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双子は六歳になっていた。この年齢で保育所は卒業だというので、竜と戦使の学校が始まるまでは一年の間がある。そればかりはどうにもなるものではない。双子は青竜宮で日日を過ごすことになった。勉強する習慣をつけておいたほうがいいとアスティが言うので、文字を教え、綴りを教え、自分の名前の書き方を教えてやる。すると、アレクサは古代語の本を持ってきて、これも教えてほしいと言った。
「魔法院で古代語を教わるのはいくつのときだ」
「確か、七つだったと思います」
「ではちょうどいい。教えてやれ」
アスティは簡単な古代語から教えていった。アレクサは大真面目な顔でそれを一文字一文字書いている。みみずがのたくったようなたどたどしい文字を、アレクサは得意満面でカシルに見せた。
「おお、なかなかうまく書けているな。これが変化すると、こうだ」
彼はその単語の変化形を書いて見せた。するとアレクサは黒い瞳をまん丸にして、じっとそれを見つめている。しばらくおとなしく何事か書いていたが、やがて紙にでかでかと教わった変化形を書いて父に見せる。
「うまいぞ。母にも見せてこい」
アレクサは本を読んでいるアスティの元へも行ってそれを見せた。アスティの顔がほころんだ。
「お父様に書いて頂いたのね。このあとの変化形もあるわよ。やってみる?」
「やらない。おそとであそぶ」
「じゃ行ってらっしゃい」
アレクサは木刀を持って庭に出た。それを振り回していると、サラヴィスもそれにならった。
「お人形遊びが好きなのに木刀を振る時は別ですね」
「うむ」
サラヴィスは、最近アレクサより背が高くなった。
「王の血を引いたんでしょうか」
「お前だって女にしては背が高い。お前に似たのだ」
アベルとミルワも背が高い方であった。背丈も、木刀で遊ぶのも、血であろう。
そんなある日、戦使族の夫婦で揉め事があった、眷属の王に来てほしいという知らせがきて、カシルはある夫婦のもとへと赴いた。
案内され連れて行かれた住居では、大騒ぎが起きていた。
夫らしき男が、家の入り口で家のなかの人間と怒鳴り合っている。家のなかからは、色色な家財道具が飛んできては、その夫らしき男に当たったり家の外に飛び出たりしている。 夫婦喧嘩か、彼はげんなりした。
「これ、やめろ。バーバリュース様がいらしたぞ」
「私はやめてほしい。あいつが止まらないんだ」
今度は包丁が飛んできた。自分に刺さりそうになったその包丁をすんでのところでよけながら、彼は夫という男に話を聞いた。
「なにがあった」
「ひどい話なんで・・・」
子供の育て方について、夫婦間で意見の食い違いがあった。夫が話し合いをしようとすると、妻が叫び出し暴れ始めたという。
「まずあれをやめさせなければ」
カシルは住居のなかへ入ろうと、扉に近寄った。
「人でなし! 殺してやる」
「まあ待て。殺してはいかん」
彼は妻をなだめようと必死になって声をかけた。妻は興奮して、色々なものを投げてくる。それらをいちいちよけながら、カシルは声をかけ続けた。
「話を聞こう」
すると、怒鳴り声がぴたりとやんだ。妻が、初めてそこにいるのは夫ではないと気がついたのである。
「まずは出て来てくれ」
「・・・」
奥から妻らしき女が恐る恐る出てきた。彼は思わず眉を寄せた。
妻の目の周りが腫れ、頬も赤くなっていたからである。殴られたのだ。
「バーバリュース様・・・」
「その顔はどうした」
妻は泣き出した。
まずは両者の話を聞かなくてはならない。妻は泣きながら話し始めた。それは、聞いている彼からしても我慢のならない話であった。
「とにかく暴力はいけない。外に出られるか」
妻がうなづいたので、彼は注意して妻の手を引いて表へ出た。
「この・・・!」
夫がそれを見て、殴りかからんばかりに身を乗り出した。カシルはそれを鋭く制止した。「この女の話したところによると、お前が浮気をしたので離婚しようと話し合いになった、子供は自分が連れて行く、と言ったところ、殴られたと言っている。本当か」
「それは・・・」
夫は口籠った。
「浮気といってもニ、三回です。それに、娘は私の娘でもある。連れて行くなんてとんでもない心得違いです」
