街に種を蒔く日の商談
今回は少し長いです。
最後までお付き合い頂けたら幸いですm(_ _)m
昨夜の喧騒がうそのように、朝の空気は静かだった。
湯気が逃げていく浴室で、ラナが転びそうになってセラに抱えられ、リヴが桶をひっくり返し、ナオキは必死に壁際へ避難したあの混乱。湯の跳ねる音と笑い声が入り混じって、まるで小さな祭りのようだった。
その余熱がほんの少し残る、まだ白んだ朝。
ナオキは商会二階の部屋で窓を開け、冷たい空気を胸に入れた。
少し頬が火照るのは、昨夜の光景を思い出すせいかもしれない。
(……よく全員、無事だったな)
思い返せば、終わったあと三人とも気持ちよさそうにしていた。
それが一番の救いだった。
隣では、髪を結い直したリヴが小さく伸びをしていた。
「ナオキ、起きてるなら声かけてよ。寒いよ」
「ごめんごめん。ちょっと空気吸いたくてね」
リヴは窓から外をのぞき、ゆっくりと瞬きをした。
「昨日、ラナたち、すごく楽しそうだったね」
「だね。本当に仲のいい家族だよ。セラさんも、いい人だ」
「うん。あの二人だから……今日の話、きっとうまく行くと思うよ」
リヴは振り返り、真面目な顔で続けた。
「今日は、ヴァルターさんに工房の話と……下着のこと、話すんだよね」
「うん。そのために地球から持ってきた物も、全部揃えてあるよ」
リヴは小さく頷いた。
「下着のこと、月のときのこと……人によって感じ方が違う。わたしだけじゃ分からないこと、多いんだよ」
ナオキはうなずいた。
「だから、今日はセラさんとラナにも協力してもらうつもり。二人の意見があれば、かなり助かると思う」
「うん。セラさんは大人だし、ラナは年頃だし……ちょうどいいと思う」
「本当は俺も全部聞きたいけど……踏み込みすぎてもいけないからね。女性同士で気楽に話せるほうがいいでしょ」
リヴは笑って、指先でナオキの袖をつまんだ。
「ナオキのそういうところ、好きだよ。大事なことを大事にするのに、変に偉そうじゃないところ」
「それ、褒めてくれてる?」
「褒めてるよ。わたしだけじゃ分からないこと、ちゃんと見ようとしてくれるから」
リヴの言葉は静かで、温かかった。
昨夜の賑やかさとは違う、朝の柔らかな光が差し込んでくる。
この二人の間に流れる空気も、その光に溶けるように穏やかだった。
ナオキは深く息を吸ってから、リヴへ向き直る。
「じゃあ行こう。ヴァルターさんのところへ。工房の話もあるし、セラさんとラナにも声をかけてもらおう」
「うん。今日、きっと忙しくなるよ」
「忙しい方がいいさ。街が動き出すなら、それだけで十分だから」
リヴは小さくうなずいた。
二人は支度を終え、階段へ向かった。
昨夜の湯気と笑い声が残る商会の家は、どこか家族の温度を感じさせた。
階段を下りると、パンを焼く香りが台所から漂っていた。
セラが朝食の準備をしているのだろう。
木の皿が重なる小さな音がして、ラナの笑い声が続いた。
どうやら二人とも、昨夜のことはすでに笑い話にしているらしい。
「ナオキ、おはよう」
台所の戸口からセラが顔を出した。大人の落ち着いた笑みが、朝の光で柔らかく見えた。
「おはようございます。昨日は本当にお世話になりました」
「こちらこそ。娘たちが楽しそうだったわ。……少し浮かれすぎていたけれど」
奥ではラナが手を振っている。
「ナオキー! 昨日のわたし、転んでなかったよね!?お母さんが言うんだけど、覚えてない!」
「転びかけてたよ」
「ひゃー……!」
リヴがくすくす笑う。
ナオキもつられて笑みをこぼした。
朝食を終え、商会奥の応接室に移動すると、ヴァルターが帳簿を開いて待っていた。
「おはよう。話を始めるか」
机の上に朝の光が差し、木目が静かに浮かび上がっている。
ナオキは席につき、深く呼吸した。
「今日は……女性用の下着と、月の日の用品と工房について話したいんだ。セラさんとラナにも協力してほしい」
