31話 琥珀の街
「なんじゃガレット! そういうものがあるなら先に言わんかい! 危うくワレ、また二度目の檻の中にぶち込まれるところじゃったぞ!」
入国審査を終えた直後。ヒミコは地団太を踏みながらガレットに詰め寄った。
対するガレットは、魔法で隠したエルフ耳をピクリと動かし、心底疲れ果てた様子で溜息を吐く。
「……なるべく使いたくなかったのよ、これ。大体、騒ぎが起きれば兵士が来るなんて当たり前でしょ。少しは自重という言葉を覚えなさいよ」
◇
時間を数分前――ヒミコが「ガビーン!!」と白目を剥いた瞬間に戻そう。
「連れて行け」
衛兵隊長が冷酷な声を響かせた、まさにその時だった。
「――お待ちください」
馬車の中から、一人の女性が毅然とした足取りで降り立った。ガレットである。
隊長がぎろりと、彼女を射抜くような視線で睨みつける。
「なんだ? 貴様も一味か」
「その子は私の連れ――私が保護している子供です」
「だとしたら監督不行き届きだな。等しく詰め所まで来てもらおうか」
隊長の態度は岩のように硬い。職務に忠実なのは結構だが、今のヒミコたちにとっては最悪の障壁だ。
常識ゼロのヒミコが取り調べを受ければ、ボロが出るどころか国際問題になりかねない。
(……仕方ないわね。目立ちたくなかったけど)
ガレットは内心で舌打ちをすると、胸元から「あるモノ」を取り出し、隊長の目の前に提示した。
「……っ! それは……まさかッ!?」
隊長の目が、驚愕に見開かれた。
それを見た周囲の冒険者たちからも、地鳴りのようなざわめきが沸き起こる。
「おい、見ろよあのタグ……ブラックだ……!」
「嘘だろ、上位ランカーのAランクだってのか!? あんな若い娘が……!」
この世界において、Aランク冒険者はもはや一騎当千の精鋭に等しい。
そのタグは、並の通行証や身分証を凌駕する「強い信用」の証明だった。
「…………うーむ」
隊長は唸り、ヒミコとガレットを交互に見つめた。
先ほどまでの高圧的な態度は消え、その顔には「とんでもない貧乏クジを引いた」という苦渋の色が浮かんでいる。
「……チッ。そちらの『Aランク殿』が身元を引き受けようと言うなら、話は別だ。……だが、そのガキ……いや、お嬢さんの口の悪さは、公共の秩序を乱すレベルだぞ。厳重に注意しておけ」
「ええ、重々承知しているわ(主に私の胃がね)」
ガレットに首根っこを掴まれ、ヒミコはズルズルと引きずられていく。
背後では、シルバータグを没収されたマッチョ男たちが、絶望に染まった顔でガレットの背中を見送っていた。
◇
「大体なんじゃそれは! ずりーのだガレットだけ! 『ズッ友』に隠し事は無しじゃろ普通! ハヤテ! お前もそう思うじゃろ!?」
「ピィ?」
「ほれ、こやつも『ガレットは卑怯者だ』と言っとる!」
「……『何が?』って言ったのよ、ハヤテは。それに、あまりこういうのは言いたくなかったの。別に誇るモノでもないし」
「……あぁ?」
「何よ?」
無駄に火花が散り始めた空気を察して、マリアが慌てて間に入った。
「まあまあ落ち着いてください。ガレットに悪気があったわけではないのですから」
「そうだよ姉さん。それより、せっかく入国できたんだから色んなところを見てみようよ! ほら、あっち……潮の香りがする。やっぱり海の近くだったんだね」
「……あぁ?」
ようやく、周りの状況に意識を向ける事になったヒミコは、そこで思わず息を呑んだ。
入国の際、兵士がお決まりの定型文で「ようこそ、ミルナス国港湾都市、エオリアへ!」と叫んでいたのを、ヒミコは全く聞いていなかったのだが――。
高い城壁を抜けた瞬間、ヒミコの髪を強い潮風がなでた。
視界の先に広がっていたのは、今まで見てきた荒廃した景色とは対極にある、色彩豊かな「生」の光景だった。