「では浮気も殴ったのも認めるのだな」
「大袈裟です、殴ったなんて・・・ちょっと触っただけだ」
カシルは傍らにいた年かさの者に、妻をこちらへ連れてこい、と囁いた。
「この顔を見ろ。腫れているではないか。女の顔をこうまでなるまで殴るとは触っただけとは言い難い。それに、二、三回の浮気と申したな。もしそれが本当ならば妻としては許せないのは当然だ。娘がいるという。自分の娘が他の男にお前の妻と同じ目に遭わされたら、お前は許せるのか」
「・・・それは・・・」
「離婚するなんて許さないって言うんです。殴られて、このままだと殺されると思って・・・」
「離婚を認める。娘を連れて行くがいい」
「バーバリュース様・・・!」
「浮気、暴力。一つだけでも許し難い。情状の酌量はない」
それからここを片付けろ、と他のやじ馬に命じて、彼は夫に言った。
「オレにも娘がいる。もし娘が同じ目に遭わされたら、天上界の果てまでもその男を追いかけて同じ目に遭わせるだろう」
そう言い置いて、彼は青竜宮へ戻って行った。
「おかえりなさいませ。どうでしたの」
アスティは双子の書き取りを見ているところであった。
「地上にいた頃と大して変わらない話だ」
彼はため息をつきながら彼女が淹れた香茶を飲んだ。事の顛末を話すと、アスティも眉を寄せた。
「なかなかひどい話ですね」
「女は自分の所有物だと信じる男は一定の数でどこにでもいるものだ」
胸の悪くなる話であった。それから彼は、地上にいた頃の裁判の数々を思い出していた。 それらのどれもが、解決には難しく、聞いていて気分が悪くなり、一筋縄ではいかないものばかりであった。
苦々しい顔でむっつりと香茶を飲む彼の横顔を、アスティは痛ましい思いで見つめていた。地上にいた頃、国王であった彼の心労は測り難かった。それが今も、死して尚も、このように降りかかるとは。
「とうさま」
「とうさま」
「おお、どうした。父に見せるものがあるのか」
双子が書き取った文字を彼に見せる。彼は膝の上にアレクサとサラヴィスを乗せて、渡された紙を開いてみた。たどたどしい文字で、アレクサとサラヴィスと書かれている。
「なかなかうまくできたではないか。アルの名前は書けるか」
すると、アレクサは左手で、サラヴィスは右手で、それぞれ書き始める。みみずが絡み合い、そのまま干からびて死んだような字で、ふたりは猫の名前を書いた。
「次は父の名だ。カシルヴァーナ、と書けるか」
「とうさまはバーバリュースでしょ」
「それは天上界での名前だ。地上での名はカシルという。書いてみろ」
アレクサとサラヴィスがぎこちなく彼の名前を書き始め、それを笑顔で見守る彼に、アスティは微笑していた。気苦労の絶えない彼にとっては、こんなひと時こそが癒しであることは、言うを待たなかった。
その日、アレクサとサラヴィスの元へ一通の手紙が届いた。開くと、それは別の眷属の家への招待状であった。
「お友達が遊びに来て、って言っているわよ。どうする?」
「いくー」
「いくー」
「じゃ支度しなくちゃ」
アスティは手土産を揃え、どの星のなんという眷属の子供か調べ、双子の支度を手伝った。
「かあさま、かみむすんで」
「どうしたい?」
「ひっつめみつあみ」
アスティはアレクサの髪を結いながら、今日行く友達の家はどんなところなのか、どんな友達なのかを娘と話した。彼女は夢中になって話している。
「さあできた」
手紙の住所は、カシルでも知っている場所であった。双子を連れて行く途中、彼は双子になんという名前の友達なのか聞いた。
「エレーナっていうの」
「エレーナか。父も知っているぞ。赤い髪の女の子だろう。確か、猫の目族だ」
その友達の家に着くと、すでに保育所の他の友達もやって来ているところであった。彼は母親に挨拶し、その母親は夕飯までには帰します、と約束した。
アレクサとサラヴィスは歓声を上げて家の中に入って行った。
青竜宮へ戻り、カシルは地上の子供たちの同じ歳の頃をアスティと話している。
「アベルとミルワが他の院生の子供の家に招かれたのも同じ頃だったな。アイヴィンとか、ヘレンとか」
「そのふたりなら私も知っています。ヘレンの子供が仲良くしてくれたのですね」
