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32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


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どれだけの明日を、君と

 テレビの画面がゆらりと波打ち、ナオキは異世界から六畳の部屋へ戻った。


「……ただいまっと」


 蛍光灯の白い光が、森の優しい影とはまるで違う冷たさでナオキを迎えた。


 靴を脱ぎ、いつものように荷物を下ろしたとき、ふわりと空気が揺れた。


「……ナオキ、入ってもいい?」


 振り返ると、テレビの薄い光膜の向こうからリヴがそっと顔を覗かせていた。


「あ、ああ。別にいいけど……狭いぞ?」


「ううん。今日は、ちゃんと……ナオキの世界を見たくて」


 ほんの少し、胸に何かを抱えたような声だった。


 リヴが部屋に入った瞬間、ふっと眉が寄った。


 六畳の部屋。小さいテーブル。コンビニの袋。乾ききらないタオル。インスタント味噌汁の箱。光熱費の封筒。痩せてしまった観葉植物。そして、安売りで買った布の束。


 異世界で貴族級の金貨を持つ男の部屋とは思えない。質素で、生活のにおいがして、どこか寂しい。


「ここが……」


 リヴは胸元をそっと押さえた。


「ナオキの……部屋……?」


「まあな。地球ではこんなもんだ」


 ナオキは笑った。いつもの柔らかい笑みだ。けれどそれが、なぜかリヴにはひどく苦く見えた。


 リヴはゆっくりと部屋を見渡す。


(……私、毎日……楽しかったのに)


 森を歩き、街を散策し、気が向いたら地球を覗いて、ナオキの姿を探すのが小さな楽しみだった。「また明日も来よう」そんな軽い気持ちで日々を過ごしていた。


 なのに。


 テーブルの上で束になった封筒が目に入り、リヴは震える指先で一枚を手に取った。


 水道料金のお知らせ。電気代請求。家賃引き落としのお知らせ。


 読み慣れない文字でも、そこに宿る負担だけははっきり伝わる。


 指が震え、封筒がぱさりと落ちた。


「ナオキ……これ……毎月、払ってるの……?」


「まあ、生活するにはな」


「でも……半年も休んでたよね?」


 ナオキは軽く答えた。


「休んでる間も請求は来るからな。店もずっと閉めてたし……まあ、収入はゼロだけど」


 さらっと言う。その軽さが余計に胸を刺す。


(……ナオキ、どうして……何も言わなかったの)


「……私、毎日……」


 リヴの声が震える。ナオキが顔を向ける。


 リヴは、唇をきゅっと噛んで続けた。


「毎日、楽しかったの……! 森で散歩して……街で買い物したり……ナオキの部屋で作業したり……気が向いたらこっちを覗いて……自由に、生きてたの……!」


 涙がにじみ、ぽたりと畳に落ちた。


「でも……ナオキは……」


 声が震える。


「こっちでは、こんな狭い部屋で……ひとりで、質素なご飯を食べて……お金の紙を前にして悩んで……店もずっと閉めて……苦しい日も、寂しい日も……全部隠して……私には、一度も……見せなかった……」


