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 星天竜懐妊の知らせを聞いて、眷属の者たちが続々と祝いを述べにやってきた。彼らの多くは贈り物を携えてきたため、青竜宮はそれらの品々で溢れた。余分な部屋はないので、かつて王城にしていたように、魔法で空間をねじ曲げて部屋を増やさなくてはならないほどであった。ひっきりなしにやって来る客の対応に、ルエは忙殺された。

「柳水族の方がお見えです」

「戦使族の方がお見えです」

「カレヴィア様、地景族の方から贈り物でございます」

「バーバリュース様、戦使族のルウェン様より海鳥の卵が届けられましてございます」

 あまりの様子に、カレヴィアはかんしゃくを起こした。

「気が休まらん。戦使族に言って見舞いは不要だと伝えろ」

「言ってはいるがそういう時に聞くものではない」

 カシルは腕を組んで平然とこたえる。カレヴィアは顔を真っ赤にして怒鳴った。

「竜族にも伝えたが誰ひとりとしてそれを聞く者がおらぬ。儂は竜族の王ぞ」

「頼むから落ち着いてくれ。身体に障る」

「やっておれん。代わってもらう」

 カレヴィアはぷりぷりになって寝室へ行ってしまった。カシルが追いかけて行くと、アスティが困ったように笑っている。

「相当怒っています」

「それはそうだろう。来客が絶えない」

 ふたりは贈り物の置かれている部屋へ行ってみた。

「すごい数だな」

「はい」

 竜王に栄養をつけてもらおうと、多くの者たちが食べ物を持ってきていた。卵に肉に魚、妊婦によいとされている薬草まで、それは種々様々であった。

「部屋がいっぱいになる前にこなしてしまいませんと」

 そう言ってアスティは、料理人に言って積極的に贈り物を使って料理してもらうことにした。

 しかし、食べたそれらの悉くを、彼女は吐いた。

「つわりがひどい?」

 見舞いにやってきたザドキエルは思わず声を上げていた。

「なにを食べても吐く。医族の長はすぐ収まるだろうと言っている」

「大丈夫なのか」

 寝室から出てこないカレヴィアを、ザドキエルは案じているようだ。

「寝ている。気分が悪いと言ってな。すまんが今日は会わせてやりそうにもない」

「それは構わんが・・・」

 ザドキエルは椅子に座った。

「つわりってのはどれぐらい続くんだ」

「ふつうは妊娠初期だとされている」

「じゃあじきによくなるだろう」

 カシルが出した酒を飲みながら、ザドキエルは続ける。

「名前はもう考えたのか」

「性別がわからないからな。まだ考えていない」

「楽しみだなあ」

 ザドキエルはカレヴィアの天上界での唯一の友である。親友と言ってもいいカレヴィアの身体の主の妊娠に、天使は喜びが抑えられないようだ。

「男と女どっちだろうな」

「さあな。どっちでもいい。健康であれば」

 実は天使たちは、産まれるのが男か女かでも賭けをしている。さすがにザドキエルはそれらの賭けには参加していないが、まさかそれを言うわけにもいかない。

「とにかく身体を冷やしちゃいけないんだとさ。カレヴィアによろしく伝えてくれ」

 そう言ってザドキエルは帰っていった。

 カシルが寝室に行くと、アスティは青い顔をして横になっていた。

「すみません」

「そんな気は遣わなくていい」

 彼は側に寄った。

「何か食べられそうか」

「・・・」

 アスティの顔が浮かないものになる。彼女は今、料理人が知恵を出して作った料理のほとんどが食べられない。眷属の者たちが、地上のこういった料理はどうか、こんな食材はどうかと調べては訪ねてくる。しかし今のところ、それらの情報が助けになったことはない。八方塞がりであった。

