最初の発送へ、ゆっくり歩く朝
朝の光が、六畳の部屋の畳をそっと照らしていた。窓を少しだけ開けていたせいか、冷たい空気が足もとに触れ、目を覚ます前の体にゆっくり染みこんでいく。遠くで踏切の音が鳴り、その向こうでどこかの家の洗濯機が動き始めたらしい振動が小さく伝わってきた。
ナオキは布団から上体を起こし、軽く伸びをした。昨日の夜、遅くまで作業をしていたはずなのに、不思議と体が重くない。胸の奥に残った、小さな達成感のせいだろう。
(今日は、初めての発送だな)
そう思うだけで、静かな緊張がゆっくりと息の間に広がった。
隣の布団がもぞりと動いた。リヴが、毛布をぎゅっと抱きしめたまま顔を出した。目が少し赤い。眠そうで、けれど嬉しそうでもあった。
「……ナオキ、おはよう」
「おはよう。起きられた?」
リヴは小さくうなずき、毛布から手を出して目をこすった。
「きょう……いく、んだよね……おくりもの」
「うん。一緒に行こう。ゆっくりで大丈夫だから」
そう声をかけると、リヴは小さく胸に手を当てた。昨夜のあたたかさが、まだそこに残っているようだった。
洗面所で顔を洗い、簡単に支度を済ませる。リヴは鏡の前で髪を整えながら、緊張したように唇をすぼめていた。
「リヴ、無理に喋らなくていいからね。発送は俺が全部やるよ」
「でも……わたし……いっしょに……したい……」
「うん。いるだけで十分だよ」
その返事に、リヴの肩がほっと落ちた。
部屋の片隅には、昨夜準備した真っ白な発送用の箱が置いてある。中には、慎重に畳んだ手織りの布と、香り袋、丁寧に置いた緩衝材。箱を持ち上げたとき、軽いのに重みを感じたのは、中に詰まっているのが“二人の最初の仕事”だからだろう。
上着を羽織り、ドアを開けた。外の空気は冷たく、けれど太陽に照らされてどこか柔らかい。
階段を降りる途中、リヴが袖をそっとつまんできた。
「ナオキ……どきどき……する」
「大丈夫だよ。郵便局って、普通の場所だから」
「……うん。でも……はじめて、だから……」
リヴの声には緊張が混じっていたが、そこに小さな期待もちゃんと見えた。
アパートの前の細い道を歩きはじめた。朝の散歩をする老人が挨拶をしてきて、リヴは驚きながらも小さく会釈する。
「おはようって言われた……」
「ここらへんの人、朝はよく挨拶してくれるからね」
「……いいところ……」
「そうだろ。俺も気に入ってるよ」
しばらく歩くと、パン屋の前を通る。焼き立ての甘い匂いがふわっと風に乗って流れてきて、リヴの鼻がぴくっと動いた。
「……いいにおい……」
「焼き菓子の匂いだね。帰りに買おうか」
「うん……」
こんなやりとりが自然にできるようになったのも、半年という時間のおかげだろう。リヴが地球の匂いや音に慣れてきたことが、歩くたびに伝わってくる。
郵便局は角を曲がったすぐ先にあった。赤い看板が朝の光に照らされて、どこか頼もしげに見える。
扉の前に立った瞬間、リヴはそっと息を飲んだ。
「……ここ……?」
「そう。怖くないよ。普通の手続きだけだから」
扉を押し、店内の柔らかな暖房の空気がふたりを包んだ。窓口には数人並んでいて、静かに書類を書く人、番号札を持って待つ人。生活の音が小さく響いている。
リヴは周りを見回し、小さくつぶやいた。
「……おしごとの場所……」
「そうだね。でも俺たちも今日は仕事だよ」
順番が来て、窓口へ進む。ナオキは箱を差し出し、丁寧に手続きを進めていく。リヴは少し後ろで、真剣な表情で見つめていた。
伝票を書き、内容物を「布」と記入する。窓口の女性がにこやかに確認し、最後のスタンプが箱の横に押された。
「はい、こちらでお預かりします」
リヴの目が、ぱっと明るくなった。