 ナオキが言葉を探す前に、リヴの涙が次々こぼれた。


「私……知らなかった……! 毎日楽しく過ごして、嬉しくて……ナオキがどんな生活してたかなんて……何も……! 気づこうともしなかった……!」


 両手で顔を覆ったその肩が、小さく震えていた。


「ごめん……ナオキ……私ばっかり……楽しんで……」


 狭い部屋が、リヴの泣き声で満たされていく。


 ナオキは、ゆっくりと息を吐き、そっと歩み寄った。


「リヴ。……おいで」


 肩に手を置くと、それだけでリヴはまた涙をこぼした。


「そんな泣くなよ。俺が隠してたんだ。お前のせいじゃない」


 リヴは首を振る。


「違う……! 気づきたかった……! もっと早く……ナオキの重さを……!」


 ナオキは苦笑した。


「こっちの生活が苦しいのは、俺の勝手だよ。それに……」


 リヴの涙を指で拭いながら静かに言う。


「向こうでお前が笑ってるのを見るのが……俺には救いだったんだ」


 リヴの呼吸が止まる。


「……ナオキ……」


「だから、気づかなかったって泣くなよ。俺がそう見せなかったんだから」


 リヴは堪えきれず、ナオキにぎゅっと抱きついた。


「……苦しかったのに……なんで言ってくれなかったの……」


「言ったら心配するだろ」


「心配したいの……! だって……ナオキだよ……!」


 ナオキは黙ってその言葉を受け止め、そっと腕を回した。


 狭い六畳の部屋で、二人の呼吸だけが静かに重なる。


 涙が落ち着くと、ナオキは立ち上がり、湯を沸かした。


「ほら、今日は味噌汁な。こっちじゃ贅沢品だぞ」


「……うん……飲む……」


 リヴは目を赤くしたまま笑った。


 薄い味噌汁。パックご飯。卵一つ。


 異世界では質素の極みだろう。でも、この瞬間の食卓は不思議なほど温かかった。


 食事のあと、リヴはナオキの手を両手で包んだ。


「……ナオキ。今日わかったの……“知らない”って……すごく悲しいんだって……」


 ナオキは黙って聞いている。


 リヴの瞳には、もはや涙はなかった。代わりに、強い意志が宿っていた。


「これからは、こっちの世界のことも……ちゃんと知りたい。ナオキが一人で抱えないように……私も、一緒に……背負わせてほしいの」


「……リヴ」


「私、ナオキの隣にいたい」


 その言葉は、六畳間を満たすには充分すぎるほどの強さを持っていた。


 ナオキはゆっくり頷いた。


「……ああ。頼む」


 リヴがほっと笑う。その笑顔は今日いちばん綺麗だった。



 ザー……という雨音が、六畳の部屋に静かに満ちていた。


 ナオキは机に向かい、少し古びた帳簿をめくりながら、穏やかな表情でペンを走らせている。どこか落ち着いて見える背中だが、ほんのわずかに疲れが残っていた。


 リヴはソファに小さく座り、雨の音に耳を澄ませていた。


「……ナオキ。雨、好き?」


 唐突な問いだったのに、ナオキは手を止めず、ゆっくり顔だけを向けて笑った。


「そうだなぁ……嫌いじゃないよ。静かで、落ち着くし」


 その優しい声に、胸の奥がふわっと温かくなる。


「ナオキ、さっきからずっと静かだったから……寂しいのかなって思って」


「そんなことないよ。リヴがいるしな」


(……こんな言い方、ずるいよ……)