 三か月目に入り、腹も目立ってきて、つわりもそろそろなくなるでしょう、と言われた時期になった。

 しかし、アスティは食べ物を食べようとしては口元を押さえ部屋を出て行ってしまう。 吐きに行くのだ。側で見ているカシルも、辛かった。

 その日も食べ物を吐きに出て行った彼女の背中を見て、彼が手を止めていると、口元を拭きながらアスティが戻ってきた。

「大丈夫か」

「・・・はい」

 大丈夫ではないのは顔色でわかった。彼女は今、口にする食べ物のわずかな栄養で生活している。これでは良い思い出どころか、地上にいた時と大して変わらない、カシルが歯噛みしていた時に、医族の長が検診にやってきた。

「お加減はいかがですかな」

 長は、つわりは三か月を過ぎる頃にはなくなるだろうと言った。しかし四か月目に入っても、アスティは吐き続けた。この頃になると、果物ならなんとか食べられるというのがわかったので、彼女は果物ばかり食べている。しかし、果実は身体を冷やす。妊婦が身体を冷やしては元も子もない。

 星天竜が果物なら食べるという話を聞きつけて、竜族と戦使族の両眷属の者たちはこぞって天上界の様々な果物を持ってきた。

「さすがに飽きてきます」

 アスティはオレンジを食べながら呟いた。

「なるべく飽きないように選んで食べているのですが・・・」

「それはそうだろう。それに果物だけでは栄養にならん。なんとかならないものか」

 カシルも、こればかりはどうしてもやれない。

 共に食事をしていると、彼の食べているもののにおいで吐いてしまうのだ。

 アスティは地上にいた頃を思い出した。

 あの時は、ラウラという親友がいつも側にいてくれた。仲間たちもいた。師も、パウラ師もいた。心強い味方が何人もいたのだ。しかし今は違う。竜族に医師はいないし、友と呼べる者もいない。親友は自らの時を止めて導師として今も地上にいるが、だからといって彼女になにか頼むことはできない。事態は、あの時よりも悪いといってよかった。

 カシルは、なにもしてやれない歯がゆさにいらいらしながらも、アスティの身を案じていた。果物だけでは身体が冷えるので、彼女は香茶を飲んでなんとか身体を温めている。 男というものは、こんなときなにもできないのか。

 それで眷属の王というのだからたまったものではない、と心中で毒づいて、彼は葡萄を食べるアスティを見た。妊娠する前よりも、いくらか痩せたように見える。こんなことで子供を産むことなどできるのだろうか、彼はひとり思った。

 彼の不安な気持ちを裏付けるように、アスティのつわりはよくならなかった。

「こんな症状を昔見たことがございます。四か月を過ぎても吐き続け、産まれるその日まで吐いておりました」

「では・・・」

 アスティが青い顔で言うと、医族の長はうなづいた。

「左様、お辛いでしょうが、産まれるまでの辛抱です」

 カシルはそれを聞いて、産んでほしい、と言ったことを悔いていた。その選択をしなければ、アスティはこんな目に遭わなくてすんだだろう。その気にさせたのは自分なのだ。 五か月目に入ると、アスティはほとんど寝たきりになってしまった。

 カシルは竜族と戦使族の者たちに、来客があると疲れてしまうから、と来訪の断りをいれなくてはならなかった。

 ---------その方がよい。

 誰がしかが来るたび、その応対をしていたのでは気が疲れる。六億五千の眷属すべてが来るわけではないが、その代表が来るだけでも大変な数だ。それが双眷属で二倍になるのだ。

 寝室に行くと、アスティは起き上がっていた。

「起きても大丈夫なのか」

「特別具合が悪いというわけではありませんから・・・」

 しかし、その顔色は悪い。始終吐き気がする、という地獄の苦しみに、彼女はひとり耐えていた。

「食事の時間だ。食べられるか」

「・・・はい」

 カシルは寝室に食事を運んだ。彼の食べているもののにおいでアスティの気分が悪くなるので、一緒に食事をするのはやめよう、彼は言ったが、そうするとずっとひとりですと言われて、彼は渋々共に食事をすることにしていた。カシルは料理人に言って、なるべくにおいのしない食事を彼に作るよう頼んだ。そうすると味が薄いものしか出来上がらなかったが、アスティの苦しみを思えばそんなことはささやかなことであった。

