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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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115/170

小さな六畳で始まる、ふたりの商い

 閉店の音が静かに店内へ落ちていった。時計の針が二十時を少し回り、外の通りの人影もまばらになる頃だった。施術室の照明を落とし、タオルを畳むたびに、今日一日の疲れが少しずつ肩に降り積もっていく。けれど嫌な疲れではなく、働いた実感のある重さだった。


 ナオキが片付けを終え、レジを締めるために机へ戻ると、控え室のカーテンの向こうで小さな物音がした。袋を揺らす音と、何かをそっと置くような気配がある。リヴが片付けをしているらしい。


 ナオキは軽く声をかけた。


「リヴ、ありがとな。今日も助かったよ」


 カーテン越しに小さく揺れる影が動いた。リヴが顔を覗かせ、控えめな笑みを浮かべた。


「ううん……ナオキが、がんばってたから……おてつだい……したかった」


 柔らかな声が、閉店後の静けさにゆっくりと馴染んでいく。半年以上地球で暮らしてきて、こういう時間がふたりの中に自然にできるようになった。


 ナオキはレジ横に置いてある濃い木目の棚へ視線を向けた。棚に飾ったままの布が目に入る。昼間は気に留めなかったが、夜の照明だと織り目がふっと浮かび上がって見えた。


(……こんな綺麗だったっけな)


 薄い布なのに存在感があり、自然と視線を引き寄せる色だった。異世界の街で普通に売られていた手織り布。持ち帰ったときは深い意味なく、「なんとなく持ってきたほうがいいかな」くらいの気持ちだった。だがこうして眺めると、思った以上に魅力が強かった。


 レジを締め、溜息をひとつ落としたところで、入口のベルが小さく鳴った。


「あれ、まだ開いてた?」


 常連の女性客が顔を出した。仕事帰りのようで、肩にかけたバッグがほんの少し重そうだ。ナオキは慌てず笑顔で向き直った。


「どうぞ。閉めかけてましたけど大丈夫ですよ。忘れ物ですか?」


「ううん、ちょっとだけ用事でね。……ん?」


 女性客の目が、棚の布で止まった。


「これ……もしかして、売り物?」


「え? ああ……これは飾りというか……」


「めちゃくちゃ綺麗じゃない。どこの国の布なの?」


 ナオキは一瞬言葉に迷い、それから落ち着いた声で答えた。


「……ヴェルンの民芸品、らしいです」


 本当に自然に口から出た言葉だった。異世界の国名をそのまま言えば当然通じない。けれど、発音を少し変えるだけで、急に実在しそうな響きになるのだから不思議だ。


 女性客は布をじっと見つめた。


「こういう織り、最近SNSでも人気だよ。色も落ち着いてて、家に飾りたいなぁ。もし売るなら、欲しいくらい」


 そう言って笑い、帰っていった。


 扉が閉まると、控え室のカーテンがゆっくり揺れた。リヴが小さく顔を出し、目を丸くしている。


「ナオキ……いまの……ほんとうに……ほしいって……?」


「うん。たぶん、本気だったと思う」


 リヴは布に視線を移し、小さく息を吸った。織り目に指先を近づけ、そっと触れることもできず遠慮するように見つめている。


「……むこうでは、ふつうの……まいにちの布だったのに……」


「地球だと、こういう味のある布って貴重なんだよ。手で織られたものは特にね」


 リヴの目がゆっくりと揺れた。


「……なんか……うれしい。むこうのひとの手のしごと……ここで、だれかがすきって思ってくれるの……」


 その言い方がとても素直で、ナオキの胸の奥に静かに響いた。誰かの暮らしの中で生まれたものが、別の世界で評価される。それはきっと、リヴ自身が感じてきた違和感や不安を少し軽くする出来事だった。


