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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

短編シリーズ

守護聖獣の主に選ばれたら婚約者に溺愛されていた私の話

作者: 白雲八鈴


『簒奪者よ。我が王家を根絶やしにする愚か者よ。お前はきっとこのことを後悔するだろう。この血塗られた玉座はお前を縛り付ける枷。王家の血を根絶やしにしたことを後悔するといい』


 私は目の前の血に濡れた男に言った。玉座に座り私を見下ろしている男。父王を殺し、王妃を殺し、弟を殺し、妹を殺した。

 両手を鎖に繋がれ、奴隷のように首枷をつけられようが、最後の王女として堂々と笑みを絶やさすに言った。


「殺れ」


 しかし、私の言葉など意味がないように、部下に殺すように男は命じた。

 私に振り下ろされる剣を目の端に捉える。身体を捻り、手枷で受け止め、割れた手枷とそれに続く金属の鎖を、相手に叩きつけ、私は足に力を込めた。

 伊達に戦姫と言われてはいない。そんな私に、剣を持つ手を封じて、魔術を唱える喉元を封じただけで、どうにかなるという考えが甘いのだ。


「逃がすな!」


 何処からかそのような声が聞こえるが、私は逃げることなんてしない。


 私の足が向かう先はただ一つ。血塗られた玉座だ。


「愚かだな」


 冷たい青い視線が突き刺さる。


 そして、私の腹には冷たい金属が生えていた。鈍色に光る剣が私の腹を貫いていたのだ。


「お……おろかねぇ……」


 私はそのまま前に進む。金属の冷たい感触は既になく、その場所は熱く熱を孕んでいた。その行動に目の前の男は目を見開いた。


「婚約者殿。貴方は我が王家の闇を知らなすぎた。欲しかったのだろう? 国を守護する聖獣が……ごほっ」


 せり上がってきた血の塊を吐き出す。私を愚かだと、目の前の男は言ったが、私からすれば、この男の方が愚かだ。自らこの地獄に堕ちてきたのだから。


「差し上げよう。愛する婚約者殿のためだ。ようこそ、地獄に……」


 私は血濡れた男に、血の口づけをした。それが私の最後の記憶だった。




 のはずだった。



 フッと意識が浮上する。あれ? 生きている? これは、おかしい。


『何もおかしくはない』


 ちっ!


『器用に心の中で舌打ちをするでない』


 くっそ地獄がまだ私の中に居座っていやがった。


『お主、王女のクセに相変わらず言葉遣いが悪いのぅ』


 ふん! 外面はいいから問題はない。


『そういうところで男を騙すのであろう?』


 騙してはいない。私は王女でなければならなかった。そして、生贄でもあった。

 騙していたのは、父である国王だ。私はいずれ結婚をする前に殺されるはずだったのだからな。


 で、何故未だに私の中に居座っている? 聖獣と持て囃されている悪魔が!


『酷い言いようじゃな。お主の傷を治してやったというのに』


 ふん! 宿主が死ねば、貴様は地下深くに封印された本体に戻らざる得ないからな。それは自由の為に必死に治すだろうな。

 それで、答えは?


『ああ、お主の婚約者は勘がよいのぅ。我を移されるとわかった瞬間に剣ごとお主を突き飛ばした』


 酷い婚約者だ。せっかくこの地獄を体験させてやろうと思っていたのに。


『それでのぅ。ちと、申し訳ないことになっておるんじゃ』


 何が?


『目覚めればわかるぞ』


 その言葉にパチリと目が開く。見慣れた天井だ。正確には天蓋だ。ブドウを潰して塗りたくったような赤紫の天蓋は、私の趣味ではなく、妹の趣味だった。その妹も首をはねられ殺された。

 なのに、私は生かされている。甚だ疑問だ。


 寝ていても仕方がないので、身を起こす。するとジャラリと音と共に冷たい感触が足に触れた。下を見ると黒い金属の鎖だ。それを引っ張ると首に繋がっていることから、まだ首枷がされているままなのだろう。

 まぁ、外す意味はないということだ。


 だからこそ、私の部屋に戻されたというのもあるのかもしれない。武器を取られ、魔術を使えないようにすれば、戦姫と言われる存在でも、ただの人に過ぎないと。


 ふん。私の侍女がいたのであれば、その対応に鼻で笑っていたことだろう。


「いつまで寝ているのですか?」


 その声に視線を向ければ、金髪を一つに結いひっつめの団子にし、紺色の侍女の服装を身に着けた女性がいる。黄金のような瞳を私に向け、部屋の隅に控えて立っていた。


「カトリーヌ。生きていたの?」

「なんです? 死んでいて欲しかったのですか?」

「君も王家の遠縁に当たるからね。生かす意味はないと思ったんだよ」

「それはもう精一杯命乞いをしましたよ。姫様の身の回りのお世話ができるのは私だけだと」

「ふふふっ。カトリーヌらしいね」


 そう言って私は首元に手を持ってきて、邪魔な重い金属に手を掛ける。そして、そのまま強引に引っ張り、金属を腐食した木片のように、粉砕した。


「姫様は目覚めた早々に、私を怒らそうとしているのですね。そのベッド誰が掃除すると思っているのですか?」


 私が砕いた金属の破片は、ベッドの上にバラバラになって散らかってしまった。


「誰かがカトリーヌに成り代わっているかもしれないからね。これを見て悲鳴を上げないのはカトリーヌぐらいだ」

「はぁ。相変わらずのひねくれ具合で、無様に命乞いをした甲斐があったというものです」


 ベッドを降りて、ため息を吐くカトリーヌの元に赴く。


「カトリーヌが生きてくれて嬉しいよ。それで私が生かされている経緯を教えてくれるかな?」


 するとカトリーヌは大きめの顔全体が映る鏡を出してきた。それを私の前に掲げる。


「は?」


 誰だこれは? ……いや私だ。私だけれども……。


「なに? この脱色に失敗しましたっていうぐらい斑な髪の色は! ふざけているのか! クソ聖獣、出てきて説明しろ!」

「姫様。言葉遣いが悪うございます」


 言葉遣いがどうとかという問題ではない。鏡に映し出されている姿は、元々黒髪だった私の髪が、黒と白とで斑状になっている。絶対に脱色に失敗しただろうっていうぐらい酷い感じだ。そして、頭の上には丸みを帯びた白い毛が生えた耳。恐る恐る、違和感があるお尻を触るとふわふわという触感と共に、ゾクゾクとした背中に何かが這うような感覚に襲われた。


「聖獣の呪いだ!」

「聖獣様のお力が化現したと言い換えてくださいませ」


 なんてことだ。私は聖獣白虎の呪いを受けてしまった。この世は地獄だと思っていたが、さらなる深淵があったようだ。


「それで私は帝国に飼われる感じになるのか?」

「姫様。何度も言っていますが、聖獣様は愛玩動物ではありません」

「いい意味で捉えるな。帝国の手足となって力を奮うように言われているのかということだ」

「そこまでは私は聞いておりません」


 まぁ、そうだな。使用人であるカトリーヌに話すわけがないか。


「それでは、今この国を支配しているのは、ヴァルハリア帝国の第三皇子殿で良いのか?」

「まぁ、姫様。婚約者様をそのように他人行儀におっしゃらなくても、いいのではないのですか?」


 婚約者? どういうことだ? 未だに私の婚約者だと言っているのか?


