閑話:街がざわめいた日
冒険者ギルドの朝はいつも騒がしい。
今日も例外ではなく、酔っ払い上がりの冒険者が肩を組んで入ってきたり、
依頼前の緊張で眉間に皺を寄せた新人が列を作ったりしている。
受付嬢ミーナは、その混雑の中で淡々と書類を仕分けていた。
……つもりだったのだが、手元の依頼票を見た瞬間、息が止まった。
「な、なにこれ……?」
一枚目は、有名になりすぎたあの依頼。
スライムの核でも体液でもなく、ゼリー質の密封回収。
用途は秘匿。焼却禁止。報酬は銀貨三枚。
ギルド内を数時間で阿鼻叫喚に変えた問題児だ。
そして、ミーナの震えを強めたのは――
その隣に置かれた、新しい依頼票だった。
ギルド前の列は、昼になっても短くならなかった。
ミーナが紙を補充するたび、
“募集案内を求める手”が次々に伸びてくる。
「すみません、一枚ください……!」
「母が読み書きできないので、代わりにもらいに来ました!」
「息子が病気で働けません。私が……働かせてください……!」
「夜でもいいんですか? 洗濯の仕事のあとでも……?」
(……すごい……こんな光景、見たことない……)
ほとんどの女性は、
“仕事を選ぶ”経験なんてなかったはずだ。
選べる側になる――たったそれだけで、
目の奥に宿る光が違う。
◆老女の決意
「お嬢さん……この紙、もらえるかね……」
ミーナが顔を上げると、
腰を曲げた老婆が並んでいた。
「も、もちろんです! こちらが募集案内です!」
「ありがとうねぇ……
わたしは針仕事なんて大した腕じゃないが……
せめて、家にいるより役に立ちたいんだよ……」
「えっ……応募されるんですか?」
「働きたいのさ。
若いころはずっと内職してたからねぇ。
昼に温かいものが食べられるって聞いたよ」
「……はい。昼食つきです」
老婆の目に潤みが広がる。
「それだけで……行く理由には十分だよ……」
(……こんなにも、“食べる”ことすら不安な人たちが……)
ミーナの胸が痛んだ。
◆罵声ではなく、笑い声が増える
列の途中では、少しずつ空気が変わり始めていた。
「お母さん、わたしも働いてみたい!」
「縫えるの? 針、危なくない?」
「刺しても、治癒のお姉さんのとこ行けば大丈夫!」
「そういうことじゃない!」
親子のやりとりに周りが笑う。
いつも殺気立った怒号や、喧嘩ばかりのギルド前が――
今日は、驚くほど温かい。
(……仕事の募集だけで、こんなにも街が変わるんだ……)
◆グラッド、また騒動を起こす
「ミーナ、書類追加だ!」
「ひゃいっ!? グ、グラッドさん!?」
「外にまだ百人以上並んでんぞ!」
「百っ!?」
「あぁ……。
お前、人気商売すぎるだろ。握手券でも売ってんのか」
「売ってません!!」
隣で若い冒険者が囁く。
「グラッドさん……なんか楽しそうじゃないです?」
「ん? ああ……まあな。
街の空気が悪い日よりはいい」
「おお……珍しく素直だ……」
「黙れ。殺すぞ。……知らんけど」
「出た!!」
周囲がまたどっと笑う。
グラッドはいつも喧嘩腰なのに、
今日はなぜか機嫌がいい。
(街が“良くなる兆し”を、
荒っぽい人でもちゃんと感じるんだ……)
◆鍛冶師組合がざわつく
夕方になると、別の騒動が起きた。
「ミーナちゃん! これ本当かい!」
「へっ!? 鍛冶師のみなさんまで……」
壮年の鍛冶師たちが、募集の紙を握りしめて押し寄せた。
「『経験不問』『大量採用』『縫い針使う』……
ってことはだな……」
「針の需要、また増えるのか……!?」
「こいつは、鍛冶屋の仕事が復活するぞ……!」
「うちの工房なんか、去年から仕事減り続けてて……
もう畳むしかないと思ってたんだ……!」
ミーナは思わず息をのむ。
(……工房ができれば、
針の需要が増えて、鍛冶屋も仕事ができる……)
それはつまり――
「街の“仕事の連鎖”が生まれる……」
ミーナの声は、無意識に漏れていた。
鍛冶師たちは涙ぐんで笑った。
「ミーナちゃん! お礼にあとで荷車押してやる!」
「い、いえ! わたしは何も……!」
「いや、助かるんだよ! こういうのは!」
◆お母さんたちの覚悟
日が傾くころ。
列はようやく短くなったが、まだ続いていた。
ミーナは最後尾からやってくる母娘を見て、
はっと息を呑む。
母親は片足をひきずり、
娘は少し小さな袋を抱えていた。
「すみません……もう終わりましたか……?」
「い、いえ! まだ大丈夫です!