 林檎を食べるアスティの手が止まったので見やると、青い顔をしている。

「行っていいぞ」

 もうすっかり心得て彼が言うと、待っていたかのように飛び出していく。吐きに行ったのだ。盛大に吐く様子が、隣の部屋からでもわかった。

「すみません」

「そんなことはいい」

 アスティは今、吐き気と戦いながら、竜族の祝福もするという厄介な義務を負っている。 妊娠初期、まだ起きていられる時は、カシルも共に竜の巣へ向かってカレヴィアが祝福するのを見守っていたが、最近のように歩くこともままならないようになってからは、とても翼を広げて空を行くなど出来そうにもない。そこでカシルが彼女を抱えていって竜の巣まで赴き、アスティはそこでカレヴィアと入れ替わって祝福だけする、という生活を繰り返していた。

 彼女を食らうかのように、腹だけが日に日にせり出していく。その日も竜の巣から帰っていく途中、アスティを抱きながら、彼女の細かった身体がもっと細くなっていることに彼は気が付いていた。

 ---------痩せたな

 こんなことで子供を産むなどできるのだろうか---------彼の不安は尽きない。

 アスティをベッドに横たえてやると、

「香茶を淹れます」

 と言う。香茶の香りを嗅ぐとすっとするというので、カシルは彼女のしたいようにさせていた。ふたりで香茶を飲んでいると、ルエがやってきた。

「戦使族に新しい子供が生まれたそうでございます」

 彼はため息をついた。

「今帰ってきたばかりだ」

「行かれてください」

 アスティは青い顔で言った。

「私は大丈夫ですから」

 少しも大丈夫ではないではないか---------彼は言おうとした。が、言い合いになってもアスティの体力が削られるだけだと思い直して、

「寝ていろ。誰とも会わない方がいい」

 とだけ言って青竜宮を出て行った。

「申し訳ありません、このような時に・・・」

 戦使族の父親は、星天竜の一大事に彼を呼び出したことをしきりに謝ってきた。

「そのようなことを言うものではない。赤子の誕生はいつでも喜ばしいものだ」

 そう言って祝福を授け、彼が建物から出てきたときのことである。

 風に乗って、空一面になにかがふわりふわりと浮いているのが見えた。絮だ。

「もう春か・・・」

 彼はその光景にしばし目を奪われた。

 アスティの具合が少しでも良くなるように、彼は祈った。

 青竜宮に帰ると、アスティは新しい香茶を淹れてくれた。

「動いて大丈夫なのか」

「少しは動きませんと」

 弱く微笑んでそう言うアスティに、彼は黙るしかなかった。

「そうだ」

「?」

 彼は持っていたものをアスティに渡した。

「みやげだ」

「まあ柳絮・・・」

 アスティの顔がほころんだ。

「もう春なのですね」

「ああ」

 その顔色は、いくぶん良くなったように見えた。



 六か月目に入ると、胎児も動くようになってくる。

「あ」

 アスティは腹を押さえた。

「また動きました」

 その顔は相変わらず青い。体重も、増えるどころか痩せていくようである。

「男の子でしょうか女の子でしょうか」

「そればっかりは産まれてみないとわからないな。どちらでもいい。健康でさえあれば」「アベルとミルワのときは、動くものがふたつあったので双子とわかったんです」

 そして月齢を計算して死のうとした---------誰の目も欺いて。

「今度はひとつか」

「うーんどうでしょう」

