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「----------それで、旅に出ることにしたのか」
仰天したザドキエルに言われて、彼はああ、とうなづいた。
「子供たちはどうするんだ」
「もう話した。二人ともわかってくれたよ」
「・・・」
ザドキエルは後ろで酒の支度をするカレヴィアを振り返りながら、
「お前はどうするんだ」
「身体の主の提案じゃ。儂には是も非もない」
「眷属の統治はどうする」
「【影】にやらせる。そうすれば祝福もできるし、眷属の争いを収めることもできる」
「一年ももつのかい」
「もたない。だから、前地上でやっていたように夜誰もいない時に【影】はオレたちの元へきてエネルギーを供給しなければならない」
「それでいいのか」
「それでいい」
ザドキエルが彼を見ると、黒衣の男は今まで見たこともないような穏やかな、満たされた顔をしている。死してのち百年、ようやく手に入れた自分のための、自分だけの生活が待っているのだ。それは、死すれば誰にでも訪れるはずの安息であった。
「寂しくなるなあ」
「なに、【影】がおる。ふつうに儂らゆえ、また遊びに来ればよいのじゃ」
「カレヴィア本人じゃないってわかってたらなんだかつまらんよ」
「一年すれば戻ってくるからな。またその時に来ればいい」
そうするよ、と言って、天使は帰っていった。
その日、支度を終えたふたりの元へザドキエルが見送りにやってきた。アレクサとサラヴィス、あとは事情を知っている、竜族の四氏族の長たちと、戦使族の年長の者の何人かもやってきている。
「気を付けて行けよ」
あちらでアレクサとサラヴィスと抱き合うカレヴィアを横目で見ながら、ザドキエルは友と手を握り交わした。
「どこに行くか決まっているのかい」
「身体の主にオレの生まれた国を見せてやりたい。マハティエルに行くつもりだ」
「そりゃいいな。南の大陸ならあんたらを知ってる人間はいないだろう。やりやすいな」「ああ」
カレヴィアがこちらへやってきた。カシルはアレクサと抱き合い、サラヴィスの肩を叩いて別れとした。
「者ども、頼んだぞ」
カレヴィアは言うと、何事か口の中で呟いた。
と、突然、カレヴィアの横にもうひとり、カレヴィアが現れた。青い衣、黒い髪。
「----------」
カシルも何事か呟く。すると、彼の横にもう一人のカシルが現れた。
「父様と母様がふたり・・・」
初めて見る【影】の有様に絶句している一同に、彼はにこやかに言った。
「後は頼んだぞ」
そしてカレヴィアと共に背を向け、歩き出す。
彼と話しながら歩くカレヴィアの横顔が、カレヴィアのものではないとザドキエルが気づいたのは、ふたりが歩き始めてすぐのことであった。
----------あれは誰だ? カレヴィアじゃない。
カレヴィアはあんな、あんな穏やかな顔で笑ったりはしない。あれは・・・
と、旅姿のその女がこちらを振り向いた。
「----------」
そして、にこやかに笑った。
かと思うと、ふたりの周りをきらきらとした光が覆い始めた。
「あ・・・身体の主・・・?」
その光は次第に輝きを増していき、まばゆくなったと思うと、次の瞬間ふたりの姿は跡形もなく消えていた。