24.怪物のねぐら
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うっすらと色を失いかけた空の水色と、深い海の青が静かに接する境界線をぼんやり眺めながら、ミザリーは、自室に運ばせた紅茶を片手に、静かに記憶に浸っていました。
柔らかな陽の光が、バルコニーに面した背の高い窓から差し込み、テーブルの半分を白く溶かしています。
いつもより海風が騒がしかったので、窓は締め切っていましたが、草木の煽られる様子から、吹き付ける風の強さが伺えました。
海は静かですのに、屋敷のある高台だけに風が吹きつけているように感じられ、不思議な気分を味わいながら、その朝は久しぶりにエマのことを思い出していました。
昨夜エマの夢を見たことが原因でしょう。あまり内容は思い出せませんでしたが、エマの流した涙の記憶だけは鮮明に残っていました。
エメラルドに輝く涙の雫だけが、やけに美しく輝いて流れたので、脳裏に焼き付いてしまっていたのです。
魂を浄化させるような美しさを感じましたが、夢と共に蘇った記憶が、かえって心を沈みこませていました。
深いため息を一つつくと、ゆっくりとティーカップを置いて立ち上がり、窓辺に近寄りました。
もっとよく、海を眺めたくなったのです。
そのとき、ドアが激しくたたかれました。
「奥様! 急いでください。王様が突然お越しになられました!」
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玄関ホールにたどり着くと、もう王様は、憲兵隊らと共に屋敷に踏み入っていました。
物々しい雰囲気が周囲に満ちていて、討伐隊がまさに今、怪物のねぐらに踏み込んだというばかりの緊迫感が漂っていました。
王様は、睨みつけるような目つきで屋敷の中をうかがっていましたが、ミザリーの姿を認めると、さらに険しい顔つきになり、ずかずかと足早に近づいてきて静かに言いました。
「ついてこい!」
王様の命令は絶対でした。
何事かよく分からないまま、ミザリーは震える腕を抑えながらうなずきました。
返事をしようとしましたが、恐ろしくなってしまい声が出なかったのです。
こんなときなのに、頼りのブラッドは仕事に出かけていて、留守にしていました。
王様の来た理由は分かりませんでしたが、ミザリーには隠さなければならない秘密があります。それが不安を呼び起こし、ブラッドの不在が拍車をかけ、呼吸までが浅く苦しいものになっていました。
王様は皆を後ろに従えて、黙って廊下の入り口に向かうと、ためらうことなく重々しい一歩を踏み入れました。
震える膝を抑え、足をもつれさせながらついていきましたが、王様は立ち止まることなく進んでいきます。
そうして、地下室へと続く入り口の扉の前に来ると、ピタリと立ち止まりました。
恐ろしい予感を抱きながら歩いていたミザリーは、息を呑みました。
『まさか!?』
一瞬で心臓が冷たく冷えて、力の抜けてゆく膝にどうにか力を込めていましたが、壁に寄りかかって支えなければ、座り込んでしまいそうになりました。
血の気の引いたミザリーに気を留めることなく、王様は、家の者に燭台を持ってこさせました。
燭台が到着するまでのあいだ、ミザリーは、ブラッドのことを疑いました。
しかし、ブラッドが【あのこと】を他人に話すはずがありません。
『では、何故、王様たちがここに来たのだろう!?』
ミザリーの頭は混乱し、恐怖と不安、様々な憶測が渦を巻きました。
燭台が届くと、王様は一呼吸も置かずに、先に立って地下への階段を下りていきました。
憲兵隊たちも王様の後を追います。
王様の一行は、階段を降りきると、ずんずん奥へと進んでいきます。
そして、とうとうワインセラーの前にたどりついたのです。
ミザリーは、恐怖のあまり全身で震えていました。
『王様が知っているわけない!』
階段を下る途中に、何度も、頭の中でこの言葉を繰り返しました。
そのはずなのに王様は、中に入ると迷うことなく、秘密の部屋へのワインを引き抜いたのです。




