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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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灯のむこうで、ふたりの未来をならべる

 朝の光が、六畳の畳の端にそっと落ちていた。カーテンの隙間から差し込む光はやわらかく、夜の名残をゆっくり追い払うように部屋を照らしていた。空気はひんやりしているのに、その光だけはどこか温度があって、静かに一日の始まりを告げていた。


 ナオキは布団の中で大きく息を吸い、ゆっくりと体を起こした。眠気は少し残っていたが、胸の奥には穏やかな気配が漂っていた。昨日の発送二回目、そして写真の投稿。やることは多かったはずなのに、不思議と疲れより満足感のほうが強く残っている。


(今日も、きっと動きがあるんだろうな)


 そう思った瞬間、台所のほうで軽い音がした。湯の気配がほんのり漂い、そこにリヴの存在を感じる。ナオキは自然と頬がゆるんだ。


「リヴ、起きてたのか」


 声をかけると、台所からそっとこちらを向く気配があった。エプロンの裾を整えながら、少し照れたような小さな笑みを乗せて。


「……おはよう……ナオキ。おちゃ……できたよ……」


 差し出された湯飲みから、ふわりと湯気がのぼった。ほんの少し香りが濃い。茶葉の量を昨日より少し多くしたのかもしれない。リヴは胸の前で手を合わせて息を整えながら、慎重に湯飲みを持っていた。


