揺らぎの気配
朝の光は、まだ弱かった。
雲の向こうでかすかに揺れる白さが、六畳の部屋の隅々へゆっくり染み込んでいく。
冷たい空気の中に、昨夜焚いた香草の甘い残り香がまだ漂っていた。
壁にも布にも淡くしみついたその香りは、目覚めの身体をそっと起こすように穏やかだった。
直輝は湯気の立つマグを両手で包み、ゆっくり息を吐いた。
熱が掌から腕へ、胸の奥へと伝わる。
鼻腔に入る空気は冷たいのに、心の中だけあたたかかった。
(昨日……すごく良かったな)
サシェを三人で作ったこと。
笑い合ったこと。
リヴが少しずつ、自分の部屋に馴染んでいくのを感じたこと。
その全部が、まだ胸の奥でやわらかく灯っていた。
マグを置いた瞬間——ピコン。
スマホが短く震えた。
朝の静けさの中では、やけに大きな音に聞こえた。
なんの通知だろうと画面を見る。
しかし、そこに表示された文字を見た直輝は、指を止めた。
『売れました』
「……え?」
小さく漏れた声は、驚きというより、信じられない戸惑いだった。
昨日の夜、試しに出しただけのサシェ。
ひとつだけ、ほんの形見みたいに並べてみただけの香り袋。
その売れました、の四文字が、何度スクロールしても消えない。
胸の奥が、ふっと跳ねるように温度を上げた。
「……ほんとに?」
呟いた瞬間——布団が小さく揺れた。
毛布から金色の髪がこぼれ、ゆっくりとリヴが顔を出す。
まだ目は眠たげで、現実と夢の境目をふらふらしているようだった。
「……ナオキ……おと……?」
「ああ……いや。ちょっとびっくりした」
リヴの視線に合わせるようにスマホを見せる。
「売れたんだよ。昨日の……リヴが作ったサシェ」
その瞬間、リヴの瞳が大きく揺れた。
耳がぴん、と立つ。
胸の前で指がそっと重なる。
「……うれ……た……?」
「売れた。ほんとに」
リヴは布団を抱えたまま、じわりと身体を起こし、ソファの端へ移動して画面を覗き込む。
指先が震えていた。
「……わ……」
言葉にならない、ほんの短い音。
しかし、その一音に込められたものは、まるで胸に直接届くようだった。
「すごい……
だれか……つかって……くれる……?」
「使うよ。誰かが、これを選んでくれたんだ」
リヴは胸に手を当てるようにして深く息を吸った。
耳が、揺れを我慢できないみたいにふるふる震える。
「ナオキ……
わたし……すごく……うれしい……」
その声が落ち着いた空気に染みついたとき——
「直輝くん、起きてる?」
玄関の向こうから、美咲の声がした。
リヴの肩がびくっと跳ね、耳がぴたりと固まった。
「……みさき……くる……?」
「来ると思う。耳、そのままでいいよ。美咲さん、もう慣れてるし」
直輝が落ち着いた声で言うと、リヴはそっと耳に触れた。
隠すというより、少し恥ずかしいように触れるだけ。
「……すこし……ととのえる……」
「うん、いいよ。美咲さん、リヴの耳好きだからな」
その瞬間——コン、と軽いノック。
「入るよー?」
「あ、ちょっ——」
直輝が声を出すより早く、扉が開いた。
「おはよ……って、なんか可愛い空気出てるじゃん」
美咲は部屋を見た瞬間に状況を把握し、肩を揺らして笑った。
「リヴちゃん、おはよう。今日も耳かわいいね」
「……おはよ……みさき……」
褒められた耳が、ふにっと揺れた。
その動きがあまりに素直で、美咲が満足そうに頷く。
「で? これ……売れたの?」
「うん。ひとつだけど」
「ひとつで十分だよ! 昨日の夜出したばっかでしょ」
美咲の明るい声に、リヴの耳がまたふにっと跳ねた。
その揺れを見るだけで、直輝の胸がじんわり温かくなる。
「すごいね……本当に売れたんだ……」
美咲は机の上のサシェを手にとって匂いを確かめる。
香草の甘い香りがふわりと広がると、リヴの耳がまた小さく揺れた。
「リヴちゃん、これ絶対伸びるよ。センスいいもん」
「のびる……?」
「人気になるって意味」
「……にんき……?」
リヴは胸の前で両手を揃えたまま、小さく息を吸った。
「……また……だれか……かって……くれる……?」
「買ってくれるよ。リヴの作った香り、すごく優しいから」
直輝が言うと、リヴはゆっくりと顔を上げた。
目の奥が明るい光で満ちていくのが分かる。
「……ナオキ……すき……」
