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パラレル邪馬大国/セア・テア  作者: 三井咲也
再会の陽だまりと、動き出す刻
39/41

39話 開幕


 「事前に話はあったが――そうか。貴様か」


 その男、バーンズが冷淡に口を開いた。


 吹き飛ばされた仲間の凄惨な姿に、戦場を支配していた喧騒が一瞬にして凍りつく。

 その沈黙を破り、ゆっくりと歩み寄ってきたのは、岩山のような威圧感を放つ男であった。

 身長は180センチほど。戦士としては長身の部類だが、決して岩のような巨漢ではない。むしろ、無駄な肉のない引き締まった、いわば普通の体格。しかし、彼が引きずる白銀の鎧と、その身の丈ほどもある巨大な大剣が、その普通を異様なものへと塗り替えていた。

 その体格で、なぜそんな鉄塊を片手で扱えるのか。

 無造作に地面を引きずる大剣が、不快な金属音を夜の谷底に響かせる。男は首を僅かに傾け、値踏みするように周囲を見回した。


 「――お前たち、下がれ。私がやる」


 その一言で、場の空気が一段階重くなった。

 ガレットの表情が、先ほどまでとは比較にならないほど険しくなる。その殺気を感じ取ったエルフの精鋭たちは、一切の異論を挟まず、流れるような動作で後退した。


 「こちらもだ。下がっていろ」


 バーンズが背後の人族兵たちに短く命ずる。


 「しかし――」


 ドシュッ、という乾いた音がした。

進言しようとした兵士の頭が、次の瞬間には地面を転がっていた。抜剣の予備動作すら見せない、あまりに速すぎる解体であった。


 「ほう。味方の首を平然と飛ばすとは。人族というのは、噂通り冷酷で野蛮な種族だな」


 ガレットが目を細め、目の前の怪物――バーンズを冷たく射抜く。

 だが、その凍りつくような対峙を、背後から飛んできた暢気な声がぶち壊した。


 「ちょっと待て! 酷いのじゃ! ワレはそんなことせんぞ!」

 「ちょっ、姉さん! (あくまでこの世界の人族の話だってば! だから静かに――!)」


 ヒミコが憤慨したように声を上げ、ミナトが小声で慌ててそれを宥める。

 緊迫した戦場に、場違いな姉弟の掛け合いが響き渡った。


 「じゃがミナトよ。エルフの国はミルナスとは国交があるらしいぞ? 他にもあるらしいが」

 「えっ、そうなの? ……じゃあ、なんで『人族は冷酷で野蛮』とか一般化して言ってるの? ガレットさんがそういうこと言うのって、外交問題にならない? 大丈夫?」

 「――さぁ?」

 「ええっ? 何『さぁ』って。じゃあ、今のこの会話、どこに着地させればいいの?」

 「……どこじゃろか?」

 「――何それ!」


 エルフは、耳が良い。

 たとえ多少離れていても、風に乗って届く彼らの会話は、戦場にいる全員の耳に届いてしまう。

 なんなら、耳のよくないはずの人族の兵士たちにさえ、しんと静まり返った戦場では丸聞こえだった。


 「……失礼した」


 静まり返る中でポツンと声を出すガレットに注目すると、その端正な顔は僅かに赤らんでいた。自分たちの会話が筒抜けだった恥ずかしさか、あるいはヒミコの発言への怒りか。どちらの意味かは分からぬが、彼女は咳払いを一つして、バーンズに向き直った。


 「そろそろ良いかな? スピリットキングダム四隊長が一角、ガレット殿……」

 「……ああ。私も名前を伺っても良いのだろうか?」

 「アーシス国、第二軍大隊長。バーンズ・ヘルフェナスだ」


 再び静寂が訪れる。今度は、二人から発せられる研ぎ澄まされた空気が、物理的な圧を伴って周囲へと伝播していく。


 「一つ聞いても良いかな?」

 「……何かな?」

 「このままこの獣人たちを解放し、速やかに回れ右をして帰るのはいかがだろうか? これ以上誰も傷つかない、最善の案だと思うのだが」

 「……無理だな」


 バーンズの即答に、ガレットは剣先で足元の小石を軽く叩きながら考え込む。


 「お前たちが、ラズウォート帝国の命で獣人を連れ去っているのは知っている。かつて、我が同胞たるエルフをも攫おうとしたこともあったな? クズな冒険者や奴隷商人、さらには密偵を使い、我が国の先代国王を暗殺しようとしたことも……。まあ、貴様らは否定していたがな」

 「………」


 バーンズは無言で、ただガレットを凝視している。ガレットは冷徹な眼差しで畳みかけた。


 「これ以上罪を犯すな。奴らを解放し、帰れ」


 重苦しい沈黙の後、バーンズは低く、地を這うような声で応えた。


 「……お前たちに、何が分かる?」


 バーンズの掠れた声が、夜の静寂に沈殿する。

 その瞳の奥で、どす黒い記憶の澱が、濁流となって溢れ出した。


 

 ◇



 十数年前。バーンズ・ヘルフェナスは、アーシス王国で夜明けの剣と謳われた若き騎士だった。

 当時の彼は、誰よりも真っ直ぐに正義を信じていた。その180センチの引き締まった体躯は、力ではなく技と志のためにあり、彼が携える大剣は、ただ民を守るための盾であった。


