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39 断罪:植木鉢事件(後)





「わ、わざと……非力なふりをしているんです」


 エリナは震える声で訴えた。

 その瞬間、政務室の温度が下がる。


「ほう。俺の目が節穴だと」


 レイヴィスは興味深そうに言って、杖で床をトンと叩く。


「そ――そういうわけでは……」


 エリナはすぐさま否定しようとするが、レイヴィスは軽くため息をつくだけだった。


「俺を疑うのは勝手だが、あまり心証を悪くするな。俺はあくまで公正に判断するが――」

「旦那様を疑うはずがありません! ほ、本当はわたしが割りました。奥様に命令されて!」

「つまり、嘘をついたのか?」

「……奥様に命令されたので」


 エリナは身体を震わせながら目許を拭う。


「――お前は、そればかりだな」


 レイヴィスの言葉には、憐れみとも侮蔑ともとれる感情が滲んでいた。


「奥様がそんなことをされるはずがない!」

「そうです!」


 ヴァンが叫び、マリーも続く。


「うるさい! 黙ってよ!」


 エリナが金切声で叫ぶ。

 緊迫した静寂が広がる中で、レイヴィスがため息をついた。


「お前の証言は既に破綻している」


 冷たく重い声が静かに響く。


「リリアーナに命令されて植木鉢を壊したとして――」


 金色の瞳が鋭く細められ、エリナを見据える。


「どうして最初からそう言わない。どうして、リリアーナ自ら植木鉢を割ったとか言い出した。追及されたとき、自分が割ったことにしろとリリアーナが言ったか? まさか。理由がない」

「……お、奥様はぁ、その部分だけはわたしを庇ってくれようとしたんですぅ……」


 苦し紛れの言い訳だ。リリアーナが聞いていても、行動に矛盾がありすぎる。


「……リリアーナ、どうなんだ?」


 レイヴィスの問いかけに、リリアーナは言葉が出なかった。

 言葉が喉に詰まり、細い息が零れるだけだ。

 ――そうして、気づいてきた。


 いまこの場では、エリナを肯定する言葉しか出せないのだと。

 ――口を開けばいまにでも自分の思いと違うことを口走りそうで、リリアーナはぐっと口を閉ざし、顔を伏せた。


 ――端から見れば、心証は最悪だろう。

 言えないことがあるから、都合が悪いことがあるから、黙っているようにしか見えない。


 無言のリリアーナに、レイヴィスは一度視線を落とし、それからエリナへ向き直る。


「……ともあれ、割ったのはお前ということには間違いなさそうだ。そして、そうなればマリーが見た光景とワックスの件も説明がつく。お前はバルコニーから植木鉢をリリアーナに向けて投げ落とした」

「で、でもそんな、奥様がバルコニーの下に近づいたのは、誰も予想できないことじゃないですか?」


 エリナは早口で言葉を紡ぎ続ける。


「確かにわたしは百合の植木鉢を運んでいましたが、落としちゃった土を掃除しているうちに、いつの間にかなくなっちゃってて――探しても見つからなかったので、奥様にも内緒にしておこうと思って――……」

「バツが悪くなって、リリアーナが割ったことにしたと?」

「申し訳ありませんでしたぁ!!」


 エリナが床に崩れ落ちるようにして、叫びながら頭を下げた。


「――ヴァン」


 呼ばれた庭師のヴァンが一歩前に出る。気圧されたように身を縮めながらも、懸命に言葉を紡いだ。


「割れた植木鉢を片付けるときに、もう一つ奇妙なものを見つけたんです……おそらくグラスの割れたものだと……」


 ヴァンが小さな袋の中から机の上に広げたのは、土まみれのガラス片だった。その形状や厚みからして、グラスの破片であることが明らかだった。


(あ――)


 リリアーナの頭の中で、記憶が鮮明によみがえる。

 あの日、庭を歩いていた時――そう、バルコニーに接近する前に変な音がした。何かが割れるような音。

 それが気になってバルコニーに近づいたのだ。

 その上に、植木鉢が落ちてきた――……


「――確かに、リリアーナがバルコニー下にくるかは確証が持てない。だが、先にこれを落として音をさせて、リリアーナを誘導したのだとしたら――?」


 グラスの破片を睨みつける彼の手が、杖を握りしめて軽く震えている。

 リリアーナは恐る恐るその破片を見つめながら、胸に広がる嫌な予感にぎゅっと手を握る。


(そんなことが――本当に……?)


 だが、記憶の断片が繋がっていく。バルコニーの下で、あの時植木鉢が落ちてきた流れが、まるで仕組まれたもののように思えた。


 ――それは、明らかに悪意を帯びている。冗談やいたずらでは済まされない。


 レイヴィスが再び杖を軋ませる。


「――エリナ。これについて弁明はあるか?」

「……いえ、その……」

「――その掃除とやらも怪しさしか感じない。どうしてワックスを拭き残した?」

「わ、わざとじゃ……」


 苦しい言い訳を掻き消すように、レイヴィスは続ける。


「バルコニーから物が落ちてくれば、自然な流れでそこを確認しにいく。つまり移動ルートが定められる。バルコニーからリリアーナが自分の部屋に戻るのに使う階段に、ワックスを撒いた。足を滑らせて落ちればいいと思ったか?」


 レイヴィスの苛立ちと怒りが、押し殺した声から溢れ出していた。


「――もしくは、俺かリリアーナが激怒すればいいと思ったか。それでリリアーナの悪評をまた流すつもりでいたか」

「そんなこと、するわけ……」


 消え入りそうな声でエリナが言うと、マリーが強い眼差しでレイヴィスを見た。


「でも、いつもです。いつも、奥様の悪い噂はエリナさんから流れてきます!」


 ――図書室前で、エリナを筆頭に使用人たちがリリアーナの噂話をしていた時、マリーもそこにいたことをリリアーナは知っている。そしてマリーは噂話には参加していなかった。

 家政婦長が静かに口を開く。


「そうですね……みっともない話で申し訳ないのですが、そういう場面を目にしたことはあります」

「黙れよ!!」


 エリナの激怒の声が大きく響く。


「掃除が下手なぐらいで、どうしてそこまで疑われないといけないんですかぁ?!」


 開き直りとも思える態度で、エリナは叫ぶ。


「他の誰かが、たまたま持っていたグラスと、たまたま見つけた植木鉢で、ちょうどいいから奥様に――いえ誰でもいいから怪我をさせようとしたかもですよぉ?!」


 リリアーナが聞いても苦しい言い訳だ。

 だが、一応筋は通っている。


「そのとおりだ。その可能性もまだ否定できない。だが、お前への疑いが晴れるわけではない」


 レイヴィスはそう言って、エリナに冷たい視線を向けた。


「――さあ、お前に聞きたいことは、まだ終わりではないぞ」








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