「泊まりに行ったこともある」
その時のアベルとミルワのはしゃぎっぷりをアスティに話して聞かせながら、彼は今の子供たちにもそんな日が来るのは近いな、と考えていた。
日が暮れ、食事の時間が近づいたので、カシルは再びエレーナの家へ向かった。開かれた扉の向こうから、子供たちの嬌声が聞こえてくる。
「お前たち、帰るぞ」
「いやーん」
「もうちょっとー」
「嫌ではない。食事の時間だ」
走り回るアレクサとサラヴィスをつかまえて、彼はエレーナの家を辞した。ふたりとも重くなっていて、抱えるのもひと苦労であった。
「おかえりなさい。どうだった?」
「たのしかった」
「みんなでおえかきしたの」
アスティが出迎えてふたりになにをしていたのか聞いている。
「おやつたべた」
「よかったわね。またお呼ばれされるといいわね」
双子は食卓でも、興奮気味にエレーナの家でのあれやこれやを話していた。
「そのうちここにも呼びたいと言われるぞ」
「そうするとやはり《アスティ》の番でしょうか」
「お前が他の住人の前に出たくないというのならそうだ」
「・・・《アスティ》はそんなことはしないと言っています」
「なら仕方ないな」
「ここにもよんでいいの?」
「よびたい」
「いつかね」
アスティは笑いながらふたりにそう言って聞かせた。カシルは、魔法院のかつての自分たちの住居に双子の友達を招待した日のことを思い出していた。ふたりだけでも精一杯なのに、それが四倍になってやって来た時の苦労は、今でも忘れられない。走り回り、転げ、笑い、紙に落書きをしていたかと思えば追いかけっこに興じる子供のエネルギーに一日付き合わされ、疲労困憊したのを覚えている。そんな日がまたやって来ようとは、思ってもみなかった。
ある日、戦使族の者が血相を変えて青竜宮にやってきた。事情はここでは言えないが、ぜひともバーバリュース様に来ていただきたい、という。
「なにがあった」
「あちらで申し上げます。なにとぞ・・・」
何度も請われ、仕方なく彼はアスティに見送られて出かけて行った。
連れられてきた住居の前では、眷属の者たちが一様に暗い表情でどうすればいいかわからないといった態で立ち尽くしていた。どうやら、ある家族の家の前のようである。カシルを案内してきた者がその家の扉を叩くと、しばらくして中から男が出てきた。扉が開いた拍子に、家の奥で誰かが泣いている声も、聞こえてきた。
「お連れしたぞ」
「バーバリュース様・・・!」
出てきた男はその家の夫なのであろうと見当をつけた彼は、何事があったのかと訊ねた。 眷属の王を呼びつけたのにも関わらず、夫は苦々しい表情を浮かべてなかなか話そうとしない。
---------人目が気になるのか。
そう思ったカシルは、
「中に入って話すか」
と聞いた。
「・・・いえ・・・中には妻がいます」
先程の泣き声が思い出された。
一体何があったというのだ。
困惑する彼に、年かさの、集落の長らしき者が歩み寄ってそっと囁いた。
「手籠めにされたのです」
「なに」
彼は思わず声を上げた。
「誰にやられたんだ」
「それが、泣くばかりで申しません。顔は見たはずなのですが・・・」
カシルは夫の顔を見た。苦々しい顔、何かを言おうとして言い出せない様子、なるほどそういう事情があったのか。
やるせない怒りを覚えながら、彼は夫に歩み寄った。
「まずは話を聞かなくてはならない」
「私が話を聞こうとしても、泣くばかりで話さないのです。どうすればいいのか・・・」
「オレが行ってみよう。それでもいいか」
夫に許可を求めると、願ってもないという。そこで彼は扉を開け、妻に声をかけた。
「バーバリュースだ。入ってもいいか」
ぴたりと泣き声が止んだ。誰かに話しかける声が聞こえ、中から子供が出てきた。
---------子供がいるのか。
すると子供は彼を見上げてこう言った。
「バーバリュース様だけで来てほしいって」
「そうか。わかった」
彼は表に顔を向けると、誰も入って来ないよう命じ、もう一度中に入った。
妻は寝室にいた。
泣き腫らした顔、ぐちゃぐちゃに乱れた髪、引き裂かれた衣服。
「バーバリュース様・・・」
「なにがあった」
