17話 行商人
レコット村の中央にある小さな広場が、今日ばかりは村中の人間が集まったのではないかと思えるほどの熱気に包まれていた。
「おぉー! ルルーニャ先生だ! 行こう、お姉ちゃん、早く!」
「相変わらずの人気だね。……うん、行こうか!」
フランは差し出された妹の小さな手を、壊れ物を扱うように優しく、しかししっかりと握りしめた。
人だかりの方へ向かう途中、隣家の窓から外を伺うジーナおばさんと視線が合う。彼女はいつもの恒例行事を見守る母親のような、穏やかな笑みを浮かべていた。
広場の中心に停まった荷馬車に群がっているのは、大半が村の子供たちだ。
大人たちは、嵐のような子供たちの熱狂が冷めてから、日用品の取引をゆっくりと行うのがこの村の暗黙のルール。今はまだ、子供たちの聖域だった。
「おい、ちょっと待つニャス! 落ち着けニャス! おっと、そこの子供、ボクの尻尾を引っ張るニャス! こら! ニャーが『シャー』になる前に放すニャス!! じゃないとお菓子あげないニャスよ! ニ”ャーー!!」
もみくちゃにされているのは、キジトラ模様の鮮やかな毛並みを持つ、二足歩行の猫――猫族のルルーニャだ。
彼が被っているのは、特注の耳通し穴が付いた濃紺のビーニー帽。そこからピンと突き出した猫耳が、子供たちの手揉みに合わせて左右に忙しなく揺れている。
さらに彼を特徴づけているのは、その服装だ。小さな体にぴったりの、金色のボタンが並んだ行商人用のジャケットを羽織り、首元には望遠鏡を吊るしている。
従業員の猫たちも、小さな体で一生懸命に荷馬車の荷解きをしていた。ある者は自分より大きな樽を転がし、ある者は器用に尻尾をフック代わりにして小袋を運んでいる。
「お菓子だって! 今日は何かなぁ!」
クランが跳ねるように期待を口にする。
ルルーニャは、毎月欠かさず子供たちのために日持ちのする甘味を持ってきてくれる。
前回はクッキー、その前はビスケット。正直、似たようなものが続くと、無垢ゆえに残酷な子供たちは「またこれー?」とブーブー文句を言う。だが、そんな不遜な態度さえ、ルルーニャは楽しんでいるようだった。
「ニャスニャス! さあ、ボクの前に一列に並ぶニャス! 前回は不評すぎてビビったニャスが、今回は自信作ニャスよぉ! 今日はこれ、水飴ニャース! とびきり甘いニャスよー!!」
ルルーニャが短い前足で掲げたのは、太陽の光を透かして琥珀色に輝く、とろりとした透明な塊だった。
「「「わぁぁぁい!!」」」
子供たちの歓声が広場に弾ける。
「ニャッハッハ! 子供は笑顔が一番ニャス! さあ、順番に持っていくニャス!」
ルルーニャは、まるで指揮者のような素早い手つきで、小さな木の棒に水飴を絡め取っていく。
くるくると回される棒の上で、飴が丸く、美しく形を整えていく様は、それ自体が魔法のショーのようだった。
「お姉ちゃん、水飴ってなに?」
「確か、トロトロした甘い飴のことだよ。私も小さい頃に一度食べたきりだけど……すごく美味しいんだよ」
「へー! 楽しみ!」
やがて、フランとクランの番がやってくる。
「おぉ、クランにフランニャスか! 元気にしてたニャスか?」
「はい、ルルーニャ先生!」
「いつもクランに勉強を教えてくださって、ありがとうございます」
フランが丁寧にお辞儀をすると、ルルーニャは照れ隠しのように、耳をパタパタと動かしながらオーバーな身振りで応えた。
「ニャース!? 気にするニャいニャス! 宿代のお礼ニャスから! ささ、持っていけドロボーニャス! ドロボー!!!」
ルルーニャはそう叫びながらも、フランの手には他よりも少し多めに、たっぷりと水飴を巻き付けた棒を握らせた。
帽子を一度脱ぎ、中の蒸れを確認するように耳をささっと掻いた彼は、紳士的に一礼してから商売モードへと戻っていった。
小さな猫たちが一生懸命働く姿は、見ているだけでどこか心が洗われるような癒やしがあった。
◇
「甘い! おいしいね、お姉ちゃん!」
「そうだね。甘味なんて、なかなか食べられないからなぁ」
広場の隅にある、平らな大石に腰掛けて、姉妹は仲良く水飴を舐めた。
小熊猫族にとって、砂糖は金にも等しい贅沢品だ。生活必需品の塩は銅貨二枚で買えるが、砂糖は銀貨一枚。その価値の差は五倍以上。この村で生活していると、銀貨一枚を見る機会すら滅多にない。
フランは、銀貨を知識としては知っていても、手にしたことはなかった。
今まで、気にした事はない、それで恥ずかしいと思ったこともない。
けれど最近、フランの心には小さな焦りが芽生え始めていた。
(塩だって、ジーナさんたちが分け与えてくれている。裏庭の野菜と交換はしているけれど……きっと、釣り合っていないはずだ。お姉ちゃんの私が、もっとちゃんとお金を稼がないと……)
「後でジーナさんに相談しようかな。……あ、でも、心配させちゃうかな」
無意識に漏れた呟きに、クランがキョトンとした顔で反応する。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
「ん? なんでもないよ。……さて、一度帰ろうか」
「えっ、お姉ちゃん食べないの? まだ残ってるよ?」
「お姉ちゃんはもう満足かな。クランがチャタスを全部食べたご褒美に、これあげるよ、食べかけだけど」
「え!? いいの!? 甘いのに、いらないの!? ……食べる!!」
ブンブンと超高速で首を縦に振る妹。その勢いに少し呆れながらも、フランは残りの水飴をクランに渡した。
本当は、フランだって、もっと食べたかった。
けれど、クランが最近、自分から畑仕事や洗濯を手伝ってくれるようになったことが嬉しかったのだ。
「手伝う!」と言ってくれた時の、あの小さな背中。それを見た時の、胸が締め付けられるような喜び。
これが親心、いや、姉心なのだろうか。
(……昔、お母さんも同じことを言ってたな)
「お母さんはいらないから、フランが食べなさい」と言って笑っていた母。当時の自分は「やったー!」と素直に喜んでいたけれど、今ならはっきりと分かる。
あれは、嘘だったんだ。
(私も、お母さんと同じ嘘がつけるようになったんだな……)
甘い水飴。本当はもっと食べたかったけれど、クランの幸せそうな顔を見ている方が、胸の奥が温かくなる。
けれど、その温かさの裏側で、冷たい不安が消えない。
どうすれば、お金を稼げるだろう。
どうすれば、この小さな平和を守れるだろう。
フランはそんな思いに耽っていた。
とにかく!何かお金を稼ぐ手段を考えないと……!