「ありがとう。もらうよ」


 湯飲みに口をつけると、温かさが喉を静かに通り抜けた。その瞬間、少しだけ朝のぼんやりが晴れていく。


 リヴがナオキの隣に座った。動きがいつもより少ししっかりしている。緊張ではなく、わずかな自信が混ざっているような、そんな感触だった。


「リヴ、今日はゆっくり起きてよかったのに」


「うん……でも……きょう……したいこと……いっぱい……」


「したいこと?」


 リヴは小さく考えるように首を傾け、それから目をゆっくりと上げた。


「きのう……にまい……うれた……。だから……きょう……つぎ……どうするか……ナオキと……かんがえたい……」


「ああ……それなら、一緒に考えよう」


「うん……。あとね……」


 言葉を探すように指先が胸元で小さく動いた。


「ナオキ……このへんの……まち……もうすこし……あるきたい……」


「街を?」


「うん……。このまえ……パン……たべて……なんか……しあわせで……。また……みてみたい……きになるとこ……いっぱい」


 その言い方には、昨日までにはなかった種類の小さな期待が混ざっていた。地球の景色が、彼女の中で《こわいもの》から《知りたいもの》へ変わりつつあるのが伝わる。


「じゃあ、発送の準備してから、散歩行こうか。無理のない範囲で」


「むりしない……でも……みたい……」


「うん。俺も歩きたいし」


 そう言うと、リヴの肩がふっと軽くなったように見えた。


 部屋の隅には、梱包に使ったぷちぷちのロールが置いてある。昨日リヴが触れていた場所が少しだけ凹んでいて、そこが朝の光をやわらかく反射していた。


 リヴはそのぷちぷちに視線を向け、口元にうっすら笑みを含ませてつぶやいた。


「……きょう……ぷち……ひとつ……つぶしていい……?」


「ひとつだけなら。昨日も言ったけどな」


「うん……。ひとつ……だけ……」


「なんでそんなに律儀なんだよ」


「だって……いっぱい……つぶしたら……ナオキ……しょんぼり……なる……」


「そんなに俺を信用してないのか」


「ちがう……。ナオキ……だいじにしてる……わかる……」


 その素直さに、ナオキは思わず笑ってしまう。


「大事にしてるかもしれないけど、しょんぼりはしないよ。たぶん」


「たぶん……?」

「いや、しないよ。うん。しない」


「……なら……ひとつ……だけ……つぶす……」


「結局つぶすんだな」


 軽く笑い合うと、六畳の空気がゆっくり温度を上げていくようだった。


「朝ごはんはどうする?」


 ナオキが聞くと、リヴは少し考えてから、ぱっと顔を明るくした。


「ナオキ……きょう……パン……たべる……?」

「パン?」

「このまえ……たべた……まるいの……あれ……また……たべたい……」


「メロンパンか。好きだったんだな」


「うん……。あまくて……ふわってして……」

 リヴは両手を胸の前で丸くして、その感触を思い出しているらしい。

「……こころ……あったかくなった……」


「じゃあ買いに行こう。朝のうちなら焼きたてあるし」


「やきたて……?」

 目がきらっとした。

「それ……しあわせ……」


「それはよかった」


 話しているだけで、今日がすでにやさしい流れになっているのが分かった。


 ナオキは布団を整え、軽く伸びをした。リヴはその間にエプロンを外し、髪を手ぐしで整えて、そっと鏡を覗いた。まだ日本の朝の光に不慣れだが、その姿には確実に馴染もうとしている気配があった。


「ナオキ……」


「ん?」


「きょう……こわくない……」


「どうして?」


 リヴはゆっくり瞬きしながら、小さく笑った。


「ナオキ……いっしょ……だから……」


「そっか。なら、安心していいよ」


「うん……」


 その声は、かすかに震えているけれど、昨日までの震えとは違っていた。逃げようとして生まれた震えではなく、前に進もうとするときの小さな震えだった。


 ナオキは部屋の窓を少しだけ開けた。冷たい空気がふわっと入り、冬の朝特有の静けさが流れ込んでくる。その空気を胸いっぱい吸い込むと、リヴが隣で小さく咳をした。


「さむ……でも……すき……」


「寒いの好きなのか?」


「にほんの……あさ……きんと……してる……。むこうのあさと……ちがう……」


「確かに。こっちは湿気少ないからな」


「むこうは……もっと……やわらかい……」


 そう言って目を細めるリヴの視線は、どこか遠い場所を見ていた。それは懐かしむというより、比べるわけでもなく、ただ二つの世界を静かに受け止めているようなまなざしだった。


「ナオキ……」


「うん」


「きょうの……おしごと……なんか……ちょっと……たのしみ……」


「それは良いことだな」


「こわいけど……たのしい……」


「その気持ち、大事にしような」


「うん……」


 少しの沈黙が落ちたあと、リヴは小さく息を吐き、表情をほんの少し引き締めた。


「ナオキ……つぎの……しゃしん……とる……?」


「うん。光があるうちに撮ろうか。部屋の中、意外と朝の光が一番きれいだから」


「なら……わたし……ほこり……とる……」


「任せた」


 リヴは布巾を持ち、小さな机や棚をていねいに拭いて回る。その姿には、少しずつ地球の仕事を自分の手でやりたいという気持ちが芽生えているのが伝わってきた。


 ナオキは荷物の箱の状態を確認し、伝票とメモ帳を机に並べる。作業の準備をしているだけなのに、気持ちが落ち着いていく。


(今日の流れ……きっと悪くない)


