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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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香りと手仕事が揺れる午後

 昼を少し過ぎた頃、サロンの大きな窓から柔らかな光が入り込んでいた。冬の陽射しは弱いはずなのに、白を基調にした店内だと意外と明るく感じる。ナオキはベッドのシーツをゆっくり伸ばし、しわの具合を整える。カーテンが風でわずかに揺れ、その音に混じって表の通りから車の音が遠く届いた。


 受付の棚には、昨日ふたりで並べた香り袋と小さな木彫りが置かれている。主張が強くない、さりげない配置だ。それでも、朝のうちから数人のお客が視線を向けていた。


 ちょうど支度が整った頃、扉のベルがやさしい音を鳴らした。


「こんにちは」


 いつも来る常連の女性だった。ナオキは自然な笑みを返し、落ち着いた声で迎える。


「こんにちは。今日もゆっくりしていってくださいね」


 女性は軽くうなずき、履物を揃えて入ってきた。そのあとに続く気配に、ナオキは後ろを振り返る。


 リヴだった。今日のリヴはサロンの薄いエプロンをしていて、胸元に小さな花模様がついている。彼女が選んだわけではなく、ナオキが控えめな柄のものを買ってきた。リヴは袖口をつまみながら、緊張と嬉しさを半々にした顔で出迎えた。


「いらっしゃい……ませ……」


 たどたどしいが、丁寧だ。お客は少し驚いたように目を細め、それから穏やかに笑った。


「この前もいらっしゃいましたよね。ちゃんと挨拶できていて偉いね」


 リヴは小さく肩を跳ねさせたが、そのあと胸に手を置いて照れたようにうなずいた。


「……ありがとう、ございます……」


(いい入りだな……)


 ナオキはひと呼吸し、お客を施術室へ案内する。ベッドに寝てもらい、タオルをそっとかける。リヴは控えめに部屋の外に立ち、お客の靴を揃えたり、受付まわりを整えたりしている。


「でははじめますね」


「お願いします」


 施術が始まると、部屋は静かになった。オイルを温める香りがふわっと広がり、ナオキは指先の感覚に集中した。圧を加えるたび、筋肉が少しずつ緩むのが分かる。息がひとつ深くなると、空気もゆっくり和らいでいった。


