45.雨は止む
「あの日、俺は誓ったんだ。もう二度と、目の前で誰かがいなくなるなんて嫌だ。俺が全部……守れるようになる。そのために、強くなるって」
「……っ」
「メイアナ?」
私の頬を、冷たい雫が流れ落ちる。
殿下の話を聞いていた私は、いつの間にか涙を流していた。
覚悟はしていたのに、我慢できなかったんだ。
「すみません……」
悲しい話だった。
こんなにも、辛くて苦しい出来事があるのかと耳を疑った。
けれど今の話は、実際に起こったことで、殿下の脳裏に焼き付いて離れない過去なのだろう。
彼は目の前で、大好きだった母親を殺された。
泣き叫びたい気持ちを押し殺して、母親の最後の言いつけを守った。
涙を流す私の頬に、殿下はそっと触れる。
「お見舞いに来てくれた時、メイアナが言ってくれた言葉は、よく母上が口にしていたことだった。私はここにいるから。不思議と元気が出るんだ」
「殿下……」
「君は少し、母上に似ているな」
そう言って殿下は微笑む。
陛下にも同じことを言われた。
私が、亡き王妃に似ていると。
だから殿下は……。
「だから俺は、君を見つけられたのかもしれないな」
私に手を差し伸べてくれたのは、偶然なんかじゃない。
殿下は探していたんだ。
無意識に、大好きだった母親に似ていた私を目で追って……。
「うん、似てるな。見た目も少し似てるけど、雰囲気というか……言葉も、あれは君の口から出た言葉だったんだろ?」
「……はい。何か言わなきゃと思って、自然と口から」
「そうか。ならそれが、君らしい一言だったんだな」
殿下は嬉しそうな笑みをこぼす。
私の姿に、言葉に、少しでも母の面影を感じてくれたのなら……嬉しいと思う。
私は彼の母親じゃないし、どんな人かも知らない。
それでも、大好きだった母親と重ねられることを、私は光栄だと思う。
きっとそれは、世界で私だけに与えられた特権だ。
「俺はもう誰も失わない。君のことも、あいつらも、俺が守ってみせる」
「殿下……」
殿下の言葉は、誓いであり、呪いでもある。
彼は自分の身をいとわない。
たとえ傷つこうとも、目の前の誰かを救うことを優先する。
それは強さであると同時に、危うさだ。
私は彼のように強くない。
ルーン魔術は使えても、みんなみたいに勇敢に戦えない。
こんな私にできること……言えることを探そう。
「ん、雨が降って来たな。そろそろ――メイアナ?」
私にできることはただ一つ。
右手に握るルーンストーン二つを大きく空へ投げた。
刻まれているのは【ᛈ(ペルス)】の文字。
宿る意味は風、大気、運ぶ者。
もう一つのルーンストーンを風で空高く、雲に届く高さまで飛ばす。
「――【ᛒ(ベルカナ)】」
もう一つに刻まれている文字の意味は、白樺の枝。
枝で文字を描くように、ルーンストーンは宙を舞う。
私は描く。
雲に、特大のルーンを。
「何を……」
「私にできることは少ないです」
離れた場所に文字を描くのは簡単じゃない。
魔力の消費も激しく、繊細な操作も必要になる。
「私にはこれしかできません。殿下のように強くないし、戦えない。でも……」
こんな私でも――
「――【ᛊ(ソウェル)】!」
「空が……」
分厚い雨雲に刻まれた文字の力によって、雲は四方へ散る。
有する意味は太陽。
太陽の輝きは雲を貫き、晴れ渡る青空が顔を出す。
ルーン魔術だからできる……最大の奇跡。
私は強くない、戦えない。
それでも……。
「雨を止められます!」
「――!」
「私がいる限り、殿下の上に雨は降らせません! この先ずっと、私が晴れさせてみせます!」
この青空を守ることはできる。
意味があるのかは、わからない。
でも、殿下が嫌いだと言った。
雨は殿下を悲しませる。
心を、曇らせ、雨が降る。
だったらそんな天気を、私が変えてみせる。
そうすれば少なくとも、嫌いな雨に心が沈むことはなくなるはずだ。
「はぁ……ふぅ……」
と言っても、これだけ大きなルーンは何度も使えない。
全身の魔力を一気に絞り出した。
どっと疲れが来る。
まだ、殿下の前だ。
辛いところなんて見せられない。
彼のお母様もきっと、殿下の前では笑っていたはずだから。
「……ぷっ、はっはっはっはっはっ!」
「で、殿下?」
唐突に、殿下は大声で笑いだした。
大空を見上げながら、腰に手を当てて。
「あーあ、凄いな君は。こんな奇跡を起こせるなんて……」
「これくらいしか、取り柄がないので」
「十分すぎるだろ。雨を止ませる……こんなの俺でもできない」
殿下は空を見上げながら呟く。
「綺麗な空だ」
雨上がりだから余計にそう思えるのだろう。
雲が晴れた直後の空は、いつも見ているよりも青が濃い。
雲一つない青空は、清々しく心を風のように抜けていく。
「母上の命日は、いつも雨が降っていたんだ」
ぼそりと、殿下は口にする。
墓標の十字架に優しく触れながら。
「初めてだ。こんなにも晴れたのは」
殿下は風の魔術を使い、軽く風を吹かせる。
十字架についた水滴と、周囲の草が舞い上がる。
「君を選んだこと……間違いじゃなかったな」
そう呟き、殿下は私のほうを見る。
ずっと悲しそうだった。
涙をぐっとこらえているように見えた。
けれど今は、晴れている。
この青空のように。
「ありがとう。俺の大好きな空だ」
そう言って笑う。
まるで、青空に輝く太陽のように。
私は思う。
「これから何度でも見られますよ。私が、見せます」
「――そうか。次の雨が、楽しみになりそうだな」
きっと、彼のお母様も……こんな風に笑っていたんだろう。
二.五章完結です!
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三章をお待ちください!