セラが目を瞬かせた。
「下着……の話? そういうことね、ええ。必要なら話すわよ」
ラナは少しだけ頬を赤くした。
「そ、そういう話……なんだね。心の準備しとく……」
リヴがそっと二人に微笑む。
「大丈夫だよ。ナオキは、みんなが楽になるために話すの。恥ずかしいことじゃないよ」
ナオキは二人の視線をまっすぐ受け止めて言った。
「下着も月のものも、体のための大事な道具だからね。
動きやすさとか、痛さとか、蒸れとか……女性にしか分からないことが多い。
セラさんとラナの声が欲しい」
セラは軽く息を吐き、微笑んだ。
「……そうね。女性のための話だもの。協力するわ」
ラナも胸に手を当てる。
「うん、わたしも。ちょっと照れるけど……役に立てるなら嬉しい」
ナオキが二人への協力を求めると、
セラとラナは恥ずかしさを帯びながらも、しっかりとうなずいた。
ヴァルターは腕を組んで三人を見る。
「下着に月の用品……商売にするのなら、女の声が最も重要だ。実物を見せてくれるんだろう?」
「うん。少し驚くかもしれないけど……こっちの女性の生活を考えるなら、避けて通れないものだと思う」
ナオキは地球から持ち込んだ下着と生理用品、そして異世界で作った試作品が収まっている袋を取り出し、机の上にそっと置いた。
袋を開いた瞬間、空気が少しだけ張りつめた。
ナオキはまず地球産のショーツを取り出した。
白と淡い色の布、均一な縫い目、滑らかな手触り。
セラが思わず指先を伸ばし、軽く触れた。
「……思っていた以上に柔らかいのね。これが、その……足を通す形の?」
「そうだよ。こうやってはくんだ」
ナオキは布の両端をしっかり持って形を見せた。
下品にならないよう、あくまで道具として説明する。
ラナは照れと興味が入り混じったように顔を近づける。
「ええ……下着って、こういう形でもいいんだ……? 想像してたより、ずっと可愛い……」
ヴァルターはうなずきながら、
「確かに……縫い目が揃っている。職人では到底真似できん精度だ」
と真面目に観察している。
次にナオキは、地球産の生理用品を置いた。
包装された薄いナプキンが並ぶ。
セラは息をのむ。
「こんなに薄いの……? これで血を受け止められるの?」
「うん。中に吸収材が入っていて、一気に水分を閉じ込めるんだ。皮膚に直接触れる部分は柔らかくて、長時間でも負担が少ない」
ラナが、ほんの少し頬を赤らめながらも手を伸ばす。
「触っていい……?」
「もちろん。女性が使うものなんだから、遠慮はいらないよ」
ラナが指でそっと押す。
「……ふわっ……すご、柔らかい……!」
リヴも横から顔を寄せる。
「ナオキの品、いつも形がきれいで、触り心地が違うよね」
「そうだね。これが“基準”になる。で——」
と、ナオキは袋からもう一つ取り出した。
異世界産の試作品スライム粉ナプキンだ。
布と紙の中間のような質感で、やや厚みがある。
セラが興味深そうに目を細める。
「……これが、あなたたちが試作した……?」
「うん。スライム粉を乾燥させて、吸収部分に使ってみた。まだ改良が必要だけど、量産できれば女性の生活がすごく変わると思う」
ヴァルターは腕を組んだまま、唸るような声を漏らした。
「商会としては、女性向けの需要が最も読みやすい。……使い心地が良いなら、これほど売れる品はないな」
セラが笑う。
「あなた、そういう顔をするのね。下着や月の話でも商売のことを考えてるなんて」
「当たり前だ。女が使うものなら、なおさら真面目に考えねばならん」
ラナが小さく手を挙げた。
「あの……これ、わたしたちが、今日、試すんだよね……?」
「うん。ただ、その前に——ひとつ、見てほしいものがある」
ナオキが、テーブルの端に置いていた小さな木皿と水差しを手元に引き寄せた。
ラナが瞬きをする。