「これさ……本当に売れるかもしれないな」


 ナオキが呟くと、リヴがはっと顔を上げた。


「……ナオキ、すごい?」


「いや、すごいのは布だよ。俺は、ただ気づけなかっただけで」


 リヴは照れたように笑い、頬がほんのり赤くなる。


「……でも、ナオキが……かざってくれたから……みつけてもらえた」


「それは……まあ、うん。結果的に良かったな」


 お互い、少しだけ笑った。


 ナオキは机に置いたメモを手に取り、ペンを持つ。ブランド名をいくつか書き出すためだ。


「名前、どうしようかな。……ヴェルン民芸とか、ルーメン工房とか……」


「いまの……まじゅうの谷の……って……ぜったいだめ……」


「いや、それはさすがに俺もダメだと思ったよ」


 声を潜めて笑い合う。閉店後の静けさの中で、その笑い声は思った以上に暖かかった。


 リヴはそっと棚の布に近づき、指先でホコリを払った。まるで大切なものを扱うように動作がやわらかい。


「……ナオキ。もし、もしだけど……これ、うれて……。たくさんひとが、ほしいって言ったら……むこうのひとたちのおしごと……ふえる……?」


「増えると思うよ。もちろん量は調整するけど……地球の人が喜んでくれるなら、むこうの職人さんたちに頼むのもありだな」


 リヴの表情がぱっと明るくなる。


「それ……すごく……すてき」


 ナオキはスマホを開き、ふたりで画面を覗き込んだ。ネット販売のアプリをゆっくり説明していく。リヴは目を近づけすぎて、画面の明るさにびくっと後ずさる。


「まぶしい……」


「画面に近づきすぎだよ」


 本当に小動物みたいな反応で、思わず笑ってしまう。


「ネットってのはね、広い世界なんだ。ここに載せると、日本中、いや世界中の人が見られる」


「え……じゃあ……ヴェルンの布……みんな、みる……?」


「そうだな。見られる可能性はある」


 リヴは胸の前でそっと手を握り、嬉しさに表情を崩した。


「……すごい世界……」


「まだ始まってもないけどな。でも……本当に、始めてみてもいいかもしれない」


 ナオキは棚に目を戻した。照明の下に揺れる布は、まるでさっきより存在感を増しているようだった。


「よし……試しに写真だけ撮ってみるか」


 スマホを構え、布の角度を調整して何枚か撮る。リヴは横で肩を寄せながら興味深そうに覗き込む。


「……きれい……」


「うん。写真でも分かるな」


 アップロードの準備をしていたとき、スマホが小さく震えた。


 ナオキは画面を見て、一瞬動きを止めた。


「……リヴ」


「ん……?」


「売れた」


 リヴが目を丸くし、声にならない息を漏らした。


「えっ……いま……? もう……?」


「うん。初めて出したやつが……いきなり売れた」


 リヴは驚きで口元を押さえ、ゆっくりとナオキの腕に触れた。


「ナオキ……すごい……すごい……」


「いや……すごいのは布と……リヴだよ」


 ふたりの間に、ささやかな達成感が流れた。

 六畳の店内には、香りの余韻と、静かに始まった未来の気配が満ちていた。


 手続きが終わり、取引完了の通知が画面に残ったまま、ナオキはしばらくその文字を見つめていた。六畳の空気が、さっきまでより少しだけ軽くなったように感じる。数字はそこまで大きくない。けれど、この売れた一つが、今後どう広がるかは誰にもわからない。


 リヴはというと、まだ信じられない様子でスマホの画面とナオキの手を交互に見ていた。


「ナオキ……ほんとうに……うれたんだよね……?」


「うん。注文が入ったよ。すぐに発送準備しないと」


 その言葉を聞いた瞬間、リヴの表情にぱっと光が差す。


「じゃ、じゃあ……いま……つつむ……? どうする……?」


「そうだな。箱と緩衝材を用意しないと」


 言いながら棚の下段を開け、少し前に届いたばかりの収納箱を取り出す。シンプルな白い箱がいくつも重なっている。開封したときは、「こんなに使うかな」と思ったのに、今となっては揃えておいて本当に良かったと思う。


