表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
32型テレビが繋g...(略)~手取り15万、現代物資(10秒制限)で成り上がる~  作者: ひろボ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

108/164

道の先で待つもの

 朝の空気は冷たかった。

 街を包んでいた昨日の熱は少しずつ抜け、かわりに澄んだ光が静かに降りていた。


 商会の家の前には馬車が止められ、荷台に巻かれたロープがしっかり締められている。木の車輪に反射する白い光が、出発の気配をゆっくりと告げていた。


 ナオキは深く息を吸い、街を見渡した。

 鍋の火をつける音。

 どこかの家から漂う焼き立てのパンの香り。

 仕事に向かう人々が荷を背負いながら小さく交わす挨拶。


 昨日までと同じ朝なのに、すべてが少しだけ明るく見えた。


「ナオキ、荷物まとめ終わったよ」


 荷台の隅でロープを押さえていたリヴが振り返った。

 前髪を指で軽く払う仕草に、いつもの落ち着きがあった。


「馬車、けっこう揺れそう。昨日、道の土が掘り返されたって聞いたから。気をつけてね」


「うん。ありがとう」


 荷台に足をかけると、木板は夜の冷気をそのまま残していて少し冷たかった。

 ナオキは腰を下ろし、街をもう一度見た。


 そのとき、家の角を回って、小柄な女性が駆けてきた。

 胸に布の包みを抱えて、息を整えながらナオキに近づいてくる。


「ナオキさん……昨日は、本当に、ありがとうございました」


 声は震えている。でもそれは涙の震えではなく、前へ進む人の震えだった。


「昨日の面接、行けたんです。今日も……仕事に行けるんです。こんなこと、ずっとできなくて……」


 ナオキは胸がじんわり温かくなるのを感じた。


「それならよかった。続けられるなら、それが一番だよ」


 女性は深く頭を下げ、布包みを差し出した。


「これ……うちで採れた乾燥野菜です。旅の途中、少しでも……」


「ありがとう。無理しなくていいから」


「……はい」


 女性は涙ではなく、安堵の笑みを浮かべて戻っていった。



 すぐに、別の青年が歩み寄ってきた。

 汚れの残った作業着を手に下げている。


「ナオキさん。……俺、昼の仕事、戻れるようになりました。あの言葉……胸に来ました。逃げないでやってみようって」


 青年は拳を胸に当て、目を逸らすことなく言った。


「帰ってきたら……見てください。ちゃんと働いてるところ」


「楽しみにしてるよ」


 青年は照れくさそうに頭を下げ、そのまま朝の通りへ歩いていった。


 そのあとも、二、三人が歩み寄り、短い言葉を置いていった。

 感謝の言葉は遠慮がちで、でも真っ直ぐだった。


(……こんなに、届いてたんだ)


 胸の奥が少し苦しいほど温かかった。


「ナオキ」


 リヴがそばに立ち、街の人たちを見ながら言った。


「これが昨日の答えだよ。……街の返事」


 あくまで静かに、けれど確かに伝わる声だった。



 そのとき、ヴァルターが馬の首を軽く叩きながら歩いてきた。


「よし、もうすぐ出るぞ。砂利が緩んでる。最初は揺れるから、気ぃつけろよ」


「はい」


 答えると、ヴァルターは目を細めて近づいた。


「ナオキ。……お前の帰る場所、ここにもある。忘れんなよ」


「……うん。ありがとう」


 セラもリヴの隣に立ち、厚手の布を差し出した。


「向こう寒いんでしょ。これ持っていきなさい。細いんだから、すぐ冷えるわよ」


「ありがとうございます」


 ラナが勢いよく手を振ってくる。


「ナオキさん、気をつけてね! 帰ってきたら……もっとおいしいパン作るから!」


「楽しみにしてるよ」


 ラナは顔を赤くして何度も手を振った。


 そして、馬車がぎし、と音を立てて動き出した。

 ゆっくり、ほんの少しずつ街が後ろに遠ざかっていく。


 鍛冶屋の黒い看板。

 パン屋の窓に立つ湯気。

 働きに出る人が振り返り、さりげなく手を上げる。


(……また戻ってこよう)