「え……実験?」
「うん。今までの布と、今回の二つ……どれくらい“吸うか”を見てほしくて」
セラの表情が引き締まる。
「……それは、たしかに気になるわね」
ナオキが、まず異世界で一般的に使われている「折り布」を皿に置く。
そして、水差しを傾け、一滴ずつ落とした。
布は表面に水をはじきながら、じわりじわりと濡れていく。
吸うというより、広がるという感覚だった。
ラナが顔をしかめた。
「……あ、これ。いつもこう。最初が冷たくて……気持ち悪いんだよね」
セラがうなずく。
「そうなの。外に漏れやすいし、歩くと布がずれるし……長く外に出ると、つらい日もあるのよ」
ナオキは次に、地球産のナプキンを皿に置いた。
見た目は薄い。
セラとラナが息をのむ。
ナオキは水を一滴垂らした。
瞬間、一点に吸い込まれるように消えた。
二人が同時に声を漏らした。
「「……えっ」」
ナオキはもう二滴、三滴と続けた。
水は広がらず、跡形もなく吸収されていく。
ラナが目を丸くする。
「……全部、なくなった……?」
セラが唇に手を当てた。
「こんな……こんなに早く……?」
ナオキは少し離したところに手のひらを当てて見せた。
「ほら。裏も、全然濡れてない」
ラナが思わず前のめりになる。
「すご……! これ、全部吸ったのに!? 信じられない……!」
セラは目を細くし、少しだけ震える息を吐いた。
「……月の日に外に出るのが、どれだけ気が楽になるか……想像しただけで、ちょっと……胸が軽くなるわね」
リヴが柔らかく微笑む。
「ね。ナオキのところでは、こういうのが当たり前なんだって」
ナオキは続けて、スライム粉ナプキンを皿に置いた。
厚みはある。
だが、水を落とした瞬間、地球産ほどではないものの、
吸収は想像以上に早かった。
ラナが目を輝かせる。
「おおお……こっちも速い……! 布より全然いい……!」
セラが慎重に手を触れる。
「ただ……少し固い部分があるわね。でも、これなら十分実用になると思う」
ヴァルターが低く唸る。
「……この違いは、数字で示す必要があるな。布との差は歴然だ。商売になるぞ、ナオキ」
ラナが胸に手を当てたまま、素直な声を漏らす。
「外に出るの、怖くなくなるね……」
セラも小さくうなずく。
「ええ。本当に……女性の負担を軽くする品だわ。これだけで、生活が変わる」
それは、素直な驚きと安堵が混ざる声だった。
「じゃあ……そろそろ試着かな」
リヴが声をかけると、ラナは姿勢をピンと伸ばした。
「う、うん……! ちょっと恥ずかしいけど、やる!」
セラも落ち着いた笑みでうなずいた。
「道具の良し悪しは、使ってみないと分からないものね」
三人は別室へ向かった。
去り際、セラがナオキへ視線を向ける。
「こういう実験を見せてくれるなんて思わなかったわ。ありがとう」
ナオキは穏やかに笑った。
「こちらこそ……知ってもらえてよかった」
扉が閉まる。
残された部屋で、ヴァルターが深く息を吐く。
「……あれは女にしか分からん問題だな。しかし、商売の匂いは……とんでもなく強い」
「うん。でも、それより……楽になる女性が増えたら嬉しいよ」
ヴァルターは一瞬だけ苦笑し、うなずいた。
「戻ってくるまでに、工房の骨組みを決めておこう」
その言葉には、街を変える未来への確かな期待が込められていた。
地球産とスライム粉ナプキンの吸水実験が終わったあと、
セラとラナは皿の上の布を見つめながら、まだ言葉を探しているようだった。
ナオキは、二人が完全に驚きの余韻に浸っているのを見て、
少しだけ真剣な声で言った。
「……本当はね、もう一つだけ、すごく大事な話があるんだ」
セラが顔を上げる。
ラナも、胸元に手を置いたままナオキを見つめた。
「月の日のこと……?」
セラが静かに尋ねる。
「うん。これは、女性の体を守るための話だよ。
