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42 『物語』の破綻




 身体の動きを縛っていた見えない鎖が消えて、喉に詰まっていたものが消え去る。

 指先にまで、自分の血が通っているのを感じる。


 ――いま、リリアーナは『物語』から解放された――


 リリアーナは椅子から立ち上がった。

 部屋にいた全員が、驚いたようにリリアーナに視線を向ける。


「ねえ、エリナ――どうしてこんなことをしたの?」

「…………ッ」


 エリナは息を呑んでリリアーナを睨む。


 ――いま、リリアーナには確信がある。


 エリナも小説を知っている。『無能無才なメイドですが何故か冷酷侯爵様に溺愛されています?!~実は世界で唯一の聖女だったみたいです』――を。


 そして、それに沿うように動いていた。ハッピーエンドのために。


 でなければ、『物語』通りに進まないことに気を揉んで、自分から修正に動くはずがない。

 証明できない段階で、自分が聖女だと喧伝するはずがない。

 エリナが聖女だと判明するのは――もう少し後のことなのだから。


 それでも不思議で仕方ない。

 ここが小説の世界だと気づいていたのだとしても、『物語』が本筋通りに進まず、リリアーナが悪妻として振る舞わなかったとしても、どうして修正しようと動いたのかが理解できない。


 エリナは小説通りに進まずとも、メイドとして平穏に過ごせたはず。

 いつか聖女の力が発現して、あるいはそこから――レイヴィスに愛されたかもしれない。


 どうして、そのタイミングを待たなかったのか。


 どうして、本来のストーリーに戻そうとして、リリアーナを悪妻に仕立て上げようとしたのか。


「……そんなの……あんたが、邪魔だったからでしょう……!」


 エリナは感情をむき出しにして声を荒げる。


「あんたさえいなければ……あんたさえ悪妻として振舞っていれば……あんたがフラグを立てないから、わたしが立ててやったのに……」


 部屋にいた人間全員が、エリナの動機を理解できず戸惑っている。

 リリアーナ以外は。


 リリアーナだけは、エリナが何を言っているのかがわかる。

 そしてそれがどんなに恐ろしい策略だったかも。


 エリナはその『物語』を軸に動き、リリアーナを悪妻に仕立て上げ、破滅させようとしていた。そしてレイヴィスと結ばれて、聖女として目覚めようとしていた。


 ――だがそれはもう、壊れた物語だ。

 物語が破綻しても、時間は進んでいく。世界は巡っていく。

 止まらないし、止められるものではない。


「う、うう……わたしは悪くないんですぅ……奥様がわたしにひどいことをいっぱいしてきたんですぅ……」


 弱々しく泣きじゃくりながらの訴えが虚しく響く。


「なんで……? なんで?! 『運命』がわたしの味方をしてくれるはずなのに。わたしのストーリーは、こんなはずじゃない! わたしが、世界に一人だけの聖女で、レイ様に溺愛されて――」


 半狂乱になりながら叫ぶ。その声は確信に満ちているのに、誰の心にも響かない。

 空気が冷え切っているのを、リリアーナは感じ取っていた。


(……やっぱり、エリナも、私と同じ物語を知っていた……)


 そしてエリナの叫びから、いままで彼女がずっと『物語による運命』に味方されてきたことが伝わってくる。


 それを頼みにリリアーナを貶める策略を行ってきたのに、もはやどうしようもない状況に陥っている。信頼を失ったエリナはもう、独りきりだ。


 ――彼女はもう物語の主人公ではない。


「それが、お前の『物語』か。随分と自分だけに都合のいい妄執だ」


 レイヴィスの声は鋭く、冷徹だった。


「ちがう、ほんとうに――」


 エリナの声は震え、弱々しくなるばかりだった。

 先ほどの強気な姿はもうどこにもない。目には怯えの色が浮かんでいる。


 だが、その表情が突如不気味さを帯び始める。何かが切り替わったように。


「ははっ……あははっ……かわいそう……みんな、騙されちゃって」


 エリナの口元がゆっくりと歪んでいく。くすくす、と小さな笑い声が漏れ出した。


「ねえ、本当にいいの? 本当にわたしは聖女なのに。ねえ、いいの? 聖女を手放しちゃって。世界の敵は、そっちなのに――」


 虚ろな指先がリリアーナを指し示す。


「いいの? わたしを愛さなくって。みんなみーんな、不幸になっちゃうよ?」

「――限界が来たか」


 レイヴィスが眉を顰めた刹那、金色の鎖が虚空に生まれる。

 鎖は生き物のようにエリナの身体に巻き付き、その身体を拘束した。

 だがエリナは何も気づいていないように、眼球をぐるぐると回しながら喋り続ける。


「――よくない。あたしが主人公なのに……こんなバッドエンド、あっちゃいけないでしょおおおお?! わたしがこのまま退場していいはずがないでしょおおおお?! ――こんなに、がんばったのに……」

「何を妄信しているか知らないが、お前が努力したことといえば人を愚弄し貶めることだけだ」


 レイヴィスの声には一切の情がない。


「それで何が救えた。誰が貴様の味方をする? 誰が、助けてほしいと思う」

「ひどい……わたしは、レイ様を助けたかったのに……」

「馬鹿げたことを。貴様が助けたかったのは、己自身だけだ」


 エリナの身体がぐらりと揺れる。ずっと己を支えていたものが失われてしまったように。

 その瞳は憎悪に染まり、まっすぐにリリアーナに向けられた。


「……あんたさえ……あんたさえいなければ……!! あんたさえ、筋書き通りに動いていれば、みんな幸せだったのに……!」


 リリアーナはエリナの視線を受け止め、首を横に振った。


「エリナ……私には、私の意思がある……」


 ――筋書き通りには動けない。


「意思……? ただの悪役が、心を持つんじゃないわよ……」


 エリナは大きく舌打ちし、天井を見上げた。


「あー、もういいや。おわりおわり」


 その瞬間、レイヴィスがエリナに施していた金色の鎖が、紫の閃光とともに弾け飛ぶ。


 ――魔力によるものだ。

 目に見えるほど強力な魔力が、エリナの身体から霧のように立ち昇っていた。


「……ほう、言うだけはあるか。珍しい色をしているな」


 レイヴィスは興味深そうに言い、エリナの魔力を見つめている。

 エリナは再び舌打ちした。


「謝ったってもう遅いから」


 すくっと立ち上がり、政務室の中を見回す。

 共に働いてきた使用人たちを。

 自らが仕えてきたレイヴィスを。

 そして、リリアーナを。


「あーあ、わたしの敵ばっかり……こんなお話、ありえないから」


 その目はすべてを捨てたような、諦めが滲んでいた。


「――死ね。みんな死んじゃえ」


 次の瞬間、エリナの身体から紫がかった魔力が迸り、室内の空気を裂いた。


 ――魔力の暴走。


 その魔力は凶暴な熱と圧力を伴い、周囲に渦を巻くように広がっていく。

 明かりが揺れ、床と壁が不気味な音を立てて震える。

 魔力の奔流は、すさまじい勢いで膨れ上がりながら、破壊をもたらそうとしていた。






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