 リヴの胸がきゅっと締まった。

 彼は気づいていない。自分の言葉が、どれだけ人を救うのか。


 リヴはそっとナオキの隣に腰を下ろした。


「ねえ、ナオキ。昨日……泣いたの、覚えてる?」


「……うん。覚えてる。あのときのリヴ、胸がぎゅっとしてた」


「うん……すごく……苦しかったの」


 リヴは胸に手を当てた。


「ナオキ、地球でひとりで頑張ってたのに、私、何も知らなくて……気づきもしなくて……楽しいってばっかりで……」


 ナオキはペンを置き、静かに首を振る。


「リヴ。あれは、お前が悪いんじゃないよ」


「……でも……」


「知らなかったのは、俺が見せなかったからなんだよ。心配させたくなかったし……向こうで楽しそうにしてるお前を見るの、俺はすごく好きなんだ」


 その言葉は驚くほど優しくて、雨音より静かで、心にそっと触れるようだった。


「ナオキ……」


 リヴはそっと彼の手に触れた。


「雨の夜って……ひとりだと、寂しい?」


 ナオキは少し考えて、小さく息をついた。


「……まぁ、そうだな。正直……寂しくないって言ったら嘘になる」


 雨音が、ふっと静まったように感じた。


「でももう、そんなに寂しくないよ」


「……どうして?」


 ナオキは照れたように笑った。


「だって、今はリヴが隣にいるだろ? ……それだけで十分なんだよ」


 その言い方があまりにも穏やかで、胸の奥に温かいものが溢れる。リヴの目が少し潤んだ。


「ナオキ。私ね……昨日気づいたの」


 リヴはそっとナオキの手を握った。


「ナオキの“ひとりだった時間”……本当は、私……全部抱きしめてあげたいの」


 ナオキは目を見開き、少しだけ照れて笑った。


「そんなふうに言ってくれるの、リヴだけだよ」


「だって……ナオキの隣にいたいから」


 雨の音が、ゆっくりと、優しく部屋を包む。


 ナオキは握られた手にそっと力を返す。


「……ありがとう、リヴ。本当に……ありがとう」


 そのたった一言が、涙が出るほど優しかった。


 リヴは微笑みながら、そっとナオキの肩にもたれた。


「もうね……ナオキが寂しい夜は、ひとりで過ごさなくていいよ」


「……ああ。リヴが言ってくれるなら……本当に、心強いよ」


 二人の呼吸が静かに重なり、雨音が優しく、子守唄のように響いた。


 孤独はゆっくりと溶けていき、その夜、ナオキの六畳の部屋は誰よりも穏やかで、温かかった。



 半年前から、リヴは地球の暮らしにすっかり馴染んでいた。ナオキの家事を手伝い、買い物にも一緒に行き、時にサロンの片付けも手伝って、毎日を地球と異世界の両方で生きていた。


 だから今日も、ナオキがコンビニ袋を持って帰ってきても、当たり前のように受け取れた。


 でも――


(……最近、ナオキ、すごく疲れてる)


 そう思う日が続いていた。


 今日はサロンを再開して五日目。常連が増え、ナオキは嬉しそうだったけれど、夕方になると肩が少し下がっていた。リヴはその姿を見るたびに、胸がきゅっと締まっていた。


「ちょっと一時間くらい出てくるな。また夕方戻るよ」


「うん、気をつけてね」


 扉が閉まり、静かな部屋にリヴはひとり残された。


 そのとき、胸の奥にふっと火が灯る。


(……ナオキのために、なにかしたい)


 半年一緒に暮らしてきて、初めて自然に湧いた気持ち。


(いつもご飯は一緒に作っていたけど……今日は、“私だけで”作りたい)


 それは“お返し”でも“恩”でもなく、ただただナオキに笑ってほしいという気持ちから生まれた想いだった。


 リヴはエプロンをつけ、台所に立った。


 何度も使ってきた場所。冷蔵庫の位置も、調味料の場所も全部知っている。


 でも今日は、胸が少しだけどきどきしていた。


(……ナオキがいない台所って、こんなに静かなんだ)


 ひとりで料理をするのは初めてだった。半年間、横にはいつもナオキがいたから。


 包丁もフライパンも慣れている。でも、“自分だけで”ご飯を作るという行為は初めて。


 リヴは深呼吸をする。


(よし……やってみよう)


 ぎゅっと拳を握り、鶏肉を切り、卵を割る。普段ならナオキと会話しながらする作業。でも今日は静かに、ひとりで。


 その「ひとり」が、胸の奥で小さな誇らしさに変わっていった。


(ナオキ……喜んでくれるかな)