「ちょっと待てカトリーヌ。この状況下で婚約解消になっていないのか?」

「はい。そのように聞いております」


 ちっ! そういうことか!

 帝国が聖獣を狙っていることは知っていた。だから聖獣の力を使ってこの国を守っている私に、第三皇子を充てがうことで、表面上は同盟国という形をとっていた。

 そして、婚約者となった第三皇子は聖獣の居場所をこの国で探っていた。だが帝国は、聖獣という存在が眉唾物と判断し、この国を潰す方に舵を取ったのだ。


 最後の最後。私が婚約者を地獄に引き込もうとしたことが失敗し、死にかけた私は聖獣の呪いを受けることとなった。

 するとこれ幸いと言わんばかりに、この国の王女である私を聖獣として、国民の反発を防ぐ防波堤として、利用しようと思いついたのだろう。


「澄ました顔をして、ひと癖も二癖もある奴だな」

「それは姫様も同じですよ。陰ながらお二人は似ていると思っていましたよ」


 確かに人前では王女として在らねばならぬ故、常に微笑みを浮かべてはいた。口汚く話すのは私の内側にいる悪魔と、侍女カトリーヌぐらいだ。

 いや、最後の最後だからと、あの場でも(ののし)ってやったな。


「カトリーヌ。取り敢えず、着替えてから婚約者殿に会おうか」

「会えるかどうかはわかりませんよ? お忙しそうにしていらっしゃいますので」

「ふん。この城にいて、私に会えないとかふざけたことは言わせないよ。この城は聖獣の支配下だからな」


 私の言葉を聞いたカトリーヌは苦笑いを浮かべながら、頭を下げて私の寝室を出ていった。まぁ、支配下といっても、誰がどこにいるぐらいしかわからないが、何か異変があれば、すぐに察知できるほどであった。


 だからだ。私が西の辺境の森で魔狼が暴れていると報告を受けて、騎獣で五日かけて到着したものの、そこには暴れる魔狼など存在せず。慌てて城に戻ってみれば、妹以外の首が玉座の間に並べられた状態だった。

 妹は私の行動抑制をさせる人質。私に手枷と首枷をつけたら、役目が終わったと言わんばかりに、首をはねられた。

 元からいけ好かなかったんだ。あの第三皇子の側にいるオールバックメガネ!あいつは絶対に殺そう。


 でさぁ。いつまでだんまりを決め込んでいるわけ? こうなった経緯を説明する義務があるんじゃない?


『うむ……』


 うむじゃない! なんてブサイクな斑な髪色なわけ? コスプレなら真っ白な髪ぐらいにしといて欲しいね。


『ブサイクとはなんじゃ! この気高き白虎の毛並みを侮辱するのか!』


いや、私は獣じゃなくて、人だし。この世界に獣人なんて見たことないから、一人イタい子みたいになっているし。


『ん? ジュウジンとはなんじゃ?』


 獣と人を足して割った感じ。顔が獣か人かの違いはあるけど、二足歩行で獣の能力を持つ人かな?


『相変わらず、お主がいた異世界というところは変わった者がおるのぅ』


 いや、流石に獣人は物語だけの存在だね。


『そのような話を聞くだけでも、我がお主に憑いた甲斐があったというものじゃな』


 悪魔に取り憑かれた私の身にもなって欲しい。独り言を言っているイタい子の上に、獣人のコスプレなんて、この世界の深淵は深すぎる。


『我への否定が酷いな。しかし、お主との付き合いは、まだまだあるようじゃな』


 くっ……そのとおりだ。私が死ぬまで、この悪魔からは逃げられない。

 はぁ、しかしカトリーヌ。ちょうど良いから通せばいいのに、必死になって拒むなんて命知らずだな。


『いや、お主の婚約者が入って来ようとしておるから、お主の準備が整うまで待って欲しいと言っているだけじゃよ』


 だから、丁度いいじゃないか。

 私は手ぐしで髪を整えて、気休め程度にネグリジェのシワを伸ばして、ベッドの上に腰掛ける。そして、背筋を伸ばして、声を出した。


「カトリーヌ。お通ししてよろしいわよ」


『相変わらず、王女の演技が上手いのぅ』


 うるさい。当分の間は話しかけてくるな。


 隣の部屋から聞こえていたカトリーヌの声が静まり、寝室の扉がカチャリと音を立てて、開いた。

 扉から現れたのは、銀髪碧眼の冷たい印象を抱かせる。私の婚約者だった。


 一瞬私の姿を見て眉を潜めたものの、躊躇なく私の寝室に入ってきた。


「体調はどうですか?」


 胡散臭い王子らしい笑みを浮べた美しい青年が私を見下ろしながら言ってきた。腹の奥底で何を思っているかはわからないが、見た目だけは、妹からキャーキャー言われていたことだけあって、良い。


「まぁ、私の体調を気遣ってくださるのですか?」


 首を傾げながら、私は婚約者を仰ぎ見る。どうせ私が死んでいるか生きているぐらいしか、気にはしていないだろう。


「殿下。それ以上近づかない方がよろしいでしょう。見てください。首枷が破壊されています」


 黒髪のオールバックメガネが、私と婚約者の間に入り、私のベッドの上に散らばった、金属の破片を指して言う。そして、いつでも剣を抜けるように右手を剣の柄に添えていた。

 ああ、本当にムカつくオールバックメガネ。


「ふふふっ。ごめんなさい。ほら、どなたかが、私の妹の首を切りましたし、その剣で私の首も切ろうとしたことを思い出しますと、フツフツと怒りが湧いてきますわよね」


 私の言葉に、オールバックメガネは心外だと言わんばかりに、肩をすくめた。


「私も殿下の命令で仕方がなかったのですよ。まさか粛清当日に戻ってくるとは運がなかったということです」


 私はその言葉に立上り、一歩踏み出すと、私の首元に剣が突きつけられた。本当にいけしゃあしゃあと嘘を言ってくれる。


 この城は私の支配下だ。いや、聖獣の力の影響を受けた今では、誰がどこにいるかだけではなく、どういう行動をしているか、どのような会話をしているかなど、全て把握できるようになってしまった。