「リヴ、緩衝材を軽く詰めてくれる?」


「うん……!」


 リヴは座卓の前に膝をつき、小さな透明の袋を指先でつまんで開ける。慣れない作業に戸惑いながらも、一つひとつ丁寧に箱へ入れていく。その姿はどこか慎重で、少し緊張しているようにも見えた。


「リヴ、そんなに緊張しなくていいよ。これはプレゼントじゃなくて、商品だから肩の力抜いて大丈夫」


「でも……はじめて……だから……」


「初めてだからこそ、ゆっくりやればいいんだよ」


 ナオキが優しく言うと、リヴの指先の震えがほんの少しだけ和らいだ。


「……うん」


 布をそっと畳んで箱に入れると、香り袋をそばに添えた。ラベンダーの柔らかな香りがほのかに漂い、封を閉じる前の数秒間、ふたりは自然に深呼吸をした。


「いい香り……」


「だろ? 施術の時に使ってるやつと同じブレンドだから」


「ナオキの……すきな……におい……」


「そうだな。リヴが好きな香りとも相性いいしね」


 リヴは照れたように目を伏せた。


「……そんなふうに言われたら……なんか、きょう……ずっとうれしい」


「俺も嬉しいよ。リヴのおかげで、今日の売上はできたようなものだし」


「え……わたし……?」


「そう。布を持ってきてくれたのも、棚に飾ったのも。あとは……リヴがこの半年、一緒にいてくれたことも全部」


 その言葉があまりにも自然だったから、リヴの胸はふっとあたたかくなった。目が潤みかけ、慌てて首を振る。


「な、ナオキ……やさしい言い方……しすぎ……」


「事実を言ってるだけだよ」


「そういうの……よわい……」


 ふたりは少し照れながら笑った。


 発送準備を終え、箱をテーブルにそっと置いたところで、ナオキが静かに息を吐いた。ほんの小さな達成感と、少し先の未来を見つめる気持ちが混ざった呼吸だった。


(……この感じ、久しぶりだな)