 しばらくして、お客がふわりと呟いた。


「今日の香り……なんか違う気がする」


「そうですか?」


「うん……。落ち着く、っていうか……空気がやわらかい感じ」


「それ、よく言われる香りなんです」


 ナオキは柔らかく言った。効能の直接的な言い方は避け、感じ方に委ねる言い回しにする。


「へえ……いいですね。好きかもしれない」


「よかったです」


 音を乱さない程度に会話が交わされ、また静けさが戻る。ナオキはいつものリズムで背中から腰を流し、お客がひとつ息を漏らすたび、今日もうまくいっていると感じた。


 施術が終わると、お客はゆっくり体を起こし、肩を回した。


「ありがとうございました。やっぱりここ好きだなあ」


「そう言っていただけて嬉しいです」


 ナオキは笑いながら見送り、入口まで戻った。


 靴を履こうとしていたお客が、不意に受付棚のほうへ視線を向けた。


「これ……前なかったですよね」


「ああ、それ……最近置き始めたんです」


「香り袋?」


「はい。お部屋とか、玄関とかに置いて楽しむやつです」


 ナオキは必要な説明だけを、柔らかな声で続けた。


「香りは控えめですけど、ほのかに空間が落ち着くっていう声が多いですね」


 その瞬間、棚の横からリヴがそっと顔を出した。お客が視線に気づき、やさしい目で見つめる。


「これ……あなたが……?」


「……はい。すこし……てつだった……」


 リヴは胸の前でそっと手を合わせ、小さくうなずいた。お客の表情が一段柔らかくなる。


「かわいいね。これ、ひとついただいてもいいかな?」


「えっ……」


 リヴがわずかに息を呑む。ナオキはそっとリヴに視線を向けてから、落ち着いた声で応じた。


「もちろん大丈夫です」


「それじゃあ、この白い袋のを。なんか、やさしい香りで好き」


 お客は会計を済ませ、袋を受け取ると、リヴのほうを向いて静かに言った。


「これ、家に飾るね。ありがとう」


 リヴは胸に手を当て、深くうなずいた。


「……ありがとう……ございます……」


 お客が帰って扉が閉まった瞬間、リヴはゆっくり息を吐いた。


「……ナオキ……」


「うん?」


「いまの……おきゃくさん……ほんとうに……かってくれた……」


「うん。見て気に入ってくれたんだと思う」


「すごい……。ほんとうに……すごい……」


 リヴは目元を小さく押さえた。泣きそうというわけではない。ただ、胸に広がる何かを押さえきれないような仕草だった。


「リヴのおかげだよ。綺麗に並べてくれたから」


「……ううん……でも……うれしい……」


 頬が少し赤くなる。その顔を見て、ナオキも自然に呼吸が深くなった。


「午後も来るかもしれないし、準備しておこうな」


「うん……。がんばる……」


「頑張りすぎなくていいよ。手伝ってもらえるだけで十分だから」


 リヴは小さくうなずき、棚の前に立ち、香り袋の向きをそっと直した。動作がいつもより慎重で、どこか誇らしさも混ざっていた。


 そのあと、玄関のベルがもう一度鳴いた。


 新しいお客だった。


 ナオキは深く息を吸い、小さく笑った。


(……ここからが本番だな)


 小さくうなずき、ふたりの新しい午後がゆっくりと進み始めた。



 午後の最初のお客を見送ったあと、サロンの中は少しだけ静かになった。外を通る車の音もゆるんで、穏やかな時間が戻ってきた。ナオキは施術室の空気を整え、オイルの瓶を棚に戻し、タオルを畳む。そのあいだ、リヴは受付まわりを静かに片づけていた。