商品を売るためじゃなくて……知っておかないと危ないから」
ヴァルターが腕を組み直し、黙って聞く姿勢を取った。
商売よりも、「家族の健康」の方がはるかに重いことを知っている表情だった。
ナオキは少し息を吸い、
やさしいけれど、包み隠さない声で話し始めた。
「月の日の血はね……外に出た瞬間、すぐに“悪く”なるんだ」
ラナが、肩をびくっと震わせた。
セラも眉を寄せる。
「悪く……?」
「血が……?」
ナオキはうなずく。
「うん。血って、身体の中では温かくて、守られてる。
でも、外に出ると空気に触れるでしょ。
そうすると……どんどん変わっていく。匂いも出るし、べたつくし、
肌に長く触れれば触れるほど、良くない状態になっていく」
セラは息をのんだ。
「……だから、布が濡れていると、下腹が冷えたり……?」
「そう。冷えはそのまま痛みになる。
腰が重くなったり……歩くのもつらくなったりする」
ラナがぽつりと言う。
「わたし……それ、毎回あった……。
寒いわけでもないのに、お腹だけ冷えて……。
普通だと思ってた……」
リヴがそばに寄り添うように、
静かにラナの肩に手を置いた。
「普通じゃなかったんだよ、ラナ。
みんな我慢してただけなんだよ」
ナオキは続けた。
「それと……もうひとつ。
血が長く肌についてると、“下の入口”が弱くなるんだ。
そこから悪いものが入り込んで……おしっこが痛くなったり、
何度も水場に行きたくなったり、熱が出ることもある」
セラが小さく息を呑んだ。
「それ……前に一度だけ経験したことがあるわ。
熱が出て……水場に立つのもつらくて……
あれ、月のあとの不調だと思っていたけれど……」
「たぶん、それだよ。
月の日のあとや、無理をしたときに起きることが多いんだ」
ラナが両手をぎゅっと握る。
「こわ……いえ、こわいけど……
理由が分かったほうが、ちょっと安心する……」
ナオキは二人の不安を受け止めるように、やわらかく言った。
「怖がらせたいわけじゃないよ。
ただ、知っていれば……防げることなんだ」
セラが深くうなずく。
「……そうね。知らないままより、ずっといいわ。
体のことを、こんなに丁寧に話してくれる人なんて、今までいなかったもの」
ラナが胸元を押さえ、静かに言った。
「ナオキ……ありがとう。
こんな大事なこと、誰も言ってくれなかった……」
リヴも微笑んでうなずく。
「ナオキは……こういうところ、本当にやさしいよ」
ナオキは少し照れたように笑う。
「当たり前だよ。
女性が毎月つらい思いをしてるのに、
俺だけ楽してるのは違うからね。
ちゃんと伝えるのも……俺の責任だと思ってる」
ヴァルターが低くうなるように言った。
「……これは、商品以前の問題だな。
女たちの命を守る話だ。
商会としても……全力で支えるべきだろう」
その言葉に、セラが目を見張った。
そして、少し誇らしげに微笑んだ。
「あなた……そう言ってくれるのね」
ラナもぱっと顔を明るくし、
「じゃあ……ちゃんと試して感想伝えるね!」
と気合を入れ直した。
ナオキは、三人を優しく送り出すように言った。
「うん。急がなくていいよ。
使い心地も、不安なところも、全部教えてほしい。
これからこの街の女性たちが、もっと楽に過ごせるようにしたいから」
リヴが三人の中心に立ち、にっこり笑った。
「じゃあ……行こっか。履き方も、布の当て方も全部教えるね」
ラナが少しだけ頬を赤らめながらも元気に頷く。
「うん……! なんか、今日すごく頼もしい……!」
セラも穏やかに笑う。
「大事なことだから、しっかり確かめてくるわ」
三人は別室へ向かっていった。
扉が閉まる直前、
セラが振り返り、静かな声で言った。
「ナオキ……本当にありがとう。
母としても……女としても……これは大切な話だったわ」
ナオキはただ、そっと頭を下げた。
ナオキとヴァルターを残して、