「……いった……?」
「ああ。もう向こうに届けてもらえるよ」
「……すごい……ほんとうに……いった……」
その声は、小さな感動そのものだった。
「リヴもよく頑張ったよ」
「わたし……なにも……」
「一緒に来てくれただけで、十分だよ」
リヴは胸に手を当て、深く息を吸い込み、ふっと笑った。
外に出ると、朝の光がさっきより明るく見えた。
「ナオキ……」
「うん?」
「きょう……はじめてしたのに……もう……うれしい……」
「俺もだよ。ありがとう、一緒に来てくれて」
リヴは照れたように頬を赤くし、そっと袖をつまんだ。
「……つぎも……いっしょに、する……?」
「もちろん。一緒にやろう」
その答えに、リヴは静かに微笑んだ。
六畳から始まった小さな商いが、確かに一歩動き出した朝だった。
郵便局を出たあと、ふたりは並んで歩き始めた。空はまだ薄い青で、朝の匂いを残していた。いつもとは違う道を歩いているだけなのに、どこか視界が広く感じられる。初めての発送を終えた安堵と、小さな誇りが胸の奥でじんわりと広がっていた。
「ナオキ……」
「うん?」
「おくったら……なんか……からだが、ふわってした……」
「達成感ってやつかな」
「たっせいかん……?」
「うん。頑張ったあとに来る気持ち。最近リヴも経験増えてると思うよ」
リヴはしばらく考えるように視線を落とし、それから小さくうなずいた。
「こういうの……すごくすき……。むこうの町で、おしごとしたときの……ちょっとだけにてる」
「似てるのか?」
「うん……。おひさまが出て……きょう、がんばる……って気もちになって……すこししてから……うまくできて……。おなかの下のほうが……ぽかぽかする……」
「いい表現だな」
リヴの言葉はたどたどしいが、その分丁寧で心が乗っていた。ナオキはその素直さが好きだった。
「じゃあさ、今日も少し歩こうか。帰るだけじゃもったいないし」
「……どこに?」
「パン屋。帰りに寄るって言っただろ?」
リヴはほんの少し顔を明るくした。
「いきたい……。さっきの……いいにおいした」
「じゃあ決まりだ」
角を曲がると、朝の光が差しこむ商店街に出た。人はまだ少ないが、次々と店が開き始めていて、ゆっくりと街が目を覚ましていく気配があった。パン屋の前には焼き立ての匂いが流れてきて、リヴは嬉しそうに鼻をぴくっと動かす。
「いい匂いだろ?」
「うん……すごく……しあわせなにおい……」
ナオキは小さく笑い、ふたりで店内へ入った。
棚には、丸いパン、甘いパン、焼き色の綺麗なクロワッサン、たくさんの種類が並んでいる。リヴはひとつひとつを目で追い、まるで新しい図鑑をめくるようにゆっくりと眺めた。
「ナオキ……これ……なんのパン……?」
「それはメロンパン。甘いよ」
「めろん……? これが……?」
「名前だけね。本当にメロンが入ってるわけじゃないけど」
「へえぇ……」
次に指差したのはクロワッサン。
「これは……」
「クロワッサン」
「くろ……わ……さん?」
「そう。それ」
リヴは小さな声で何度も繰り返し、口の中で言葉を転がしていた。
「くろ……わさん……。なんか……かわいい」
「かわいいのか?」
「うん……なんか……ひらがなで言っても……かわいい」
「リヴの基準がよく分からないな……」
ふたりで軽く笑いながら、甘いパンとクロワッサン、それから飲み物を選んだ。
レジを済ませて店を出ると、近くの公園のベンチに腰を下ろした。まだ誰もいない静かな空気の中、パンの袋を開ける。
焼きたての温かさが指先に伝わる。リヴはメロンパンを両手でそっと持ち、真剣な顔で見つめていた。
「どうやって……たべる……?」
「普通にかじればいいよ」