 このように城の中のことを把握できるとなれば、私に憑いている悪魔が物知りなのも頷ける。


 しかし、それでは気が狂いそうな程の情報量のため、帝国の者たちの動きだけに絞って、目が覚めてから監視をしていた。


 だから、私が目覚めたと報告を受ける前と後とでの違いを知ることができたのだが。

 一番、私が生きていると知って悔しがっていたのは目の前のオールバックメガネだ。

 黒髪に金目という風貌に嫌な予感がし、以前から調べさせていたことは本当のことだったのだろう。


「運が無かったのは貴方のほうではありませんか? 反逆者ロファールガリスのご子息の方」


 父王の代に王位継承時にゴタゴタがあったそうだ。その主犯格とされたのが、王兄ロファールガリス。幽閉されたとあったが、その妃と息子の行方がわからず、国境を越える谷から、壊れた馬車が見つかったため、死んだこととされた。


「まさか、帝国に媚を売っていたなんて、存じませんでしたわ。我が国には聖獣なるモノがいて、国を守護していると耳障りいい話を持っていって、この国を乗っ取りたかったのですか?でも、残念でしたわね」


 私はコロコロと笑いながら、目の前の相手を挑発する。すると、オールバックメガネはフルフルと赤い顔をして怒りを顕にし、剣を振るってきた。返り討ちにしてやろう!


 意気揚々と指に力を込めると、身体が横に引っ張られ、身体が浮き上がった。そのバランスを取るために、力を込めていた指が振り下ろされる。


「つっ!」


 獣人となった私の獣のように尖った爪は、私を抱き上げた人物に深々と傷をつけてしまった。


「レイ様!」


 思わず、婚約者である第三皇子の顔の右側を両手で押さえる。ヤバいぐらいに、指の間から血が流れだしてきた。直ぐに回復魔術をかける。

 しかし、私は戦闘に特化しているため、回復魔術は苦手だ。それに私は聖獣の力をこの身に受けているため、多少の傷は直ぐに治ってしまうのだ。だから、回復魔術なんて使うことはなかった。


 おい! 手伝え!


『なんじゃ? 敵を助けるのか?』


 これは私が悪いだろう。


『それとも惚れた弱みか?』


 うるさい! さっさと手伝え!


『顔は良いからのぅ』


 それを言っていいのは私だけだ。不器用なバカを貶していいのは私だけだ!


『素直にならないのはお互い様じゃな』


 うるさいと言っている!


「イリス。痛みは収まったので良いですよ」


 全然よくない。全くよくない。これ絶対に右目がイッている。


「サイザール卿。勝手な行動は控えるように言ったはずですよ」


 第三皇子の言葉に、オールバックメガネは皮肉な笑みを浮べている。


「イリスと第二王女は生かすように命じていましたよね。なのに、イリスの前で第二王女を殺し、私が勝手な行動をしたサイザール卿を殺すように命じれば、何を勘違いしたのか、イリスの首をはねようとする。終いには私に向かってきたイリスに剣を投げつける」


 ん? あのときてっきり、第三皇子から剣で刺されたのだと思ったけど、後ろから刺されたのか。

 私はレイアクティスに殺されるのであればそれもいいと、玉座に座る返り血を浴びた婚約者殿に向かって行ったのだが、まさかオールバックメガネからだったとは!


「お陰でイリスから嫌われてしまったではありませんか」


 あ、この傷は事故であって、決してレイを嫌って傷つけたわけじゃない。


「今も貴方には謹慎を言い渡していたはずですが、なぜこの場にいるのでしょうか?」


 オールバックメガネは皮肉な笑みを浮べたまま答えない。このオールバックメガネの強みは、皇帝の犬だということだ。


「レイ様。それは皇帝直属の軍人が数名入り込んでいるからですわ」


 くそ悪魔が手伝ってくれない所為で上手く回復できない私は、必死に傷の回復を行いながらも、私が把握した情報を提示する。


「はぁ。やはり信用されていなかったということですか。イリスと第二王女は生かしておくべきだと説得したというのに、皇帝陛下の人間不信にも困ったものですね」


 レイは裏で皇帝と交渉をしていたようだ。


「しかし、そろそろ良いのではないのでしょうか?」


 ん? 何がいいのだ?


「イリスも目覚めましたし、十分時間はありました。私の命令を聞かない駄犬は必要ないですね」


 治癒の魔術を発動している私の手を下ろしながら、怒気を孕んだ青い瞳が私を見てきた。

 えっと……治癒がうまくないから怒っている?


「私に手を出さないようにと言ってきたのです。貴殿が始末をつけてくれるのでしょうね」


 ごめん。レイが何の事を言っているのかさっぱりわからない。


『カカカカッ。任せておくとよい』


 私の口から私ではない声が出てきた瞬間。私を抱えているレイの横に白と黒の斑の巨大な獣が現れた。

 その獣は唸り声を上げ、オールバックメガネに向かっていき、青い顔色をして剣を構えている腕ごと、凶器である爪で切り落とし、首元に食らいつきながら、黒い影の中に沈んで行く。

 なんてことだ!


「それは私が殺すと言っただろう! 妹を殺したそいつは!!」


 影に消えていく白と黒の斑の獣は、私の叫び声に長い斑の尻尾を横に振って答えただけで、その姿を消してしまった。


 そして、私の耳には城の中で次々と悲鳴が聞こえてくる。それと同時に聖獣を称える声も聞こえてくる。

 ちっ! アレは悪魔だ。崇めるような獣ではない!


 悲鳴が収まったかと思えば、獣が縄張りを示すように、国中に響く大きな声で吠えた。響き渡る獣の声に歓喜の声が混じって聞こえる。

 あの悪魔め! 最悪だ!