 しばらくすると玄関の鍵がカチャッと鳴った。


 リヴははっと肩を上げる。


 足音。扉の音。そして――


「ただいま、リヴ」


 ナオキが部屋に入ってきた瞬間、部屋いっぱいに漂う匂いに気づいた。


「……わ、すごくいい匂いがする」


 リヴは照れながら、小さく笑った。


「えへへ……作ったの。ナオキのために」


 ナオキは驚いたように目を丸くし、それからゆっくりと笑う。


「そっか……じゃあ、いただこうかな」


 その声は、いつもより少しだけ柔らかかった。


 テーブルに並んだ料理は豪華ではない。


 卵と鶏肉の親子煮。

 切っただけのきゅうり。

 インスタント味噌汁(でも具を足した)。


 でも――全部、リヴが自分で作ったものだった。


 ナオキは箸を手に取り、親子煮をひと口食べた。

 ほんの一瞬、目が細くなる。


「……おいしい」


 そのひと言は、静かに震えるほど優しい声だった。


 胸がじわっと熱くなる。


「ほ、本当に……?」


「うん。リヴが作ったから……こんなに嬉しいの、久しぶりだよ」


 リヴの目に涙が溜まり、ぽろっとこぼれた。


「よかったぁ……よかったぁ……ナオキが喜んでくれるなら……それだけで……」


 こぼれる涙をナオキがそっと拭った。


「ありがとう、リヴ。こんな“ただいま”が待ってるなんて思わなかったよ」


「うぅ……ナオキ……」


 リヴは泣きながら笑う。


 食後、ナオキは湯のみを両手で包みながら呟いた。


「今日のご飯……ほんとに嬉しかった。半年一緒に住んでて……リヴがさ、初めて“俺のために作りたい”って思ってくれたんだって……それが一番嬉しい」


 リヴは隣に座り、そっとナオキの袖をつかんだ。


「……ナオキ。これから、もっと……いっぱいいっぱい……作るね」


 ナオキが優しく笑う。


「うん。一緒に作るのも楽しいけど……今日みたいな“リヴの気持ち”は……なんか格別だな」


 リヴは胸がいっぱいになって、そっと寄り添った。


 二人の間に流れる空気は、半年の時間がゆっくりと積み重なった、やわらかい「家族」の匂いがしていた。


 ナオキは仕事の準備をしながら、カップ味噌汁を手に取っていた。


「……よし、今日も頑張るか」


 いつもの小さな独り言。優しいけれど、少しだけ疲れている声。


 そのとき、台所から小さな物音が聞こえた。


(……?)


 顔を向けると、エプロン姿のリヴがいた。髪を後ろでまとめ、真剣な顔で卵焼きを巻いている。


 半年以上、彼女は地球生活にすっかり馴染んでいた。台所も日常の一部だ。それでも、この光景は初めてだった。


「……リヴ? どうしたの、こんな早く」


 リヴはびくっと肩を跳ねさせ、焦ったように振り向いた。


「な、ナオキ!? まだ寝てると思って……!」


「いやいや……何してるの?」


 頬を赤くしながら、リヴは両手を胸の前でぎゅっと握る。


「……お弁当。ナオキの、今日の……お弁当、作ってるの」


 ナオキの動きが止まった。そして、ゆっくり息を吸い込み、穏やかに微笑む。


「……俺に? リヴが?」


「う、うん……!」


 リヴは視線を落とし、小さな声で続けた。


「最近ずっと忙しいし……お昼、コンビニのごはんばっかりだし……帰ってくるのも遅くて……だから……少しでも元気になってほしくて……」


 その声は震えていた。けれど、その震えは真剣な気持ちそのものだった。


 リヴは地球生活には慣れていた。包丁も握れるし、ナオキと一緒にご飯を作ることも多い。


 だけど今日は違った。


「今日は……ナオキがいない台所で……ひとりで、全部作ってみたかったの」


 その言葉に、ナオキの胸が静かに揺れた。


 彼女の目の前の弁当箱。小さな箱の中には、ぎこちない形の卵焼き、焦げ目のついたウインナー、不器用な塩加減のおにぎり、彩りのために頑張って入れたトマト。


 決して上手ではない。だけど、それが逆にとても美しかった。


「……リヴ。ありがとう」


「う……うう……ナオキ……」


 リヴは肩をすくめ、涙をこらえていた。


 ナオキは弁当をそっと手に取り、しばらく眺めてから呟いた。


「……俺に弁当を作ってくれる人なんて、もう10年以上いなかったんだ」


 リヴは驚いたように息をのむ。


「……そんなに……?」


「うん。大人になってからはずっと、ひとりで仕事して、ひとりで食べてきたから。誰かが“俺のために作ってくれたご飯”なんて……ずっとなかった」


 声は淡々としていた。それがなおさら、胸に深く刺さる。


(ナオキ……ずっと、そんなふうに暮らしてきたんだ……)