「かじる……?」
「こうやって」
ナオキが軽く食べて見せると、リヴは小さくうなずいて、少しだけパンに口を寄せた。
かじって、離して、じっと味を確かめる。
そして、目がぱあっと開いた。
「……あまい……!」
「だろ?」
「すごく……すごく……おいしい……!」
リヴの声が自然に弾んだ。それにつられて、ナオキも笑みをこらえられなかった。
「それ、初めて食べたんだよな」
「うん……。こんな、まわりがかりってしてて……なかは、ふわってしてて……」
「表現が、最高だな」
「これ……むこうで売ったら……」
言いかけて、リヴははっと口元を押さえた。
「……ダメ……?」
「うん。パンは……地球で作らないとね」
「そっか……」
リヴは照れくさそうに笑った。
「でも……おいしい……。しあわせ……」
「それならよかった」
小さく吹く風が、焼き立ての甘い匂いと、リヴの髪の間をすり抜けていく。
ナオキはクロワッサンをかじりながら、横に座るリヴの姿をゆっくり眺めた。
薄い朝日が白い肌に当たり、目元の影がやわらかく作られていた。出会ったころよりもずっと地球になじんでいて、それでいてまだ異世界の色を残している。
ふいにリヴが視線を向けてきた。
「ナオキ……どうした……?」
「いや。楽しそうだなと思って」
「うん……。きょう、たのしい……。こわいのもあったけど……いまは……しあわせのほうが……おおきい」
「それなら本当に良かったよ」
リヴはメロンパンをもう一口かじり、小さく肩を寄せた。
「ナオキ……」
「ん?」
「きょう……まだ……はじまったばかり……だよね……?」
「そうだな。まだ朝だし」
「じゃあ……このあと……すこしだけ……おさんぽ……したい」
「いいよ。行こう」
リヴの横顔が嬉しさでふわっと明るくなる。
今日は、発送して、パンを食べて、散歩して。ただそれだけの小さな朝なのに、心の奥のほうで確かに何かが動き始めている。
ふたりは食べ終えた袋をしまい、ゆっくりとベンチを立った。
公園の先に続く細い道へ、一緒に歩き出す。
公園を出ると、並木道の葉が風に揺れていた。朝の光が枝の隙間からこぼれて、舗道の上に柔らかい模様を落としている。人影はまばらで、遠くに聞こえる自転車のブレーキ音がゆっくりとした時間に溶けていく。
リヴはパンで少し温まった手を胸の前で重ねながら、歩幅をナオキに合わせて歩いていた。少し緊張しているようにも見えるけれど、顔は楽しそうだ。
「ナオキ……」
「うん?」
「さっき……ゆうびん……だしたとき……なんか……すごいって思った」
「何が?」
「むこうの布が……にほんのひとの家に……とどくんだって……。ほんとうに……はこに入って……とんでいったみたいだった」
「うん。ちゃんと届くよ。向こうの職人さんが作ったものが、誰かの日常に入るんだから……すごいよな」
リヴは、ゆっくりと息を吸った。
「……むこうの職人さんたち……おはなししたら……よろこぶかな……?」
「喜ぶと思うよ。だって、自分の手仕事が知らない世界で大事にされるなんて、想像もしてなかっただろうし」
「うん……。その気持ち……わかる気がする……」
リヴは歩きながら、両手でスカートの端をそっとつまんだ。
どこか、胸の奥をそっと撫でて確かめているような仕草。
「わたし……むこうのこと……ときどき……恋しくなるときあるけど……」
「うん」
「でも……きょう……すこし、べつの気持ちになった」
「別の?」
「にほんで……むこうのものが……だれかの“すき”になるって……なんか……あたらしい“つながり”みたいで……」
ゆっくりと言葉を探している。
「うまく言えないけど……あたたかい……。へんなきもちじゃなくて……ちゃんと、うれしいほう……」