セラ、ラナ、リヴの三人は商会奥の小部屋へ向かった。
普段は仕分けや品物の整理に使われる小部屋だが、
この時間だけは、女性たちのための静かな場所になった。
扉を閉めると、外の音が少し遠ざかる。
「……こういうのを三人でするなんて、不思議な感じね」
セラが微笑む。
「うん……ちょっと恥ずかしいけど……でも、なんか楽しみ……」
ラナは頬に手を当てて、そわそわしている。
リヴは袋を抱えたまま、部屋の真ん中に立ち、二人へ振り返った。
「じゃあ……まずはショーツからね。
履き方を知らないと、変なところに足入れちゃうから」
「や、やっぱり入れるんじゃないの!?」
ラナが勢いよく反応し、セラが肩を震わせて笑う。
「落ち着いて。そんなに大変じゃないよ」
リヴは苦笑しながら、ショーツを広げて見せた。
淡い布がふわりと揺れる。
足を通す穴、腰の位置……
異世界では見たことがない形に、ラナの目がまた丸くなる。
「ほんとに……こうやって履くんだ……」
「うん。難しくないよ。
足を片方ずつ入れて、腰まで持ち上げるだけ」
リヴが指で動きを示しながら説明する。
セラはすぐに理解したようで、軽く頷いた。
「なるほどね。上から結ぶのとはまったく違うわ」
「動く時にずれないように、腰で支える形になってるんだよ」
リヴが補足する。
ラナはショーツを手に取ると、
目の前でそっと広げたり、触ったりして、じっと観察した。
「……かわいい……
しかも、汚れが目立ちにくい色もあるんだね……」
「そうだよ。色も形もたくさんあるんだ」
リヴが笑うと、ラナの頬がさらに赤くなる。
「なんか……全部、嬉しくなる……
月の日って、いつも憂鬱だったのに……」
セラが娘の肩を優しく叩いた。
「そうね……気持ちまで楽になるかもしれないわ」
リヴは次に、ナプキンを取り出した。
地球産の薄いものと、スライム粉の試作品。
どちらも、小さな布のように見える。
「じゃあ、こちらは……下にこうやって当てるの」
リヴは地球産で動きを示す。
「えっ……下着に挟むの? 落ちないの?」
ラナが心配そうに尋ねる。
「そう思うよね。でもね……落ちにくい作りになってるよ。
そして、スライム粉の方は……こっちの布に縫い付ける形にしたんだ。
布は洗って何度も使えるよ」
セラが試作品を持ち上げ、裏側をじっと見る。
「……本当に、きれいに作ってあるのね。
こんなに薄く縫えるなんて……街じゃ無理だわ」
リヴは二人を見ながら言った。
「じゃあ、一度履いてみてね。
中で当ててみて……違和感とか痛いところがあったら、言って」
ラナが小さく手を挙げた。
「ねえ、リヴ……痛くないの?」
「うん。ここ、肌に触れるところがふわっとしてるから。
布より冷たくないよ」
その説明に、ラナは胸を押さえ、ぽつりと言う。
「……あ……冷たくない……って……それだけで……ちょっと泣きそう……」
セラがそっと娘の背を撫でる。
「大丈夫よ。今日は全部確かめましょう」
リヴはショーツとナプキンのセットを二人に渡した。
「じゃあ、向こうの仕切りの裏で着替えてみてね。
履き方が分からなかったら呼んで。
わたし、ちゃんと手伝うから」
ラナは緊張と期待が混じった顔で、着替え場所へ駆け込んだ。
「よ、よし……っ、がんばる……!」
セラは落ち着いた足取りで後に続く。
「ラナ、紐じゃないから転ばないようにね」
「お母さんこそ!」
二人の声が仕切りの向こうに消えていく。
リヴは袋を抱えたまま、ふうっと息を吐いた。
「……試着してるときが、いちばん大変なんだよね……
でも……今日の二人、本当に嬉しそう……」
ショーツとナプキンに、不安と期待が混ざる時間。
それは、はじめて月の道具を変える女性たちの
どこか神聖な儀式のようでもあった。
ラナが驚いた声を漏らしながら、腰をそっと触った。
「……なんでこんなに落ちてこないの……?
