆっくり立ち上がり、ソファまで歩いてきた。
歩幅は小さくて、どこか慎重だった。
隣に座ったリヴは、膝を抱え込むように身体を寄せてくる。
その小さな動きひとつで、不安が伝わった。
「……ナオキ」
「ん?」
「……さっき……おと……した……」
午前中のことだ。
テレビの裏で一瞬だけ空気がざらつき、リヴの耳がぴくりと震えたあの出来事。
「あれか。さっきの揺らぎみたいなやつか?」
「……うん……。でも……いまは……すこし……ちがう……」
「違う?」
リヴは胸の前で指を重ね、耳をそっと触れた。
「……さっきから……みみ……ひくひく……する……
おと……じゃない……けど……ひびく……」
「耳鳴り、みたいなもんか……?」
「……みみ……のなか……じゃない……
うしろ……の……ほう……」
リヴはそっと後ろを指差した。
そこにあるのは、テレビの裏だけだ。
(……また、あそこか)
午前中の“揺らぎ”が頭をかすめる。
「リヴ、痛いのか?」
「……すこし……。でも……きこえる……
……きこえない……ほうが……よかった……」
その言葉に、直輝の胸がつまる。
「聞こえるって、どんな感じなんだ?」
「……ひく……ひく……そっと……
ささやく……みたい……
でも……ことばじゃない……」
「音じゃないのか?」
「……おと……じゃない……けど……
そこに……いる……みたい……」
“いる”。
たったそれだけで、冷たいものが背中を撫でた。
ソファに座りなおし、直輝はリヴの肩に手を添えた。
「リヴ、こっち来て。無理して近くで聞かなくていい」
「……ナオキ……
ちょっと……だけ……きいてみたい……」
「聞く?」
「……うん……
なにか……しらないと……
もっと……こわい……」
怯えているのに、知らないままではいられない。
そんな矛盾した気持ちが、リヴの表情ににじんでいた。
「わかった。でも俺も一緒に行く。絶対離れないから」
そう言うと、リヴはゆっくり頷き、立ち上がった。
直輝が少し前を歩き、テレビの裏に近づく。
配線の隙間から、埃っぽい匂いがする。
何も変わっていないように見える。
でも、リヴは小さく息を呑んだ。
「……ここ……
ここが……いちばん……ひびく……」
耳がぴくりと震える。
肩がわずかに強ばっている。
直輝は心臓の音を抑えながら、慎重に声を落とした。
「どんなふうに……聞こえる?」
「……すごく……ひくい……
くうきが……しずんでいく……みたい……
……くらい……」
「低い……?」
「……うん……
ポータル……じゃない……
あったかく……ない……」
“ポータルではない”。
その一言が、午前までの“気のせい”を完全に否定した。
リヴの呼吸が浅くなった瞬間、耳がぴん、と立った。
「……っ……」
「リヴ!」
直輝は反射的に肩を支える。
リヴは胸を押さえ、小さく身体を縮めた。
「胸……痛い……」
「もう離れるぞ。無理だ」
「……まって……もうすこし……
……ここ……きこえる……」
「聞かなくていい」
「……でも……こわい……
わからない……の……もっと……こわい……」
震える声だった。
(……守らなきゃいけないのに……)
リヴが怯えるほど、直輝の中に焦りが募る。
「……ナオキ……」
「ここにいる。絶対離れない」
その言葉に、リヴの指がそっと直輝の袖をつまんだ。
弱い力なのに、その必死さが胸を刺した。
息を整えようとした直輝の視界の端で、画面がふっと揺れた。
「……今、何か動かなかったか?」
「……うん……
くろい……ゆらぎ……
すこし……みえた……」
画面はもう元通り。
ただの一瞬の沈み。
しかしその一瞬の“黒さ”は、妙に記憶に残る暗さだった。
「……ナオキ……
あれ……なか……
なにか……いる……」
「いるって……どういう……」
「……くろい……
かげ……」
それは震える声だった。
その言葉が落ちた瞬間、
六畳の空気が静かに、底のほうで震えた。
リヴの言葉が落ちたあと、六畳の空気はわずかに冷たくなったように感じた。