彼が近寄ると、妻はまた泣き出した。その肩を抱きながら、カシルは彼女が泣き止むのをじっと待った。長い間、妻は泣き続けた。どうすればいいかわからないように、彼女の子供が側で立ち尽くしている。
妻が泣き止むと、カシルは事情を聞き始めた。
それによると、話はこうだった。
その日、妻は息子を竜の巣にある竜と戦使族の学校へ送り出すと、いつものように住居へ戻ってきたところであった。
家の扉を開けた瞬間、突然背後から気配がして、彼女は襲われた。襲ってきた男は彼女を殴って昏倒させ、寝室に運ぶと彼女を犯した。その最中に目が覚めた妻は、男の顔をはっきりと見た。
「顔を見たのか」
「---------はい」
涙に濡れつくした瞳を彼に向けて、妻は言った。
「しかも息子が帰って来てからも何度も何度も・・・」
「なに」
彼は驚きと怒りで声を上げた。
「子供の前でか」
妻は弱々しく、しかしはっきりとうなづいて見せた。
カシルは怒りのあまりめまいを覚えながら、低く唸った。
「その男は何か言っていたか。顔は覚えているか」
「はい。あの顔は忘れようとて忘れられるものではありません。それに・・・」
「それに?」
「---------こうも言っていました、『戦使族は同族としか結ばれない。ということは、自分との子供が出来ないということだ』と・・・」
---------だから後腐れがないというわけか。
彼は奥歯を噛みしめた。怒りが、全身を震わせる。
「よし、オレの手を握れ。そしてその男の顔を思い浮かべろ。強くだ」
妻は目を閉じ、彼の手を握り、思い出したくない気持ちを懸命に励まして記憶を呼び起こした。
カシルは、その念を感じ取った。
神格の霊位を持っていれば、念を感じ取って自分で見たように映すことくらい出来るはずだ。
その強い思いが、すべてを現実にした。
彼の頭に、ひとりの男の顔がありありと浮かんでいた。
狡猾そうに歪んだ口元、勝ち気な瞳、その髪の色さえ、手に取るようにわかる。
彼は目を開けると、そこにいた子供に言った。
「なにか紙を持ってこい」
紙を受け取ると、今度はそれを額にくっつけて何事か念じた。思いは形になり、形は絵になって現われた。
ひとりの男の顔が、紙に映し出されていた。
「---------この男か」
「は、はい。間違いございません」
「よし。必ず見つけ出して罰を受けさせる。だからもう少しこらえてくれ」
彼は言い置いて、紙を片手に表に出て行った。
「この男だ。探し出せ。なんとしてでも探し出せ」
眷属の王の名において、戦使族全員で探すのだ---------彼は言った。アスティに心話して、竜族に頼むようにも伝えた。
天上界は広い。無数の眷属がある。
しかし、竜族と戦使族はふたつ合わせれば最大の数を持つ眷属である。数で勝れば、必ずや男は見つかるだろう。
数か月して、男は探し出された。
復讐に沸き立つ戦使族に、彼は申し渡した。
「待て。別の眷属というのならまずその眷属の長に話をつけなければならん。オレが行って話をつける。お前たちはもう少し待っていてくれ」
そこで、彼はその男の眷属の長の元へ行った。
男の顔も名前もわかっていた。眷属も、水魚族ということがわかった。
「いきなり訪ねてきて話があるというから聞いてみればけったいな話だな」
水魚族の長は苦笑いを浮かべて彼を迎えた。
「しかしオレの眷属の者は確かにこの男だと言っている。名前はアーロンだ」
「顔はわかっているのか」
「これだ」
絵を手渡すと、
「・・・ふむ。では眷属の者に言って探させよう」
と長は出て行った。勧められた酒を飲みもせず、彼はそこでじっと待った。眷属の女を凌辱した別の眷属の男。この始末をどうすればよいか、彼はずっと考えていた。
数時間して、長は戻ってきた。
「間もなくその男が連れられて来るだろう」
しばらくして、アーロンという男はやってきた。カシルは彼をじっと見つめた。
なぜ自分がこんなところへ連れて来られたのか、一向に理解できないとでも言いたげな歪んだ口元、勝ち気な瞳、その髪の色。間違いない。
「この男だ」
「---------こう言っているが、お前、言い分は」
「知りません!」
アーロンは怒鳴った。
「違う眷属の女を抱いたところで面白味などない。私はそんなことはしない」