 誰かに必要とされること。自分の手で作ったものが、誰かの暮らしへ届くこと。それはサロンの仕事とも似ているが、また別の方向から心を満たすものだった。


 リヴがその箱を覗き込みながら、小声で呟いた。


「……むこうのひとたち、しったら……よろこぶかな……?」


「エルデの布が地球で喜ばれるって知ったら……きっと誇りに思うだろうな」


「……じゃあ……ほんとうに……すてきだね……」


 リヴは箱の上にそっと両手を置く。まるでその向こうに異世界の職人たちの手仕事を想うように、目を細めた。


「なんか……じんとする……」


「嬉しい気持ち、だろ?」


「うん……それ……」


 外では夜風がガラスをやわらかく揺らしていた。人の声も車の音も少なくなった街の気配が、六畳の部屋にゆるやかに入り込む。


「よし、明日もう一枚出品してみようか」


「え……もう……?」


「うん。今日売れたってことは、悪くないってことだよ」


「でも……むこうのぶひん……そんなにたくさん……」


「大丈夫。無理に出さないし、少しずつでいい。数を限定してもいいしね。むこうの工房の人たちに頼むのは……そのあとでいい」


「……わかった。じゃあ……すこしずつ……」


「うん。二人でゆっくりやっていこう」


 ふたりが片付けを再開すると、カーテンの隙間から電気ポットの湯気が細く立ち上った。リヴが気づいて台所に向かう。


「ナオキ……おちゃ、いれる?」


「うん、飲みたいな」


「まかせて……」


 しばらくして戻ってきたリヴは、湯気の立つカップを両手に持ち、慎重に歩いてきた。座卓に置くと、茶葉の香りがふわっと広がる。


「いい香りだね」


「ナオキ……これ……すきって言ってたから……」


「ありがとう」


 お茶をすすりながら、ナオキはそっと視線をリヴへと向けた。彼女はカップの縁に唇を近づけ、嬉しそうに目を細めている。


「……ナオキ」


「ん?」


「きょう……すごく……たのしかった……」


「そうだな。俺も楽しかったよ」


「おきゃくさんが、すてきって言ってくれたときも……はじめてうれたときも……なんか……心が……あったかくて……」


「それは、リヴが半年がんばって暮らしてきたからだよ。地球での時間が……ちゃんと形になり始めてる」


 リヴは胸に手を当て、ゆっくりと息を吸った。


「……ナオキと……いっしょに、すこしずつ……していきたい。おしごとも……くらしも……」


「もちろん。一緒にやっていこう」


 ナオキの言葉は静かだったけれど、部屋の空気が少し震えるほどの力があった。


「でも……ひとつだけ、すこし……」


「ん?」


「……すこしだけ……こわかった」


 リヴは指先を重ね、視線を落とした。


「さっき……ナオキ、ねっとって……いったとき……なんか……すごいところに……布が、飛んでいくみたいで……こわかった……」


「遠い世界にって意味?」


「うん……見たことない場所に……ぽんって……おいていかれたみたいで……」


 ナオキはゆっくり笑い、


「リヴ。置いていかないよ。俺も一緒にいるから」


「……ん……」


「ネットが広くても……家はここだよ。この六畳だ」


 リヴはふっと笑い、その言葉に胸を預けるように肩を寄せた。


「じゃあ……いい……。すこし……ほっとした」


「よかった」


 お茶の湯気が二人の間で揺れて、小さな温度が重なっていく。

 箱の中の布の香りがわずかに残り、今日という一日の始まりと終わりを静かに繋いでいた。


 夜が更けていたが、ふたりの気持ちはまだ温かく、その温度のまま、明日へと緩やかに続いていくようだった。


 お茶を飲み終えたあと、ナオキは発送用の箱をそっと持ち上げた。重くはない。だけれど、今日の一歩が詰まっている分だけ、いつもより慎重になる。


「明日、朝いちで発送するよ。ついでに、梱包材を少し仕入れようかな」


「また……いるの?」


「うん。たぶん、あと少しだけ買っておいたほうが安心だと思う」


 リヴはうなずきながら、梱包材の袋を指先でつまんで見つめていた。


「ナオキ……こういうの……すごく、たいへんだね」


「うん。ひとりでやると、地味に手間はかかるかな。でも、不思議と嫌じゃないよ。やりがいあるというか」


「うん……わかる……。むこうで、おしごと、てつだってたときと……ちょっとにてる」


 彼女の言葉に、ほんの一瞬、異世界の工房の光景が脳裏に浮かんだ。