外の気温が変わったわけではない。ただ、部屋のどこかで“何か”が息を潜めている。そんな錯覚が肌にまとわりつく。
「リヴ、どんな影なんだ?」
直輝が声を落として尋ねると、リヴはゆっくりと画面を睨むように見つめた。
耳はぴんと立ち、細かく揺れている。
「……うごいてる……すごく……ゆっくり……
さわろう……としてる……でも……まだ……とおい……」
「遠い……?」
「……うん……
でも……ちかづいてる……
きのうより……ずっと……」
昨日。
たしかに、昨夜から小さなざらつきを何度か感じていた。
気のせいだと言い聞かせていた自分が馬鹿みたいに思える。
「リヴ、目を閉じて。見続けるほうがしんどいだろ」
直輝がそっと声を掛ける。
リヴは少し迷ってから、ぎゅっと目を閉じた。
「……みない……。でも……きこえる……
おと……じゃない……
でも……ここ……に……くる……みたい……」
リヴの声は震えていた。
目を閉じても、影の気配が耳に触れている。
「こっち来い」
直輝はリヴの体を軽く抱え、ソファに座らせた。
その肩は驚くほど軽かった。
触れた部分から伝わる体温が弱く、守らなければと強く思う。
「……ナオキ……」
「いる。ここにいるからな」
リヴは胸へ手を当て、呼吸を整えようとする。
しかし、耳がぴくぴくと震え続けていた。
「痛いのか?」
「……すこし……
でも……ここ……ひびく……
ずっと……ひくい……おと……ある……」
“低い音”。
直輝には聞こえない。
でも、リヴには確かに何かが触れている。
「……ナオキ……
これ……なに……?」
「分からん。でも、お前を傷つけるものじゃない。絶対に」
その言い方に嘘はなかった。
しかし、胸の内側はざわついていた。
(……怖がらせたくない。でも……)
リヴの耳に反応が出ている以上、ただのノイズではない。
「リヴ、吐き気とか、めまいは?」
「……ない……
でも……からだ……すこし……さむい……」
「寒い?」
直輝はすぐにブランケットを取り、リヴの肩にかけた。
その瞬間、リヴは小さく息を吐き、直輝の袖をそっと握った。
「……ナオキ……
きょう……の……あさ……
ゆらいだ……とき……から……ずっと……
なんか……かわった……」
「変わったのか?」
「……うん……
このへや……
まえ……と……ちがう……
すこし……くらい……」
六畳の部屋を見回す。
部屋の様子はいつもと何も変わらない。
家具も食器も、夜中のうちに動いたりはしていない。
でも——
リヴの感覚では、何かが変質している。
「……ポータル……のとき……
こういう……かんじ……なかった……
こわい……おと……なかった……」
「ポータルじゃないんだな?」
「……うん……
あったかい……みち……じゃない……
これは……つめたい……
ちいさく……ひびいて……くる……」
あたたかい道=ポータル。
冷たい“ひびき”=何か未知のもの。
直輝はリヴの手を包み込み、声を落とした。
「怖かったら、ちゃんと言え。無理に我慢するな」
「……ナオキ……いるから……
こわくない……って……おもった……
でも……すこし……こわい……」
「怖くていいんだよ」
「……こわい……」
ようやく打ち明けたその一言が、痛いほど胸に刺さった。
「リヴ。深呼吸できるか?」
「……してみる……」
リヴはゆっくり息を吸い、吐き出す。
そのたびに耳がわずかに揺れ、髪がふるりと動く。
時間をかけながらも、少しずつ落ち着きを取り戻していった。
「……ナオキ……
わたし……
きょう……ずっと……
なんか……よくない……きが……する……」
「よくない……?」
「……うん……
むこう……から……
なにか……もどって……きてる……みたい……」
“戻ってきてる”。
その言葉に、背筋が凍るような感覚が走る。
「むこうって……異世界のほうか?」
「……うん……
むこう……で……
こわれた……におい……
すこし……だけ……ここ……にくる……」
リヴは胸を押さえ、唇を震わせた。
「……あれ……にてる……
すこし……だけ……
こわれる……まえ……の……におい……する……」
(崩壊核……?)