 その瞬間、胸の奥が軽くなった。


 馬車が街道に出ると、街の匂いは薄れ、草と土の匂いが強くなった。


 リヴが荷台に腰を下ろし、ナオキの方へ体を寄せて言う。


「今日は……街、すごくあたたかかったね」


「うん。ほんとに……あたたかかった」


 リヴはうれしそうに目を細め、軽く肩を寄せた。

 その動きは言葉より静かで、深く伝わるものがあった。


 馬車は揺れながら、森へ向かう道を進んでいった。


 街道に入ると、朝の光は少しずつ強くなり、丘の向こうへ伸びる影がゆっくり形を変えていった。

 馬車は砂利の上を進み、揺れるたびに木板がかすかに鳴った。


「ごめんね。……本当に揺れるね」

 リヴが手すりを軽く握りながら言った。


「大丈夫だよ。前より慣れてきたし」


 そう口にすると、リヴは安心したように小さく笑った。

 街の光景が後ろに少しずつ遠のいていく。そのたびに胸の奥の緊張が、ほんの少しずつほぐれていくのを感じた。


「ナオキ」


 落ち着いた声が、揺れの合間に静かに届いた。


「さっき……街の人たちの顔。あれ、すごくよかったよね」


「うん。あんなにたくさん届けられるなんて、思ってなかった」


「わたしね、嬉しかったんだよ。あの人たちの表情、ちゃんと変わってたから」


 リヴが膝の上で指を組みながら言う。

 その横顔には、安心と誇りが混ざった静かな光があった。


「働きに行けるって……すごく大事なんだよ。今日食べられるっていう安心も。あの顔を見てたら、戻れる場所ができたんだって伝わってきた」


「うん。……そうだね」


「ナオキの言葉がさ、ちゃんと届いてたよ」


「そう、なのかな」


「そうだよ」


 リヴがこちらをまっすぐ向く。

 揺れる馬車の中で、その眼差しだけは揺れなかった。


「街が動いた理由、ナオキが思ってるより大きいよ。ナオキは、自分を少なく考えすぎ。……ほんとは、あの人たちの背中押したのはナオキだよ」


 ナオキはすぐに返事ができなかった。

 胸の奥がぎゅっとして、けれど苦しくはなく、どこか熱を帯びるような感覚だけが残った。


 馬車が森の入口にさしかかると、空気が少し冷えた。

 湿った土の匂い。草に残った露の匂い。風の温度が、一歩ずつ変わっていく。


「ほら、地面がまだ乾いてない。木の根が出てるところ、揺れるよ」


「ありがとう。気をつける」


「ナオキは平気って言うから危ないんだよ」


「そんなこと……言う、かな」


「言うよ。絶対言う」


「……言うかもしれない」


「ほら」


 リヴは少し得意げに笑った。

 その笑顔に、森の光が優しく落ちた。


 木漏れ日が荷台の上にちらつき、馬車の影が道の上に揺れながら伸びていく。

 しばらく進むと、木々の間が開けた小さな休憩地に出た。


「ナオキ、少し休も。馬も疲れてると思う」


「そうだね」


 二人は荷台を降り、冷たい空気を胸いっぱいに吸った。

 風の中に混じる樹液の香りが、森全体を静かに満たしている。


「ナオキ、手……冷たい」


 リヴがナオキの指先にそっと触れた。

 思わず少しだけ肩が跳ねる。


「寒いんでしょ。……やっぱり、地球の空気とは違うよね?」


「うん。ちょっと冷えるかも」


「もう。早く言ってよ」


 リヴは包むみたいに両手でナオキの指を握った。

 その温度がじんわり伝わり、胸の奥まで温かくなる。


「風邪ひいたら困るんだよ。地球戻ったら、仕事あるんだから」


「ありがとう」


 そう言うと、リヴは少し照れたように視線をそらした。


 そのとき、休憩地の奥から足音がした。

 枝の折れる音に続いて、年配の男と女性が姿を現した。


「おや、商会の馬車じゃないか」


「街からの帰りかい?」


 リヴが丁寧に答える。


「はい。今出たところです」


 だが、女性がナオキを見ると、目を大きく開いた。


「もしかして……工房の看板を作った方……?」


「え、あ……はい。そうです」


「助けてもらいました。本当に……ありがとうね」


 女性の声は震えていたが、悲しみの震えではなかった。


「うちの子がね……読むの苦手で。でも看板見て、行ってみたいって言ったんです。そんなこと、今までなかったの。昨日、並んでましたよ」


「……そうだったんですか」


「今日も行くって言ってました。あそこなら、昼ごはん出るって聞いて……。安心したんでしょうね。……わたしも安心しました」


 女性は深く頭を下げた。


 ナオキは胸の奥に言葉が詰まったようになり、返せなかった。

 少しだけ息が震えた。


 リヴがそっと一歩前に出る。


「大丈夫ですよ。明日も来てくださいって、伝えてくださいね」


 女性は何度もうなずき、去っていった。


 静けさが戻ると、ナオキは小さく呟いた。


「すごい……重いな。でも……悪くない重さだ」


「そうだよ。悪い重さじゃないよ」


 リヴがナオキの袖を軽く引いた。