「それは……いい変化だな」
ナオキの言葉に、リヴの歩く速度がほんの少し上がった。
「……ナオキのおかげだよ」
「え?」
「だって……ナオキが……にほんと、むこう……どっちも見てくれて……。どっちも大切にしてくれて……。だから……わたし、こわくなく歩けてる」
「そんな大げさな……」
「ほんとうだよ」
リヴは立ち止まり、少し恥ずかしそうに笑った。
「きょうみたいに……はじめてのことがいっぱいの日……ぜんぶ、ナオキがいっしょだったから……たのしかった」
その言葉は、朝の風よりやわらかく胸に染みた。
「ありがとう、リヴ」
「うん……」
ふたりはまた歩き出し、並木を抜けた先の小さな商店街に入った。
八百屋の店主が店先にダンボールを並べていて、声を張らずに静かに準備をしている。花屋の店頭には朝いちの花束が置かれ、切花の香りが風に流れてきた。
「……にほんのまちって……あさになると、すこしずつ……ひとが動きだすんだね……」
「うん。こっちは、昼の前が一番“生活の音”がするからね」
「なんか……いい……」
リヴは花屋の前で足を止めた。色とりどりの小さな花束が並んでいる。
「これ……かわいい……」
「買う?」
「でも……お金……」
「大丈夫だよ。今日は記念日みたいなもんだし、一つくらい」
リヴは少し照れて、けれど本当に嬉しそうにうなずいた。
小さな花束をひとつ買い、リヴは胸の前で大事そうに抱えた。
淡いピンクの花は、彼女の指に触れるたびにふわっと揺れた。
「これ……へやにいれたら……なんか……いい空気になりそう……」
「確かに、今うちに花ってなかったしな」
「うん……。あの……ナオキ……へや……すこしずつ……きれいになるね……」
「なるといいけどな」
ふたりがゆっくり歩き出すと、リヴがふと思い出したように横を見る。
「ナオキ……しつもん……いい?」
「もちろん」
「さっき……パンたべながら……おもったんだけど……」
「うん」
「……ネットで……いっぱい売れたら……たいへん?」
「うん。けっこう大変かな。けど……嬉しい大変さだと思うよ」
「じゃあ……むこうの職人さんにも……おしごと……たのめるの?」
「そう。そこがポイントだな」
リヴは小さく息をのみ、胸の奥の何かがそっと灯るように言った。
「……じゃあ……つながるんだね……。むこうと……にほん……」
「うん。うまくいけば、そうなる」
「すごい……。なんか……わたし……それ……すごくうれしい……」
ナオキは静かに頷いた。
「リヴ。大丈夫だよ。地球の仕事も、向こうの仕事も……無理せずゆっくり関わればいい。焦らないでいい」
「……うん」
「俺もひとりで全部やろうとは思ってないし。困ったら相談するからさ」
リヴはその言葉にほっと息を漏らし、ナオキの袖をそっとつまんだ。
「……ナオキ……ちゃんと……いっしょだよ……?」
「当たり前だよ」
その答えに、リヴが少しだけ笑って、指先を離した。
ふたりはアパートのほうへ向かって歩きながら、時折ゆっくり店を覗いたり、道端に咲く花を眺めたりした。
道の途中で、リヴがふいに立ち止まった。
「ナオキ……」
「どうした?」
「……きょう……はじめて……“にほんでのおしごと”って、かんじがした」
「うん。俺もそう思ってた」
リヴは胸に抱えた小さな花束をきゅっと握る。
「……こわくなかった」
「それは……良かったよ」
「うん……。これから……もっと……やってみたい……」
「一緒にやろう」
「うん……」
その言葉のあと、ふたりはしばらく黙って歩いた。
沈黙なのに、不思議とあたたかい時間だった。
アパートの近くまでくると、通りに朝日が差し込み、影がゆっくりと伸びていく。
