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2.エマ

                 ※ ※ ※ 


城のある山の中腹、南に突き出した高台に、大きな資産家の屋敷がありました。

足元には街並みが広がり、その向こうには海が見え、潮風がいつも心地よく吹き寄せてくるのです。

そこには、継母と幾人かの召使たち、そして一人の少女が暮らしていました。

少女の名はエマ──十歳になったばかりの、可愛らしくて優しい子でした。


お父さんを亡くしたばかりで、胸の奥は深い悲しみに包まれていましたが、エマはそんな様子を人前で決して見せませんでした。

学校では勉強がいつもいちばんで、友達もたくさん。先生たちからも愛され、いつも明るくニコニコしていました。


七歳から習い始めたピアノも上達し、油絵にいたっては、もっと幼い頃から屋敷に先生を招いて習っていましたので、大人も感心するほどの腕前を見せていました。   

そう、エマは小さな頃から、絵が大好きでした。


まもなく三歳になろうとしていたときのこと。

お父さんの描きかけだった絵に、落書きをしてしまった出来事が、その「大好き」の始まりだったのです。


お父さんはエマが生まれるずっと前から、屋敷の片隅に、趣味の絵を描くアトリエを設けていました。


エマは優しいお父さんが大好きでした。だから、お父さんが屋敷にいる日は、ぴったりくっついて離れませんでした。


まだ三歳にもならないエマは、その日も絵を描いているお父さんの横で、人形遊びをしていました。

お父さんは、大人しく遊んでいるエマを置いて、ちょっとだけアトリエを離れ、用事を済ませ、戻ってきて驚きました。


なんとエマが、真面目な顔つきをして、その絵に落書きをしていたのです。


その姿を見たお父さんは、怒るどころか、うれしそうに微笑みました。


「この子も、やっぱり絵が好きなんだ!」


さっそく次の日には、絵の先生を屋敷に招いて、一緒にエマにも絵を習わせ始めました。


おかげで、五歳になる頃にはもう、しっかりとしたデッサンが描けるようになっていました。

絵を描くのが、どんどん好きになっていったのです。

けれど、絵よりも、もっと好きな人がいました。


それは、お父さん。


でも、本当は、そのお父さんよりも、ずっとずっと好きな人がいたのです。

まだ一度も会ったことのない、お母さんでした。


エマのお母さんは、エマが生まれるとすぐ、病気で亡くなってしまいました。

だから、エマはお母さんのことを知りません。けれどもお父さんがいつも、エマにお母さんの話をしてくれていたのです。


それに、お墓もすぐ近くにありました。


お母さんのお墓は、屋敷からいちばん離れてはいましたが、庭の隅にあったのです。

そこからは海がよく見え、心地よい潮風がいつも吹き寄せていました。

まわりは花畑に囲まれていて、とてもよい香りが漂い、そこに寝転がっていると、まるで『別の世界』にいるように感じるのです。


エマは、お母さんのお墓に行くのが大好きでした。


それなのに、一人で行くことを固く禁じられていました。

そこへ行くのには、ギシギシと軋む、揺れる縄梯子を渡らなければならなかったからです。

広い庭のなかに、裏の山から流れ込む川が、深い谷を作っていたのです。

ですから、お父さんが仕事の無い日に、連れて行ってくれるときにしか、お母さんのお墓へ行けませんでした。


でも屋敷には、お母さんの絵がいたるところに飾ってありました。

お父さんが描いた絵です。


お父さんとお母さんは、まだ二人共、とても若い頃に知り合ったのだそうです。

お父さんはその頃にはもう絵が大好きだったので、お母さんの絵をたくさん描いたそうなのです。


「お母さんは今も、これからも、ずっーと、天国からエマを見守ってくれているんだよ」


お父さんはお母さんの絵の前で、よくそう言ってくれました。

そのおかげでエマは、いつもお母さんを身近に感じながら育ちました。


「お母さんって、どんな人だったの?」

 

そう尋ねると、お父さんは決まってこう答えるのでした。


「いつもニコニコしていて、明るくて、とっても優しい人だったのだよ」


ですからエマも、いつもニコニコとまわりの人たちに笑顔を振りまいていました。

お母さんみたいになりたかったからです。

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