思った瞬間、首を振った。
そんな大げさなはずがない。
でも、リヴの“感覚”がそう告げているなら——ただ否定するわけにはいかない。
「リヴ、俺に寄れ」
「……うん……」
直輝が腕を回すと、リヴは素直に身を預けた。
耳が直輝の胸元に触れ、僅かに震える。
「怖いときは、ちゃんと俺の名前呼べ。すぐ抱えるから」
「……うん……ナオキ……」
その柔らかい声に、直輝はそっと背中を撫でた。
呼吸が落ち着くにつれて、頬に触れるリヴの体温が戻っていく。
「……すこし……よくなった……」
「ならよかった」
ほんの少し安心したそのとき。
テレビの画面が——
ふるりと、水面のように揺れた。
「……っ……!」
リヴの身体が跳ねる。
「また見えたのか?」
「……ナオキ……
いま……ちかづいた……
すごく……ちかい……」
「影が?」
「……うん……
て……みたい……
つた……みたい……
わたし……の……ほう……に……」
その描写は、ただの画面ノイズとは絶対に思えなかった。
「リヴ、俺にしがみつけ。離れるな」
リヴは直輝の袖をぎゅっと掴んだ。
指先に込められた力は弱いのに、必死さだけがはっきり伝わってくる。
「……ナオキ……
どうしたら……いい……?」
「大丈夫だ。俺がいる。絶対に触らせない」
そう言った瞬間、リヴの肩がわずかに震え、目に涙の膜が浮かんだ。
「……こわい……」
「怖がっていい。隠すな」
「……こわい……こわいよ……ナオキ……」
「大丈夫だ」
直輝は腕に力を込め、リヴを抱き寄せた。
その体は細く、頼りない。
まるで影に触れられたら、そのまま消えてしまいそうだった。
(守る……絶対に)
直輝の胸の奥で、確かな決意が静かに固まっていく。
リヴが落ち着きを取り戻すまで、しばらく時間がかかった。
膝の上に置いた手は弱々しく、指先だけが直輝の袖をつまんでいる。
耳はぴたりと伏せられ、緊張が少しも抜けていなかった。
「……ナオキ……
みさき……には……どうする……?」
不意に出た問いだった。
声は細く、胸の奥で迷っているのが伝わる。
「美咲に……話したほうがいいってことか?」
リヴは目を伏せたまま、小さく頷いた。
「……うん……
ナオキ……ひとり……しんぱい……
でも……みさき……まきこみ……たくない……
どうしたら……いい……か……わからない……」
その迷いが胸に刺さった。
リヴは美咲を信頼している。
でも、巻き込みたくない気持ちも本物だ。
「リヴ。全部を話す必要はない。
けど……お前が苦しんでる理由くらいは説明する。
美咲が知らないままだと、それは逆に危ない」
「……ナオキ……」
「大丈夫だ。俺が線を引く。
美咲を“向こう側”の問題に近づけないようにする」
リヴはゆっくり顔を上げた。
耳の震えがほんの少しだけ止まる。
「……ありがとう……」
その一言は弱いのに、まっすぐだった。
(よし……いま言っとかないと)
直輝はスマホを取り、深呼吸してから美咲へ電話をかけた。
呼び出し音が短く鳴り、すぐに繋がる。
「なに? 直輝くん、声かたいよ?」
「ちょっと……話したいことがある」
「珍しいね。今から戻ろうか?」
「いや、いい。電話でいい」
声を落とし、言葉を選びながら話す。
「リヴが……ちょっと体調を崩してる。
耳が痛いとか、胸がざわつくとか……そんな感じ」
「体調? さっきまでは普通だったじゃん」
「……午前中から少しずつ悪くなってたみたいだ。
あいつ、無理してたんだよ」
「リヴちゃん……無理するタイプじゃないのに……」
美咲の声が少し沈んだ。
「だから今日は休ませる。
それと……もし何かあっても、俺が対処するから大丈夫。
お前を巻き込む気はない」
一瞬の沈黙があった。
受話器の向こうで、美咲が息を吸い込み、言葉を選んでいるのが分かる。
「……巻き込まれたくないとかじゃなくてさ。