「リヴ、疲れてないか?」


「だいじょうぶ……。ナオキのそばにいると……なんか、からだが……おちつく……」


「そうか。それならよかったよ」


 リヴは照れくさそうに視線を落としながら、香り袋の並びをもう一度整えた。袋の色がやさしい光でやわらかく見えて、サロン全体の雰囲気まで少し明るくなる気がした。


「ナオキ……これ……すきって言われた……」


「うん。嬉しいな」


「うん……。むこうの布……ここにあるだけじゃなくて……だれかの家に……いくって……すごい……」


「それが商いだし、ものづくりの良さだよな」


 リヴは胸にそっと手を置き、小さく息を吸った。深呼吸のリズムが少しずつ整っていく。


 ちょうどそのとき、扉が再び開いた。ベルがさりげなく響き、ナオキはすぐに笑顔で入口へ向かった。


「こんにちは」


 入ってきたのは、新規の客らしい若い女性だった。少し緊張した顔で室内を見回し、受付に目を向ける。


「予約していた者です……」


「はい、ありがとうございます。どうぞこちらへ」


 ナオキはいつものように落ち着いた声で案内した。リヴは受付の横に立ち、お客の目が合うと、そっと頭を下げる。


「……いらっしゃい……ませ……」


「かわいい店員さんがいるんですね」


 女性のお客がくすりと笑って言った。その一言でリヴの顔が一気に赤くなる。


「……て、てんいん……?」


「いいこと言われてるんだよ、リヴ」


「そ、そう……なの……?」


 ナオキは小声で返し、お客は微笑んだまま施術室へ向かった。


 部屋の外から聞こえる気配は緊張と期待が混じったようで、ナオキはその空気を静かに受け止めながら施術を始めた。やわらかい圧で肩をほぐし、首をゆっくり流す。


「今日の香り、すごく好きです……」


「ありがとうございます。気に入っていただけて嬉しいです」


 施術の途中、お客がぽつりと言葉を落とす。


「なんか……落ち着く香りですね。部屋にも置きたいくらい……」


「受付に少し置いてありますよ」


 自然に誘導する言い方で伝えると、お客の表情が明るくなった。


「そうなんですか? 後で見てみます」


 その言葉に、ナオキの胸の奥がそっと熱くなる。それと同時に、(リヴも喜ぶだろうな)と考えた。


 施術が終わり、扉のベルとともにゆっくり流れ出る夕方の光が、受付の棚を照らす。


「これ……さっきの香り袋ですか?」


「はい。ひとつひとつ香りが違います。お部屋や玄関に置くと、ほんのり気分が変わるって言われることが多くて」


 お客は手に取って、香り袋をそっと鼻に近づけた。


「……いい匂い……優しい……」


 その瞬間、棚の横に立っていたリヴが、少し緊張した様子で言った。


「それ……むこうの……じゃなくて……にほんで……つくった……」


 お客が驚くように目を丸くした。


「手作りなんですか?」


 リヴは小さくうなずいた。


「……はい。ナオキと……いっしょに……すこし……てつだった……」


「すごい……上手。ほんとにかわいい」


 その言葉は飾り気のない本音に聞こえた。リヴは胸の前で両手をそっと重ねて、小さく息を漏らす。


「……うれしい……」


 お客は迷わずひとつ選び、会計を済ませて帰っていった。


 扉が閉まると、リヴはその場に立ったまま、胸を押さえて深呼吸をした。


「……ナオキ……」


「うん」


「いまの……すごく……うれしかった……」


「だろうな」


「なんか……むねが……ふわってした……」


「それは良い感覚だよ。仕事の面白さって、こういうところにもあるんだと思う」


 リヴは目を細め、ほんの少し照れくさそうに笑った。


「ナオキ……わたし……にほんの……おしごと……すこし……すきになってきた……」


「それは嬉しいな」


「でも……こわいのも、まだある……」


「大丈夫だよ。俺も一緒にやるから」


 リヴの表情がわずかに柔らかくなる。その目の奥には、安心と期待の小さな光があった。


「……ナオキ……いっしょに……ずっと、できる……?」


「できるよ。無理のない範囲で、ゆっくり続けていこう」


「うん……」


 その返事は、どこか満ち足りた響きを持っていた。



 午後の外の光は少し弱くなり、サロンの中に影がゆっくり伸びていく。棚の上の香り袋がほのかに揺れ、リヴの髪もやさしく揺れた。


 この店に、こんな空気が流れる日が来るとは思っていなかった。


(……続けられるな、これ)


 ナオキは素直にそう思った。


 夕方に近づくにつれ、外の光が柔らかくなった。サロンの照明も自然と落ち着いた色に見えて、空気そのものがゆっくり緩んでいくようだった。


 次のお客の予約までは、少しだけ時間が空いた。ナオキが施術室の片づけを終えて戻ると、受付の横でリヴが棚の前にしゃがみ込み、香り袋をそっと並べ直しているところだった。