 胸の奥で静かに、そう思った。


 机の上を整えていると、リヴが棚の上に置いたぷちぷちのロールをじっと見つめていた。丸い目が、あきらかに誘惑に負けそうな光で揺れている。


「リヴ……」


「……なに……?」


「まだつぶしちゃだめだぞ」


「つぶしてない……。いまは……まだ……みてるだけ……」


「みてるだけの顔じゃないけどな」


「みてるだけ……だから……だいじょうぶ……」


 その返事に、ナオキは軽く笑った。部屋の中は朝の光とわずかな緊張が混ざり、静かに温度を上げ続けている。


 散歩へ出かける前に、まずは少し作業を進めることにした。撮影用に布を取り出し、折り目が綺麗かどうか、光の当たり方がどうか、細かく見ていく。


 リヴも隣に座り、小さな声でつぶやく。


「……このいと……きのうより……ひかり……きれい……」


「朝の光って、柔らかいからな」


「うん……。なんか……こころ……しずかになる……」


 布をそっと持ち上げる手つきが、昨日より迷いがない。異世界での手仕事の記憶が自然と残っているようで、彼女の指は布を丁寧に扱っていた。


「よし……この角度で撮ってみるか」


「ナオキ……わたし……これ……もつ……?」


「お願いしてもいい? 高さだけ気をつけて」


「うん……がんばる……」


 布を軽く広げ、ナオキがスマホを構える。リヴは指先が震えないようにそっと布の端を持っている。目が真剣そのもので、その姿がどこか少し可愛かった。


「リヴ、もう少し左だ」


「ここ……?」


「もうちょっと……そう、それくらい」


「ふう……むずかしい……」


「慣れれば平気だよ」


「なれる……かな……?」


「なれるさ。昨日よりずっと上手いし」


「ほんと……?」


「うん。見ればわかる」


 リヴは胸に手を置き、小さく息を吸い込んだ。褒められるのにまだ慣れていないのか、照れくさそうに頬が赤い。


「じゃあ撮るよ」


「うん……」


 カシャ、と小さな音が六畳に響き、自然光の中で布がやわらかく映し取られる。二人で画面を覗き込むと、リヴが控えめに声をあげた。


「きれい……」


「いい感じだな」


「ナオキ……これ……きっと……すきって……いってもらえる……」


「うん。そうだといいな」


 しばらく写真を撮ってから、いったん作業を休めることにした。散歩の準備もある。ナオキがコートを手に取ると、リヴがそわそわと近づいてきて、裾をつまんだ。


「ナオキ……あの……」


「ん?」


「きょう……その……どのへん……あるく……?」


「見たい場所あるのか?」


 リヴは少し言いづらそうに首を傾け、小さな声で続けた。


「このまえ……とおった……あの……かざり……いっぱいの……みせ……」


「装飾品の店?」


「うん……。いろんな……ちいさいの……ぶらさがってて……きらきらしてて……」


 あの日、発送の帰り道に通った店だ。風鈴みたいな小物やアクセサリーが店先に並び、リヴが興味深そうに見つめていたのを思い出した。


「あそこ、行ってみたいのか?」


「……うん……。けど……ひと……おおい……」


「昼前ならそんなに混まないよ。大丈夫」


「ほんと……?」


「本当。ゆっくり見ればいい」


 リヴは胸元をぎゅっと押さえ、安心したように息を吐いた。


「ナオキが……いっしょなら……いく……」


「もちろん一緒に行くよ」


「……よかった……」


 その言葉に宿る安心が、まるで六畳の空気をやさしく包むようだった。


「その前に、郵便局の近くのパン屋寄っていいか?」


「うん……。めろん……かいたい……」


「そんなに好きか」


「すき……。すごく……すき……。なんか……ここ……あったかくなる……」


 胸に手を当てる姿が、昨日より素直で、昨日より自然で、昨日より少しだけ地球に馴染んでいる。


「じゃあ準備して出るか」


「うん……」


 支度を始めようとしたとき、リヴが急に自分のエプロンを両手で持ち上げ、ちょっと照れた声でつぶやいた。


「ナオキ……あのね……」


「ん?」


「きょうの……おちゃ……すこし……こく……あった?」


「濃かったな。茶葉増やしたのか?」


「うん……。ナオキ……つかれてるかなって……」


「気遣ってくれたの?」


「うん……。でも……こくしすぎたら……にがい……?」


「いや、ちょうどよかったよ」


「ほんと……?」


「本当。美味しかった」


 リヴは安心したように胸を撫で下ろした。


「よかった……。にがいって言われたら……すごく……へこむ……」


「そんな繊細なのか」


「ナオキの……のんでるかお……すごく……みてる……」


「見てるんだ……」


「うん……。ナオキ……おちゃ……のむと……おちついてる……」


 その観察眼に少し驚いたが、それと同時に胸の奥が温かくなる。


(そんなところまで、ちゃんと見てるんだな)


 支度が整い、二人で玄関へ向かう。靴を履こうとしたとき、リヴが小さく袖をつまんだ。


「ナオキ……」


「どうした?」


「きょう……きょうも……がんばる……」


 その声は、昨日とは違う。緊張に押される言葉ではなく、自分の足で進もうとする小さな意志の声だった。


「うん。一緒に頑張ろう」


「うん……」


 玄関のドアを開けると、冷たい風が頬に触れた。でも、その冷たさにリヴは眉を寄せず、小さく目を閉じて息を吸った。


「……すき……このかぜ……」


「冬の匂いだな」


「うん……。いってみよう……ナオキ……」


「行こう」


 二人は並んで階段を降り、朝の街へ足を踏み出した。冷たい空気の中で、ほんの少しだけ、リヴの歩幅は昨日より前に出ていた。


 並木道を抜けて商店街へ向かう途中、リヴは時々立ち止まっては周りの音を確かめるように耳を澄ませていた。朝の街はゆっくり動いていて、車の音も少し遠く、どこか落ち着いた空気があった。