「おめでとうございます。新たな王の誕生でございます」


 侍女カトリーヌが膝を折り、頭を下げていた。くっなんてことだ。


「婚約者殿。まさか、悪魔と契約をしたのですか?」


 この国の玉座に居座ろうとする者は聖獣ラファールに認められなければならない。それがこの国の決まり。

 だから、あの玉座の間で王族を根絶やしにしようとしたレイに、私は聖獣を渡そうと決意をした。聖獣を宿す者であるなら、必然的に、あの悪魔も認め得ざる無い。

 しかし、レイは既に悪魔と何かしらの契約をしていたのだ。何を取り引きしたのかはわからないが、レイは玉座を望んだのだろう。


「悪魔と契約ですか……確かに今思えば悪魔との契約だったのかもしれませんね」


 その瞳は先程の怒気は孕んでおらず、いつもの笑顔に戻っていた。いや、笑っているものの私を責めるような視線を向けてきた。


「そう言えば何故、教えてくれなかったのですか? イリスがあと三ヶ月で殺されると」


 三ヶ月。それは私の誕生月であり、18歳を迎える前に、私は毒杯を賜る予定だった。


「第二王女が教えてくれなければ、しれっと私の元から消えるつもりだったのですか?」

「そうですね。それは元から決められていましたから」


 所詮この世は地獄だ。黒髪金目で生まれてきた私が悪いように、父王には疎まれ、王妃には側妃であった母を殺され、弟には先に生まれてきた私が悪だと言わんばかりに責められてきたのだ。

 その上に悪魔をこの身に宿して、この国の為に戦うことを強要される日々。傷ついても直ぐに治るだろうと放置され、休んでいる暇などないと、次々に戦いの場に身を投じさせられる日々。

 これが地獄でなくて、なんなのだ。


 いや、私には平和な世界でのんべんだらりと過ごした記憶がある。それがきっとこの世界を地獄だと思わされているのだろう。


 ただ、こんな私にも心の癒やしはあった。唯一私のことを心配してくれる妹だ。


「そうですか。アリアが私のことを……」


 視界がにじみ、頬に何かが流れる触感がつたう。鮮明に思い出される妹の死。私は妹をアリアを守れなかった。首枷がなんだ。手枷がなんだ。両足を剣で突き刺されていたのがなんだ。

 腕をもいででも、足が取れても、助けるべきだった。だって、私の傷なんて直ぐに治るのだから。

 だが、実際は首が落とされる妹の姿を見つめるだけだった。身体が動かなかった。

私はなんて愚か者なのだろう。



 不意に頬を拭われた。顔を上げると顔の右側に上から下にかけて四本の筋が薄っすらと残ってしまっているレイが心配そうな視線を向けている。やはり、右目の見えていないようだ。微妙に視線がズレている。


「レイ様。すみません。私は治癒の魔術が苦手で……あとで、腕のいい治療師の方に治してもらってください」

「これは、このままでいいですよ。安易に聖獣殿と契約を行った罪ですから。イリス。貴女の言った通り悪魔との契約は、望みは叶ったものの、その過程は悲惨なものでしたから」


 レイはそう言いながら、私を抱えたまま寝室を出ていく。見慣れた私の部屋だが、ただ一つ私の部屋には無かったものがある。


「転移門?」


 人が一人通れそうな、木の枠があった。その木の枠にはびっしりと魔術文字が刻まれているのだった。


「私は聖獣殿に貴女を願ったのですよ」

「え? 王位ではなく?」


 私は思わず聞いてしまった。第三皇子となれば、皇帝の地位を狙えなくもないが、第一皇子の皇太子が優秀だと噂に聞いているから、レイが皇帝になることはないだろう。だから、属国となろうが、一国の主となるのだ。その地位が悪魔と契約することで得られるのであれば、安いものと考えてもおかしくはない。

 しかし、レイは私をと言った。これはおかしなことだ。レイの前では大量に猫を被った、どこでもいるような王女だったはずだ。


「貴女ですよ」


 レイはそう言って、転移門をくぐって行った。

 そして、転移門の出た先は王城の中にある石造りの教会の中だった。ひんやりとした空気が頬に触れる。

 カツカツと歩くレイの足音がシーンと静まった教会の中に響き渡っている。


 レイは祭壇前に置かれた棺の前で私を下ろしてくれた。赤い絨毯が敷いてあるものの、室内履きのシューズは教会の冷気を伝えてくる。


 棺の蓋を開けると、金髪の美しい少女が、白い花に囲まれて眠っていた。


「アリア」


 まるでいつも通り目を開けて『お姉様、おはようございます』と声を掛けてくれそうなほど、綺麗な顔だった。


「彼女の死は私の失策です。責めるのであれば、私を責めていただいて構いません」


 己の失策だというレイに向かって私は首を横に振る。恐らくこれはあの悪魔が一枚噛んでいる。アリアの死は、悪魔にとって必要なことだったということだ。


「私はレイ様を責めることはありません。これは全てあの悪魔の思惑だったということです。この地獄は何者かの意図によって動いているのですよ」


 私はアリアの魂が輪廻の輪の中に戻り、次は平穏な世界で寿命を全うできることを願った。こんな地獄のような世界ではなく、平穏な世界でのんべんだらりと。


「あのときもイリスはそのようなことを言っていましたね。この世界は地獄だと」


 あのとき? 私はレイにそんなことを言ったのか? いや、私はレイに向かってそのような話をした記憶はない。


「貴女と初めて会ったのは、コルバールの戦場です」


 ん? コルバールの戦場……なんだか嫌な予感がする。

 祈りを終えた私は、棺の蓋を閉めてレイを見上げた。


「定石など無視をして、敵将が単騎で戦場を駆け抜けて、一人でガルバニア砦を落とした戦いですね」

「すみません」


 あれは十歳の私が戦場に叩き出されて、むしゃくしゃして、敵の砦を完膚なきまでに潰した戦場だった。


「あれは私の初陣でしてね」

「すみません」


 私は謝るしかない。


「あの戦いで、分が悪いと判断した側近に、荷物に紛れて逃げるように言われ、地下の物置に放り込まれたのですよ」


 ん? なんだか。記憶に引っかかる光景が……

 あれか! 悪魔に地下に閉じ込められているガキがいるから、助けてやれと言われたやつか!


 めっちゃ口悪く『お前、何をしてこんなところに閉じ込められたんだ』と薄汚れた十三歳ぐらいの少年に聞いた記憶が蘇ってきた。


「地下の倉庫に閉じ込められたと勘違いした貴女は、私を担いではしごを使わずに軽々と地下から出ていきましたね。それを見て、これは相手にすべき国ではないと悟りました」


 まぁ、十歳の子供はジャンプ一つで地下から出ることはないだろう。これも悪魔に憑かれたから、できることだ。


「私を人質に取られたと勘違いした側近は、無謀にも貴女に立ち向かっていき、返り討ちにされましたね」

「すみません」


 そういえば、すごく意気込みのある連中が向かってくるなと思っていたが、レイの側近だったのか。それは、第三皇子を人質に取られたとなると、必死になるな。

 それからいつも城に連れてくるレイの側近が数人しかいないのが不思議だったが、そうか……私がヤッてしまっていたのか。

 これって、私は相当レイに恨まれていないか?