「リヴ、さっきのお客さんに褒められたな」


「うん……。なんか……すごく……うれしかった……。むねのなか……あったかくて……」


「うん。それだよ。それが続ける力になるんだと思う」


 リヴは顔を上げて、ナオキの言葉をじっと受け止めるように頷いた。


「ナオキ……ねえ……」


「ん?」


「わたし……にほんでも……やくに……たてるんだね……?」


「もちろんだよ。今日のだけでも十分役に立ってるよ」


「ほんとう……?」


「ああ、本当」


 その瞬間、リヴの表情がふっと和らいだ。あどけなさの残る笑顔なのに、どこか大人びた喜びが混ざっている。


「……よかった……。ナオキの……ちからに……なるって……ずっと……おもってた……」


「なってるよ。ずいぶん前から」


 リヴは少し恥ずかしそうに視線を落とした。指先を胸の前でそっと合わせ、小さな呼吸をひとつ整える。


「……ナオキ……やさしい……」


「事実を言ってるだけだよ」


「……でも……やさしい……」


 リヴがそう呟くと、棚の上で軽く揺れた香り袋から、ラベンダーの匂いがほのかに漂った。それも、今日の空気に似合っていて、静かで穏やかな時間が続く。


「ちょっと休憩しようか。お茶淹れるよ」


「わたし……てつだう……」


「じゃあ、急須お願い」


「うん……!」


 リヴは立ち上がり、キッチンのほうへ向かう。その足取りは、昼間よりもずっと軽かった。今日一日で、緊張も、不安も、少しずつ薄くなってきたのが分かる。


 リヴが急須を洗いながら、背中越しにちらっとナオキを見た。


「ナオキ……」


「どうした?」


「さっき……おきゃくさん……“かわいい店員さん”って……いった」


「ああ、言ってたな」


「てんいん……って……わたし……?」


「そうだよ」


「なんか……へんなきもち……」


「嫌だった?」


「ううん……。なんか……こそばゆい……」


 リヴは急須に茶葉を入れながら、口元を押さえて笑った。


「……なんか……にほんで……おしごと……してるって……かんじ……」


「してるよ。立派に」


「ほんとう……?」


「本当」


 リヴは急須をそっと揺らし、お湯を注いだ。蒸らす間に、香りがふわっと部屋に広がっていく。


「……ナオキ……」


「ん?」


「わたし……“がいこくのひと”だから……むりだって……おもってたこと……いっぱいあった……」


「うん」


「でも……いまは……すこしだけ……できる気がする……。こわいこともあるけど……」


「リヴのペースで覚えていけばいい。一緒にやっていけるし」


「うん……。ナオキが……いっしょに……おしえてくれるなら……だいじょうぶ……」


 茶葉の香りが湯気に乗って、六畳にゆっくり広がった。


 お茶を二人で飲みながら、静かな時間が戻る。窓の外を走る車の音も、道を歩く足音も、全部遠くに感じられた。


「そういえば、リヴ」


「なに……?」


「今日のあのお客さん、最後に香り袋を手に取ってたろ?」


「うん……」


「すごく自然に売れたんだよ。あれって、もうサロンの物販ってやつが動き出してるってことだ」


 リヴが息を止めるようにして、ゆっくり目を丸くした。


「……はじまった……?」


「うん。始まった」


「すごい……。なんか……ほんとうに……すごい……」


「焦らなくていいけどな。売れたのはひとつだけだし」


「でも……ひとつ……すごい……」


「ああ、すごいよ」


 リヴは胸を押さえ、小さな声で呟いた。


「……ナオキ……。わたし……“ありがとう”っていうひとこと……こんなにおおきいって……わからなかった……」


「嬉しかったんだな」


「うん……。とても……」


 しばらく沈黙が続いたが、その静けさは居心地がよかった。ふたりのあいだの空気に、今日の積み重ねがゆっくり染み込んでいくようだった。


 そのとき、ふいに扉のベルが鳴った。次の予約のお客が来たらしい。


「あ、来たな」


「ナオキ……がんばって……?」


「うん。ありがとう」


 ナオキは施術室へ向かう。リヴは受付の前で背筋を伸ばし、胸の前にそっと指を当てて深呼吸した。


(がんばる……)


