第10話:薬草の秘密と、黄金のスパイス
アパートに帰り着き、ウロ(拠点)へと戻る。
ナオキは、補充物資をウロの隅に積み上げて整理していると、
ガサッ
ウロの「森側の出口」から、物音がした。闇の中から現れたのは、足を引きずったリヴだった。彼女はナオキを警戒しつつも、敵意のない足取りでウロの中に入ってきた。
そして、背負っていた汚れた袋を床に下ろし、中から「何か」を取り出した。
それは、「奇妙なキノコ(干したもの?)」と「青黒い薬草」の束だった。
リヴはそれらをナオキの前に置いた。
そして、次に、ナオキが物資を積み上げている隅――「カロリーブロック」が置いてある場所――を、強く指差した。
言葉はなくても、意思は明確だった。
(「対価を持ってきた。あの美味い『乾いた土』をよこせ」)
ナオキはバールを置き、静かにキノコと薬草を見た。これが、記念すべき「最初の利益」だ。
「わかった、わかったよ、リヴ」
ナオキは頷き、まずリヴが指差したカロリーブロックの箱を手に取った。彼女に一本渡し、自分も一本口に運ぶ。その際、ナオキはそっと「角砂糖の小さなポリ袋」をポケットに忍ばせた。
(まずは、リヴが持ってきたものが本当に価値があるのか、価値見極めだ)
ナオキはリヴがカロリーブロックを食べている間に、ブルーシートの上に薬草を広げ、スマホで写真を撮り始めた。
(キノコは……手を出すな。毒性の判断がつかない。薬草はリヴの回復力を見た感じ、間違いなく傷に効く。抗炎症作用か、強力な収斂作用か……)
彼の頭は、金儲けではなく、早くも「成分分析」という知的好奇心の領域へと切り替わっていた。
「リヴ」
ナオキはリヴを呼び、スケッチブックを取り出した。彼はリヴの治りかけの傷の絵と青黒い薬草の絵を描き、リヴが「傷に効く」ことを確認した。
彼女は薬草の絵を指差し、深く頷いた。そして、その薬草を食べるジェスチャーをした後、自分の傷口を指差した。
「%#$&’」
(食うのか、塗るのか……いや、どっちもか)
ナオキは「この薬草は傷に効く」という確信を得た。
次にナオキは、自分が用意してきた角砂糖の袋を、リヴの目の前で振ってみせた。
リヴの目は、先ほどカロリーブロックを見た時よりも、明らかに異常な輝きを帯びた。
ナオキはスケッチブックに「カロリーブロック」の絵と「角砂糖」の絵を描いた。ナオキは指で「=(等しい)」の印を作った。
(「カロリーブロック」と「角砂糖」は交換できるか?)
リヴは、角砂糖の絵を前に、ゴブリンを見た時以上の激しい動揺を見せた。
彼女は、頭を激しく振った。そして、自分のポーチをまさぐり、魔物から採取されたらしい、輝く小さな石を数枚取り出した。
(ラノベでよくある魔石か?)
リヴは魔石(?)を角砂糖の絵の横に置き、必死にナオキに訴えるジェスチャーをする。
(……嘘だろ。その魔石(?)と、この角砂糖が等価だと? やっぱり異世界では砂糖はそうと価値があるようだ。)
純度99.9%の角砂糖は、この異世界では、途方もない価値を持つ超戦略物資だとナオキは理解した。
ナオキは、この交易の「ヤバさ」を、完全に理解した。
「わかった、わかった。リヴ」
ナオキは角砂糖の絵と魔石(?)を指差し、両手で大きく「×」を作った。
「これは、交換しない。今は、しない。このことは、絶対に誰にも言うな」
彼はそう伝え、彼女の目の前で、スケッチブックのそのページを破り捨てた。
角砂糖の価値の確認は終わり、ナオキは次に「文明の料理」の検証へと移った。
ナオキはウロの隅からカセットコンロと鍋を取り出し、水道水を注ぎ、温め始めた。
リヴはナオキが魔石も詠唱もなしに、ツマミ一つで火を安定して召喚し、調整する姿に、昨日以上の恐怖と畏怖を覚えた。
ナオキは自分の食事を鍋に入れ、温め始めた。
リヴは、ナオキが持ってきた干しキノコを「食料」として見つめている。
ナオキは、リヴが持ってきたキノコを指差して「食うのか?」とジェスチャーで尋ねた。リヴは頷いた。
リヴは、その干しキノコをそのまま口に運んだ。その瞬間、彼女は眉をひそめた。
(リヴも不味いのか。この世界のキノコは、調理技術がないとこんな味なのか……)
ナオキは自分のレトルトスープが温まるのを待ち、皿に盛る。
そして、ウロの隅の荷物から、リヴがまだ知らない「黒い粒」の小瓶をそっと取り出した。
ナオキは炒め物ではないが、自分のスープにその「黒い粒」――胡椒――をごく少量、振りかけた。
リヴはナオキの奇妙な行動を観察している。
ナオキはフォーク(これもリヴには奇妙な道具)でスープをすくい、一口食べた。
黒い粒の刺激的な辛味が、スープの単調な味を一気に引き立てる。
「……うまい!」
リヴは、ナオキが驚愕の表情を浮かべたことに困惑し、その「黒い粒」とキノコを、恐る恐る口に運んだ。
次の瞬間、リヴの瞳が信じられないほどの驚きに満ちた。
(これは……! 貴族が使うという「あの薬」の、強烈な香り……!?)
ナオキが振った「黒い粒」――ブラックペッパー(胡椒)こそ、この世界では「金」に匹敵し、王侯貴族しか使えないスパイスの王様だったのだ。
ナオキは、リヴの分の皿にもキノコを盛り、胡椒を振った。
彼女の顔は驚きと畏怖に満ちていたが、そのキノコを食べるために、ナオキへの警戒心を一瞬だけ緩めた。
その後、ナオキは自分のデイパックの奥から、昨日激安スーパーで買ったクリームパンを一つ取り出した。
「これは、リヴも頑張ったご褒美だ」
ナオキはそう言って、包装を丁寧に開け、ふかふかに柔らかいクリームパンをリヴに差し出した。
リヴは、その奇妙な白さと、パンの表面に流れる黄色の艶に、目を見開いた。彼女の集落で焼くパンは、硬く、黒く、酸味が強い。こんなに柔らかなパンは、見たことがなかった。
彼女は恐る恐るパンの端をちぎり、口に運んだ。
パンの信じられないほどの柔らかさにまず驚く。そして、その奥から現れたカスタードクリームの強烈な甘味と、滑らかさ。
「――ッ!!!」
リヴの瞳は、角砂糖や胡椒を見た時の「戦略的価値への衝撃」とは、全く異なる純粋な感動で満たされた。彼女の全身の警戒が解け、顔が子供のように綻んだ。
(これは、食べ物ではない……! 天上の菓子だ。こんなに柔らかく、そして甘い。この世に存在する全ての贅沢が、この一片に詰まっている……!)
ナオキは、リヴの表情を見て、強く確信した。
(よし。この笑顔だ。俺がやるべきは、この世界の生活に、こんな小さな「歓喜」を一つずつ持ち込むことだ)