いつもみたいに紐でぎゅってしてないのに……」
セラも自分の腰に手を当てて、ゆっくりと確かめる。
「本当……紐じゃないから苦しくないのに、ちゃんと止まっているわ……。布が落ちてくる不安がなくなるだけで、こんなに違うなんて……」
リヴが二人の反応を楽しそうに眺めながら、ふっと笑った。
「それはね……ここに“ゴム”っていう紐みたいなものが入ってるからだよ」
ラナがぴょこんと顔を上げた。
「ごむ……? この伸びるやつ?」
「うん。細いけど強くてね、体に合わせて伸びたり縮んだりするの。
だから紐で結ばなくても落ちてこないし、動いても邪魔にならないんだよ」
ラナが目を輝かせて、腰をぽんぽんと叩く。
「えっ……これ売り物じゃないの!? 絶対にほしいよ……!」
リヴは少しだけ顔を曇らせた。
「うーん……それがね……今のところ、ナオキが少ししか持ってこれないんだ。
だから、このゴムを使ったのは見本のショーツ”だけなの」
ラナがしゅんと肩を落とす。
「えぇ……じゃあ、この楽さ……手に入らないの……?」
セラが娘の背を軽く撫でて慰める。
「ラナ。少しは手に入りにくい物だって仕方ないわ。
けれど……これは本当にすばらしいものよね」
リヴはそんな二人に、少し声を落として続けた。
「でもね、ナオキに頼めば……セラさんとラナの分くらいなら、こっそり仕入れてくれると思うよ」
ラナの顔がぱっと花のように明るくなる。
「ほ、ほんと!?じゃあ……!」
リヴが人差し指を口に当てて小さく笑った。
「ただし……絶対に内緒だよ。
出どころが知られたら……貴族が全部独占しようとする。
“女が楽になる道具”って、すぐに価値を見抜くと思うから」
セラが息を呑む。
「……そうね。女の暮らしが変わる物だもの。
力のある人たちに知られたら……あっという間に囲い込まれてしまうわ」
ラナは腰を押さえたまま、小さく首を振った。
「やだ……そんなの絶対いや……!
だって、街のみんなが困ってるのに……そんなの違うよ」
リヴはやわらかく微笑む。
「うん。だからこそ……
これは“ごく少量の特別品”、
街で売るのは“異世界産の紐ショーツとスライム粉ナプキン”にして分けるつもりなんだよ」
セラが理解したように頷く。
「なるほど……。貴族は高級品を欲しがるでしょうけど、
街で広がるのは、こちらで作れる物……というわけね」
ラナが胸をなでおろし、明るい声で言った。
「ふぅ~……よかった。じゃあ、みんなも楽になれるんだね」
リヴは満足そうに微笑む。
「それがナオキのねらいだよ。
“楽になれる人が増えるなら、それでいい”っていう人だから」
セラも穏やかに笑った。
「ええ……あの人らしいわね。
本当に……誰より優しい」
三人の視線が重なり、
下着一つで、こんなに心が晴れるのかと思うほど
空気が明るくなっていた。
扉の向こうで足音が三つ、軽やかに揃った。
続いて、控えめに扉が叩かれる。
「戻りました」
セラの声は落ち着いているのに、どこか柔らかく弾んでいた。
ナオキとヴァルターが視線を向けると、
三人は少し頬を赤くしながら部屋に入ってきた。
ラナは両手を後ろに隠し、こそこそ歩く。
「ど、どうだったんだ……?」
ヴァルターが腕を組んだまま尋ねる。
ラナは反射的に声を上げた。
「すっごい!! もう!!
動いても落ちてこないし、痛くないし、なんか……
なんか、布が腰と仲良しなの!!」
「仲良し……」
ナオキが小さく笑った。
セラは深く息を吸い、静かに言葉を選んだ。
「……まず、履いた瞬間の“柔らかさ”に驚きました。
今までの紐下着だと、動くたびに擦れたり、食い込んだりして……
月の日は特に負担が大きかったけれど……
これは体に寄り添うだけで、何も痛まないの。
歩いても、階段を上がっても、布がついてくる感じなのよ」
ラナが勢いよく頷く。
「そうそう! 階段で落ちてこなかったの、初めてだよ!」
ヴァルターは思わず目を細めた。
「……そこまで違うのか」
リヴがその横で笑いながら言う。
「ね。動きを邪魔しない形になってるんだよ。
森を歩く私でも楽だったし、月の時でも動きやすくなるよ」
ラナは胸の前で手を合わせ、興奮ぎみに言った。
「あとね、当てるやつ!
あれ、びっくりするくらい冷たくないの!