その光景の中で、リヴがふと思い出したように口を開いた。
「ナオキ……」
「ん?」
「さっきの……ぶらんどの……名前……」
「ああ、ブランド名の話?」
「うん……あれ……もうすこし……ききたい……」
「名前の候補?」
「うん……。なんか……ヴェルン民芸……きれいだった……」
ナオキは頬をかきながら笑った。
「そう? じゃあ候補に入れておくよ」
「ルーメン工房は……?」
「あれはだめ。向こうの“魔獣の谷”の言葉をそのまま使ってる可能性があるんだろ?」
「うん……。あれ……むこうだと……ちょっと……え……ってなる……」
「だよな……危ない意味だったら嫌だし」
ふたりは顔を見合わせて小さく笑った。
「じゃあ……また考えようか。帰ったらノートに書き出してみよう」
「うん……。ナオキと……いっしょに、かんがえたい……」
アパートが近づくにつれ、今日の“最初の一歩”が胸の奥でしずかに形を作っていくのが分かった。
パンの甘さ、発送した布の感触、リヴの笑顔、朝の匂い。
全部が、ひとつの新しい物語の入り口みたいに思えた。
アパートの階段を上がる頃には、朝の光がもうしっかりと街に広がっていた。電柱の影が細く伸び、ベランダの植木に光が当たってかすかに揺れている。鍵を開けて部屋に入ると、六畳の空気がほんのり夜の名残を抱えたままふたりを迎えた。
リヴは靴を脱ぐと、おそるおそる小さな花束を手に持ったまま部屋を見渡した。
「ナオキ……これ……どこ……おく……?」
「うん……どうしようか。窓際に置いたらきれいだと思うけど」
「じゃあ……ここ……?」
リヴは窓のそばの小さな台に花束をそっと置いた。
朝の光が花に触れた瞬間、薄い花びらの縁がふっと透けて見えた。
「……きれい」
「いいじゃん。部屋がちょっと明るくなるな」
そう言いながら、ナオキはテーブルの上に置いてあった発送控えを整えた。薄い紙一枚なのに、不思議と重みがある気がする。
「ナオキ……」
「うん?」
「さっき……道を歩いてたとき……」
「うん」
「わたし……はじめて……“おしごとした”って思ったんだよ……」
リヴは小さく胸に手を置いた。
「むこうでは……おしごと……って言われて……いろいろ手つだったけど……。にほんの“おしごと”って……またちがう感じがして……こわかったけど……」
「こわかった?」
「うん……あたらしい感じがして……まちがえたら……って思って……」
「そっか……」
「でも……いまは……ちょっとだけ……できた気がして……」
リヴは言葉をゆっくり選ぶように続けた。
「……むこうのものが……にほんで“すき”って言われたこと……。それをナオキといっしょに箱に入れて……だれかの家に届けること……。どれも……なんか……大事な気がして……」
「うん」
「だから……すこしだけ……自信……できた」
その言い方はたどたどしいのに、胸の奥までまっすぐ届くものがあった。
「リヴ」
「ん……?」
「今日のは、最初の一歩だよ。これからゆっくり覚えていけばいいから」
「うん……」
「失敗してもいいし、うまくいかなくてもいいし……。地球のことは、ゆっくりでいいんだよ」
「ナオキ……」
リヴはナオキのほうを向き、指先でそっと袖をつまんだ。
「……いっしょに、やってくれる……?」
「もちろん。ふたりでやるんだから」
その言葉に、リヴの肩の力がふわっと抜けていくのが分かった。
テーブルに置いてある梱包材の袋が、窓から入る風にかすかに揺れた。
その揺れを見ながら、リヴはぽつりと呟いた。
「ナオキ……もうひとつ……ききたい……」
「うん」
「……これ……もっと……うれたら……どうなるの?」
「どうなる、か」
「うん……。ふたりで……もっと、たくさんつくるの……?」