二人とも好きなんだよ、あたし。
役に立ちたいって思ってる」
「……気持ちはありがたい。でも、本当に危険かもしれん」
「本当に危険だからこそ、じゃないの?」
「……美咲」
「でも……いいよ。
境界線を引きたいって言ってるなら、それに従う。
直輝くんが決めたことなら」
言い切る美咲の声は、迷いがなくて強かった。
「ありがとう。助かる」
「リヴちゃんのこと、しっかり支えてあげてね。
だって……頼れるの、直輝くんしかいないんだから」
電話が切れたあと、直輝は息を吐いた。
胸の奥が、少しだけ軽くなった。
「……みさき……なんて……?」とリヴが尋ねる。
「大丈夫だってさ。
俺の決めた線を尊重するって」
リヴはほっとしたように目を伏せた。
耳が力を失うようにふにっと下がる。
「……みさき……やさしい……」
「そうだな。いい友達だよ」
リヴは胸に手を当て、深く息を吐いた。
「……ナオキ……
わたし……みさき……すき……
でも……まきこまないほうが……いい……」
「その判断でいい。俺もそう思う」
その瞬間、リヴが小さく肩を震わせた。
まるで何かの気配が触れたように。
「……また……ちかい……」
「影か?」
「……うん……
ナオキ……
きょう……のよる……もっと……くる……
そんな……きがする……」
夜——。
その言葉に、胸の奥が冷える。
(夜に……何かが来る)
リヴは膝を抱え込み、耳を伏せたまま震えた。
「こわい……
ナオキ……どうしたら……」
その震え方は、午前中とは違った。
“ただの違和感”ではなく、“予感”に近い。
直輝は迷わずリヴの肩を抱いた。
「大丈夫だ。絶対にお前を守る。
何が来ても、間に立つ。
だから……俺から離れるな」
リヴの指がぎゅっと直輝の服をつまんだ。
「……ナオキ……
こわい……
でも……そばにいる……
ナオキ……いるから……」
「ああ。いるぞ」
そのやり取りは短いのに、胸の奥で静かに重く響き続けた。
落ち着いたかと思ったその瞬間——
テレビの画面に、黒い“ノイズ”が走った。
ほんの一瞬。
だけど、その黒は昨日より深く、濃かった。
「……きた……」とリヴが息を呑む。
「まだ画面の中だ」
「……でも……
わたし……に……きこえる……
さわろう……としてる……」
「絶対に触らせない」
言い切ると同時に、リヴは涙を浮かべた。
「……ナオキ……
こわい……
どうして……
ここ……まで……きてる……の……?」
直輝は答えられなかった。
でも答えられないままではいけない。
「……リヴ。今日はもう作業も何もやめよう。
体力残しておけ。夜、何があっても対応できるように」
リヴは黙って頷いた。
その瞳が揺れている。
「……ナオキ……
よる……ほんとうに……くる……よ……」
「来たら俺が止める」
その言葉を聞いたとき、リヴは胸に顔を埋めて小さく震えた。
「……ナオキ……すき……
まもって……」
「ああ、守る。絶対に」
その誓いのようなやり取りが落ちたところで——
テレビの裏から、ふっと冷たい風のような“気配”が抜けた。
二人は息を止めた。
夜は、まだ来ていない。
なのに——「前触れ」だけが確かにそこにあった。
午後の静けさは、夕方に近づくにつれて変質していった。
六畳の空気は落ち着いているはずなのに、どこか重く、奥底に沈殿していく気配だけが消えない。
カーテン越しの光は柔らかい。
けれど——その柔らかさが妙に不安を増幅させる。
「……ナオキ」
リヴが小さく呼ぶ。
ソファの端に座り、直輝の腕をそっと掴んだままだった。
「ん、いるぞ」
「……もう……おと……しない……
でも……きえる……感じ……もしない……」
「音がやんだんじゃない。潜んでるだけだ」
「……ひそんで……る……?」
リヴの耳が弱々しく揺れた。