「抱いたのではない、凌辱したのだ」
「知らない!」
長は眉を寄せてカシルに言った。
「私の眷属の者はこう言っている。長としては、眷属の者の言うことを信じたい。しかし、別の眷属の王がやってきてこの男がその眷属の者に悪さをしたというのならそれもまた黙ってはいられない。なにか、証拠でもあればいいのだが」
「証拠なんてあるわけない。ただの寂しい女が構ってもらいたいがばかりに出鱈目を言っているんだ!」
カシルは殴りかかりたい衝動を必死にこらえて長に言った。
「眷属の女の話では、首筋に縦に傷があったそうだ」
うむ、と長がうなづいた。
「この男の首を改めよ」
すると、控えていた者たちがアーロンの両脇を押さえ、顔を掴んだ。あちらを向かせ、首を見ると、確かにそこに傷があった。
「---------間違いない」
カシルは呻くように言った。う、とアーロンが苦しそうに呟く。
「仕方ないな・・・」
長は残念そうにため息をついた。
「これ、お前が戦使族の女に悪さをしたというのなら、正義は戦使族にある。お前の命は戦使族に委ねられる」
「そ・・・そんな!」
アーロンはそこに膝まづいた。
「私はどうなるんで・・・」
「この男をどうするつもりだ」
「オレが地上にいた頃、オレの治める国では強姦は死罪と決まっていた」
局部を切り落とし、それを罪人の口に咥えさせ、首だけ出して罪人を埋める。口の中の局部が腐って毒素を出し、その毒で罪人が悶え死んでいくという話を聞いて、男は真っ青になった。
「あ・・・あんまりです! 長、なんとか言って下さい」
「それは被害に遭った女のせりふだろう。なにもしていないのに、孕む危険がないからと犯され、子供の前で何度も凌辱される屈辱がわかるか。その恐怖が、お前にわかるか」
「長! 助けて下さい!」
水魚族の長はうーむと唸った。
「なんとかしてやりたいが悪さをしたのはお前だ。なにもしてやれることはない。好きなようにしてくれ」
言うと、長は下がって行った。アーロンは泣き声を上げた。
カシルは天幕の外を見て、待っていた眷属の者を呼び寄せ、アーロンを連れて行かせた。「お前の刑罰は眷属の者が決める」
彼は被害者の女の家までアーロンを連れて行った。
女は、何も言わなかった。
ただ、憎しみに燃えた瞳で憎々しげに彼を見つめ、その顔に唾を吐きかけると、家の中に戻って行った。
カシルは女の夫に言った。
「好きなようにするがいい」
リザレアにいた頃のような刑罰は、戦使族は執行しないだろう---------しかし、考えられる限り最も残酷な手段で、男は極刑にされるはずだ。女は自分にされたことを、一生忘れないだろう。何も知らずにそれを見ていた彼女の子供も、それを忘れないだろう。そして女の夫も、そんな家族を見ながら共に生きて行かねばならない。
彼が国王だった頃、強姦の刑罰にしては重すぎないか---------そんな声を上げる者もいた。しかし、彼は譲らなかった。見た目は大したことはないし、傷を受けてもじきに治るだろうが、被害者の受けた心の傷がなにより深いものであることを、彼は冒険者時代の経験から嫌というほど知っている。その恐怖を。その屈辱を。
数か月かかった事件がようやく解決されて、彼はほっとして青竜宮へ戻った。アスティがいつものように迎えてくれて、香茶を淹れる。
「・・・そうですか・・・」
とてもではないが子供には聞かせられない話に、彼女は眉を寄せた。
「その男はどうなったのでしょう」
「今頃は早く殺してほしいと懇願せんばかりの目に遭っているだろう」
彼は吐き捨てるように言った。苦々しい、重苦しい思いを噛みしめたような顔であった。「とうさま」
「とうさまおかえりー」
そこへ、子供たちが扉を開けて走り寄ってきた。彼の表情が緩んだ。
「おお、来たなうちの砂嵐たち。今日はなにをしていた」
「けんじゅつごっこー」
「アレクサまたかったー」
「そうか。よくやった。サラヴィスも強いぞ」
そう言って彼は双子を抱き上げた。アスティは微笑して寝酒の支度をし始めた。眷属の王として、時にはしたくないこともやらねばならない。地上にいた時と少しも変わらないその重圧のなか、こうして子供たちと共にいられる時間こそが、彼にとって救いであることは言うまでもなかった。