「砦の最上階に連れて来られて、何をするのかと思えば、自ら砦を落としたと勝利宣言をしている姿を見て、この者には常識という物が無いのかと疑いましたね」

「ごもっともです」

「ただ、乾いた大地に響き渡る聖獣の遠吠えは、戦場にいる人々に勝敗は決したと伝えるには効果的でしたでしょう。砦の最上部には白き獣とそれに付き従うようにいる戦女神の化身と言って良い、イリス」


 まぁ。むしゃくしゃしていたのもあるけど、戦いを一番短く。そして、被害を最小限に抑えるには敵陣を叩くのが一番だと思ったのも事実。


「惚れ惚れしました」

「は?」


 いや、そこは引くところでは?


「ということで、皇帝陛下に聖獣の力を得るためという建前を言って、イリスを手に入れる計画を立てたのですよ」

「レイ様。そこは私に復讐するためという理由になるのではないのですか?」

「なりませんよ。貴女はこの世界を地獄だと表現しました。明けても暮れても戦っていると、それは自分の意志ではなく、誰かの意図によって戦わされていると、この戦場にいる誰も彼もが、誰かの意図によって戦わされていると」


 ああ、確かに言ったな。そして少年は私に聞いてきた。


「だから貴女は世界の平穏の為に戦っているのでしょうかと尋ねれば、大笑いされてしまいました」


 ふん。誰がこの世界の為になんて戦うか! そもそも八歳から戦場に送り出している時点でおかしいのだ。


「一番地獄の底でもがき苦しんでいるのが、自分自身だと。何れ、役目を終えたら殺される運命だと。ただの駒の一つでしかないと、私より幼い少女が言うのです。しかし、少女の目には絶望の色はなく、世界に一矢報いるように戦場を見ているのです。ならば、その運命から解放してあげようと思うではないですか」

「普通は思いませんよ。それで、悪魔と契約をすれば、元も子もないです」


 するとレイはクスクスと笑い出した。


「ええ、聖獣殿の感覚と我々人の感覚は違うのだと、認識させられました。聖獣殿にとって重要なのはイリス、貴女の存在のみ。だから、貴女の在り方には興味がないのですね」


 そのとおりだ。父王や王妃、弟が殺されても、あの悪魔はどうでもいいことだった。そして、妹のアリアもあの悪魔にとって、死んで当然だった。


「そうですね。重要なのは、初代国王の姿を持った存在です」


 黒髪に金目。これが本来の王家がまとう色だ。そして、父王には初代の血は流れていなかった。

 私はオールバックメガネを簒奪者の息子と貶したが、父王が王妃の子であっただけであって、実質王兄にだけ初代の血が流れていたのだ。

 因に殺された私の母親は、父王のいとこに当たる者だった。だから、私に初代の血を示す黒髪金目が現れたのだが。


「ここは冷えますね」


 レイはそう言って、私を再び抱えて歩き出した。いや、歩けるし。


「ただ、イリスを生かすという一点のみが、目的として同じだったのですよ。ですから、聖獣殿は私を玉座に座することを認めたのですよ」

「はぁ。あの悪魔が文句を言わずにいると思えば、そんな裏取引をしていたのですか」

「ええ、もう後戻りはできませんから、私と共にこの国で、争いがない世界をめざしませんか?」


 ……大きく出たな。はっきり言って、この国は聖獣がいるというだけで、国として形を保っているが、これからは帝国の属国となる。

 帝国から兵を差し出せと言われれば、それを拒否する権利はない。


「あ……もしかして、帝国の動きを気にしていますか? それは問題ありませんよ。皇帝陛下に頼み込んで直属の腕の立つ者たちをこの国に連れてきましてね」

「……レイ様。ちょっと怒っていいですか?」


 確かに皇帝の犬が入り込んでいると思っていたが、まさか皇帝の直属の影の軍団じゃないよな。


「まぁ、聞いてください。その者たちは聖獣殿に始末してもらいましたから、大丈夫ですよ」


 嫌な予感がする。それも契約に盛り込んでいたとかないよな。


「皇帝陛下の周りが手薄になったところで、皇太子である兄が、皇帝を討つ手筈になっているのですよ」

「レイ様。天気の話をするような感じで、皇帝の首を取る話をしないでいただけますか?」


 やはり帝国ってヤバいじゃないか。こっちのゴタゴタを利用して皇帝を討つ計画を立てるなんて、皇太子が頭が切れるという噂は本当らしい。


「すでに事が終わったことなので、コソコソ話す必要もありませんから」


 もう全てが終わった後だった。


「ですから、イリスが心配することは何もありませんよ。イリスに地獄を見せていた王族は私の手で殺しましたし、この国の脅威となるものは、聖獣殿が始末しました」


 ……ちょっと今思い出したことがある。幼い第三皇子レイアクティスに関する噂だ。


 銀髪碧眼は初代皇帝を彷彿とさせ、温度のない視線と冷笑は、言葉を発しなくとも自然と膝を折ってしまうほどの畏怖を感じさせ、その口から命じられる言葉は容赦のない言葉ばかり。現皇帝よりも皇帝らしいと、噂になっていた。しかし、第一皇子が皇太子になる前後にはそんな噂は消えていた。

 これは皇太子が受けている称賛は、レイが裏で糸を引いていたのではないのかと……


 もしかして、帝国でも一番ヤバいヤツに私は目をつけられてしまっていたのではないのだろうか。

 それも初代の皇帝は悪魔だとか魔王だとか言われいたはずだ。


 悪魔(聖獣)魔王(レイ)に気に入られてしまった私の未来はどうなってしまうのだろうか。


「何もイリスが悲観することは、ありませんよ」


 レイは良いことをしたと言わんばかりに、朗らかに笑っているのだった。



_______________


レイアクティスSide


「おや? わざわざ帝国まで来て私に会いにきたのですか?」


 私の目の前にいるのは、婚約者のイリスラメリア第一王女の妹である第二王女。まぁ、イリスが可愛がっているから、存在は認識していますが、名前を覚えるほどではありませんね。


