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36 断罪:横領事件(前)





 夜の政務室は、薄暗く揺れる橙色の明かりで照らされていた。


 正面の大きな机にはレイヴィスが当主の椅子に深く座り、まるで王笏のように杖を片手に持っている。


 壁際には、使用人たちが整列して立っている。メイドのアンヌとエリナ、執事、家政婦長、会計係のサイモン・グレゴリー。

 皆一様に顔を伏せて口を閉ざしていた。


 中でもエリナは以前よりも痩せこけ、げっそりと青ざめていた。しかも両手を拘束されている。


 そしてその向かい側に、椅子が置いてある。

 レイヴィスはリリアーナに視線を向け、口を開いた。


「リリアーナ、座ってくれ」


 促されるままに、その椅子に腰を下ろす。


 ――そして、部屋全体が張り詰めた空気と静けさに包まれる。

 レイヴィスが杖を軽く一振りすると、自然と視線が集まる。


(この光景……もしかして……)


 リリアーナは鼓動が速まるのを感じながら、辺りを見渡した。

 このシチュエーション。何かで覚えがある。


「さて――」


 レイヴィスの声が響くと、空気が一瞬にして張り詰めた。


「今夜皆に集まってもらったのは、会計帳簿と送金記録に奇妙な数字が見つかったからだ」


 その言葉にリリアーナの心臓が一際強く跳ねる。

 つまり、この場にいるのは何かしらの形で関係している人物ばかり――。


 レイヴィスの視線がリリアーナに向けられる。


「リリアーナ。君は、実家のヴァレンティン家に送金したのを認めるか?」


(やっぱり――断罪シーン?!)


 小説でリリアーナがそれまでの悪行の数々を並べたてられ、断罪されて、離婚を告げられ、エリナとの愛を宣言されるシーン。


 エリナが何故か手を拘束されてげっそりしている以外はすべて同じだ。


(ということはここは被告人席?! お――落ち着いて)


 レイヴィスはまだ実家に送金したかどうかを確認してきただけ。

 そしてリリアーナは正直に答えることにした――というよりも、それ以外の選択肢はない。


「はい。実家より援助を求められたので……レイヴィス様からいただいた金貨分を、そのまますべて送金手続きしました」

「…………」


 重苦しい沈黙が室内に漂い、レイヴィスが手元の帳簿を確認する。


「それでも、金額が合わない。ヴァレンティン家への送金額は、俺が君に渡した金額の十倍だ」

「――――ッ?!」


 リリアーナの心臓が大きく跳ね上がる。

 そんな。まさか。どうしてそんなことが。


「リリアーナ、心当たりは?」

「いえ……」


 ない。まったくない。ゼロを一個多く書き間違えた? まさか。それなら現金と齟齬が出て、会計係から確認されるはずだ。そんなことはなかった。


 何かの間違いではないか――いや、レイヴィスがそんな間違いをするはずがない。彼は完璧で、細部にまで目を光らせている人物だ。

 それに、実家の弟妹も、送金額にとても満足していた。


(あ……あ、あ……)


 ――リリアーナの想定していた金額よりはるかに多い額が、実家に振り込まれている。

 そしてもう、使われている。

 夜会で出会った弟妹達の新品の豪華な正装姿。きっとあれに。


 ガラガラと、足元からすべてが崩れていくような感覚が広がる。


「どういう手順で送金した?」

「……会計係への送金依頼と、金貨を……エリナに、渡しました……」


 事実を絞り出すのが精いっぱいだった。

 レイヴィスの視線がエリナに向く。


「違うんです!」


 エリナが涙を流しながら清らかな声で訴えた。


「奥様の命令で……悪いこととはわかっていても、怖くて断れなかったんです……!」


 その証言に、リリアーナは背筋が冷たくなっていくのを感じた。


(なにを……言っているの……?)


 リリアーナはエリナに会計係への手続きを頼んだだけ。「命令」と言われれば立場上そうなるかもしれないが、悪いことなんてしていない。脅すようなこともしていない。


(私が何か勘違いをしている……? それとも二重人格? オーラ?)


 混乱するリリアーナの前で、レイヴィスが冷静な顔でエリナに声をかけた。


「どういうことだ? 詳しく言ってみろ」

「だから、違うんですぅ……! 奥様の命令なんです……!」

「――俺はただ確認をしているだけだ。事実を述べろ」

「奥様から、手紙と金貨を預かって……この金額を送ったことにして、実際には会計係さんに十倍の金額を送るように指示するようにって……」


 ――嘘だ。そんな指示していない。


 そう言おうとして――口が動かない。

 口に布でも詰め込まれたように、言葉が出ない。


(何これ、どうして――)


 何とか声を絞り出そうとしても、呻き声一つ出てこない。

 そして動けない。

 椅子に縛り付けられてしまったように、立ち上がることも、手を上げることも。


 その間に、エリナは悲劇のヒロインのように涙ながらに訴える。


「証拠なんてありませんが……でも、奥様が脅してきたんです。『黙って言う通りにしなさい』って……怖くて逆らえませんでした!」


 レイヴィスは静かにそれを聞いている。

 その横顔は険しく、心の中で何かを計算しているかのような目をしていた。


 その姿に、リリアーナはますます胸の奥が冷えていく。


 次の瞬間、鋭い視線がリリアーナに向けられる。

 リリアーナは何も言えないまま、レイヴィスの目から逃げるように顔を伏せた。


「――サイモン・グレゴリー」

「はい」


 レイヴィスの呼びかけに、会計係のサイモンが一歩前に出る。

 そして、頷く。


「――このメイドから聞いた、奥様からのご命令通りの金額を、ヴァレンティン家に送金しています」

「では何故帳簿に差異が出る?」


 レイヴィスの問いに、サイモンは一瞬言葉に詰まる。


「……奥様たっての希望ということで……旦那様にはすぐには知られたくないと……」

「だから帳簿を改ざんしたのか?」


 レイヴィスの声がさらに鋭くなる。

 サイモンは沈黙したまま、視線を落とした。


「数字は正直だ。お前はよくわかっているだろう。小手先の誤魔化しで弄ったとしても、どこかに必ず齟齬が出る」

「……申し訳ございません……」


 レイヴィスは小さく息を吐き、帳簿を机の上に置いた。


「――さて、リリアーナが渡したという金貨と手紙の行方が気になるな」

「金貨は、会計係さんの口止め料にするようにって……奥様が……」


 エリナが潤んだ瞳で訴える。


 ――嘘だ。

 エリナは嘘をついている。そう言いたいのに言葉が出てこない。

 反論することを世界に許されていないかのように。


 このままでは、悪妻に仕立て上げられる。会計係を篭絡して横領し、実家に送金する悪妻に。


「なるほど。サイモン、金貨はお前の手元に本当に来たのか?」

「はい」

「どこにやった。まだ手元にあるんだろう?」

「はい。奥様から預かりました金貨と手紙はそちらに保管しております」


 サイモンは政務室の金庫に目を向けた。


「え」


 エリナの表情が一変した。





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