 アスティは思案する顔になった。

「わかりません」

「また双子ということもありうる」

 アスティの父は、ヴェヴ王家の血を引く。ヴェヴの人間は双子が多い。マキアヴェリだってヴェヴの生まれだが、彼には双子の兄がいた。

「父の血を引いて双子だったのですね」

 もっとも、父は双子のきょうだいはいませんでしたが、とアスティは腹を押さえながら言った。

「名前も決めなくてはならん」

「うーん」

「猫の名前を考えるようにはいかんぞ」

「あら」

 アスティは意外そうな顔になった。

「だめですか?」

「それはそうだ。猫と子供の名前が同じでは困る」

 彼は笑った。アスティも笑う。カシルは目を細めた。

 お前の笑顔を見るのは久しぶりだ。

 このまま無事に子供が産まれてくれれば---------彼はそれだけを願った。

 医族の長が検診にやってきた。長は腹に聴診器をあて、

「・・・おや」

 と呟いた。

「なんです?」

「これは双子のようですな」

「---------」

 アスティは傍らにいるカシルを見た。

「また?」

「地上にいた頃も双子をお産みになられましたか。なるほど。まあ遺伝でしょうな」

 いくつか質問をして、長はよろしいでしょう、と帰っていった。

「・・・名前をふたつ考えなくてはいけません」

「楽しみが増えたではないか」

 言いながら、しかし彼は不安を感じた。

 双子を産むだけの体力があるのか、それだけが心配であった。

 地上にいた頃、アスティがどのようにアベルとミルワを産んだか、彼は知らない。だから、なにも参考にならない。

 大図書館に行って、あらゆる医学書を読んだ。しかしそのどれもが、母体が健康で食事をしているという前提で記されているため、大した助けにはならなかった。が、ひとつだけ頼りになることが書いてあった。それには、

「出産には体力を使う。そのため、妊娠中も適度に運動して体力をつけるのがよい」

 とあった。地上にいた時も、本人が思っていたよりも体力があったので、思惑通りに死ねなかったと聞いた。

 それに賭けるしかないな、と思いながら、彼は本を閉じた。

「バーバリュース」

 聞き慣れた声に振り返ると、ザドキエルであった。

「どうしたんだいこんなところで」

「妊娠期の調べものだ」

「どうだいカレヴィアの身体の主の具合は」

「良くない」

「もうそろそろ胎児が動く時期なんじゃないのか」

「ああ。双子だそうだ」

「なに」

 ザドキエルは声を上げた。

「双子? ふたり産まれるってことか」

「まあそうだ」

「それは大変だ」

 賭けのし直しだ---------彼は思った。

「双子となると身体の主が心配だ。二倍だからな」

「そうなのか」

「そうだ」

 ザドキエルは大図書館で読んだ星天竜の生涯を記した本のことを思い出した。

「確か地上でも双子を産んだとか」

「ああ」

「喜びも二倍だな」

「産む苦しみも二倍だ」

 彼は苦々しく言った。嬉しいはずの知らせが、枷のように感じられた。

 ザドキエルと別れて青竜宮に戻ると、アスティは眠っていた。彼女を起こさないようそっと部屋を出て、カシルは噴水の部屋を見回した。

 産まれるのが双子ならば、部屋を増やさねばならんな。

 アスティが魔法で空間をねじ曲げて部屋を増やすところは見ている。見たことのある魔法なら、彼にも使える。アスティはそんなことは自分がやる、と言うだろうが、彼女に余計な体力を使わせたくなかった。