こちらに名前を書いてください!」
「ありがとうございます……っ」
母親の声は震えていた。
「ずっと働きたかったんです……
でも足を悪くして、力仕事はできなくて……
裁縫なら……座ってできるから……」
(……座ってできる仕事……
それだけで“救われる人”がいるんだ……)
ミーナは目を伏せた。
「娘も……読み書きできないので……
一緒に学べるなら……うちの子の未来も……」
「大丈夫です。誰でも、最初は知らないところから始まりますよ」
娘は恥ずかしそうに笑った。
「……わたし……いっぱい勉強したい……
針も使ってみたい……!」
「ええ。工房の人たちが教えてくれます。
一歩ずつで、大丈夫ですよ」
(……本当に“未来”が変わるかもしれない……)
◆ミーナ、ひとり机に手を置く
最後の受付が終わったころ。
ギルドの外はすっかり夕闇に染まっていた。
ミーナは深呼吸し、机に両手を置いた。
「……今日だけで、何百人集まったんだろ……」
疲労で体は重い。
でも、胸の奥は不思議と温かい。
「こんな仕事……初めてだよ……」
涙がひと粒だけ、机に落ちた。
「……いい日だったな……」
――こうして、
街は誰にも気づかれぬまま、
ゆっくりと、新しい時代に足を踏み入れていく。
夕刻のギルド前が少しずつ静まりはじめたころ――
街の中央通りでは、別の動きが始まっていた。
ヴァルター商会の奥にある広い土間。
いつもは荷物が雑然と置かれているだけの場所に、
この日は数十人の職人が招集されていた。
「……で、なんの集まりなんだ?」
「聞いてないのか? “新しい工房”だってよ」
「縫い子の募集は聞いたが……俺たち鍛冶屋の仕事は?」
「さぁな……だが商会が動くってことは、仕事になるってことだ」
職人たちは半信半疑の顔をしていたが、
どこかそわそわと落ち着かない。
――何か大きなことが起きようとしている。
その空気だけは、誰にでも分かった。
土間の奥の扉が開き、
ヴァルターが重い足取りで姿を現す。
背後には、商会でもっとも信頼の厚い事務長のグラーベル、
そして建築職人の棟梁ケルドが控えていた。
「集まってもらって悪い。今日から商会は“ひとつの計画”を動かす」
ざわっ……
「計画……?」
「商会長が直々に……?」
ヴァルターはためらわずに口を開いた。
「――縫製工房を建てる。
街の女と子どもが働ける場所だ。
それを商会の新事業として立ち上げる」
言い切った。
土間がシン……と静まり返る。
次の瞬間――
「……本気なのか!?」
「こんな規模の工房、聞いたことねぇぞ!」
「いや、街に“ちゃんとした”縫製工房は一つもなかっただろ!」
「それはそうだが……女と子ども主体で働かせるって……!」
興奮と戸惑いが入り混じった声が飛び交う。
ヴァルターは手で制した。
「縫い子を募集した。昼だけで百を超える応募があった。
それだけ、この街には“働きたくても働けない者”が多い」
職人たちの中から、誰かがぽつりと呟いた。
「……そりゃそうだ。
うちの隣の家の娘なんか、読み書きできないからって、
荷運びしか仕事がなかった。
それも体を壊してからは……ずっと家に……」
「うちのカミさんなんて“月の日”になるたび寝込んでて……
でも休めば給金が減る。
泣きながら仕事に行ってた……」
「家に子どもがいりゃ、なおのこと働けねぇ。
預けるところがないからな……」
次々に、街の暗い現実が漏れ出してくる。
ヴァルターは深くうなずいた。
「だからこそ、工房が必要だ。
託児所と食堂を併設し、読み書き計算を学べる場所も作る」
「じゅ、授業……?」
「子どもの読み書きまで教えるのか……?」
「そんなの、領主の仕事じゃ……?」
「やるのは商会だ」
ヴァルターは断言した。
職人たちの背筋がぴんと伸びる。
「理由は単純だ。
友が言った。“手さえ動けば働ける場所”が必要だと。
街が貧しい理由は、働けない人間が多すぎるからだと」
その言葉に、遠くの床に座っていた職人の一人が息を呑んだ。
「あの兄ちゃん……またやったのか……」
「ああ……あの男は、やる時はやる。
それも……桁外れに」
ヴァルターは続けた。
「彼の名前は出すなよ。工房は利益ではなく『生活の底上げ』を目的にする。