 金髪に榛色の瞳。容姿にしてもイリスとは似ても似つかない。


 一応、婚約者の妹君だからと応接室に通したものの、周りを挙動不審に見渡し、ソワソワと落ち着かない様子を見ますと、王族とは思えませんね。

 まぁ、壁際には帯剣した者たちが控えてはいますが。


「ヴァルハリア帝国の第三皇子であらせ……」

「ああ、そういうまどろっこしい挨拶はいいです。要件をさっさと言ってもらえませんか? 私は貴女に裂く時間など無いに等しいのですから」


 すると、第二王女はビクッと肩を揺らして固まってしまった。本当に小物ですね。


「あああアンリーシュの月がお姉様の誕生月だとご存知でしょうか?」

「貴女は私をバカにしていますか? 婚約者の誕生月も知らないと」

「めめ滅相もございません。私はお姉様を助けたいのです」

「どういうことですか?」

「お姉様が十八歳の誕生日を迎える日に毒杯を賜ることが決まりました」

「ほぅ」

「ひっ!」


 第二王女は寒さに絶えるようにガタガタと震え始めました。この室内は過ごしやすい温度を保つ魔術が施されているので、そこまで寒さはないと思いますよ。


「詳しく教えていただけませんかね」

「ああああ……」

「殿下。殺気が漏れていらっしゃいます」


 指摘されなくともワザとですよ。仕方がありませんね。話せるぐらいには抑えてあげましょうか。


「我が国には聖獣がいるということをご存知でしょうか?」

「はぁ、知らなければ、私がイリスの婚約者になることは無かったでしょうね」


 この者と話すのは疲れますね。イリスの聡明さを少しでも分け与えられなかったものなのでしょうか?


「貴女は私の質問のみ答えてください。私への確認は不要です。要点のみを話してください」

「申し訳ございません。お姉様は聖獣様のお気に入りなのです。正確には聖獣様は黒髪が好みなのです」


 ……この者はバカなのですか? 私は要点を話せと言ったはずですが? 誰が聖獣の好みの話をしろと言いましたかね?


「貴女では話になりませんね。後ろにいる者。説明しなさい」


 第二王女の後ろに控えている者は、確かイリスの侍女だったはず。


「その前にイリスの侍女である貴女がここに来ても良いのですか?」

「はい。姫様は一週間ほど戦場に出てくると言って、城にはおりません」

「ちっ! また、嫌がるイリスを戦場に送っているのですか?」


 思わず、舌打ちがでます。だから、イリスがこの世界は地獄だと言うのではないのですか。


「私はそれに意見をする立場ではありません」


 イリスの侍女は深々と頭を下げていますが、一介の使用人では無理なこと。


「わかっています。それで、何がどうなってイリスが毒杯を賜ることになっているのですか? 一年後の新年を迎えるに合わせて結婚式を挙げる予定でしたよね」

「はい。その通りでございます。ただ、姫様が五歳の時には毒杯を賜ることは決められておりました」


 そうですか。だから、あの時に役目を終えたら殺される運命だと言っていたのですか。


「その言い方だと、その時点ではイリスが死ぬ日は決められていませんね。きっかけは、私との婚姻ですか?」

「はい」


 恐らく第二王女は聖獣という存在の在り方を知らないのでしょう。しかし、侍女である者は聖獣の在り方を知っている。


「エンフェルト王国は聖獣を帝国に渡したくはないという意志表示ですか?」


 すると侍女の者はゆるく首を横に振ります。違うというのですか?


「聖獣様は王国内でなければ、存在できません。ですから姫様も王国内から出ることはありません」


 それはおかしいですね。あの時国境を超えてもイリスと聖獣は共にありました。違いますね。エンフェルト王国建国時は今の領土の倍はありました。それを徐々に帝国が侵略してきた。だから、元々はあの場は王国の領土であったために、イリスも聖獣も存在できたということですか。


 しかし、これでは矛盾が生じますね。いいえ、だからイリスは殺されなければならないということですか。そして、イリス自身も理解している。

 婚約者となった私の前では、王女としての体裁を保っていますが、それはあのように歪んだ目で世界を見るわけですね。


「しかし、帝国の皇子である私にそれを言っても良かったのですか? 私はイリスの婚約者ではありますが、帝国人ですよ」

「わかっております。その結果がどのようなことになりましても、後悔はありません。ただ初代国王の血を唯一引き継いだ姫様が生き残ることのみが、王家を護るものの使命であります」


 侍女の者の意見はシンプルでわかりやすいですね。イリスが生き残るのであれば、最悪、国がどうなってもいいと言っているのです。


「わかりました。イリスが戻ってくるときに合わせて、王城を訪ねましょう。一度、その聖獣というモノと話をしてみたいですね。話ができるというのであれば」

「かしこまりました。レイアクティス第三皇子殿下のお越しをお待ちしております」


 頭を下げた侍女は、第二王女を促して退出していった。これは第二王女を出しにして、あの侍女が申し出てきたことかと、笑いが込み上げてくる。

 あの金色の瞳は王家の血筋のものでしょう。そして、イリスのみを姫として扱い、第二王女に対しては、主君とは認めていない態度。

 イリスの侍女もなかなかの曲者のようですね。


 さて、これは早々に動かねばなりません。あと半年とは少々時間が少ないですね。





 一週間後、婚約者のイリスに会うという名目で、エンフェルト王国を訪ねてみれば、イリスはまだ戻っていないというではないですか。

 転移門で皇城と王城を繋いでいるとは言え、私も暇ではないのですがね。


「殿下。第一王女は夜半にも王城に戻るとの連絡がありました」


 部下の一人が報告してくれますが、この国はイリスを酷使しすぎてはいませんか。しかし、私が来ているとイリスにも報告が行っているでしょうから、急かした形になってしまったのかもしれません。夜中に戻ってくるぐらいなら、途中の街で一泊すればよかったのにと思ったのですが、イリスに会うのが楽しみであるのも、事実です。


「そうですか。明日の午前中にでも会えるように、調整しておくように」

「かしこまりました」


 確認の途中だった書類に再び目を落とそうかとしたとき、ふと窓際が気になった。

 あの窓はバルコニーがあるところですね。


 西日が入ってきている窓の近くに行くと、風になびく黒髪が視界に映り込みます。まさか……


 人が出入りできる窓の扉を開けると、そこには夜半過ぎに戻ってくると連絡があったイリスの姿がありました。風になびく黒髪を押さえ、戦場に行ったままであろう薄汚れた姿ではあるものの、金色の瞳は美しく輝いています。