 視界がにじむ。リヴはそっと弁当箱のふたに触れた。


(……これからは違うよ。私がいる。私が作る)


 その決意が胸の奥で静かに強まっていく。


 ナオキは弁当を抱きながら優しく言った。


「リヴ。本当に、ありがとうな。……嬉しすぎて、言葉が追いつかないよ」


 その声を聞いた瞬間、リヴの涙がふわりとこぼれた。


「な、ナオキ……そんな……言われたら……泣いちゃうよ……」


 ナオキは笑い、そっとリヴの頭を撫でた。


「泣いていいよ。俺も……なんか泣きそうだし」


「ナオキ……」


 もはやリヴは泣き笑いだった。


 昼休み。サロンの控え室で、ナオキはそっと弁当の蓋を開けた。他の誰にも見せないように、ゆっくりと静かに。


「……はは……なんだよ、これ……」


 卵焼きは形が崩れていて、おにぎりはほろりと崩れそうだった。でも――世界で一番あたたかい弁当だった。


 ひと口食べた瞬間、目がふっと閉じた。


「……うま………」


 言葉にならなかった。涙が出るほど嬉しかった。


(リヴ……本当にありがとう)


 胸の奥がじんわり熱くなる。


 夕方、家に戻ると、キッチンで待っていたリヴが振り返る。


「お、おかえり……! お弁当、どうだった……?」


 弁当箱を大事に抱えたまま、ナオキはゆっくり答えた。


「……すっごく美味しかったよ。今までで一番。俺のために作ってくれたって思うだけで……こんなに力が出るんだな」


 リヴの目が潤み、声が震えた。


「よ、よかったぁ……すごく……すごく嬉しい……!」


 ナオキは歩み寄り、優しく手を置いた。


「また作ってほしいな。欲張りかな?」


「……作る! 何度でも作る! ナオキの力になるなら……毎日でも作る!」


 ナオキは笑ってリヴの頭を撫でる。


「ありがとう、リヴ。本当に……助かってるよ。お前のおかげで、俺……今日も頑張れた」


 リヴの涙が一粒落ちた。それは幸せを映した涙だった。


 二人の距離は、あの日、小さな箱を通して確かに近づいた。


 六畳の部屋に、静かで深い温もりが満ちていく。


 翌朝。リヴは目を覚ますと同時に、胸の奥がふわっと温かくなった。


(……今日も、作りたいな)


 昨日のナオキの笑顔がよみがえり、それだけで胸がぎゅっとなるほど嬉しかった。


「よし……!」


 小さく拳を握って台所に立つ。


 卵を割る。お米を握る。ウインナーに切れ目を入れる。


 全部もう慣れている動きだけど、今日は“ひとりで作る二日目”の緊張も混じっていた。


(昨日より、おいしくしたい……!)


 そう思って味付けを少し濃くしてしまったり、ご飯を強めに握ってしまったり。その頑張りすぎが、後で小さな悩みになるとは知らずに。


 ナオキが起きてくる。


「……おはよう、リヴ。今日も作ってくれたの?」


「う、うんっ……! 今日のはね、昨日よりも綺麗にできたの!」


 確かに、卵焼きは昨日より形が整っていた。ウインナーも、少し焦げているが味は良さそう。おにぎりも、まん丸ではないけど一生懸命な形。


 ナオキは思わず笑った。


「……本当に、すごいよ。こんな朝を迎えられるなんて思わなかった」


 リヴは照れながら、でも嬉しさを隠しきれず胸を張る。


「今日も……全部、ナオキのために作ったの!」


 その言葉だけで、ナオキは一日の元気をもらえた。


 昼休み。昨日と同じ控え室で弁当の蓋を開く。


「……お?」


 ひと口食べて気づいた。


 卵焼きは昨日より少し濃い。ウインナーも気持ちしょっぱい。おにぎりはぎゅっと握りすぎていて硬い。


 でも――胸がじんわりと温かくなる。


(リヴ……がんばったんだな)