力がなく、ただ怯えの反応だけがそこにあった。
「夕方になる前に……部屋、少し整えよう。
なんかあっても動きやすいように」
「……うん……」
ゆっくり立ち上がろうとしたリヴの足が、ふらりと揺れた。
直輝は慌てて腕を伸ばし、彼女の腰をしっかり支える。
「大丈夫か?」
「……め……まい……すこし……」
「無理に動くな。座ってろ」
「……でも……ナオキ……てつだう……」
「いいから。お前は休め」
柔らかいはずの声が、少しだけ強くなる。
その「強さ」に、リヴは一瞬びくっと肩を揺らした。
「あ……ごめん。怒ってるわけじゃない」
「……ううん……しってる……
ナオキ……やさしい……」
そう言って、リヴは素直にソファへ身を預けた。
耳は小さく伏せ、胸の前で指をそろえている。
直輝は部屋の中を静かに片づけた。
香草は袋にしまい、机の布やミシンも端に寄せる。
動線を作る——というより、“逃げ道”を確保する。
(何が来るか分からんが……備えるしかない)
最後にテレビの前に立ち、画面をじっと見つめた。
反射する自分の姿は何も異常がなく、違和感もない。
それでも、心臓だけは落ち着かなかった。
「ナオキ……」
呼ばれて振り返ると、リヴが胸を押さえながらこちらを見ていた。
「……くる……
ゆうがた……になると……もっと……ちかづく……」
「予感か?」
「……うん……
むこう……で……まえ……おなじ……
こわれる……まえ……の……きもち……」
その言葉だけで、部屋の空気が冷えた。
(やっぱり“あれ”と似ているのか……)
「ナオキ……
わたし……まもれる……?」
「守る。絶対に」
その言い切りを聞いた瞬間、リヴの瞳が揺れた。
「……すき……」
「……ありがとな」
直輝は彼女の隣に座り、そっと抱き寄せた。
震える肩を包み込み、呼吸が落ち着くまで背中を撫でる。
「……こわい……
ナオキ……そば……にいて……」
「ああ。離れない」
その短いやり取りが、どんな理屈よりもリヴを支えていた。
夕暮れが近づく。
部屋の色が少しずつ青く薄く染まっていく。
その時だ。
テレビが——
無音のまま、ふっと画面を黒く沈めた。
「……っ!」
リヴが直輝の腕にしがみついた。
黒い画面に、わずかに“揺らぎ”が走る。
それはノイズというより、深い闇の奥が動くような——そんな変化だった。
「ナオキ……
あれ……うごいた……」
「ああ、見えた」
画面の奥で、黒が“重なり”、ゆっくり深度を増していく。
画面を透かして、そこに“何かの形”があるように見えた。
「……て……みたい……
のびて……くる……」
リヴの声が震え、耳がきゅっと伏せられた。
「こわい……
ナオキ……」
「大丈夫だ。まだ画面から出てない」
しかし“まだ”という言葉には、続きがある。
黒い影は、画面の奥でゆっくりと形を整えている。
枝のようで、腕のようで、触手のようでもあった。
その動きが、見るだけで胸の奥をざわつかせる。
「……あれ……
よる……に……でる……」
「夜に?」
リヴは小さく頷き、涙を浮かべた。
「むこう……でも……あった……
よる……こわれる……
でる……まえ……こんな……かんじ……」
そして——
「ナオキ……
きょう……よる……
くる……よ……」
その予感は、叫びにも似た“警告”だった。
直輝は息を吸い込み、リヴの手を握った。
「分かった。
リヴ。今夜は俺のそばを離れるな。
何があっても……俺が全部止める」
リヴは震えたまま頷いた。
「……ナオキ……
まもって……
こわい……
でも……ナオキいる……
だから……いきる……」
「生きろ。俺が守る」
その瞬間、テレビの画面が微かに歪んだ。
黒い影が、今にも“外側”へ近づこうとしている。
日が沈むまで——あと数時間。
静かな六畳の部屋には、目に見えない緊張の糸が張り詰めていた。