だからこそ――商会が先に動く必要がある」
事務長グラーベルが前に出る。
「そのためには、まず“建物”が要る。
棟梁ケルド、場所はどうだ?」
「広場裏の空き倉庫を改修すれば使えます。
床の補強と、水回りの整備……それから暖炉の追加が必要ですが」
「日数は」
「急げば一週間。
ただし……人手がもっと要る。
建築、木工、荷運び……全部だ」
ヴァルターは職人たちを見渡した。
「その人手を、今日ここにいるお前たちで集めたい。
報酬は通常より二割増しで出す。
急ぎの工事だが……やってくれるか?」
職人たちは一瞬ぼんやりしたが――
「……二割増し!? やる!!」
「誰かを助ける工事ならなおさらだ!」
「おいケルド! 明日の朝から行っていいか!」
「必要なら徹夜でも手伝うぞ!」
工房の理念が職人たちにも刺さった瞬間だった。
その空気を見ながら、事務長が静かに言う。
「工房ができれば、縫い針も布も糸も売れる。
街の商売が全部回る。
そして――子どもが読み書きできるようになれば、
未来の職人も商人も増える」
すると、一番後ろにいた若い木工職人がぽつり。
「……未来が、動くのか……?」
ヴァルターは頷いた。
「動く。
街は今、何十年ぶんかの“変わり目”を迎えている」
棟梁ケルドが図面を丸めながら、照れた顔で言った。
「……なんだかよ……
街のみんなで“でかい家”を建てるみたいだな……
そこで女も子どもも一緒に暮らすような……」
ヴァルターは静かに笑った。
「そういうところだ。
“家族みたいな街”を作る場所だよ」
職人たちの胸が熱くなる。
そのとき――
裏口から、息せき切った伝令が飛び込んできた。
「商会長っ! 追加報告です!
ギルド前の募集……まだ列が途切れていません!」
職人たちが驚きの声を上げる。
「まだ!?」「もう夜だぞ!?」「そんなに人が……!」
伝令は続けた。
「“読み書き計算を学べる”という噂が広がって……
子どもを連れた母親が増えています!
それと――孤児院からも代表者が並んでいます!」
ざわめきが一気に広がった。
ヴァルターは、ゆっくりと息を吐く。
「……動くのが遅すぎたな、俺たちは。
本当ならもっと前に、街が動くべきだった」
ケルドが腕を組んで言った。
「商会長。気に病む必要はありませんぜ。
“今から動く”ならまだ間に合う。
街はこれから育つんです」
ヴァルターは深く頷いた。
「……そうだな。
なら――徹底的にやる」
商会の中心に立つ男が、
本気で街を動かすと決めた瞬間だった。
その決意に呼応するように、
職人たちの背筋もぴんと伸びる。
「ケルド、工房の改修を最優先で進めろ」
「任せな!」
「グラーベル、人手と材料の手配を急げ。足りなければ買い付けろ」
「了解しました」
「他の者は――
明日から全員、工房建設の作業に入ってくれ。
女や子どもが安心して働ける場所を、
一日でも早く作るんだ」
土間全体が、一斉に「おうッ!」と響いた。
その声は、
街の外まで届きそうなほど力強かった。
そのころ、ギルド前では――
ミーナがまだ列の整理をしていた。
夕刻を過ぎても夜灯がともっても、
行列は細く伸び続けている。
ミーナは小さく呟いた。
「……この街……変わるんだな……」
その呟きに、列に並んでいた母親が微笑む。
「あたしたちも……変わりたいんです。
子どもに、ちゃんとした明日を見せたいから」
ミーナは頷いた。
「……工房、きっとできますよ。
街のみんなで作るんですから」
母親は目を潤ませて言った。
「ありがとう……本当に……ありがとう……」
ミーナは笑った。
「わたしは何もしてません。
でも――街がこうなるの、好きですよ」
街のあちこちで、
【新規工房・縫い子募集】
依頼主:ヴァルター商会
仕事内容:布製品の縫製
対象:女性・子ども・体力に不安のある者
条件:経験不問
給金:日払い
昼食つき
必要なもの:手を動かす意欲
「……昼食……つき……?」
ミーナは文字を三度見返した。
“昼食つき”なんて、貴族の家庭教師募集でも滅多に見ない条件だ。
それを――
女性
子ども
体力の弱い者
……を対象にしている。
(これ……ギルドじゃなくて、教会の慈善事業じゃないの……?)