 心の中で小さく呟いて、入口へ向き直る。


「いらっしゃいませ……」


 その声は、昼よりも少しだけ強く、やわらかかった。


 施術を終えてお客を見送る頃には、空の色がかなり落ちていた。夕暮れの青が商店街の上に広がり、街灯が少しずつ明かりを灯し始める。


「今日も一日お疲れ様でした」


「ありがとうございました」


 お客の背中が遠ざかり、ベルがゆっくりと閉じる音がした。


 ナオキは深く息をついた。


「ふう……」


「ナオキ……おつかれ……」


「ありがと、リヴも」


 振り向くと、リヴが棚の横で小さく微笑んでいた。ほんの少し頬が赤いのは、照明のせいだけではなかった。


「リヴ、今日……どうだった?」


「……すごく……たのしかった……。たのしくて……こわくて……でも……また……したい……」


「また一緒にやろう」


「うん……」


 リヴは近づき、肩のあたりまで歩幅を合わせた。


「ナオキ……」


「ん?」


「きょう……しあわせ……」


「俺もだよ」


 その言葉を聞いた瞬間、リヴは照れくさそうに俯き、指先をごく小さく握った。


「……ナオキ……。ほんとうに……すき……」


 その声は、夕暮れの静けさにふわっと溶けていった。


「俺もリヴが大事だよ」


「うん……」


 ふたりはサロンの片づけをゆっくり進め、窓の外の青が群青に変わる頃、明日の準備を終えた。


「リヴ、今日はもう帰ろうか」


「うん……」


 鍵を閉めると、商店街の夜風がふたりを包んだ。リヴはそっと袖をつまみながら、いつもより少しだけ近い距離で歩いていた。


「ナオキ……」


「ん?」


「つぎも……いっしょに……がんばる……?」


「もちろん」


 その答えを聞いて、リヴは夜の道を見上げ、小さく笑った。


 サロンの灯りが遠ざかる中、ふたりの影は並んで、ゆっくり家へ向かっていった。



 夜の空気は、昼間よりもずっと静かだった。商店街を抜ける頃には、店の看板の灯りがぽつぽつと残っているだけで、行き交う人の姿もまばらだった。風が少し冷たくて、リヴは首元をそっと押さえながらナオキの隣を歩いていた。


「リヴ、寒いか?」


「すこし……でも……だいじょうぶ……」


「ならよかった。帰ったらあったかいお茶にしよう」


「うん……。ナオキの……おちゃ……すき……」


 その言い方があまりに自然で、ナオキは思わず笑ってしまった。


「なんか、最近よく好きって言うよな」


「え……?」


「いや、嫌じゃなくてさ。嬉しいよ」


 リヴは一瞬立ち止まり、小さく深呼吸した。


「……だって……ほんとうに……そうだから……」


 夜道にふわっと漂うその声音は、昼間よりも優しく落ちていった。


 アパートが見えてくると、通りの街灯が影を長く伸ばし、ふたりの姿を並べて照らした。階段を上がり、部屋に入る。六畳の空気は、どこか昼よりも落ち着いていて、帰ってきたという実感がゆっくり胸に広がる。