「あ、いや……その……ありがとな……」
照れが追いつかず、視線をわざとそらす。
美咲が横で声を出して笑う。
「照れてる直輝くん、今日も安定してかわいいわ」
「……放っとけ」
「はいはい。じゃあ朝ごはん作ろっ。手、洗ってきてー」
美咲の声で空気が軽くなり、三人の動きが自然と台所へ流れていった。
六畳の台所は狭い。
三人で並ぶにはぎりぎりなのに、その窮屈さが不思議と心地よかった。
「リヴちゃん、卵割れる?」
「……やってみる……」
緊張した指が卵を持ち上げ、そっと力を込める。
コツン。
軽い音。
殻が綺麗に割れ、そのままボウルに卵黄が落ちていく。
「うわ、上手になったね!」
「……ほんと……?」
「ほんと。昨日より自信ある手つきだよ」
美咲が褒めると、リヴの耳がふわっと跳ねた。
「ナオキ……」
「上手いよ。きれいに割れてる」
言った瞬間、耳がさらに跳ねた。
嬉しさがそのまま形になっている。
「直輝くん、パンよろしく」
「はいはい」
パンを包丁で切り……いや、砕くように切った瞬間。
「雑」
「その言い方ないだろ……」
「ナオキ……ざつ……?」
「違う違う。これは……味わい?」
「はい出た、苦しい言い訳」と美咲。
リヴはくすっと笑い、耳が小さく揺れた。
その笑い声が、朝の空気に溶けていくようだった。
三人で作ったサンドイッチは、とっておきの材料なんてひとつもないのに、驚くほどおいしかった。
「……おいしい……」
「ゆで卵もきれいに混ざってるからね」と美咲。
「さんにん……でつくった……から……?」
「そうそう。仲間ってこと」と直輝。
「……なかま……」
リヴは小さく呟き、その言葉の重さや温かさを胸で確かめるようにして頷いた。
「ナオキ……ミサキ……と……ごはん……すき……」
「……お、おう……ありがとな……」
直輝は思わず手元のお皿をまとめて視線をそらした。
洗い物を三人で分担し、玩具のように小さな台所を動き回る。
皿洗い、拭き上げ、片付けまでを終えると、六畳の空気がまたひとつ落ち着いた色を取り戻していった。
「よし。昨日の続きやろっか」
「つづき……?」
「そう。今日は商品用だから、昨日より丁寧にね」
机の上に布、香草、ミシン、糸、針が整然と並ぶ。
ここがふつうの六畳とは思えない。
まるで小さな工房みたいだった。
「リヴちゃん、布えらんでみよっか」
「えらぶ……?」
「うん。色が違えば印象も変わるからね」
リヴは布をそっと手に取り、じっと見つめる。
深い緑、淡い青、柔らかい茶色。
指先が、淡い青をすくい上げた。
「これ……すき……きのうの……森……みたい……」
「青ね、いいじゃん」と美咲。
「ナオキ……これ……すき……?」
「ああ。いい色だよ。リヴらしい」
その一言で耳がぴん、と跳ねる。
「じゃあこれで縫っていこうか。返し縫い覚えてる?」
「……すこし……」
「ゆっくりでいいよ」
美咲が優しく言い、リヴはミシンの前に座った。
足をペダルに乗せ、息をひとつ整える。
「肩の力抜いて」
「……ぬく……」
ふ、と力が抜けた。
ミシンの音が静かに動き出し、六畳の空気が心地よく震える。
昨日よりもずっと安定した響きだった。
「……できてる……?」
「できてるよ。すごいよリヴちゃん」
返し縫いで少し迷ったとき、美咲がそっと後ろから手を添える。
「ここね。少し戻って……そう、そのまま前に」
「……できた……?」
「できたよ。きれい」
リヴはちらっと直輝を見る。
「ナオキ……?」
「うん。きれいに縫えてる。ほんとに上手い」
その言葉に——耳が大きく跳ねた。
嬉しさがそのままの反応となって見える。
美咲が笑いながら言う。
「耳で全部わかっちゃうの反則だよね。かわいすぎ」
「み、みないで……」
「いや、見るよ。かわいいもん」
「……ぅ……」
袖で耳を隠そうとする仕草がまたかわいくて、直輝は視線を机へ落とすしかなかった。
「じゃあ、香草混ぜようか」
美咲の声に、リヴは両手をそっと差し出した。
「……まぜる……」
香草をすくい、その指先でゆっくりと混ぜていく。
その動作は昨日よりもずっと落ち着いていて、丁寧だった。
混ぜるたびにふわりと甘い香りが立ち上り、部屋の空気がやわらかく染まっていく。
「これ……すき……におい……」