 部屋を増やしてしまうと、やることがなくなった。

 本でも読むか、と思ったとき、アスティが出てきた。

「起きたのか」

「はい」

「寝ていた方がいいのではないか」

「あまり寝てばかりでも足が萎えてしまうので」

 大図書館の本にも、散歩は良いとあった。

「部屋を増やしておいた。二人分だ」

 アスティは笑った。

「でも、子育てをするのなら最初は一部屋のほうが楽ですよ」

「---------」

 思ってもみないところを突かれた。

「・・・そうか。そうだな」

 彼は続けた。

「そういえばアベルとミルワのときも大きくなってから部屋を分けたのだった」

「まあ産まれたらまた贈り物が殺到するでしょうから部屋があるのはいいことです」

 アスティはくすくす笑っている。その顔を見て、カシルはこれくらいのことで彼女が笑うのならば、いくらでも失敗してやろうと思った。

 七か月目に入った。

 双子は産まれるのがひと月早いという。となれば、来月でいよいよ臨月である。

 相変わらず食べては吐く生活で、体重は思うように増えていない。その日も竜の巣に祝福に行かなくてはいけないというので、カシルはアスティを抱き上げた。

「三人ぶんですから重いですよ」

 アスティは言ったが、彼女は妊娠しているとは思えないほど軽かった。

 青竜宮に戻ってきて、彼は聞いた。

「産まれるときにしてほしいことがあったら今の内に聞かせてくれ」

「そうですね・・・」

 アスティは少し思案する顔になった。

「本来ならば女の人がいてくれるほうが心強いですが、竜族がいると《アスティ》との兼ね合いがあるので竜族には入ってほしくないです」

「わかった。そうすると医族の女に来てもらうことになるな」

「医族がいてくれるのであれば大丈夫です。彼らの医療のわざは、上位魔導師より優れていますから」

「上位魔導師のお前がそう言うのなら安心だ」

 彼が言うと、アスティは微笑んだ。

「地上にいた頃は、ラウラがいてくれたものですが」

「ラウラなら天上界に連れてきても平気な顔をしそうだな」

 そんな冗談を言い合うと、これからやってくる不安など消し飛んでしまうように思われる。

「パウラ師もいたのだろう」

「はい」

「そういえばパウラ師は他の導師たちと違って若いな。若い内に導師になったのか」

「はい。パウラ様はローディウェールの頃、医師だったんです。それに限界を感じて上位魔導師になったとか」

「それは変わり種だな。才女だ」

「そうですね」

 懐かしいひとたちの名前が出て、アスティの顔が和らいだ。もし許されるなら、カシルはラウラもパウラ師も青竜宮に連れてきて手伝ってもらいたい気持ちであった。知っている人間が誰ひとりいない上での出産は、心細いだろう。それを見越してか、長は次の検診の時医族の女たちを数人連れて来た。

「この者たちが出産を手伝います」

「カレヴィア様、わたくし共をいかようにもお使いくださいませ」

「どうか心安らかにご出産されますよう」

 女たちは口々に言う。アスティも少し安心したような表情である。長を送りながら、カシルは聞いた。

「あの身体でふたりも産めるものかな」

「そうですなあ」

 長は顎に手をやった。

「少し心配ですが、地上にいた頃は上位魔導師であられたとか。上位魔導師といえばまず基礎体力が並外れて高いことで知られています。聞くところによると、導師と同じ待遇を受けていたとか」

