18話 価値
「……というわけなんです」
「………………んにゃ!? 何がニャス!?」
クランと一緒に一度帰宅した後、大人たちの商売が一段落したのを見計らって、私は再び広場へ向かった。行商人ルルーニャさんに、さっきの「お金を稼ぐ方法」を相談してみようと意を決したのだ。
けれど、頭の中で考えをまとめながら歩いていたせいで、口に出す前に「もう伝えた」と勘違いしていた。まだ若い。お茶目なミスということで自分を納得させた。
「あー、なるほどニャス。フランも将来のことを考えているニャスニャー」
ルルーニャさんは腕を器用に組みながら、「うーんうーん」と唸っている。二足歩行の猫が真面目に悩む姿は、失礼ながら少し可愛いと思う。
「正直な話、フランがあまり深く悩む必要はニャい気がするのニャスが」
「どうしてですか? 私、みんなにちゃんとお返しができるようになりたくて」
「まず、フランはまだ若いニャス。周囲の大人は気にしてニャイと思うのニャス。それにボクら猫族は、同胞である獣人から儲けようとは考えてニャいニャス。この村に来るのも、安否確認の意味合いが強いニャスから。たとえば……」
ルルーニャさんは荷馬車にひょいと飛び乗り、奥からずっしりと重い革袋を取り出した。
「この塩。君たち小熊猫族には、一キロいくらで売ってるか知ってるニャ?」
「はい。銅貨二枚ですよね?」
「そうニャ。……でもね、これ、本当は一キロで銀貨一枚の価値があるニャ」
「ええっ!? じゃあ、売るたびに大赤字じゃないですか!」
衝撃だった。塩がそんなに高いものだなんて。
「そうニャ。でも、ここから少し離れたアーシス国……あそこの人族には、一キロ銀貨三枚で売ってるニャス」
「ぎ、銀貨三枚……」
めまいがした。
アーシスは海のない内陸国。塩が手に入りにくい場所では、ルルーニャさんのような商人が価格を支配する。
「人族からはたっぷりボッタ喰ってニャスよ、その分を君たちのような少数民族に還元しているニャ。これも一種の、ボクなりの再分配ってやつニャス」
「そんな仕組みになっていたなんて……」
自分が享受していた「安さ」が、誰かの搾取の上に成り立っている。その事実に面食らっていると、ルルーニャさんが真面目な顔で私の顔を覗き込んできた。その金色の瞳が、何かを見透かしているようで少し怖い。
「なっ、なんですか?」
「……うーん。……今は、まだ待つニャス」
「えっ? 何をですか?」
「ニャんでもニャいニャス!それより、商売は終わりニャ。授業を始めるから、クランを呼んでくるニャス!」
追い払うような仕草に疑問を感じたけれど、それ以上は答えてくれそうになかった。私は一礼して、家へと走る。
……背後に、ルルーニャさんの視線を感じた。
それは温かな先生の目ではなく、感情の欠落した、どこか遠い未来を見据えるような、冷たく鋭い眼差しだった。けれど、その時の私は、振り返ることもなく走り去ってしまった。
◇
翌朝、ルルーニャさん一行は多くの村人に見送られ、次の目的地へと旅立っていった。
帽子を片手に振る姿は、なんとも猫らしくなく律儀だ。
「あーあ、行っちゃった。もっといればいいのに」
「お仕事があるからね。また来月だよ!」
「そっかぁ。あ、そういえばね、先生がね!」
「ん? なあに?」
また、いつもの日常が始まる。
朝起きて、耳を澄ませて川まで水を汲みに行く。
朝食を作ってクランと食べ、畑へ出て、午後は村の誰かのお手伝い。あるいは魚釣りや木の実拾い。
息苦しくないか、と問われれば、時々そう感じることもある。けれど、私はこの「変わらない毎日」を愛していた。
妹と笑い合い、時に喧嘩し、泥だらけになって眠る。そんな一日一日が、どれほど貴重で、どれほど壊れやすい幸せか、私は知っているつもりだった。
「ねえお姉ちゃん。ここから南にずーっと行くと『海』っていうのがあるんだって!」
昨日学んだ知識を、クランが一生懸命に教えてくれる。
「見渡す限りの、飲めなくてね!しょっぱい水が広がってて、その中に信じられないくらいお魚がいるんだって。不思議だよね!」
「ふふ、ルルーニャ先生の話を聞き間違えたんじゃない? 飲めない水の中に魚が住めるわけないもんね」
そんな非日常の会話に、少しだけ心がざわめく。いつか、自分たちの目でその海を見る日は来るのだろうか。
「んー? お姉ちゃん、なんでニヤニヤしてるのぉ?」
いけない、顔に出ていた。
「っ、今日はクランが野菜をちゃんと食べられるかな、と思って」
「あっ! 嘘ついた! 誤魔化す時の顔だ! うそはっぴゃくってやつだ!」
勘の鋭い妹だ。しかも、今日の朝食はハムエッグトースト。野菜など一ミリも入っていない。
嘘八百なんて難しい言葉、きっと昨日の授業で覚えたのだろう。
「来月は、私も授業を受けてみようかなぁ……」
成長していく妹に置いていかれないよう、私は心の中で密かに決意する。
平和だった。
窓から差し込む春の光。クランの笑い声。
この温かな凪が、永遠に続くと信じて疑わなかった。
――けれど。
その日常は、一通の知らせ、あるいは一つの足音と共に、あまりにもあっけなく終わりを告げることになる。
ルルーニャさんが去ってから、間もなく一月。
レコット村に、かつてない激震が走った。