 あの場所で布を干していた縫い子たちの顔。リヴが誰かに教わりながら袖をたたんでいた姿。

 それが今、この六畳の部屋にゆっくりとつながっている。


「リヴ。もし……この布、もっと売れたらさ」


「うん……?」


「工房にも伝えようと思う。向こうで作る人たちの取り分もちゃんと決めて……それで仕組みを作ってからじゃないと、量は増やせないけど」


「……すごい」


「いや、すごくはないよ。普通のことだと思う」


「でも……ナオキは……にほんと、むこう……どっちも見てるから……。わたし、そういうふうに考えるナオキ……すごいって、おもう」


 リヴは手を胸に置いて、穏やかに息をした。その姿に、ナオキの胸の奥で、小さな満足感が灯る。


「ありがとう」


 リヴはそれに応えて小さく笑ったが、すぐに視線を落とした。

 しばらく黙っていたあと、ゆっくり口を開いた。


「ナオキ……あのね……ちょっと……きいてもいい?」


「どうしたの?」


「……わたし……むこうのひとたちが、よろこんでくれたら……うれしい……。でも……」


 彼女は指先を少しだけ重ねて、心の奥にあるものをそっと取り出すように言葉を続けた。


「……にほんのひとに……よろこばれるのも……すごく、うれしかった」


「それは、いいことだよ」


「うん……。でもね……へんな気もちにもなるの……。だって……むこうのひとたちは……ずっと、むこうでつくってて……ずっとあの町で生きてて……」


 リヴはゆっくり息を吐く。


「それが……にほんで……おしゃれって言われて……すてきって言われて……なんか……」


「不思議、ってこと?」


「うん……。でも……どこか……ちょっとだけ、こわいの」


 ナオキは静かにリヴの言葉を受け止めた。

 どんな小さな不安でも、彼女の中で生まれたものなら丁寧に向き合いたかった。


「リヴ。それはね……普通の感覚だと思うよ」


「……ふつう……?」


「うん。自分の世界のものが、別の世界で評価されるって……良いことだけど、不思議なんだよ。新しい景色を見たときみたいに、少し落ち着かなくなる」


 リヴはその答えを聞き、そっと視線を上げた。


「ナオキも……そうだった……?」


「うん。俺も向こうで毎日思ってたよ。慣れたのは、リヴがそばにいてくれたからだし」


 その言い方がやわらかくて、リヴの目がまた潤みかけた。


「ナオキ……わたし……がんばる……。こわくても……にほんのしごと、すこしずつ……できるようにする……」


「うん。少しずつでいいよ」


「……うん」


 壁の時計が小さく鳴った。

 時刻は夜の九時を回っていた。

 けれど今日は、不思議と眠気がこない。

 リヴも同じなのか、膝の上に手を置いたまま窓の外をぼんやり眺めている。


「リヴ」


「ん……?」


「やること、実はもう一つあるんだよ」


「え……また……?」


「出品ページを……もっと良くする。」


 リヴは一瞬きょとんとし、すぐに不安げに首を傾けた。


「……あの……また……あぶないこと……?」


「いやいや、危なくないよ。写真を増やすくらいだから」


「ほっ……」


「ただ……写真が、な……」


「なに……?」


「六畳で撮ると……どうしても生活感が出るというか……」


 リヴは部屋を見回し、そっとつぶやいた。


「……あさくさい……?」


「いや……浅草じゃなくて……生活感……」


「せいかつかん……?」


「そう。ちょっとリアルすぎるかなって」


「……あ、たしかに……。ごみぶくろ……ある……」


「見つけないでいいのに……」


 ふたりは同時に苦笑した。


「じゃあ……もっときれいな場所で……とる……?」


「うん。背景だけでも整えれば違うと思う」


「わかった……。じゃあ……あした、そうじ……する……」


「おお……いいけど……」


「ナオキの机のかみ……いっぱいある……」


「やめて……触らないで……」


「きょうは……とりあえず……そこ……だけ……かたづけて……」


「優しさ……なのか……?」


「うん……やさしさ……」


 リヴが控えめに笑うと、ナオキもつられて笑った。

 その緩い空気のまま、ふたりは小さな片付けを始めた。


 机の上に積まれたメモを軽くまとめ、

 隅に置いてあった空き瓶を片付け、

 畳の上に落ちていた異世界の袋を畳んでしまう。


 その途中で、リヴが小さく声をあげた。


「ナオキ……これ……なに……?」