 昨日より“上手に作ろう”と頑張った、その気持ちが全部伝わってくる。


 ただ、ひとつだけ。


「……これはちょっと、リヴには伝えないとなぁ」


 おにぎりの塩が効きすぎて麦茶を二杯飲んだ。苦笑しながら、ナオキはそっと笑う。


(よし、ちゃんと伝えて、一緒に覚えればいいだけだな)


 夕方、帰宅するとリヴが駆け寄ってきた。


「ナオキ! お弁当……どうだった!? 昨日より、おいしかった……?」


 期待でいっぱいの目。少し赤い頬。緊張した肩。


(ああ、かわいいなぁ……)


 ナオキは思わず微笑む。しかし今日は、大事な話があった。


「ごめんリヴ、ちょっとだけ話してもいい?」


「……っ?」


 リヴの顔が強ばる。胸に手を当てて不安をこらえている。


(やだ……批判されたらどうしよう……)

(ナオキの“好き”を減らしちゃったらどうしよう……)


 その表情に気づいたナオキは、優しく笑った。


「怖がらなくていいよ。リヴのこと、責めたりしない」


 その声に、リヴの胸の震えが少しずつ溶けていく。


「まずね、卵焼き。今日もすっごく美味しかった。でもちょっとだけ、昨日より味が濃いかな」


「そ、そうなんだ……!」


「うん。でも、気をつければすぐ慣れるよ」


 次におにぎり。


「あとね――おにぎり、ぎゅっと握りすぎたでしょ?」


「わ、わかるの……?」


 ナオキは笑った。


「食べたらわかるよ。すっごく頑張って作ったんだって……めちゃくちゃ伝わってきた」


 そのひと言で、リヴの不安は涙に変わった。


 ぽろっと涙が落ちる。


「……ナオキ……そんなふうに言われたら……泣いちゃう……」


 ナオキは優しく頭を撫でた。


「いいんだよ、泣いて。俺はリヴの作ってくれた弁当が嬉しいんだから。失敗なんて思ってないよ。一緒に、もっと美味しく作れるようになろうってだけ」


「ナオキ……ナオキ……」


 リヴは背中に顔を埋め、静かに涙を流した。


 涙が落ち着くと、二人で台所に立った。


「まずは塩の量から覚えようか。握る力も、手の柔らかさが大事なんだよ」


「……うん」


「卵焼きはリヴらしさを残していい。でも少しだけ火を弱めてみようか」


「うん……!」


「焦げ目も、悪くないよ。リヴの頑張りの証だしな」


 そう言って笑うナオキの横顔は、いつもより少し柔らかかった。


 リヴは涙を指で拭い、小さく笑う。


(……ああ。こうやって“ふたりで覚えていく”んだ)


 胸の奥に、深い幸せが広がっていく。


 片付けが終わった夜。リヴがぽつりと呟いた。


「ナオキ……私ね……今日、わかった気がする」


「ん?」


「“お弁当の悩み”って、作る人の……“好き”の深さなんだね……」


 ナオキはそっと頷いた。


「そうだよ。だから――リヴは今日、ちゃんと一歩進んだんだよ」


「……うん……!」


 リヴの胸の奥で、あたたかい決意が静かに灯る。


 これからも毎日、ナオキに“好き”を込めて作りたい。


 小さな弁当箱には、二人だけの物語がゆっくりと詰まり始めていた。


「ナオキくーん、予約の美咲でーす」


 明るく入ってきたのは常連の美咲だった。彼女はナオキの“地球側の味方”といえる存在だ。


「美咲さん、どうぞ。肩と腰ですよね」


 軽い会話を交わしながら施術室へ案内する。そのやり取りを、奥の控え室からリヴはそっと聞いていた。半年以上の同棲生活でサロンの空気にも慣れているが、今日は姿を見せず、ひっそりと控えるつもりだった。