「ナオキ……」


「うん?」


「きょう……まえより……こわくない……」


「いいことだな」


「うん……。なんか……まちがえても……ナオキ……すぐとなり……いるって……おもうから……」


「お、それは嬉しいな」


 リヴは照れたように目をそらした。


「うん……。あんまり……いうと……はずかしい……」


「素直でいいと思うよ」


「ナオキ……そういうこと……てれてない……?」


「少しは照れてるけど、嬉しいから大丈夫」


「……ふふ……」


 笑った声が小さく響き、朝の空気の中でゆっくり溶けていった。


 商店街の入口へ着いた頃、パン屋の甘い香りがふたりの鼻をくすぐった。昨日と同じ匂いなのに、今日は少し違う意味を持っているように感じる。


「リヴ、今日はメロンパンだけでいいか?」


「うん……。めろん……ひとつと……あと……さくさくの……」


「クロワッサンか」


「そう……それ……。くろ……なんだっけ……」


「クロワッサン」


「くろわっ……さん……」


「だいたい合ってる」


 ふたりで笑いながら店に入り、パンを選んでレジで会計を済ませる。リヴは昨日より堂々とレジの動きを見ていた。カードの音にも驚かない。


「ナオキ……ここの……ひと……やさしい……」


「そうだな。ここのパン屋さんは穏やかな人が多い」


「うん……。すき……」


 紙袋を抱えたリヴが、まるで宝物でも持っているように肌を緩めていた。


「公園で食べるか?」


「うん……」


 昨日と同じベンチに座り、今日のメロンパンを袋から取り出す。指先に伝わる温かさにリヴは嬉しそうに目を細めた。


「ナオキ……これ……きのうより……あったかい……」


「焼き立てなのかもな」


「うん……。いただきます……」


「どうぞ」


 ひと口かじった瞬間、リヴの目がゆっくり丸くなった。


「……おいしい……」


「良かった」


「きのうより……すこし……ふわってしてる……」


「焼き立てだと違うな」


「うん……。なんか……しあわせ……」


 嬉しそうに頬を動かしながらパンを食べる姿が、少し幼くて、でもとても素直だった。


「くろわっ……さん……も……たべる……?」


「食べなよ」


「うん……」


 クロワッサンを手に取ると、リヴはまた同じように小さく感想を漏らす。


「これ……さわると……かるい……。ふしぎ……」


「中が空気を含んでるからな」


「くうき……すごい……」


 くすっと笑ってしまうような、素直な驚きだった。


 朝の光が公園へ静かに落ちてきて、ベンチの足元に柔らかな影が伸びていく。ふたりは少しの間、言葉もなくパンを味わっていた。静けさが気まずいのではなく、自然にそこにある時間だった。