 ……いいえ。違いますね。


「イリスの姿をした貴方は何者ですか?」


 すると王女らしく澄ました表情をしたイリスはニヤリと笑った。それはイリスであることを否定した笑みだった。


「カッカッカッカッ!お主が我に会いたいと言っておったのであろう?」


 どうやら、中身は聖獣と呼ばれる存在だった。


「ええ、そうですね。お会いできて光栄です白虎ラファール殿」

「なんじゃ。動じておらぬな。つまらぬな」


 どうやら、私に驚いて欲しかったようだが、どう見てもイリスではないのに、驚きようもない。


「まぁよい。お主がここに来たということはカトリーヌの申し出を受けるということかのぅ」

「カトリーヌ?」

「この者の侍女じゃ」


 この話からすれば、あの侍女もただの使いであって、本来の依頼主はこの聖獣ということか。いや、聖獣も侍女も第二王女もイリスを生かすという点において意見が一致したということだ。


「それでじゃな? お主、この国の王になる気はあるか?」

「さて、それはどのような真意があるのですかね」

「いや、我はただ今の王が嫌いでな。早く玉座を降りて欲しいと思っているのじゃ」


 ああ、初代の王の血筋はイリスにのみ現れたというものですね。


「お主には利点しかあるまい。気に入っているこの娘が手に入って、皇太子に気を使わなくていい環境じゃ。カッカッカッカッ」

「イリスの姿で変な笑い方をしないでいただきたいものです」


 聖獣という存在には私が皇太子である兄に気を使って、息を潜めていることなどお見通しということですか。まぁ、皇帝の玉座など興味はありませんでしたが、イリスの生きやすい環境を作るには、王になることもいいかもしれませんね。


「良いではないか。それで返答はどうじゃな?」

「それだけでは返事はできませんね。他に条件があるのではないのですか?」


 確かに私に利点がありますが、うまい話には裏がある。それが世の常です。


「お主は良いなぁ。イリスもひねくれておるが、お主もなかなかな者じゃな。条件は一つじゃ、お主が手を出してよいのは王と王妃と王太子のみじゃ、それ以外は手をだしてはならぬ」

「ほぅ」

「そうじゃなぁ。ついでと言ってはなんじゃが、我が帝国の邪魔者を始末してやっても良いぞ。ここに連れてくればという条件はつくがな」


 これは聖獣が望む未来があるということだろうか。


「聖獣殿には未来が見えているのですか?」

「カッカッカッカッ。我は聖獣じゃ。お主なら我が望む最適解を導き出させるじゃろ?」

「難しいことをおっしゃる」


 とは言いつつ、頭の中ではどのように動けばいいのか、計算している己がいる。大体は理解できた。


「それよりも、いつまでイリスの身体を乗っ取っているのでしょうか?」

「おお、そうじゃそうじゃ。お主が王城にいると報告を聞いて、コヤツが転移を使えば間に合うんじゃないかと、馬鹿なことを言って、転移酔をして意識を失っておったのじゃったな」


 は? 転移魔術を単独で? あれは危険な魔術として禁忌に定められているはずですが。


「ああ、このことはコヤツには言うでないぞ」

 

 そう言ってイリスの姿をした聖獣は目を閉じた。そして、再び金色の瞳が姿を現したイリスは珍しく王女の仮面が剥がれてしまっていました。


「え? ちょっと待て、私は王城の城門前に転移したはずだったのだが? 転移を失敗した? 流石に三日間寝ずに戦場を駆けたのがやばかったか?」


 それは人として問題がありますね。イリスの言葉からは禁忌の転移を頻繁に使っているようですし、これは転移酔いというより、身体が限界で意識を飛ばしたという感じでしょうね。


「イリス。おかえりなさい」

「あ、レイ様。ただいま戻りました」


 そう答えるイリスはいつもの王女らしい笑みを浮かべていました。


 さて、皇城に戻れば、早速皇太子の兄を動かして、事を進めましょう。皇帝としては器が未熟な兄は、今の帝国を維持することで精一杯でしょうから、兄の周りを掃除することから始めなければなりませんね。

ああ、それから転移は禁忌だとイリスに言っておかないといけません。






 しかし、まさか私が心臓が止まるかと思う事態が起こるとは思ってもみませんでした。


 ええ、この現状です。


 イリスがサイザール卿の剣に刺されたことです。しかし、手を出してはならないと言われた以上、私はこの状況を静観しなければならない。それに、この手枷に首枷は誰の指示ですか?私はそのようなことは命じていませんよ。

 というこの状況に、何も知らないイリスが私に何かの術を発動させようと口づけをしてくるではないですか。

 思わず突き放してしまいました。

 このような状況でなければ、受け入れたのですけどね。

 慌ててイリスを抱き上げるも、剣の傷に苦しんでいるというより、普通に眠っているという状況にみえます。聖獣をその身に宿すということはこういうことなのかもしれません。


「勝手な行動をしたサイザール卿を殺せ」

「いや、待つがよい」


 私がイリスを傷つけたサイザールを殺すように命じる声を遮るように、イリスが声を上げた。いいえ、これは聖獣ですね。


「その男は後で我が始末する故、閉じ込めておくとよい」


 ああ、あの条件に入るということですね。


「聖獣殿。イリスに刺さっている剣を抜いていいでしょうか?」

「まぁ、良いが、コヤツも無理をしてここまで来たところに、可愛がっている妹が殺されたからのぅ。相当弱っておる。数日は眠ったままになるじゃろうな」


 私にとってみれば、第二王女などイリスと天秤に掛けることもないほど、価値はないが、イリスにとっては唯一の家族だったということでしょう。

 まぁ、その内そんな存在など、忘れますよ。


「それから、この枷はそのままで良いぞ」


 いや、枷ぐらいは外しても……これも手を出すなに入るということですか。





 イリスが目覚めたと侍女から連絡を受けてイリスの部屋に行ってみれば、なんて神秘的な姿になったイリスがいるのでしょうか?


 聖獣白虎のように白と黒が入り混じった髪に、頭の上には人にはない丸みを帯びた白い耳、背後からはゆらゆらと揺れている斑な尻尾。これが心臓を鷲掴みされるということですか。