思わずそんなことを考える。
彼女は依頼を掲示板に貼りつけると、
……十数秒後には、それが街全体を震わせるとは夢にも思わなかった。
「おい見ろよ! なんだこの条件!」
「日払い!? 昼食つき!? お前読めるか? 俺読めない!」
「黙ってろ! 読んでやるから!」
「女性、子ども……体力弱い者……対象?」
「え、それ……俺より待遇よくない?」
「お前は斧振れ。向いてる」
「ひどくない!?」
掲示板前は、あっという間に騒然となった。
特に、買い出しに来ていた女性たちの反応は凄まじかった。
「……え? 昼ご飯……?」
「子ども連れて来ていいって……?」
「経験不問……? 本当に……?」
「えっ、これ、ヴァルター商会の……? 本物?」
ミーナの胸がじんわり熱くなる。
(……みんな、本当に“働きたいのに働けない”んだ……)
気づくと、掲示板の前で泣きそうな顔をしている母親もいた。
孤児院で育った若い女の子が、震えながら紙を触っている姿もあった。
「わ、わたしみたいなのでも……いいのかな……?」
「……お母さん、お腹すいた……って……言わないで済むの……?」
胸が痛くなった。
ギルド受付の仕事をしていると、
“働きたいけど体が弱い”
“子どもがいて働けない”
“読み書きができなくて仕事が限られる”
そんな人たちが毎日来る。
でも、紹介できる仕事はいつもどれも重労働ばかりだった。
(……本当に、こんな場所ができるの?)
彼女の疑問は、背後から聞こえた男の低い声に遮られる。
「こりゃあ……商会が本気で動いてるな」
「グラッドさん……」
ベテラン冒険者のグラッドが、募集票を覗き込みながら言った。
「ヴァルター商会が“女と子ども向けの仕事”を出す時はな……
大抵、街の何かが変わる時だ」
「変わるって……」
「知らんけどな」
「出た! 結局知らんのかい!」
ギルドに笑いが起こる。
でもそれ以上に――
街に“期待”が満ち始めるのが分かった。
募集だけで、空気が変わる。
まだ工房は建ってもいないのに。
縫い針の音さえ響いていないのに。
(……なんなんだろう……)
ミーナの胸はざわざわしていた。
正体の見えない“何か巨大なもの”が、街のどこかで動いている。
なのに情報は一切、下には降りてこない。
(でも……悪いものではない……はず)
紙の前で涙ぐむ女性たちを見たら、
そんなふうに思わずにはいられなかった。
――ギルドの掲示板に、二枚の紙が並んだだけの日。
街の時代は、ほんの少しだけ前へ動き始めた。
ギルドに張り出された依頼は、
その日のうちに市場へ、職人街へ、酒場へ――
あっという間に広がっていった。
「見た!? ヴァルター商会が、縫い子の募集を……!」
「子どもでもいいんだって……? 本当なの……?」
「うそだろ……昼ご飯が出るなんて……」
「日払いって……毎日払うってことだよね……?