「ん? ああ、それは……試作品だね。前に混ぜた香りの……失敗作というか」


「しっぱい……?」


「うん。ちょっと濃すぎてさ」


「……におってみて、いい……?」


「いいけど……気をつけて」


 リヴは小瓶の蓋をそっと開けた。

 次の瞬間、鼻がぴくっと震え、目を丸くした。


「……つよい……」


「だろ? リヴにもキツかったか」


「うん……なんか……森の……もっと奥の奥の奥……みたいな……」


「奥を三回言ったね……」


「うん……それくらい……つよい……」


 リヴが顔を近づけすぎてむずむずしながら離れる姿に、ナオキは思わず笑った。


「だから売れないよ、これ」


「そうだね……。でも……すこし……おもしろい……」


「面白い?」


「うん……ナオキが……しっぱいしてるの……なんか……めずらしい……」


「……なんか悪い気がするな……」


「ちがうよ。なんか……ほっとする」


「ほっとするの?」


「うん。わたし、まちがえると……すぐ……へこむから……。ナオキもしっぱいするんだって……なんか……」


 リヴは照れくさそうに言葉を濁しながら続けた。


「……ちょっとだけ……うれしい」


「失敗見て嬉しいのか……それは……複雑だな」


「でも……いいことだよ……。まちがえても、またつくればいい……って……わかったから……」


 その言葉が、ほんのり胸に響いた。


「そうだな。たぶん……それでいいんだよ」


「うん……。だから……あしたも……またつくる……?」


「作るよ。リヴと一緒にね」


「うん……」


 窓の外で風がやわらかく吹き抜けた。

 電気ポットの温かさと、お茶の残り香がちいさく漂う。

 六畳の部屋は、あいかわらず質素なままだが、今日だけはどこか広く見えた。


 ふたりが片付けを終えたころには、もう夜の十時を回っていた。

 ナオキが伸びをし、リヴがそれを見て同じ動きを真似る。


「さて、発送も準備完了だし……明日は早めに出かけるかな」


「うん……。いっしょに、いく……?」


「来る?」


「うん……ナオキの、たいせつな……おくりもの……。いっしょに、だしたい……」


 その言い方があまりに優しくて、胸がじんとした。


「じゃあ一緒に行こう」


「うん……」


 リヴは嬉しそうに頷き、座卓に手を置いたまま少しだけ体を寄せた。

 ほんの一瞬、その体温が伝わる。


「ナオキ……あした……たのしみ……」


「俺も楽しみだよ」


「……ねえ……ナオキ」


「どうした?」


「きょうね……いっぱい……はじめてがあったの」


「うん」


「はじめて……おきゃくさんに……すてきって言われて……。

 はじめて……ねっとで……うれたの見て……。

 はじめて……ナオキといっしょに……おくりもの詰めて……」


 言葉をゆっくり溶かすように重ねる。


「きょうの……はじめて……ぜんぶ……うれしかった」


「そうか……それはよかったよ」


「うん……」


 リヴはそっと目を伏せ、静かに笑った。


「なんかね……きょう……ずっと……あたたかかった」


「俺もだよ。ほんとに」


「ナオキが……いっしょだから……かな……」


 その声はふわりと小さく、けれど六畳の部屋いっぱいに広がった。

 ナオキはその言葉を胸で受け止めるように深く息をした。


「たぶん……そうだな。俺も……リヴが一緒だったから……今日がこんなに楽しかったんだと思う」


 ふたりは静かに目を合わせ、自然に笑い、

 そのままゆっくりと呼吸をそろえた。


 遠くで電車の音がかすかに響き、街が眠り始める気配が流れてくる。


「じゃあ……そろそろ寝ようか。明日も早いし」


「うん……」


 リヴは立ち上がり、布団の位置を気にして少し整える。

 ナオキも間接照明を落とし、部屋に柔らかい暗さが訪れる。


 布団に入る直前、リヴが小さな声で呼びかけた。


「ナオキ……きょうね……」


「うん」


「……すごく……すごく……すてきだった」


 その声は、香り袋のラベンダーのようにやわらかく胸に残った。


「ありがとう。俺もそう思うよ」


「じゃあ……おやすみ……」


「おやすみ、リヴ」


 六畳の部屋に、静かな呼吸だけが重なっていく。

 今日のはじめてが、明日のはじめてへと続くように、

 穏やかで、あたたかい夜が静かに流れた。

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