整然と並ぶ赤レンガの建物は、陽光を反射して温かな琥珀色に輝いている。石畳の道は磨き抜かれたように滑らかで、その上を色とりどりの服を着た人々や、荷物を山積みにした馬車が、賑やかな音を立てて行き交っていた。
どこからか漂ってくるのは、香ばしく焼き上げられたパンの匂いと、大鍋で煮込まれた魚介のスープ、そして、この街の象徴である潮の香り。
見上げれば、建物の窓辺には色鮮やかな花々が飾られ、潮風を受けて回る小さな風車がカタカタと楽しげなリズムを刻んでいる。
「なんじゃ……ここには、あんなにたくさん人がおるのか」
露店商の威勢の良い掛け声、子供たちの笑い声、遠くの港から聞こえる鐘の音。
一度は全てが消えた暗闇の底を彷彿とさせた虚無感とは無縁の、圧倒的な生命力の奔流がそこにはあった。
「おぉ……! おお、いいな。ここは、実にいい!」
さっきまで地団太を踏んでいたことも忘れ、ヒミコは初めて下界に降りた子供のような瞳で、その活気に満ちた世界を見渡した。
「無事、入国できたようですね」
マリアがホッとしたように微笑んで振り返ると、後方から見覚えのある影が近づいてきた。
先ほど門の前で騒動になっていた、ルルーニャたち猫族の一行だ。彼らは少し申し訳なさそうに、耳をペタンと寝かせている。
「さっきはありがとうニャス。巻き込んでしまってごめんニャス……」
しょんぼりと肩を落とすルルーニャに、マリアが優しく言葉をかける。
「いえ、皆さんが無事で本当によかったです」
「そうだね。でも猫族の人たちは、いつもああいう目に遭っちゃうの?」
ミナトの純粋な問いかけに、ルルーニャは「しおしお」と擬音がつきそうな様子で顔を上げ、耳を震わせた。
「毎回ではニャイけれど、こういうことは珍しくニャイニャス。今回も、しばらく耐えていれば兵士が止めに来てくれると思ってたニャス。……でも、まあ、この街はまだマシな方ニャ。隣国のアーシスなんかは、もっと差別がひどいニャスから」
「そんな……ひどいですね」
「本当だよ。こんなに可愛いのに」
マリアが眉をひそめ、ミナトが率直な感想を漏らす。するとルルーニャは、照れくさそうに頬を掻いた。
「にゃ……そう言ってくれると嬉しいニャスが、できれば『カッコイイ』の方が嬉しいニャス。それに、ミナト殿のように最初から偏見を持たニャい人の方が、まだまだ珍しいのが現状ニャスよ」
ここ、ミルナス国では他種族共生の方針が取られている。多少の差はあれど、同じ知能を持つ種族同士、手を取り合おうという考えだ。
この方針が制定されたのは、ヒミコとミナトの両親が帰還した、数十年前のこと。徐々に偏見は薄れてはいるものの、先ほどの男たちのように差別的な言動を吐く輩は、いまだに少なからず存在している。
すべての人間の意識が変わるには、まだまだ時間がかかりそうだった。
「そっかぁ……」
少ししんみりした空気が流れる。それを払拭するように、ルルーニャが元気よく声を張り上げた。
「そうにゃす! お礼と言ってはにゃんにゃすが、今日はご飯をご馳走するニャ! おすすめの宿もあるニャスから、全部まとめておごらせてもらうニャス!」
「――肉はあるのか!?」
食い気味に、ヒミコが身を乗り出した。
「あ、あっ……あるニャス。最高に美味いのが……」
「よっしゃー!! 久しぶりの肉じゃあああ!!!」
先ほどまでの神妙な顔はどこへやら。
ヒミコは両拳を天に突き上げ、エオリアの街中に響き渡るような歓喜の声を上げた。
「……まったく、現金なやつね」
呆れたようにガレットが呟く。
琥珀色に染まり始めた街並みと、沈みゆく夕日を背景にして――。
誰もが自然と苦笑いを浮かべながら、いつまでも騒がしい少女の背中を、穏やかに見守るのだった。