そんな仕事、今までなかったよ……!」
驚きと期待が混ざった声が、どこへ行っても耳に入る。
そして――街の空気が変わったのが分かる。
女性たちの足取りが軽くなり、
孤児院から出てきた子が紙を握りしめて走り去り、
酒場の店主さえ、掲示板を見て目を丸くしていた。
「……ヴァルター商会、また何かでかいこと始めるな……」
「悪い話じゃなさそうだが……」
「むしろ……えらく良すぎるだろこれ」
「誰が金を出してるんだ……?」
「さぁな……」
噂は、酒場から鍛冶場へ、
鍛冶場から商店街へ、
商店街から教会へ。
最後には、街の外れにある小さなパン屋の老婆の耳にまで届いた。
「……働ける場所が……できるのかい……?」
皺だらけの手が震えた。
「私らの若い頃には、そんなもん……なかったのにねぇ……」
ギルドの前に列ができる
翌朝。
ギルドの前には――いつになく長い列ができていた。
「まだギルド開いてないよね……?」
「でも……早めに行ったほうが……」
「子どもを預ける場所なくて、ずっと働けなかったの……
少しでも希望があるなら、逃したくない……」
ミーナは扉を開ける前から胸が痛かった。
(……みんな、こんなに“働きたい”んだ)
ギルド職員として、誰よりも“働き口の少なさ”を知っている。
体力仕事は男の冒険者が優遇されるし、
女は無資格では家事手伝いか、日雇いの水汲みくらい。
読み書きできない子どもは、なおさら。
その全員に――
「経験不問」
「日払い」
「昼食つき」
こんな条件で募集がかかった。
(……泣くよ、そりゃ……)
ミーナ、募集説明に追われる
ギルドが開くと同時に、
ミーナの前には女性と子どもで溢れかえった。
「そ、それでは順番にご案内します……!
あの、押さないでください……!」
「働けるんですか!? 本当に……?」
「わたし……裁縫なんてしたことなくて……」
「読み書きできなくても……大丈夫なんですか……?」
「子ども連れて行ってもいいの……?」
「夫が病気で働けなくて……私が働かないと……」
「家に帰るといつも……冷たくて……
昼ご飯が出るって……本当なんですか……?」
(ああ……これ……想像以上だ……)
ミーナの胸に込み上げてくるものがあった。
(こんなに……こんなにも、街には“働けない人”がいたんだ……)
受付の机にかじりついて、何度も説明した。
「工房は、まだ建設準備中です。
ですが、ヴァルター商会が正式に人を集めています」
「え……じゃあ、本当の募集なんですか……?」
「はい。本物です」
その瞬間、目の前の母親は、肩を震わせて泣いた。
「……よかった……よかった……」
そばで幼い娘が、よく分からないまま母の背をさすっている。
ミーナの視界が、少しだけ滲んだ。
グラッド、また現れる
「おいミーナ!」
「ひゃっ!? グラッドさん……!」
「この騒ぎ、なんだよ……並びすぎだろ」
「見りゃ分かるでしょ!? みんな働きたいんです!」
グラッドは鼻を鳴らした。
「そりゃそうだ。
“働き口”と“飯”が一緒に出る仕事なんて、聞いたことねぇ」
「ですよねぇ!?」
「知らんけどな」
「出たァーーー!」
周囲の女性たちが吹き出し、
ちょっとだけ空気が柔らかくなった。
ミーナは気づく
ミーナは、混雑の中でふと思った。
(……この依頼……街の女の人たちのためなんだ)
商会が“わざと用途を隠した”理由も分かる気がした。
もし「女性向けの布製品を作る工房」と分かったら、
業者や商店が群がって、
弱い立場の人の席が奪われてしまう。
だから――
(用途を伏せて、最初に“必要な人たち”を集めたんだ……)
胸が熱くなった。
(……こんなこと、誰が考えたんだろう……)
もちろん、ミーナには知る由もない。
ナオキという異世界人の存在も、
彼が街にしようとしている革命も。
ただ――
(本当に、工房ができたら……
この街の“苦しい当たり前”が少し変わるのかもしれない……)
そう思うだけで、不思議と胸が温かくなった。
――街の片隅で動き始めた工房計画は、
まだ誰も知らない形で、確かにこの街を変え始めていた。