 「バーンズ様! 今日も稽古をつけてください!」


 朝陽の差し込む訓練場。彼を慕って集まる街の子供たち。バーンズは、彼らの泥だらけの手を握り、自分の大剣の柄を握らせてやった。


 「いいか。剣は人を傷つけるためのものではない。誰かの涙を拭うために、その腕を磨くんだ」


 そう語る彼の横顔には、一点の曇りもなかった。

 彼には、共に未来を誓った婚約者がいた。彼女と歩む街並み、平和な夕暮れ、王都に響く教会の鐘。そのすべてが、彼にとっての守るべき世界のすべてだった。

 だが、その平穏は、北方の巨龍――ラズウォート帝国の鉄靴によって無残に踏みにじられた。

 帝国は武力による完全な殲滅をあえて選ばず、アーシスを飼い殺しの属国にすることを命じた。

 帝国の使節は、アーシスの現国王――あまりに清廉で、争いを病的に嫌う慈悲深い王のいない密室で、バーンズを含む騎士団の幹部に血塗られた契約書を突きつけた。


 『アーシスの民が明日もパンを食べられるかどうかは、貴卿らの誠意次第だ。……周辺の村、そしてエルフの森から獣人を狩れ。我が帝国の資源として、定期的に納品しろ。さもなくば、この王都を一夜にして灰にし、貴公らの王を家畜として市場に並べるだけだ』


 バーンズは絶望した。

 王に伝えれば、王は自らを犠牲にしてでも拒絶するだろう。そして、国は滅びる。

王の無垢を守るためには、誰かが王の知らない場所で、王の最も嫌う罪を犯し続けなければならない。


 『……汚らわしい仕事は、すべて私が引き受けましょう。陛下はどうぞ、そのまま平和の象徴であってください』

 バーンズは王に生涯最大の嘘をついた。

「陛下、私は国境警備隊の任に就きます。国境の静寂を守るため、しばらく王都を離れます」


 王は涙を流してバーンズの手を取り、「君のような騎士がいることが私の誇りだ」と言った。その温かな言葉が、バーンズにとってはどんな毒よりも鋭く胸に刺さった。


 それ以来、バーンズは国境警備という名の隔離地帯で、帝国の猟犬へと成り果てた。

 最初の一人を斬った日の感触を、彼は今も呪いのように覚えている。

 それは、かつて飴玉を配った少年と同じ、無垢な瞳をした猫族の子供だった。


 「助けて、お兄ちゃん」


 その小さな喉元を、震える手で一突きした瞬間、バーンズの中で何かが決定的に「死んだ」。

 一人の獣人を売れば、故郷の子供たちの命が一日繋がる。

 十人の獣人を売れば、婚約者の住む街が焼き払われずに済む。

 百人の獣人を売れば……。

 ――最初の一年は、毎夜、自らの手を血が出るまで洗い続けた。

 ――五年が経つ頃、彼はもう、自分の顔を鏡で見ることをやめた。

 ――十年が過ぎる頃には、攫った命が数千を超え、彼の心という器は、底が抜けたように空っぽになった。

 街には噂が流れた。「バーンズは国境で奴隷狩りに興じている」「アーシスの恥さらしめ」

 だが、王の耳にその声は届かない。側近たちは王の清廉さを維持するために情報を検閲し、「あれは帝国が我が国の団結を乱すために流した卑劣なデマです」と王に囁き続けた。

 バーンズは、王の無垢を守るための生贄として、国中から、そしてかつて愛した人々からも蔑まれる道を選び、孤独の中に沈んでいった。


 そして、数日前。帝国の使節は、冷笑と共にこう告げたのだ。

 『バーンズ大隊長。これまでの働き皇帝陛下は満足されている。……今回が最後の任務だ。この商品を納品し終えたなら、アーシスとの契約をすべて白紙に戻してやろう。貴卿は自由だ。英雄として王都へ戻り、王の隣で余生を過ごすがいい、アーシス国には二度と手を出さないと誓おう』

 

 それは、地獄の底に垂らされた、蜘蛛の糸のような希望だった。

 今回さえ終えれば。この最後の一度さえ、獣人を帝国へ引き渡せば。

 自分は再び「人間」に戻れる。王に、胸を張って会いに行ける。

 だからこそ、彼は退けない。

目の前に立つエルフが語る「正義」は、バーンズにとっては自分の救済を邪魔する「障害」に他ならない。

(あと一回。あと一度だけ、怪物になれば。……俺は、あの白銀の騎士に戻れる……っ!!)

 その希望という名の狂気が、彼の剣筋から迷いを消し去り、代わりに、神仏をも屠らんとする絶望的なまでの執着を宿らせた。


 「……正義? 笑わせるな」

 現実へと戻ったバーンズの声は、もはや人間のそれではなく、錆びついた機械の擦れる音のように響いた。

 彼の大剣が、ゆっくりと、だが山を動かすような重圧を伴って正眼に構えられる。


 「私の背負っているものは、光の中にいる貴様らが触れて良い重さではない。……この一振りに、私の『すべて』が掛かっているのだ……ッ!!」

 バーンズの白銀の鎧が、周囲の炎を吸い込み、ドス黒いまでの威圧感を放つ。

 彼にとって、この戦いは正邪の争いではない。

 過去の自分を取り戻すための、血塗られた儀式なのだ。


 「……死ね。すべてを終わらせるために」


 バーンズの身体が、地面を陥没させるほどの踏み込みと共に爆発した。

 

 音を置き去りにした一撃が、絶望の質量を伴って、ガレットの首筋へと振り下ろされる――。



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