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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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雨の夜に溶けていくもの

 雨が降り始めたのは夕方だった。帰り道の舗道に落ちた雫がじわりと広がり、家々の屋根に淡い音を積み重ねていった。夜になる頃にはすっかり本降りになり、六畳の部屋は窓越しの雨に囲まれて静かに沈んだ。


 ナオキは机に向かい、今日の帳簿を見返しながらペンを走らせていた。たいした売り上げではない。それでも数字を書き写すことで、自分の生活の足場がどこにあるのか確かめられるような気がした。


 ペン先が紙をかすかに擦る音と、雨の音が混ざる。

 その背中はいつもより少し疲れて見えた。


 リヴはソファに膝を抱えて座り、窓の外の雨に目を向けていた。暗い雲の下で揺れる街灯の光を眺めていると、胸の奥に小さな波が広がっていく。


「……ナオキ。雨、好き?」


 ふいに声を出してしまったのは、静けさの中にひとつ何かを落としたかったからかもしれない。


 ナオキは手を止めず、顔だけをゆっくりとリヴへ向けた。


「雨か……嫌いじゃないな。落ち着くし、音が静かでいい」


「そうなんだ……」


 リヴは胸の奥が少しだけ温かくなるのを感じた。その声の柔らかさだったり、呼吸の仕方だったり、小さなことが胸の奥を動かしていく。


「さっきからね、ナオキ、すごく静かだったから……寂しいのかなって思ったの」


「そんなことないよ。リヴがいるしな」


 その返事は自然で、まっすぐで、飾りがなかった。


 胸の奥がじんわりと甘く揺れる。

(……ナオキって、こんなふうに言うんだよ……反則だよ……)

 そんなふうに思わずにはいられなかった。


 リヴはそっと立ち上がり、ナオキの隣へ近づいて腰を下ろした。少し距離を詰めるだけで、部屋の空気が変わった気がした。


「ねえ、ナオキ。……少し聞きたいことがあるんだけど」


「うん。なんでもいいよ」


「昨日じゃないけど……ちょっと前……泣いてたの、覚えてる?」


 ナオキはペンを置いた。その動きはゆっくりで、言葉を選ぶようだった。


「……覚えてるよ。あのときのリヴ、胸がぎゅっとしてた」


「うん……すごく苦しかったの。ナオキ、夢であんなに追われて……怒鳴られて……ひとりで逃げてて……」


 リヴは胸元を押さえた。あの夜の光景が、はっきり蘇る。

 寝ているナオキの呼吸が乱れ、眉間に皺が寄り、手が布団をつかむように動いていた。夢の中で何かに追われているのが、誰の目にも明らかだった。


「心臓がすごく速くなってて……触ったら熱くて……声も出てて。怖かったよ……」


 言葉が震えた。

 ナオキが目を開けたあとも、心臓はしばらく落ち着かなかった。


「リヴ。あれは……お前が悪いんじゃないよ」


 ナオキは静かに言った。


「知らなかったのは、俺が“見せなかった”からだよ。向こうで楽しそうにしてるリヴを見たくて……余計な不安を見せたくなかったんだ」


「……でも、ナオキが大変だったの、わたし……知らなかった」


「知らなくてよかったんだよ」


「よくないよ」


 リヴは強く首を振った。涙が滲みはじめていた。


「わたし、ナオキの隣にいるのに……見えてなかったの、嫌だよ」


 雨の音が強くなった。窓にぶつかる雫が弾ける。


 ナオキは少し姿勢を変え、ゆっくりとリヴの手に触れた。指先は温かくて、ほんの少し力が入っていた。


「……ありがとう。そう言ってくれて。

 でも……俺は、一人で大丈夫だって思い込んでたんだ。慣れてたからな」


「慣れてほしくないよ……」


 リヴが呟いたその言葉は小さかったが、とても真剣だった。


「ナオキ。……雨の夜って、ひとりだと寂しい?」


「そうだな……正直、寂しいよ」


 静かで、嘘のない声。

 雨音が落ちてきて、胸の奥がしんとした。


「でも、もうそんなに寂しくないんだ」


「なんで……?」


「今はリヴがいるからだよ」


 リヴは息を飲んだ。胸の奥があふれそうになって、思わず顔をそむける。


(なんでそんなこと……自然に言うの……)