「ナオキ……」


「うん?」


「このあと……あの……きらきらの……みせ……いく……?」


「もちろん」


「ひと……おおかったら……どうしよう……」


「大丈夫だよ。無理に入らないで、外から見るだけでもいいし」


「そっか……」


「リヴのペースでいいよ」


 その言葉に、リヴの肩の力が少し抜けた。


「……じゃあ……みたい……。あの……ちいさい……ぶらさがってるやつ……」


「店先に風鈴みたいなのあったな」


「そう……。ひかり……あたると……ゆれるやつ……」


「あれ綺麗だったな」


「うん……。すごく……」


 リヴが感激したように胸の前で手を重ねた。その仕草が、朝の光と混ざってとても柔らかく見えた。


「よし。じゃあ、食べ終わったら行くか」


「うん……」


 紙袋をしまい、ふたりは再び歩き始めた。


 商店街の奥にある装飾品の店が見えると、リヴは足を止め、少し背伸びして店先を覗いた。


「ナオキ……ひと……すくない……」


「今なら入りやすいぞ」


「……いく……」


 リヴは小さく息を吸い、胸に手を当てたまま一歩踏み出した。


 店の入口に吊るされた小さな飾りが風に揺れ、細い音を立てる。リヴはそれを見ただけで表情が和らぎ、そっと指先を伸ばした。


「これ……ゆれる……」


「風で動くんだよ」


「……かわいい……」


 店の中には小さな置き物、アクセサリー、布小物が並んでいて、どれも少しずつ色が違い、光を受ける角度で印象が変わって見えた。


 リヴはゆっくり歩きながら、ふと一つの棚の前で立ち止まった。


「ナオキ……これ……みて……」


「どれ?」


「この……ちいさいかご……」


 手のひらに乗るほどの小さな籠だった。細い糸で丁寧に編まれ、模様が交互に浮き上がっている。


「きれいだな」


「うん……。なんか……むこうの……こうぼうの……あの……かざり……すこし……にてる……」


「確かに。雰囲気があるな」


「これ……へやに……ほしい……」


「買うか?」


「でも……おかね……」


「大丈夫だよ。今日は俺が出す」


 リヴは困ったように笑った。


「ナオキ……なんか……いつも……」


「こういう日はいいんだよ」


「……ありがと……」


 胸に籠を抱えたリヴの表情は、まるで大事なものを見つけた子どものように柔らかかった。


 店内をもう少し歩くと、小さな布のきれはしが籠にまとめて置かれていた。鮮やかな色、落ち着いた色、渋い色。どれも違っていて、手に触れるとほのかに温度が残っている気がする。


「ナオキ……これ……」


「布の切れ端だな」


「むこうの……いと……とは……ぜんぜん……ちがう……」


「色が鮮やかだな」


「うん……。でも……すき……」


 リヴは切れ端をそっと手に取り、目を細めた。


「なんか……ひかり……すっと入って……きれい……」


「感性がだんだん地球モードになってきたな」


「ちきゅうもーど……?」


「うん。地球の色の見え方に慣れてきたってこと」


「ふむ……。じゃあ……わたし……すこし……ちきゅうのひと……」


「少しどころか、もう半分くらいそうだよ」


 リヴは照れたように笑い、また籠を大事そうに抱きしめた。


 店を出ると、ふたりは改めて空を見上げた。薄く雲が伸び、日の光がその上をゆっくり歩くように移動している。


「ナオキ……」


「うん?」


「きょう……びっくりした……」


「どこで?」


「みせ……はいれた……」


「入れたな」


「きのうだったら……むり……。でも……きょうは……あの……ゆれるやつ……みたくて……」


「うん」


「こわいより……みたい……が……おおかった……」


 その言葉に、ナオキは静かに頷いた。


「それ、すごく大事だな」


「……だいじ……?」


「うん。怖さをゼロにするんじゃなくて、見たい気持ちが上回るってことは、強さが増えたってことだよ」


「つよく……なった……?」


「なったと思うよ」


 リヴは胸に手を当て、そっと目を閉じた。


「……うん……。すこしだけ……わかる……」


 歩き出したリヴの足取りは、さっきより穏やかで軽かった。


 アパートの階段を上がるころには、雲のすき間から差しこむ光が少し強くなり、街の音もゆっくり昼に向かって変わっていた。部屋の前に着くと、リヴは胸に抱えていた小さな籠を一度見下ろし、そっと息を吸った。