「さっきの人、安心してたよね。あれ、本当にすごいことなんだよ。食べられる日があるって、それだけで人は変わるんだよ」


「うん……」


「だからね、ナオキ。胸にしまっておいて。街の人は、ちゃんとナオキに返してくれてるよ」


 ナオキは深く息を吸った。

 胸の奥の熱が、静かに落ち着いていった。


 馬車に戻り、荷台へ座り直すと、森の奥への道がゆっくり続いていた。

 木々の葉が揺れ、鳥の声がいくつも重なって消えていく。


「ナオキ」


「ん?」


「さっきね……胸がぎゅっとしたんだ。街を離れるのもだけど……それだけじゃなくて」


「うん」


「街の人たちがナオキに向けてた言葉。あれ聞いてたら……なんか、胸がいっぱいになった」


 リヴは両手を膝の上に置き、ゆっくりと言葉を続けた。


「ナオキ、ずっとがんばってたじゃん。隣で見てたよ。あれ、全部ちゃんと届いてたよ」


 ナオキは、どこから返したらいいのか分からなくなった。

 胸の奥が少し痛くて、でも温かくて、言葉がうまく出てこなかった。


「ありがとう」


「ううん。……わたしも嬉しかったから」


 森の奥へ進むほど、光は細くなり、かわりに風の音が強くなる。

 葉が擦れる音がいつまでも続いていた。


 森の奥に入るほど、光は細くなり、木々の影がゆるやかに重なっていった。

 馬車はゆっくりと進み、車輪が湿った土を踏む音が一定のリズムで響いている。


「ナオキ」


 リヴが声を落とした。

 風が吹き抜け、彼女の髪が少し揺れる。


「向こうに着いたら……サロンの道具、全部見ようね」


「うん。壊れてるもの、ないといいけど」


「壊れててもいいよ。直せばいいから」


「直す、か」


「うん。直すのって、一緒にやると早いよ。工房の瓶詰めも、薬草の仕分けも……ナオキ一人じゃないから」


 リヴは視線を前に向けたまま、小さく続けた。


「一緒に生きるって、そういうことだよね。どっちの生活も、一緒に整えるってことだと思う」


 森の風が、静かに二人の間を通り抜けた。

 その言葉は冗談にも聞こえたが、胸の奥にやわらかい芯のように残った。


「ありがとう。……本当に、ありがとう」


「うん。ちゃんと言ったね」


「また子ども扱いだ」


「だってナオキ、抱え込むから」


 リヴは少し笑い、揺れる馬車の縁に指先をかけた。

 森の奥へ進むにつれて、鳥の声が低く遠くなり、代わりに木々の擦れ合う音だけが続いた。


「ナオキ」


「ん?」


「街の人たちの顔……忘れないよね?」


「うん。絶対に忘れない」


「わたしも。あの人たち、また来るよ。絶対」


 リヴの声は静かだったが、その静けさの中に強さがあった。

 ナオキは短くうなずき、胸の奥の熱をそっと残したまま森の隙間から差す光を見つめた。


 木漏れ日の先、道がなだらかに傾き始める。

 湿った空気がふっと軽くなり、視界が開けていく。


「あ、丘だ。もう少しで拠点だよ」


 リヴが指さした先に、馴染みのある斜面が広がっていた。

 丘の向こうには、森の拠点がある。

 二人にとっての通い慣れた入り口であり、もう一つの生活の玄関だった。


「帰ってきた、って感じがするな」


「うん。ここもちゃんと帰る場所だよ」


 馬車は丘を登り、ゆっくりと頂へ向かって進んだ。

 風が少し強くなり、木々の影が細かく揺れる。

 馬の息づかいが白く揺れ、ナオキは手すりに軽く体重を預けた。


「ナオキ」


 リヴの声が、揺れの中でもはっきり届いた。


「着いたら……地球に帰るまで、ちゃんと休もうね。体が疲れたままだと、気持ちも疲れるから」


「うん。そうするよ」


「サロンの道具も見ようね。ちゃんと動くか、一緒に確認しよう」


「ありがとう」


「ううん。ナオキの生活だもん。一緒に見たいよ」


 リヴがそう言って微笑んだとき、胸の奥の緊張がすっとゆるんだ。

 その笑顔は、街とも森とも違う、ナオキのために向けられた静かな光だった。


 丘の向こうに、ついに拠点の森が見えてきた。

 何度も出入りした場所なのに、今日だけは少し違って見えた。


「ナオキ」


「うん?」


 リヴはそっとナオキの袖をつまんだ。

 その仕草はいつもより少しだけ慎重で、静かだった。


「行こう。帰る場所も、戻る場所も……どっちも大事にしていこうね」


「うん。……大事にするよ。ちゃんと、どっちも」


 リヴが満足そうに微笑む。

 その顔を見た瞬間、ナオキの胸の奥が静かに落ち着いた。


 森の風が、これから向かう二つの生活の間をそっとつなぐように吹き抜けた。

 二人は拠点へ向かい、ゆっくりと最後の坂を下っていく。


 街から届いた温度も、森の静けさも、

 これから向かう地球の暮らしも――


 すべてがひとつの線になって続いていく。


 明日には、また別の生活が始まる。

 でも、ここにも確かに帰る場所がある。


 そのことが、何より心強かった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