(聞いたら……泣いちゃうよ……)


 けれど目はそむけても、心の奥でははっきりと受け止めていた。


「……ナオキ」


「ん?」


「わたし……昨日、ひとりで考えたことがあるの」


「うん」


「ナオキの“ひとりだった時間”……全部抱きしめたいって。

 そんな気持ちが出てきたの。なんでかわからないけど……」


 リヴはナオキの手を包むように握りしめた。


「そばにいたかったんだと思う。あの夢で……ナオキが苦しそうなの、もう見たくないって思ったの」


 ナオキは驚いたように目を開いたが、すぐにまっすぐな笑みに変わった。


「そんなふうに言ってくれるの、リヴだけだよ」


「言いたくなるんだよ……気づくと、言いたくなってるの……変かな」


「変じゃない。すごく嬉しいよ」


 雨音は優しくなった。

 部屋の中の静けさは、重くも冷たくもなく、ただ温かく包み込んでいた。


(このまま、ずっとそばにいたい)

(ナオキの寂しかった夜を、少しずつ埋めたい)


 リヴはそう願いながら、そっとナオキの肩に頭を預けた。


「もうね……ナオキが寂しい夜は、ひとりで過ごさなくていいよ」


「ありがとう。そう言ってくれるだけで、心強いよ」


「うん……」


 二人の呼吸が静かに重なり、夜の雨がゆっくりと流れていった。


 雨は止む気配を見せなかった。窓を打つ水の粒が細かく揺れて、室内の空気をより静かにしていった。小さな六畳の部屋なのに、その静けさは広い場所のように感じられた。


 リヴはナオキの肩に頭を寄せたまま、しばらく動かなかった。呼吸がかすかに触れ合うだけで、心の奥がゆっくり落ち着いていく。


「ナオキ……もう少し話してもいい?」


「もちろん。話したいことがあるなら聞くよ」


「うん……」


 リヴはゆっくりと顔を上げ、ナオキを見た。

 瞳の奥には迷いと、確かめたい思いと、伝えたい温度が混ざっていた。


「……夢の話を聞いたときね、わたし、変な気持ちになったの。

 ナオキが、ひとりで知らない場所にいるみたいで……」


「そんなふうに見えた?」


「うん。暗いところで……誰もそばにいなくて……。

 見てるだけなのに胸が痛くなった。たぶん、怖かったんだと思う」


 ナオキは視線を落とし、少し息を吸い込んでから答えた。


「リヴにそんなふうに思わせたのは悪かったな。

 ……でも、俺も怖かったよ。夢の中で何をしても追いつかれそうで」


「うん……」


「けど、目が覚めたらお前がいて、安心したんだ」


 その言葉はゆっくりと、リヴの胸の奥に届いた。


「ナオキ……わたしね、あの夜……泣いたんだよ」


 雨音が一度、弱くなる。

 ナオキは驚いたようにリヴを見た。


「泣いた……?」


「うん。ナオキが目を覚ましたあと、見えないようにしてたけど……こっそり泣いてた。

 心がぎゅっとして、どうしようもなくて……涙が出たの。

 ナオキに怖い思いをさせた夢なんだけど、わたしも怖かったんだよ」


「……気づかなかった」


「気づかれたくなかったんだよ……。ナオキが落ち着いてきたところだったし」


 リヴは照れたように視線をそらした。

 でも、その頬にはほんの少し赤みが差していた。


「泣いちゃった理由、はっきりしてるの?」


「うん……。ナオキが苦しそうだったから、怖くて……

 そして……わたしの知らないところで、ひとりでずっと頑張ってきた人なんだって……改めて気づいて……」


 そこまで言うと、リヴの声が少し震えた。


「わたし……もっと早く気づいてあげればよかった。もっと寄り添えばよかった」


「そんなことないよ」


 ナオキは優しく言った。


「リヴは十分だよ。俺の方が勝手に隠してたんだから。