「よし、お茶入れるな」


「わたし……てつだう……」


「じゃあ、湯のみ出してくれる?」


「うん……」


 リヴは棚から湯のみを二つ取り出し、そっと座卓の上に置いた。その動きは昼よりもずっと手慣れている。少しずつ、地球の暮らしに馴染んでいるのが分かった。


 お湯が沸く音が静かな部屋に広がる。急須に茶葉を入れ、お湯をそっと流し込むと、香ばしい香りが湯気と混ざってふわりと立ちのぼる。


「……いいにおい……」


「今日のはちょっと濃いめにしてみたよ。疲れが取れるから」


「うん……のむ……」


 湯気越しに湯のみをそっと口に運ぶリヴの姿を見ながら、ナオキもひと口飲む。温かさが体にすっと入り込み、肩の力がゆっくり抜けていく。


「はあ……落ち着くな」


「うん……。きょう……ながかった……」


「でも頑張ったよ。すごく」


 リヴは湯のみを持ったまま、少しだけ目を伏せて呟いた。


「ナオキ……わたし……きょう……“すきなこと”が……ふえた……」


「すきなこと?」


「うん……。ひとが……よろこぶの……みること……。なんか……むねが……あったかくなる……」


 それを聞いたとき、ナオキの胸の奥にも静かな余韻が広がった。


「リヴ……」


「なに……?」


「今日の仕事で喜んでたの、ちゃんと伝わってたよ。あのお客さんにも」


「ほんとう……?」


「本当」


 リヴは胸元をそっと押さえ、少し息を吸い込んだ。


「……なんか……ほんとうに……ここで……いきてるって……かんじ……」


「それでいいんだと思うよ。今日みたいに少しずつ……積み重ねていけば」


「うん……」


 しばらく静かな時間が続き、二人の呼吸が自然に揃う。


「リヴ、さっき……言ってたよな。楽しかったって」


「うん……」


「それ、大事だよ。続ける力になるから」


「つづける……?」


「うん。この仕事も、布も、香り袋も……急がずに続けていけば、形になるよ」


「ナオキ……そういえば……」


「ん?」


「きょう……おきゃくさん……“この香り……おちつく”って……いってた……」


「ああ、言ってたな」


「そのとき……なんか……すごく……あたたかいきもち……した……。へんなきもち……」


「いい意味のやつだろ。それでいいんだよ」


「うん……」


 リヴは湯のみを置くと、座卓の向こうからナオキのほうへそっと膝を寄せた。


「ナオキ……」


「どうした?」


「……ねえ……わたし……もっと……できるかな……?」


「できるよ。ゆっくり覚えていけばいい」


「ほんとう……?」


「本当だよ。今日だけで十分分かった」


 リヴは胸元で指をそっと重ねた。


「ナオキ……わたし……つぎ……もっとがんばる……」


「うん。一緒にやろうな」


「うん……」


 夜の静けさが部屋いっぱいに広がり、二人の間にある温度がゆっくりと馴染んでいく。


 しばらくして、ナオキが湯飲みをそっと置いた。


「……さて。明日の準備、少しだけするか」


「なに……する……?」


「棚の並びをちょっと変えよう。あの香り袋、もっと手に取りやすい位置に置いたほうがいい」


「ふむ……。じゃあ……わたし……ならべる……?」


「助かるよ」


 二人は小さく立ち上がり、棚の前に並んだ。香り袋をひとつずつ手に取り、色と香りのバランスを相談しながら並び替えていく。


「ここ……?」


「もう少し左……そう、そのへん」


「ふむ……。ここ……かわいい……」


「その並べ方いいな」


「ほんとう……?」


「うん。やわらかい感じする」


 リヴは嬉しそうに胸を押さえ、小さな声で呟いた。


「……なんか……ほんとうに……“おみせ”ってかんじ……」


「お店だよ。今日から」


「うれしい……」


 並べ終えると、リヴは棚を見つめたまま、小さく深呼吸をした。


「……ナオキ……」


「ん?」


「きょう……ありがとう……」


「こちらこそ。リヴがいてくれて助かったよ」


「ううん……。わたしのほうが……たすけられた……」


「そうか?」


「うん……。ナオキが……そばにいると……できること……ふえる……」


 ナオキはリヴの言葉を静かに受け止め、やわらかく頷いた。


「これからも一緒にやっていこう」


「うん……」


 二人は棚を眺めたまま、言葉少なに並んで立ち尽くした。六畳の部屋に漂うラベンダーの香りが、今日一日の記憶をそっと包み込んでいく。


「よし……そろそろ寝るか」


「うん……」


 布団を並べて敷き、灯りをゆっくり落とす。暗い部屋で、リヴの小さな息遣いが隣から聞こえてくる。


「ナオキ……」


「なに?」


「きょう……しあわせだった……」


「俺もだよ」


「うん……」


 その直後、リヴの呼吸は少しずつ深くなり、静かに眠りへ落ちていった。


 ナオキはその気配を感じながら、今日一日の出来事をもう一度胸の中で振り返る。


(……これは……きっと続けていける)


(焦らずに……少しずつ積み重ねていけばいい)


 そんな静かな決意を胸に、そっと目を閉じた。

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