「導師と同じ条件の試験を合格した」

「であれば、一度出産を経験していることもありますから大丈夫でしょう」

 そう言って長は帰っていった。

「そろそろ名前を決めなくてはいけませんね」

 猫と同じような名前ではまずい、と言われたことを思い出して、アスティは複雑な面持ちになった。

「レオなんてどうでしょう」

「それは猫の名前だ」

「ココとか」

「それも猫っぽい」

「うーん」

 アスティは考え込んでしまった。

「・・・勇女軍の時も思ったんですけど私って名づけの才能ないんですよね」

 王が考えてください、と丸投げされて、カシルは眉を寄せた。

「それはひどい。オレに全責任が行ってしまうではないか」

「父親ですし」

「嫌だ。お前がひとり、オレがひとりだ」

 うーん、とアスティはベッドに倒れ込んでしまった。悩んでいる。

「おいおい浮かぶと思うので保留ということで」

 カシルは呆れたように彼女を見た。とてもとても、魔法院で優等生だったとは思えない発言である。

「なんとかなりますよ」

 楽観的に言うアスティを見て、頼むから猫や犬みたいな名前にだけはしないでくれ、と彼は祈った。

 なんにしても、性別がわからなくて二人産まれるとわかっている以上は、男女ふたつずつ名前を考えおかなくてはならない。彼は連日そのことで頭を悩ませた。

「そういえばアベルとミルワは王が考えた名前でしたね」

「考えたというよりは思いつきだな」

 地上にいた時の、呪われた運命の最初の犠牲者。渦に祝福されたあのふたりの名前なら、それもよかろうと思ってのことだ。

 そんなある日のことである。

「あっ・・・」

 アスティが腹を押さえてうずくまり、そこで硬直した。

「どうした」

「お腹が・・・」

「立てるか」

 アスティは首を振った。カシルは彼女を抱き上げた。

「ルエ! 医族を呼べ」

 いよいよか---------待てよ、早すぎないか。彼は思った。

 医族の長と女たちがやってきた。

「思っていたよりも早いですな。早産ギリギリの時期です」

「大丈夫なのか」

「地上でお過ごしの時は帝王切開という方法があったようですが、麻酔に耐えられるだけの身体ではありません。なんとか頑張って頂くしかないですな」

「地上にいた時も帝王切開はしていないはずだ」

「であれば大丈夫でしょう」

 しかし、出産は難航した。

 彼は駆けつけた眷属の者たちと部屋の外で待ち続けた。一日経ち、一日半経っても、まだ産まれない。二度目の出産だというのに、こんなに時間がかかってもいいものなのか。 彼がそんな疑問を持っていた真夜中過ぎ、中から弱々しい泣き声が聞こえてきた。

 血まみれの布を抱えて、医族の女が出てきた。

「女の子でございます」

 おお、と眷属の者たちが声を上げた。

「中はどうなっている」

「なかなか大変なお産で・・・カレヴィア様の消耗が激しゅうございます」

 やきもきするしかない自分が歯がゆい。アスティは無事なのだろうか。

「バーバリュース」

 ザドキエルがやってきた。

「一人目が産まれたって?」

「ああ。女の子だそうだ」

「そりゃよかったな」

「喜ぶのはまだ早い」

 もう一人が産まれて、アスティが無事でないことには---------それからも彼は待ち続けた。三時間ほど経った頃、またしても泣き声が聞こえてきた。彼は顔を上げた。

「男の子です」

 またしても眷属の者たちが声を上げた。

「男の子と女の子か。そうか」

 ザドキエルはどの天使がどう賭けたかを思い出しながら言う。

「妻はどうしている」

「大変なお疲れようで・・・バーバリュース様とだけお会いになられるそうです」

「そりゃそうだろう。二日もかかったんだものな。オレはひとまず帰るよ」

 産まれたのが竜か戦使かでも賭けの結果は異なるからな、と考えながら、天使は帰って行った。カシルは寝室に入った。

「アスティ」

 まず心配なのは彼女のことだった。アスティは、二日会っていないだけでげっそりと痩せたように見える。彼が入ってきたのをみとめると、顔を上げて弱々しく笑った。何事か呟いたようだったが、声が小さくて聞こえない。青いを通り越して白い顔をした彼女に、カシルは胸を衝かれた。

「大量に出血しました。しばらくは絶対安静です。もう普通に食べられるでしょうから、栄養のあるものを召し上がって下さい」

 医族の女が服を血まみれにしたまま言ってくる。

「お子様をご覧になられますか」

 ああ、とこたえると、女たちは二人の赤子を連れて来た。今度の子供は、ふたりとも黒髪であった。女の子のほうは黒く透き通った翼を、男の子のほうは透明な翼を持っていた。

 カシルはアスティの枕元へ歩み寄った。

「よくやった」

 それしか言えなかった。アスティはまた微笑んだ。消耗しすぎて、今の彼女は声も出せない。

 彼は厨房に言ってなにか作らせようと廊下に出た。

「バーバリュース様・・・」

「竜と戦使だ」

「それはようございました」

「王女と王子でございますな」

「しかし消耗が激しくて起き上がれない。母乳も出ないそうだ」

「では竜族と戦使族から授乳中の母親を寄越します。今はカレヴィア様のお身体が一番でございます」

 起き上がれないとなると、固形のものは食べられないな---------カシルは料理人と相談した。料理人は、では肉と野菜でスープを作りましょう、と張り切って言った。

 眷属の者たちも帰って行き、医族の女たちもいなくなって、青竜宮はカシルとアスティだけになった。子供に乳をやらねばならないため、竜族と戦使族の女たちが急いで探し出された。