 でも……気づいてくれたその気持ちはすごく嬉しい」


「本当に……?」


「本当だよ。俺はリヴに何かしてもらおうと思って一緒にいるんじゃない。

 お前がいてくれるだけで支えになるから……だから、それで十分なんだ」


 リヴは小さな息を吐いた。

 それはホッとした音で、胸の奥を温かくする音だった。


「……ナオキ、わたしね、たぶん、もっと知りたいんだと思う」


「なにを?」


「ナオキのこと。ひとりで生きてきた時間のことも、辛かったことも、寂しかったことも……ぜんぶ、少しずつでいいから」


 雨の音が静かに続いた。


「知ったら……寄り添えるから。わたし、それがしたいんだよ」


 ナオキは少し驚いたように瞬きをし、それからゆっくり笑った。


「不思議だな。

 リヴって時々……すごくまっすぐなこと言うよな」


「まっすぐって……変?」


「変じゃない。……嬉しいんだよ」


 リヴは照れくさそうに頬に手を当てた。


「あのね、ナオキ。わたし……昨日からちょっと思ってることがあるの」


「うん。聞きたい」


「ナオキがひとりだった夜も……わたしが知らなかった夜も……

 少しだけでもいいから、これから溶けていけばいいなって。

 雨で流れるみたいに、消えていけばいいなって」


 言葉は拙いけれど、そのままの気持ちが詰まっていた。


 ナオキは頷き、そっとリヴの頭を撫でた。


「……ありがとう。そんなふうに思ってくれるのが、なんか……救われるよ。

 俺も全部話せてるわけじゃないけど……ゆっくりでいいなら、少しずつ話していくよ」


「うん、ゆっくりでいいよ」


「急かすようなこと、されたくないだろ?」


「うん。でも……待つのは得意だよ。ナオキが話してくれるなら、いくらでも待てるよ」


 その言葉があまりに自然で、ナオキの胸の奥がやわらかくほどけた。


 静かな夜だった。

 雨はまだ降っている。

 けれど、さっきまでの寂しさや不安みたいなものは、もうこの部屋のどこにもなかった。


 リヴがいて、隣で息をしているだけで、こんなにも違うものなんだとナオキは思った。


「リヴ」


「なに?」


「ありがとう、ほんとに……。今日、話してくれて」


「こちらこそ……聞いてくれてありがとう」


 ふたりはそっと視線を合わせ、微笑んだ。


 その笑みには、雨の夜に溶けていく孤独と、これから積み重ねていく静かな時間があった。


 静けさに包まれた部屋の中で、ふたりはしばらく言葉を交わさずに座っていた。雨の音だけが続いている。その音が、まるで何かを洗い流すように優しく響いていた。


 リヴは膝の上で両手を重ねたまま、ゆっくりと息をした。

 その仕草ひとつが、心を整えようとしているのがわかる。


「ねえ、ナオキ」


「うん」


「ナオキは……わたしに強がってない?」


「強がってるところもあるかもな。でも、それは守ろうとしてるっていうより……お前に心配かけたくなかっただけなんだよ」


「心配するのは悪いことじゃないよ?」


「悪くはないけど……お前が不安になったり、悲しくなるのは嫌なんだよ。

 でも……今日話してみて、ちゃんと向き合わなきゃいけないんだって思った」


 リヴはうなずき、少し身体を前に傾けた。


「向き合ってくれるのは嬉しい。でも、ひとりじゃなくていいんだよ」


「ひとりじゃないって……思っていいのか?」


「うん。思ってほしい」


 その一言には、揺るぎのない気持ちがあった。


 ナオキは胸の奥がゆっくり熱くなるのを感じながら、言葉を探した。

 リヴが隣にいる。それだけで息がしやすくなるような、不思議な安心があった。


「リヴには……救われてばっかりだな」


「救ってるつもりはないよ。わたしはただ……ナオキが辛そうだと、勝手に胸が痛むだけ」


