13話 旅立ち/後編
一章終了
「2人とも、良く聞きなさい」
ミスティス女王の声が、朝の静謐な空気に響く。
「ガルザバハム獣王国に向かう行く先々でも、様々な苦難や経験をすることになるでしょう。ヒミコ、あなたは人族ですが、これまで邪馬大国という閉じた世界で過ごしてきた。同じ人族でも、国が違えば風土も風習も、統治者の器一つで空気さえ変わるものです。いつか元の世界に戻った時、この経験は必ず国を担うあなたの糧となる。世界を見て、学びなさい」
「分かったのじゃ!」
ヒミコは威勢よく答え、腰のあたりでエアボクシングを繰り出す。その目はすでに、見たこともない外の世界への好奇心でギラギラと輝いていた。
「マリア、あなたもです。私がかつて旅で経験したことは言葉で伝えましたが、実際にその目で何を感じ取るかは、あなた次第です。良いですね?」
「はい、お母様。この目でしっかりと、世界の今を焼き付けてきます」
旅の装束は三者三様だ。
ガレットはいつもの軽鎧だが、背中には矢がぎっしりと詰まった大容量のクィヴァーを背負っている。ヒミコとマリアは、エルフ兵の制服とは異なる、魔物の革を主体とした動きやすい特注の軽装だ。
だが、ヒミコにとっては「動きやすい」という言葉すら疑わしいらしい。
「……むぅ、やはりこの突っ張った感じが気に食わん。ワレの皮膚が革負けしておる気がするのじゃ」
前かがみになってみたり、両腕をブンブンと振り回して革を伸ばす作業に余念がない。その横で、ガレットは自分の指を鳴らし、契約している闇精霊を呼び出しディメンジョンを行った。
「荷物は精霊の空間に格納しました。身軽な状態で出発できます」
当初はセルフィが同行する案もあったが、この「便利すぎる荷物持ち」としての適性により、ガレットに白羽の矢が立ったのだ。それとヒミコとの仲がいい事も加味して。
「皆に精霊神の加護があらんことを」
ミスティスが胸の前で手を組み、静かに祈りを捧げる。
見送りには、ガル爺やヨルヴァン、さらには死闘を繰り広げた(?)野球チームの面々まで集まっていた。
「ヒミコ! 帰ってきたらまた野球やろうぜ!」
「ヒマリット軍に勝ち越したまま逃げるなんて許さない!」
「カカッ! お主ら、ワレが旅先で修行を積んで戻る頃には、手も足も出ぬほどレベルを上げておいてやるわい!」
威勢よく返すヒミコだったが、ふと、並んでいる兵士たちの中に、包帯を巻いた者や傷跡の生々しい者が混ざっているのに気づく。
(……エルフにとっても、野球は現実の厳しさを忘れるための、束の間の夢だったんじゃろうな)
口には出さないが、ヒミコはそれを理解していた。現実と夢のバランス。それこそが、長く生きる彼らの処世術なのだ。
「マリア様、これをお持ちください」
ヨルヴァンが進み出て差し出したのは、石がはめ込まれた木製の腕飾りだった。
「ヨルヴァン? これは?」
「はっ。先日完成したばかりの魔道具で、『ルミレット』と名付けました」
思い切り魔力を込めれば石が割れ、緊急事態を知らせる信号になるという。
「石の中に風の低位精霊を宿らせています。石が割れれば精霊が解放され、女王陛下の手元にある対の石へと即座に合流する。つまり、場所が特定できるのです。……シルフ様に間に入ってもらい、毎日一度の魔力を対価に契約しました。ですので定期的に一日に一度魔力を込めてください」
「まあ。……上手いことを考えましたね。分かりました」
「はっ。……ただ、これを作るのは並大抵の苦労では……」
「あぁ? ヨルヴァン、お主なんだか顔色が悪いぞ? 大丈夫か?」
ヒミコの指摘に、ヨルヴァンは力なく笑った。
「……いえ、私はただ、頑張ったとだけ。……気をつけて、いってらっしゃいませ」
「おぅ! なんか分からんが、大儀であった! 行ってくるのじゃ!」
◇
「さあ! 我らの伝説の幕開けじゃーー!!」
門をくぐり抜けるなり、ヒミコはその辺で拾った手頃な木の枝を天高く突き上げた。
「あっ、ヒミコ、ちょっと待ってください。ガレット?」
「はっ、すでに準備できております」
「なんじゃマリー、せっかくの出鼻を挫くでないわ」
頬を膨らませて振り返るヒミコに、マリアは申し訳なさそうに指を差した。
「ごめんなさい。でも、馬車がありますから」
「…………冒険と言えば歩きじゃないのか?」
「仮に徒歩だと、獣王国まで半年以上かかります。人族の足なら一年はかかるかと」
「…………!!」
ヒミコは無言で、拾ったばかりの枝を「ペッ!」と捨てた。
今回の旅の目的は自由。ただ一つだけ女王からの書簡を頼まれた。獣王に手紙を渡す事だが急ぎでは無いらしいので、とりあえずその方面に向かうという事になった。
エフィリアを抜け、最初の目的地は【ミルナス王国】。そこから沿岸部を東に進み、大陸最東端の【ガルザバハム獣王国】へ。
(……旅とは? これは旅かの?)
護衛のガレット、精霊による荷物運び、大量の携帯食料。挙句の果てには、各地にエルフの密偵が潜んで臨めばサポートしてくれるという。
(これでは保護者同伴の修学旅行……否!)
考えるのはよそう!楽しもう!
ヒミコは「ペッ!」とした枝を拾い直そうとしたが、水溜りに落ちて汚れていたため、新しい木の枝を新たに調達した。
『カチャン、コチョン』
前日の雨でぬかるんだ道を、馬車が独特の音を立てて近づいてくる。
「よし! いざ乗り込まん! ……んん?」
馬車に足をかけようとしたその時。
桜並木の奥から、別の、見慣れぬ意匠の馬車がこちらに向かってくるのに気づいた。
それが、ヒミコにとってエルフ以外の「他種族」との、初めての邂逅だった。
「これはこれは、女王陛下にミストガル様。お姫様もお久しぶりニャー」
馬車からひょいと顔を出したのは、ピンと立った耳と、しなやかな尻尾を持つ者。その明るく、どこか食えない響きの声に、ヒミコは目を丸くした。
◇
遠ざかっていく馬車。
見送りのエルフたちは一人、また一人と、自分たちの日常へと戻っていく。
少女の突飛な言動は、停滞していたエルフの里に、間違いなく新しい風を吹き込んだ。
プラチナブロンドの髪を風に揺らしながら、ミスティス女王は小さくなっていく一点を見つめ続けていた。
世界は絡み合う。
彼女たちの想像よりも、ずっと複雑に。
世界は加速する。
魔法の光よりも、ずっと速く。
そして世界は傾く。
均衡など、いとも容易く崩れ去る。
女王は目を細め、小さく、独り言を漏らした。
「――これで良いのですね? 」
その問いに答える者はいない。
ただ、新緑の風だけが、彼女の頬を優しく撫でて通り過ぎていった。