ナオキは少し考えてから、やわらかい声で答えた。
「そうだな……。少しずつ量を増やすかもしれない。でも、一気にはやらないよ。向こうの職人さんにも頼まなきゃいけないし、地球の仕事にも負担が出るから」
「……ゆっくり……なんだね」
「うん。急がない。ふたりのペースでやる」
リヴはその言葉を聞いて、そっと息を吐いた。
「よかった……。なんか……いっぱいになっちゃいそうで……」
「大丈夫だよ。俺が暴走しそうになったら、止めてくれればいい」
「止める……?」
「うん。『ナオキ、あぶない』って」
リヴは目を丸くし、すぐに笑った。
「それ……いつもいってる……」
「たしかに……言われてるな」
ふたりは自然に笑い合い、部屋の空気が少し軽くなる。
ナオキは棚に目を向けた。
並んだ二枚の布が、朝の光を受けてやわらかく揺れている。
(……本当に売れたんだよな)
まだ信じきれない気持ちが、胸の奥に少し残っている。
でも、それ以上に“次”を見たくなる不思議な高揚感があった。
「リヴ」
「ん……?」
「もう一枚……撮ってみようか」
「いま……?」
「うん。光もいいし」
リヴは嬉しそうにうなずいた。
「じゃあ……わたし……ほこり……とる……」
小さな布を手に取って、棚の表面を丁寧に拭いていく。
彼女の指先の動きは慎重で、まるで誰かの大切なものを預かっているかのようだった。
「よし……この角度かな」
「こっちのほうが……やわらかいかも……」
「お、リヴ……なんか詳しくなってきてない?」
「うん……なんかね……きれいに見えるほうが……いいって……わかってきた……」
ふたりで角度を変え、光の入り方を見て、何枚も写真を撮る。
カシャ、と小さな音が部屋に響くたびに、
六畳の空気が少しずつ新しく形を変えていくようだった。
「よし……これが一番いいかな」
「うん……これ……きれい……」
投稿画面を開き、名前や説明文を少しだけ整える。
リヴが横から、画面に近づきすぎてナオキの肩にごつっと頭をぶつけた。
「いた……」
「ご、ごめん……」
「いや……いいよ……。相変わらず近いなぁって思って」
「だって……ちゃんと見たくて……」
「その気持ちは分かるけど、近いよ……」
ふたりはまた笑い、
投稿ボタンを押す瞬間、リヴは小さく息を呑んだ。
「……ナオキ……」
「大丈夫だよ。ひとつ売れたからって、全部売らなきゃいけないわけじゃないし。これは“試し”なんだから」
「……うん」
「よし、押すよ」
「……おして……」
軽いタップ音が部屋に響く。
その瞬間、ふたりは無言のまま少し見つめ合い、
自然に小さく笑った。
「投稿、完了だよ」
「……すごい。いま……すごいね……」
「いや、すごいのは布とリヴだよ」
「ナオキ……そういうこと……やさしく言わないで……」
「なんで?」
「……なんか……心が……あったかくなりすぎる……」
「それは……まあ……いいんじゃない?」
「うん……いい……」
リヴは両手を胸に当て、そっと目を閉じた。
六畳の部屋は静かだった。
でも、その静けさは昨日までのものとは違う。
棚に並んだ布と、花束と、投稿したばかりの画面の光が
ふたりの未来を静かに照らしていた。
「リヴ。今日の夕方になったらまた見てみようか」
「うん……。ちょっとこわいけど……でも……みたい……」
「一緒に見よう」
「うん……」
リヴは小さく笑った。
「ナオキ……」
「うん?」
「きょう……ほんとうに……すてきだった」
「俺もそう思ってるよ」
ナオキが答えたあと、窓から風が入って、花の香りをそっと部屋に運んできた。
その香りの中で、ふたりは静かに、
でも確かに“次の一歩”へ進んだ気がした。