「それが救いなんだよ」


 リヴは小さく瞬きをした。

 それから、ほんのすこし恥ずかしそうに視線を落とした。


「ナオキって……やさしいよね。わたしには、ずっとそう」


「自分では分からないけど……リヴがそう思ってくれるなら、それでいいかな」


「うん。そう思ってるよ」


 雨音は少し弱まってきていた。

 けれど、外の湿った空気が部屋にまで感じられるようで、ふたりは自然と距離を縮めたまま座っていた。


「……リヴ」


「なに?」


「昨日泣いたって言ったけど……どんな気持ちだったんだ?」


 その問いに、リヴは一瞬だけ肩をすくめた。

 泣いたという事実を話すのと、その理由を詳しく話すのでは重さが違う。

 そのためらいが、表情にわずかに浮かんだ。


 しばらくして、リヴはゆっくり口を開いた。


「ねえ、ナオキ」


「うん」


「……わたし、日本に来てからね、たしかに幸せだった。

 毎日、食べるものがあって、眠る場所があって……ナオキがいて。

 全部が新しくて、全部が嬉しかった」


「うん」


「でもね……ナオキの夢を見た日の夜……わたし、初めて怖くなったの。

 ナオキの過去を何も知らないまま、ナオキのそばにいることが……

 いつか、ナオキを苦しめるんじゃないかって思ったの」


 その言葉は細くて、少し震えていて、けれど逃げない力があった。


「そんなことないよ、リヴが苦しめるなんて」


「でも……知らないって、こわいよ。

 ナオキがなにを抱えてきたのか、どんな夜を過ごしてきたのか……。

 知らないまま、そばにいるのは……すごく不安になるときがある」


 リヴは胸元をそっと押さえた。


「昨日の夜ね、ナオキが苦しそうにしてて……それ見て、溢れてきたの。

 わたし、何も知らないままじゃだめなんじゃないかって。

 だから……泣いたの」


 その告白は、小さな叫びのようだった。


 ナオキは息を飲み、それからゆっくり言った。


「リヴ……そんなふうに思わせてたんだな。ごめん」


「謝らなくていいよ。悪いのはわたしのほうだよ。

 知らないことに怖がって……勝手に泣いたんだから」


「勝手じゃないよ。

 俺のために泣いてくれたんだろ?

 それは……大事にしたい気持ちだよ」


 リヴは驚いたように顔を上げた。

 ナオキの目は優しくて、まっすぐで、逃げるところがない。


「俺も……全部の過去をすぐに話せるわけじゃないけどさ。

 でも、話していいって思えたら……ちゃんと、お前に話すよ。

 それでいいか?」


「うん……。ゆっくりでいい。

 わたし、急かさないから。

 ただ……そばにいたいだけ」


 リヴの声は涙の名残のように柔らかく震えていた。


「リヴ」


「なに?」


「いつも……ありがとう」


 その一言に、リヴはほんの少し肩の力を抜いた。


「うん。ナオキに言ってもらえると……なんだか安心する」


「安心していいよ」


「うん……」


 ふたりは自然と身体を寄せ合った。

 雨は弱まり、ベランダの向こうで風が少しだけ音を立てていた。


 ナオキは胸の奥に、静かなぬくもりが広がるのを感じた。


(こんなふうに誰かと寄り添えるなんて、昔は考えられなかったな……)


 その思いが、ゆっくり言葉に変わった。


「リヴ。

 お前が隣にいてくれて良かったよ。

 ほんとに……良かった」


「わたしも……同じだよ」


 リヴが言うと、ふたりの間の空気が柔らかく揺れた。


 それは、雨の夜に浮かぶ灯りみたいな静けさだった。

 ふたりだけの、優しい時間だった。


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