 そんなイリスを堪能したいと思っていたら、邪魔なヤツが割り込んでくる始末。誰ですかね。この者を出した者は。


 イリスの爪で傷つけられたのは予想外でしたが、これはイリスをサイザールの剣から守れなかった己への罪として受け入れましょう。




「レイ様。結局、目は治らなかったのですね」


 右目を眼帯で覆った姿にイリスは心を痛めているようですが、これはワザと治さなかったのですから、イリスが気に病むことはありません。

 しかし、イリスが私のことを心配してくれるというのも中々いいものですね。


「イリスの姿が戻らないのと一緒ですよ」

「グフッ。それは言わないで欲しい」


 頭の上の丸い耳を押さえながら、項垂れているイリスも可愛いものですが、私の方を見てほしいですね。それから、最近は少しずつ王女の仮面が剥がれることがあります。

 きっと白虎の姿がそうさせているのでしょうね。


「そう言えば、最近私は戦場に行っていないのですが、よろしいのですか?」


 今まで戦いに身を置き続けたからでしょうか? この国の防衛のことが気になるようですね。


「イリスはその姿を見せびらかせたいと」

「あ、それは勘弁して欲しい」

「そうですよね。この可愛いイリスの姿を堪能して良いのは私の特権ですから」

「可愛くないし、悪魔が『カカカカッ』て笑っているし、うるさいし」


 この世界で唯一、聖獣の力をその身に宿した、イリスは外に出すわけにはいきませんからね。

 イリスが言っていたように戦争とは誰かの思惑によって行われているのです。ですから、その思惑を叩き潰せばいいこと。

 今頃私と敵対したことを後悔していることでしょうね。


「イリスは可愛いですよ」


 うつむいているイリスの顔に近づき、口づけをする。さて、聖獣殿の望みはこれで叶うのでしょうかね。


 この世界が地獄だというイリスには、これからは存分に甘えさせてあげましょう。



_______________


「我の本当の望みか? 今の王が気に入らないではいけないのかのぅ?」

「別に初代国王の血筋はイリスだけということはないですからね。イリスにこだわる理由ですよ」

「カッカッカッカッ! お主の慧眼には感服じゃ。コヤツはな。別の世界で生きた記憶を持っているそうじゃ?」

「は?」

「おぅ! は? じゃろ? 死んだ魂は無に還るそれが常識。しかし、コヤツはその常識を覆したのじゃ」

「別の世界ですか」

「コヤツ曰く、転生じゃ。じゃからな、コヤツの魂に付いておけば、我はここから解放され新たな生を得られるかもしれん」

「おや、もしかして、死んだ後もイリスにつきまとうと、しているのですか?」

「良いじゃろ。良いじゃろ。羨ましいじゃろ?」

「羨ましいですね」

「カッカッカッカッ。ならば、一つ禁忌の魔術を教えてやろう。失敗はするなよ」




ここまで読んでいただきましてありがとうございます。


いつも通り、長編設定です。


前半は主人公視点。後半は腹黒皇子視点でした。


少しでも面白かった・良かったと評価いただけるのであれば、この下にある☆☆☆☆☆を反転させて評価いただくと嬉しく思います。


ご意見ご感想等があるのであれば、下の感想欄からお願いします。


追記

“いいね”で応援ありがとうございます。

ブックマーク、ありがとうございます。

たくさんの評価ありがとうございます。

誤字脱字報告ありがとうございます。


補足。

色々不足している部分があるのですが、一部開示しておきます。


・イリスの父親が王になった経緯。

 普通であれば聖獣ラファールに認められるには、初代の血筋でなければならず、イリスの父親が王に立つことは、絶対になかった。

 しかし、人と聖獣との認識は違い、王妃の子であり第二王子(イリスの父親)だった者のほうが、側妃の子である第一王子(初代の血筋)よりも王位継承権が上だと認識していた。因に王妃の子と言いつつも王の子でない。聖獣と王妃のみが知る事実。

 それにより、第一王子は己が王に立つために、王位を奪い取ろうと当時の王と王妃を殺し、第二王子を手をかけようとしたところで、聖獣ラファールの制裁が与えられた。

 聖獣ラファールは王殺しは許されざることと、生命を奪った。この事は表向きは幽閉と公表している。聖獣の存在は公然の秘密だからだ。

 そして、イリスの母親を王妃にするように、国を守護する聖獣として助言するも、父王はそれを良しとはせず、側妃にはするものの、黒髪は両親の仇と、側妃とイリスの当たりは強かった。その後、五歳になったイリスに聖獣の力を降ろす儀式が行われ、聖獣ラファールの精神はイリスの中に留まることとなった。そこで魂の輪廻という事を知った聖獣ラファールは、この時点で国を見限り、この世界からの解放を願うこととなる。


 ここで、聖獣ラファールにとっての心残りが、国外逃亡した当時幼子であったオールバックメガネ(サイザール卿)だ。

 聖獣ラファールは王殺しを行った血を絶えさせるきっかけを虎視眈々と狙っており、第三皇子を使って事を成すことに成功した。

 そして、イリスに治療の所為だということにしたが、魂の契約もしれっと行ったのだった。



・レイアクティス第三皇子が何故、王にならなければならなかったのか。

 元々は聖獣ラファールの提案だ。侍女と妹姫の良心に訴えかけるように、イリスが生きる道は第三皇子に委ねるしか道はないと言葉にする。

 第三皇子は、皇帝の地位も王の地位も興味はなかった。何故なら、玉座に拘なくとも、何も困るものはなく、人は己の駒のように動き、事を成しているからだ。

 しかし、聖獣ラファールは第三皇子に王になることを提案してきた。イリスを生かすためと、言いつつ己の欲望を叶えるためだ。

 だが、相手は帝国で色々噂を持っている第三皇子だ。イリスを生かすためということを正論としたのだった。


 イリスとの婚約は帝国から打診されたものなので、イリス側には拒否権はない。これは権力の差だ。だから、第三皇子がイリスの夫となることを前提とする。

 まず1つ、聖獣は宿主の生命が尽きるまで、持ち主の体と共に、存在し続ける。

 次に聖獣は元国土だったところまで、恩恵を与えるが、その範囲の外には出られず、出れば聖獣の恩恵は切れ、宿主の肉体は突然死を迎える。

 そして、王となるには聖獣に認められなければならない。父王の息子の王太子(義弟)が王に立つにはイリスの存在が邪魔だ。だから、聖獣の儀式を行う時に、契約として、イリスの死が組み込まれた。これは兄王の二の舞いにはならないためだ。

 既に国を見限っている聖獣ラファールだが、この契約は絶対だ。この絶対を覆す為に、帝国の第三皇子に王と王妃と第一王子の殺しを依頼する。その報酬は聖獣に認められた王としての玉座と、イリスとの未来。

 しかし、条件として妹姫(義妹)を除外したのは、宿主であるイリスの目の前で死を見せつけるためだ。

 事は予想通り動き、王殺しの血筋も、初代の血を侮辱してきた血筋も絶え、己の願いも叶えられそうだと、白き獣は満足に『カッカッカッカッ』と笑うのだった。



ここまで読んでいただきましてありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[一言] ヒロインが唯一生き甲斐にして大切にしている妹を「すぐ忘れますよ」とけなした時点で、このヒーローの価値が道端の虫の死骸以下になったわ
2023/10/14 10:10 退会済み
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