「分かるよ。落ち着く匂いだしな」と直輝。
「人気出ると思うよ。ほんとに」と美咲。
「……にんき……?」
「うん。人が選んでくれるってこと」
リヴは胸の前で指を揃え、ゆっくり息を吸った。
香草の香りが胸の奥に落ちていく。
「……うれしい……」
その小さな声に、直輝の胸がじんわりと熱を持つ。
「布袋に入れてみようか」と美咲。
「……いれる……」
リヴは布袋を手に取り、香草をそっと落とし、紐を通す。
その一連の動作は、昨日よりずっと慣れていた。
迷いもほとんどなく、丁寧な手さばきだった。
「……できた……よ……」
一つ、完成。
その瞬間、六畳の空気がふわりと明るくなった気がした。
「きれいだね……」と美咲が言う。
リヴは自分の作った袋を、指先でそっと撫でた。
その仕草に、昨日まではなかった自信の芽が見えた。
「ほんと、形が揃ってきたよ」と美咲。
「……ほんと……?」
「ほんと」
リヴの耳がぴんと立つ。
「耳で分かるのかわいすぎ」と美咲。
「み、みないで……」
「隠してもかわいいよ」と直輝が思わず言ってしまう。
直後、リヴの耳が跳ねた。
「……っ……ナオキ……」
(かわいすぎるだろ……)
そんな心の声が漏れそうで、直輝は慌てて視線を机へ落とす。
「ちょっと休憩しよ。お茶いれるね」と美咲が立つ。
「……てつだう……?」
「じゃあ、急須にお湯注いでみよっか」
リヴはそっとお湯を注ぎ、立ち上る湯気が耳に触れた瞬間、ぴくりと揺れた。
「熱かった?」と直輝。
「……すこし……」
「気をつけろよ」
「うん……ナオキ……みてる……から……だいじょうぶ……」
言い切るその声音があまりに素直で、直輝は一瞬だけ言葉を失った。
三人で飲んだ緑茶は、不思議なほど甘い味がした。
家で飲むお茶が、こんなにもやさしいなんて思わなかった。
「日本のお茶ってさ、外国の人からすると渋いって言われるんだけど」と美咲。
「しぶい……?」とリヴ。
「苦い、みたいな感じ」
「……にがくない……やさしい……」
リヴはゆっくり息を吐いてから、静かに言った。
「ナオキ……みたい……」
「俺?」
「……やさしい……」
「……」
直輝は返事をせず、お茶を一口すすった。
こういう時、どう言っていいか分からない。
美咲がニヤニヤしながら茶菓子を並べる。
「はいはい青春。照れてるの丸見え」
「うるさい」と直輝。
「事実でしょ」
「……」
香草を混ぜていた手を休めながら、直輝は話題を変える。
「香りの種類、増やすか?」
「ふやす……?」
「うん。選ぶ楽しさ増えるし」
リヴは香草を見つめ、そっと触れた。
「……ふやしたら……だれか……よろこぶ……?」
「喜ぶよ。選べるの楽しいからね」と美咲。
リヴはゆっくり顔を上げる。
「……ナオキ……は……?」
「俺は……増やすのはいいと思う。リヴの作る香りなら、全部いい匂いだし」
その一言で、耳がふるりと揺れた。
「……うれしい……」
そのときだった。
テレビの裏で——
ほんの一瞬だけ、空気がざらりと揺れた。
「……?」
直輝が自然とそちらへ視線を向ける。
しかし、何も変わっていない。
「どうした?」と美咲。
「いや……気のせいかも」
「また?」
「……うん。たぶん」
直輝がそう言った瞬間、別の誰かの反応だけが違っていた。
リヴの耳が——わずかにそちらへ向いていた。
まるで何かを聞き分けようとするみたいに。
「リヴ……?」
「……なにも……」
一瞬の間。
しかし、否定の言葉だけがそっと落とされた。
「三人でさ」と美咲が言った。
「朝ごはん食べて、作業して、お茶飲んで……なんかもう“家族”みたいだよね」
「……かぞく……?」
リヴが小さく呟いた。
その言葉をどう受け取ればいいのか、胸の奥でそっと転がして確かめているようだった。
「うん。そういう空気あるよ。落ち着くっていうかさ」
「……ナオキの……いえ……?」
「家ってほどのもんじゃないけどな……俺の部屋ではある」
直輝が肩をすくめて言うと、リヴはゆっくりと視線を上げた。
耳がふわりと揺れる。
「……すき……ここ……
ナオキと……ミサキと……
いっしょ……すき……」
「う……」
「ねえ、その“すき”ってさ——」
「お前それ以上言うなよ美咲」
「なんでよ? めちゃくちゃ気になるじゃん」
「やめとけって……」