 美咲は施術台で目を閉じ、ふと柔らかい声で言った。


「ねえナオキ。最近さ……顔、変わったでしょ?」


「え、顔?」


「うん。なんか、“いいことあった”って顔してる」


 ナオキは一瞬手を止める。美咲はニヤリと笑った。


「前より、あったかい。……誰かと一緒に食卓囲むようになった人の顔」


「……そんな分かるもんですか?」


「わかるよ。ずーっとひとりで生きてきた人の“孤独の匂い”が、最近しないんだもん」


 ナオキは苦笑する。


(……リヴのおかげか)


 だが、それ以上言葉にはしなかった。


 施術が終わり、美咲が帰る準備をしていたとき、ふと視線の端に小さな弁当箱が映った。落ち着いた色だが、どこか可愛らしい。


「ねえナオキ。お弁当……なの?」


 ナオキは目を逸らす。


「……え、まあ……その……」


 美咲は確信したように微笑む。


「作ってもらったんだね」


「いや、その……」


「大丈夫。あんた、幸せそうだから」


 その言葉に、カーテンの奥でリヴが息を止めた。


 美咲はナオキの目をまっすぐ見つめた。


「お弁当を“作ってもらえる”ってことはね、すごく愛されてる証拠だよ」


 ナオキは静かに頷く。


「……そう、かもしれませんね」


「かもしれないじゃなくて“絶対”だよ。だって弁当って、“あなたに生きてほしい”っていうメッセージだから」


 ナオキの胸がずしりと重くなる。カーテンの裏でリヴは目を見開いていた。


 美咲は軽く息を吐き、


「大事にしなよ。その子の気持ち、すごく深いよ」


 そう言って店を出ていった。


 扉が閉まると、カーテンがそっと揺れ、リヴが姿を見せた。目が赤い。


「……ナオキ……」


 ナオキは微笑む。


「聞いてたのか」


 リヴは頷き、震える声で言った。


「“生きてほしい”って……そんな気持ちで作ったつもりじゃ……なかったけど……でも……そうかもしれないって……思って……」


 ナオキは近づき、ゆっくり頭を撫でる。


「ありがとう、リヴ。お前の弁当、本当に嬉しかったよ」


 リヴは胸にしがみつく。


「ナオキ……私……ナオキに生きててほしいよ……ずっと、いっしょに、ごはん食べたいよ……」


 ナオキはあたたかい声で囁いた。


「……俺もだよ。リヴと一緒に、食べて、笑って……同じ日を生きたい」


 ふたりはしばらく抱き合ったまま動かなかった。


 やがて、リヴがそっと言う。


「ナオキ……“まだまだ食べさせてくれよ”って……さっき言ってたでしょ?」


「うん?」


 声がかすかに震えた。


「……その“まだまだ”が……どれだけ続くのかなって……すこし……考えちゃった……」


 ナオキはその言葉の意味をすぐに理解する。


 自分は、その隣にどれだけいられるのか。


 ただ――ナオキは静かに微笑んだ。


「リヴ。未来の話は、いつか……ちゃんと話そう。でも今日の“美味しい”は、今日しか味わえないだろ?」


 リヴは目を潤ませ、ゆっくり頷いた。


「……うん……じゃあ……今日を、大事にする……」


「俺もだよ」


 ふたりの手が静かに重なった。六畳の店内には、温かく、どこか少しだけ切ない春のような時間が流れていた。

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