18.逃走
※ ※ ※
「誰だ!」
ブラッドが、鋭く叫びました。
エマは、カーテンの陰から一歩踏み出しました。
「エマ!? な、何してるの? こんな……」
ミザリーは驚いて、ブラッドのそばから離れました。
エマは、聞かずにいられませんでした。
「お父さんを殺したの?」
真っ直ぐに、ブラッドの顔を見すえました。
するとその表情が歪み、ぞっとするほどの冷たさが、顔全体にすうっと広がっていきました。
「やだ? ちょっと、エマ! 何言ってるの……? いいから、こっちに来なさい!」
ミザリーが言うと同時に、ブラッドが一気にエマに飛び掛かりました。
とっさにエマは飛び退いて、扉の方へ走りました。
「エマ! 待ちなさい!」
ブラッドも走り出しましたが、一瞬振り返り、叫んだミザリーを
「シーッ!」
と仕草で黙らせました。
その時エマは、手にした燭台を力いっぱい投げつけました。
ブラッドは反射的に避けようとして、滑って床に転がりました。
ほんのわずかでしたがエマは、ブラッドを振り離す事に成功したのです。
床に這いつくばったブラッドは、恐ろしい形相で立ち上がり、エマの後を凄まじい勢いで追いかけてきました。
エマは食堂を出ると、玄関の方へと全速力で走りました。
怖くて、声も出ませんでした。
廊下がジグザグと何度も曲がっていたおかげで、ブラッドより小回りの利くエマは、追いつかれる事無く、どうにか玄関ホールまで走り出る事が出来ました。
しかし、玄関の扉までは真っ直ぐで距離もありました。
『このまま行ったら捕まる!』
まだ、ブラッドは玄関ホールに出て来ていませんでした。
玄関ホールからは、幅の広い階段が二階へと真っ直ぐに延び、その登り口の両脇に、屋敷の奥へと通じる廊下の入口があいていました。エマは、その一方から飛び出してきたのです。
考える間もありませんでした。階段の前を横切って、出てきた方とは別の廊下に飛び込んだのです。
そこから全力で秘密の部屋を目指しました。
地下への扉は廊下の先、屋敷の一番奥にあったのです。
もう、何も考えられませんでした。
ただひたすら、お母さんのもとに逃げ込みたかったのです。
※ ※ ※
エマが廊下に飛び込むと同時に、ブラッドはホールに飛び出しました。
玄関ドアの方に行きかけ、あたりを見渡し、
『いない!』
舌打ちをして振り返ると、そこからは階段が二階へと延びていました。しかし、すぐにもう片方の廊下の入り口の方に目をやりました。
『あっちだ!』
この短い間に、階段を上がり切る事などできるはずがないと踏んだのです。
そこに、ミザリーも駆け出して来ました。
ふたりはすぐに二手に分かれ、エマを挟み撃ちにすることにしました。
玄関ホールから出る二本の廊下は、屋敷の奥で一つに繋がっていたのです。
猶予はありません。他の部屋に隠れられたり、そこから外に逃げられる可能性もあります。召使達の部屋に逃げ込まれたら、もっと面倒なことになります。
ブラッドはすぐさま、エマの逃げた方の廊下に入りました。
靴音を絨毯に沈め、耳を澄ませながら進みます。
かすかに、走り去る足音が聞こえました。
一つ目の部屋の扉の前に差し掛かった時、奥の方で扉の開いて閉まる音がしました。
「バカめ……。地下に逃げ込みやがった」
音のしたあたりの距離で、見当が付いたのです。
ブラッドは走って地下への扉の前にたどり着くと、反対側からミザリーがやって来るのを待ちました。
ほどなくミザリーがエマと鉢合わせする事無く現れるのをみて、エマが地下へ逃げ込んだのだと静かに確信しました。
『追い込んだ』
ブラッドの口もとが、ゆっくりと不気味に歪みました。