押し問答を始める二人を見て、リヴは小さく笑った。
耳をふにっと伏せるその仕草が、六畳の空気をさらにやわらかくする。
「リヴちゃん、ほんとに表情豊かになったよね」と美咲が言う。
「……ナオキ……いるから……
ここ……あんしん……する……」
「俺……?」
「……うん……」
直輝は少しだけ言葉を失い、口を閉じた。
胸の奥であたたかい何かがゆっくり灯っていく。
(そんな風に言われたら……そりゃ黙るしかないだろ)
美咲がにやりと笑う。
「ほんっと、直輝くんはもうちょい自覚したほうがいいと思うんだけどね」
「うるせえ……」
「はいはい、はいはい」
美咲がふざけ気味の声で返した、その時だった。
テレビの裏で——
また、わずかに空気が揺れた。
これまでより、ほんの少しだけ。
でも確かに。
「……今の……」
「また気のせい?」
「いや……どうだろう……分からん」
直輝は眉を寄せたままテレビの方を見る。
けれど、いつも通りの古い配線と埃っぽい背面があるだけだった。
「なにも変わってないよ?」と美咲。
「……ああ、そうなんだけど」
そう言うしかなかった。
しかし、リヴだけが違う反応をしていた。
顔をそっと伏せ、胸に手を当てている。
耳はほんのわずかにそちらへ向いたままだ。
「リヴ?」
「……だいじょうぶ……
ナオキ……いる……
だから……だいじょうぶ……」
その言葉は、まるで自分に言い聞かせているようだった。
直輝はそっとリヴの肩に手を置いた。
「無理すんなよ。なんかあったら言えよ」
「……うん……」
リヴは頷いたが、その呼吸がいつもより少しだけ浅い。
美咲は何も気づかず、明るい声のままだった。
「ねえ、リヴちゃん。この前話してた日本と異世界の違いの話、もっと聞きたい」
「ちがい……?」
「そう。リヴちゃんが驚いたものとか、好きなものとか」
リヴは少し考え、指先をそっと動かした。
「……きぬ……さわると……やさしい……
にほんのふく……すき……」
「だよね。日本の布製品ってクオリティ高いよね」と美咲。
「ナオキの……せんたく……
いいにおい……」
「なんでそこ褒めるんだよ……?」
「……ナオキ……すき……」
「洗濯を? 俺を?」
「……どっちも……」
「……」
美咲が笑い転げそうな顔をしている。
「ほらね? 直輝くん、自覚しろって言ったでしょ?」
「うるさいって……」
直輝は香草をいじりながら、無理やり話題を戻す。
「……あー……で、香り増やす話だが」
「うんうん。どれくらい種類増やす?」と美咲。
「ふやす……?」とリヴ。
「そう。選ぶ楽しみが増えるよ」と美咲。
リヴは香草にそっと指先を触れた。
「……ふやしたら……
だれか……よろこぶ……?」
「喜ぶよ。絶対」と美咲。
「ナオキ……は……?」
「俺は……そうだな。リヴの作るやつなら、どれも選ばれると思う」
その言葉に、リヴは耳をふるりと揺らした。
しかし、その直後だった。
テレビの裏から、今度はほんの少し長い揺れが走った。
空気が、ざら……と引っかいたように震えた。
「……今のは、さすがに……?」
「うん。ちょっと長かったな」と直輝。
美咲はまだ大きく気にしていないが、リヴの反応は明らかに違う。
顔がわずかに強ばり、背筋が小さく震えている。
「リヴ?」
直輝が呼ぶと、リヴは胸を押さえたまま小さく答えた。
「……ちょっと……
なにか……すこし……」
「すこし?」
「……ううん……
だいじょうぶ……」
否定の言葉ではあるが、声は弱く、逃げ道を探しているようだった。
ほんの小さな揺らぎのはずだった。
音も光もない。
ただ空気の底が一瞬だけざらついたような、そんな“違和感”。
しかしリヴの肩はわずかに沈み、呼吸は浅くなっていた。
「リヴ……無理に隠すなよ。何か感じたんだろ?」
「……ナオキ……
だいじょうぶ……
ここ……あんしん……する……」
そう言う声は静かで優しいけれど、どこか不自然だった。
まるで、自分自身を守るための言葉のように聞こえた。
美咲が、ようやくリヴの表情の変化に気づく。
「リヴちゃん……? 大丈夫? 顔、ちょっと白いよ?」
「……だいじょうぶ……」
返事は同じでも、その声が弱くなるのが直輝には分かった。
胸の奥がざわつく。
(やっぱり……気のせいなんかじゃないのか?)
