芽吹く。
やってきたのは本屋の若い息子。
身の丈程もある大きな鞄に沢山の本を詰め込んで、
うんしょこらせと汗をかきかきやってきた。
「姫様、この本屋の主人は世界中から様々な書物を集めおるとか。珍しい御本も蓄えると、周りの国々へも名が届いております。慰みに何か、求められてはいかがでございましょう」
シラハギの言葉にくろがね姫が顔を向けると、
「息子のハマスです。何なりと」
ひれ伏したまま、本屋の息子は答えた。
「…珍しい本、か」
「はい、」
ハマスはひれ伏したままの格好で鞄の中を探ろうとして、角にしたたか額を打ちつけた。
「顔は上げておれ」
「も、申し訳ございません」
身の丈程もある鞄から、沢山の本がこぼれ落ちる。
その足に分厚い一冊を落とし、
ハマスは小さな悲鳴をあげた。
…鈍くさい男が来たものよ、くろがね姫は、背もたれに身体を預けてぼんやりその光景を眺めている。
「これなどは…、」
ハマスが大きな本を、うやうやしく差し出す。
姫がビロード張りの表紙を開くと、その顔めがけて切り絵の猫が飛び出した。
「…。 で?」
「あ、いえ、えぇ、えっと…」
慌てて手近な一冊を掴み、バラリと開く。
途端に頁の間から、水が噴き出した。
「おわっ」
「あれぇっ」
滝のように流れ落ちる水。
床に散らばる書物を濡らし派手な水飛沫を上げても、止まる様子は無い。
皆、しばし呆然と眺めていたが、
「これっ、閉じなさい! 」
シラハギの声でハマスがやっとのこと本を閉じたときには、辺り一面が水浸し。
びしょ濡れのハマス、訳がわからぬという顔で突っ立っている。
「…お前は手品師か」
「…あの、姫様、」
「それか。珍しい本というは」
くろがね姫はツイと立ち上がり、濡れた書物の間をハマスのそばへと近寄って行く。
「あ、お召し物が」
「題は、何という」
「え? 」
「その水が出る本の題名じゃ」
「え? …あ、はい、…えぇっと…。…『滝壺』、にございます」
ハマスは、本の表紙をなぞって答えた。
くろがね姫はハマスに間近で向き合うと、
ようようのこと閉じたばかりのその表紙を掴んで、再びバラリと開いた。
「姫様! 」
溢れ出る水。足元に流れ落ち。
派手な水飛沫。床に広がる水溜り。
「フフ、」
冷たい水に足を浸したまま、
くろがね姫は愉しげに笑い出した。
「滝壺、とな」
ハマスもつられて笑い出す。
気付けば、二人を離れて眺めるシラハギも、
口元に笑みを浮かべていた。
以来、ハマスはことあるごとに城へやってきて、くろがね姫の話をするようになった。
初めはシラハギが使いを出していたが、今では自ら進んで足繁く、姫の部屋を訪れる。
案の定、五人の妻たちは、若い男の出入りを口々に国主へ告げ口したが、国主はただ、
「それもよかろう」
と取り合わない。
鈍くさい男は、心優しい男でもあった。
ハマスは、くろがね姫の不自由な左腕に同情し、
人質同然の理不尽な結婚に涙を流し、
少しでもくろがね姫を励まそうと心を砕いた。
日々は、穏やかにゆるやかに過ぎてゆく。
東の国が、ようやく落ち着きを見せ始めた頃、
くろがね姫の年老いた父親が死んだ。
ほかに跡継ぎとなる者もおらず、
小さくも豊かな国は、
名実ともにくろがね姫の夫のものとなった。
日々は、穏やかにゆるやかに、過ぎる。
「殺されるやもしれませぬ」
シラハギは、怯えた目でくろがね姫に囁いた。
「御身が危のうございます」