いつも最初に“ひやっ”ってして嫌だったのに……
今回は全然……むしろ安心したの。
“ちゃんと守ってくれてる”って感じ!」
セラも穏やかに続ける。
「吸い込み方も全然違ったわ。
さっき水で実験したときと同じで……落とした瞬間に吸い込んで、
触っても表面が湿っていない。
本番の時とは違うけれど、これなら冷えや蒸れが少ないだろうと分かるわ。
試作品の方も、今までの布とは比べものにならない。
少し硬いけれど、これは十分“道具”として使えるわね」
リヴが補足する。
「スライム粉はね、まだ固まり方が均一じゃないの。
でも量産しやすいし、改良すればもっと良くなると思う」
空気が少しだけ静まり、三人の表情がさらに深く変わっていく。
ヴァルターが顎に手を添え、
ゆっくりと表情を引き締めていく。
「……つまり、商会としては二段構えで扱えるというわけだな」
ナオキは落ち着いて頷いた。
「うん。
特別品としての“高品質の方”は、ごく少数。
街の女性に広げたいのは“こちらで作れる型”と“スライム粉版”。
その方が広がりやすいし、誰かに独占される心配もない」
ヴァルターは深く息を吐いた。
「たしかに……その方が街に定着する。
女の負担を減らし、価格も管理できる。
……だが一つだけ聞きたい」
彼はセラとラナを見た。
「本当に、そこまで違うのか。
父親として……娘の生活が変わるほどのものなのか」
セラはまっすぐ夫を見返した。
「ええ。変わるわ。
負担が減るだけじゃないの。
動くことを怖がらなくなる。
娘を守る道具として、これ以上のものはないわ」
ラナも拳を握り、前に出た。
「お父さん!
ほんとに、ぜんっぜん違うんだよ!!
あたし、これがあったら……
“今日は外に出られない”って泣く日、なくなってたと思う。
もっと友達と遊びたかった日……いっぱいあったんだよ……」
ヴァルターの目がわずかに揺れた。
商人ではなく、父親の表情だった。
「……そうか」
ナオキは三人を見守りながら、やわらかく言った。
「女性が少しでも楽になって……
外に出るのを怖がらなくなるなら、それだけで価値があるよ。
そのための工房を作りたいんだ」
静かに告げたナオキの声は、
決して強くも偉そうでもない。
ただ、相手の痛みに寄り添う人間の声だった。
その瞬間、
セラの表情がふっと揺れた。
長い間、
当たり前だと思ってきた苦しみ。
誰にも言えず、誰からも理解されず、
女だから仕方がないと自分に言い聞かせ続けてきた日々。
その全てを、
一言でほどくような声だった。
「……そんなふうに……
女の苦しみを“怖さ”だと言ってくれる人……
今まで、一人もいなかったわ」
目元に光が滲み、セラはそっと指先で押さえた。
ラナは胸を抑え、
こぼれるように言葉を漏らした。
「……わたし……
月の日が来るたびに、外に出るのが怖かった。
走ったら落ちるかもって、いつも思ってた……
痛いの、冷たいの、誰にも言えなくて……
でも……ナオキは……
“怖がらなくていいようにしたい”って……
そんなふうに言ってくれる人、ほんとにいないよ……」
言葉が途切れ、ラナは胸元をぎゅっと押さえた。
震える息を一度こらえて、ふっと視線を落とす。
「……ほんとはね……
ずっと、誰かに分かってほしかったんだよ……」
それは、
少女がようやく口に出せた、
たった一つの本音だった。
押し込めていた寂しさでも、
毎月こぼれそうだった不安でもなく、
“誰かが味方になってくれるだけでよかった”
という祈るような小さな声。
その瞬間、
セラがそっとラナの背に手を回し、
リヴが横で静かに寄り添い、
ナオキはただ、まっすぐその痛みを受け止めていた。
リヴが二人の隣に寄り添い、
静かに手を重ねた。
「ナオキは……本当に、やさしいよ。
誰がどんなふうに生きてるのか、ちゃんと見てくれる」
三人の女性の間に、
暖かい空気がゆっくり満ちていく。
そして──
ヴァルターはしばし黙してその光景を見ていた。
商人としての計算ではなく、
父として、夫として。
大切な家族が、
こんなにも毎月の痛みに怯え、
それでも笑って生きてきたことを、
初めて真正面から知らされた男の沈黙だった。
拳をぎゅっと握り、
ゆっくり、深く息を吐く。
「……そうか……
女は……娘は……
そんな思いをして生きてきたのか……」
声は低く、震えていた。
ヴァルターはしばし黙し、
やがて商売人としての鋭さと父としての温度を混ぜた声で言った。
「……工房、やるぞ。
この街の女たちのためにも、必要なものだ」
ナオキは深く頷いた。
──こうして、
街の女性たちの暮らしを変える“縫製工房計画”は、
本格的に動き出した。