 アスティは二度目の出産にも関わらず、二日がかりで大仕事を終え、疲労困憊で眠っている。その寝顔を見つめながら、特別院生になるために身体を鍛えに鍛えていなければ死んでいた、という地上にいた頃のパウラ師の言葉を思い出して、カシルはなにがどう転ぶかわからないものだな、と思った。

 朝が来たが、アスティは目覚めない。カシルも丸二日眠っていない。少し休むか、と彼女の隣で寝た。

 起きた時、外を見ると太陽が中天に差しかかっていた。

 ふたりの赤子は乳をもらってすやすやと眠っている。竜族と戦使族の母親たちは交代で来てくれるという。彼女たちに礼を言って、それからカシルは空腹を感じた。そういえば、待っている間の二日間、彼も飲まず食わずであった。彼が起きたのに気づいて、ルエがやってくる。

「なにか召し上がりますか」

「ああ」

「料理人がカレヴィア様のためにスープを作っております」

「まだ起きない。起きるまで寝かせてやってくれ」

 かしこまりました、と言って、ルエは下がって行った。

 寝室でひとり、食事をしながら、カシルは名前をどうすべきかと考えていた。

 夜が来て、母親たちが赤子に乳をやって帰って行った時、アスティが目覚めた。

「・・・」

「起きたか。具合はどうだ」

 アスティは力なく瞬きをした。

「当分は起き上がらないほうがいい。二日もかかったのだからな」

 腹は減っているか、と聞くと、こくんとうなづいた。

「いい傾向だ」

 彼は厨房に行って、昨日から料理人が作っていたスープを持って行った。アスティは横になったまま、カシルから匙でもらってそれを飲んだ。

「・・・」

 と、眉を寄せ、涙をにじませる。熱いのだ。

「すまん。冷まさなければならんな」

 彼は用心してスープを冷ましながら食事を手伝った。

「それにしても医族の長、二度目の出産だから大丈夫だろうと言っていたが・・・なにが大丈夫だ」

 彼がそっと呟くと、アスティは初めて口をきいた。

「多分・・・一度死んでいるからでしょう」

「なに」

「死の瞬間、血液から現身昇神しましたから、まっさらな状態に戻ってしまったのだと思います」

「そうか・・・」

 そんなこともあるんだな、とカシルは思った。

 アスティはスープを完食した。

「もっと食べるか」

「もうお腹いっぱいです」

「そうか」

 と、赤子が声を上げた。アスティの視線がそちらへ行く。

「まだ顔を見ていないな。見るか」

「・・・はい」

 彼が一人ずつ赤子を連れて行くと、アスティは起き上がれないまま子供たちを見た。

「今度は黒髪ですね」

「ああ。翼がついている。姉のほうは戦使族、弟のほうは竜族だ」

「そうですか・・・」

「名前をつけてやらねばならん」

 アスティはなにかを考えるように視線を上に向けた。しばらくして、彼女は言った。

「アレクサ、という名前はどうでしょう」

「アレクサか」

 彼はその名前を口の中で何度か呟いた。

「いいではないか。王女にぴったりの名前だ」

「---------王女?」

「ああ。眷属の者が言っていた。竜王の子供なら王女と王子だとな」

「・・・」

 赤子を揺り籠に戻すと、アスティは消耗の残る顔で彼に訊ねた。

「王は、名前は決まっていますか」

 カシルはああ、とこたえる。

「セゼラヴィントスという名前を考えていた」

「セゼラヴィントス・・・」

「オレに剣を教えた男の名前だ。長いのでサラヴィスと呼ばれていた」

 アスティは微笑んだ。

「いい名前です」

 決まりだな、と彼は言った。


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