「……ここに……もってかえるの……なんか……うれしい……」


「似合うと思うよ。部屋が少し明るくなるな」


「うん……」


 部屋に入ると、六畳の空気が穏やかに迎えてくれた。朝に飾った小さな花束は、窓から入る光を受けて淡く揺れ、棚の上の布も柔らかく影を作っている。


「リヴ。どこに置く?」


「うーん……ここ……」


 リヴは窓際の台に、花束の横へそっと小さな籠を置いた。光を受けた籠の影が、布の端に重なって伸びていく。その細い影を見て、リヴは少しの間、言葉もなく見つめていた。


「……なんか……へや……すこし……やわらかくなった……」


「うん。いい感じだよ」


 ナオキが言うと、リヴはゆっくり振り返り、ほっとしたように微笑んだ。


 ふたりでテーブルに腰を下ろすと、朝からの余韻が静かに落ちついていく。写真を整理して、出品ページの書きかけを少し直して、棚の布の並びを整えた。


 細かい作業がひとつ終わるたびに、リヴは胸の前でそっと手を重ねる。たくさんの緊張を越えてきた日のせいか、その仕草ひとつひとつに深い呼吸が混ざっている。


「ナオキ……」


「うん?」


「これから……もっと……つづけられる……?」


「続けられるよ。ゆっくりやれば大丈夫」


「じゃあ……むこうのひとたちにも……おねがい……できる……?」


「そのつもりだよ。きちんとした形で、分け前も渡したい」


 リヴはその言葉を聞いた瞬間、胸を押さえて小さく息をのんだ。


「……それ……すごい……。ほんとうに……すごい……」


「当たり前だよ。向こうの人たちの手仕事があってのことだからさ」


「うん……。でも……ナオキ……そういうこと……ちゃんと考えて……すごい……」


「いや、そんな立派なもんじゃないよ。ただ……向こうの工房の人たちが困ってたのを見たろ?」


「うん……。糸……足りない……って……」


「そう。少しでも支えられたらいいなって、ただそれだけ」


 リヴはゆっくり頷き、視線を落とした。


「……むこうのひとたち……よろこぶ……。きっと……よろこぶ……」


「そうだといいな」


 静かな時間が流れたあと、リヴはふと顔を上げた。


「ねえ……ナオキ……」


「うん?」


「きょう……なんか……いっぱい……できた……」


「うん。すごいと思うよ」


「うまく言えないけど……。にほんのこと……むこうのこと……どっちも……すこしだけ……つながった気がして……」


「リヴが頑張ったからだよ」


「……そうかな……?」


「そうだよ」


 ひとこと返すだけで、リヴは静かに目を細めた。


「ナオキ……やさしい……」


「そんなことないよ」


「ある……。だって……ナオキ……わたし……こわくないように……いつも……ゆっくり……してくれる……」


「それは……まあ、そうしてあげたいからな」


「……ありがとう……」


 小さな声だったが、その声には確かな熱があった。


 夕方に近づき、窓からの光が少しだけ傾いたころ、パン屋で買った袋の端がテーブルの下で揺れた。リヴはその袋を見つめて、ゆっくり笑った。


「ナオキ……あのね……」


「うん?」


「きょう……すごく……すきだった……」


「うん。俺も好きな一日だったよ」


「なんかね……はじめて……“にほんで生きてる”って……すこし……思えた……」


 ナオキは少し驚きながらも、静かに頷いた。


「そっか……」


「うん……。むこうの世界のこと……すきだし……なつかしい……。でも……きょうは……ここでの“すき”も……すこし……ふえた……」


「それは良いことだな」


「うん……」


 リヴは膝の上で指を重ね、慎重に言葉を続けた。


「ねえ……ナオキ……」


「どうした?」


「……いつか……むこうのひとたちが……しあわせになるの……みたい……」


「見ような。一緒に」


「うん……。いっしょに……」


 その言葉にふたりの視線がふっと重なった。

 窓の外を吹き抜けた風が、飾った花束の花をかすかに揺らし、六畳の空気をまた少し柔らかくする。


「ナオキ……」


「うん?」


「て……すこし……にぎっても……いい……?」


「もちろん」


 そっと触れた指先は少し冷たくて、けれどすぐに温度が伝わりはじめた。リヴは安心したように手を重ね、呼吸を整えた。


「……あったかい……」


「うん。落ちつくな」


「うん……。ナオキと……こうやって……いられるの……すき……」


「それは俺も同じだよ」


 その言葉にリヴはほんの少し目を伏せ、照れくさそうに笑った。


 六畳の静けさは、もう以前のそれではない。

 花束と、小さな籠と、棚の布と、朝から積み重ねてきた“できた”の連続が、部屋の空気に新しい色をつけていた。


「さあ……明日からも少しずつやっていこうか」


「うん……。ゆっくり……」


「ゆっくりが一番だよ」


「うん……」


 リヴはそっとナオキの手を離し、また胸に手を当てた。


「ナオキ……きょう……ほんとうに……ありがとう……」


「こちらこそ」


 静かな時間がゆっくり落ち着いていき、

 六畳の部屋に、ふたりの未来の輪郭が薄い光のように広がっていった。


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