テレビの裏へ視線を向ける。
そこにはいつも通りの古い配線、埃っぽい背面。
問題があるようには見えない。
けれど——
何かが確実に“動いている”。
そう直輝は感じた。
「リヴ、こっち座れ。無理して立ってるとしんどいだろ」
「……うん……」
直輝の隣に腰を下ろす。
その動きはゆっくりで、少しだけ力が抜けていた。
座った瞬間、リヴがそっと直輝の袖をつまんだ。
「ナオキ……
そば……にいて……」
「ああ、いるよ。どこにも行かん」
その言葉を聞いたリヴは、少しだけ呼吸を整えるように胸を上下させた。
耳はまだ緊張していたが、その揺れは少しだけやわらいだ。
「ねえ、今日はもう作業やめとこうか?」と美咲。
「……やめる……?」とリヴ。
「無理するのは良くないよ」と美咲は優しく言う。
「でも……つくりたい……」
リヴは小さく首を振り、香草の束を見つめる。
その表情には“続けたい”気持ちが確かにあった。
けれどその奥にある、微かな怯えも直輝には見えていた。
(無理させたくない。でも……止めるのも違う気がする)
どう声をかけるべきか迷ったが、リヴの表情を見て決めた。
「リヴ。作りたかったら、ゆっくりでいい。俺も手伝う」
「……ナオキ……」
「ただ、しんどくなったら言ってくれ。それだけでいい」
リヴはゆっくり頷いた。
「……いう……
ナオキに……いう……」
「よし」
その瞬間、リヴの耳がふにっと揺れ、表情が少しだけ和らいだ。
美咲はその様子を見て、小さく笑う。
「ほんとに……いいコンビだね、あんたたち」
「そうか?」と直輝。
「そうだよ。見てると安心する。
……まあ、ちょっと甘すぎるけど」
「甘い……?」とリヴ。
「気にしなくていい」と直輝は即答した。
「いや、気にしてもいいと思うけど?」と美咲が茶々を入れる。
「うるさいぞ美咲……」
「ふふ……」
そんなやり取りが続き、少しずつ空気が落ち着き始めた。
香草の匂いも、自然と部屋に広がっていく。
三人で並んで座るだけで、部屋の狭さが妙に心地よかった。
そのときだった。
テレビの裏で、再び揺れが走る。
しかし今度は——
ほんのわずか、さっきより“深い”揺れだった。
リヴの耳がぴくりと跳ね、胸へ手を当てる。
「……っ……」
「リヴ!」
「だ、大丈夫……
すこし……むね……いた……」
「胸……?」
直輝はすぐにリヴの手を取り、体を支えた。
呼吸は浅く、目は伏せられている。
「リヴ、落ち着け。ゆっくりだ」
「……うん……」
リヴは直輝の声に合わせて息を整えようとしていた。
その指先がかすかに震えるのを、直輝は見逃さなかった。
「ねえこれ、本当に大丈夫? 病院行く?」と美咲の声が少し強くなる。
「……ちがう……
びょうき……じゃない……」
「じゃあ何なの?」
「……わからない……
でも……これは……
ポータル……じゃない……」
「違う?」と直輝。
「ポータルは……もっとあたたかい……
これは……つめたい……
くらい……」
「冷たい……?」
「……すきま……みたい……」
その言葉に、直輝は息を呑んだ。
隙間。
それは“ゲート”とは別のもの。
(じゃあ、あの揺れは……)
美咲は理解が追いつかず、眉を寄せている。
「ねえ……本当に危なくないの? なんかおかしくない?」
「……だいじょうぶ……
ナオキ……いる……
だから……こわくない……」
リヴはそう言って直輝の袖を握りしめた。
その指は細いのに、驚くほど必死だった。
胸が痛むような気持ちになる。
(守らなきゃ……)
直輝はその手を握り返した。
「大丈夫だからな。俺がいる。
もし何かあっても……お前を放っておくわけないだろ」
「……うん……」
リヴの耳がふるりと揺れ、呼吸が少しだけ落ち着いた。
美咲は深く息を吐き、二人を見て小さく頷いた。
「……もう。あんたらほんと……
見てるこっちの心臓が持たないっての」
その言葉に、直輝もわずかに笑った。
しかし——
テレビの裏で起きる“揺らぎ”は、これで終わりではなかった。
空気の底に沈んだ小さな違和感は、
確かにそこに残り続けていた。
ただの現象なのか。
始まりなのか。
このときはまだ、誰も分かっていなかった。




