44.忘れられない記憶
王城の敷地には、裏手の丘へ通じる道があった。
案外簡単に行けてしまう。
けれど、騎士たちも使用人も、この場所へ訪れることはない。
なぜなら、そこはただの丘ではないから。
知る人は知っている。
丘の先に、何があるのか。
その場所が王族にとって、特別な場所だということを。
「実は、今日が母上の命日なんだ」
「……そうなんですね」
歩きながら殿下が話し始める。
公式に明かされている命日とは、数日のズレがあった。
殿下は私が……知っていることを知らない、はずだ。
それなのにどうして、今日が命日だと……暗殺された日だと口にしたのだろう。
私は殿下の後に続きながら、空を見上げる。
さっきまで晴れていたのに、徐々に雲行きが怪しくなる。
一雨降りそうな……分厚い雲がこちらに来ている。
空までも落ち込んでいるように見えた。
そうして、たどり着いた丘の先。
王城の反対側、王都の外の景色が一望できる場所に、小さな十字架が立っている。
「母上は昔から、この場所が好きだった。嬉しいこと、悲しいこと、悩み事がある時もここへ来ていた。父上と喧嘩した時も、必ずここに来て仲直りしていたんだ」
「そうなんですね」
王族、というより家族にとって思い出深い場所。
だからここにお墓を立てた。
亡くなった母親が、一番好きだった場所に……。
「俺もよく来るんだ。俺の場合は報告がある時が多いけど、悩んだりした時もかな」
「……今は、どちらですか?」
「両方、かな」
そう言いながら、殿下は墓標の前でしゃがみ込む。
こんなにも小さくて、悲しそうな背中は初めて見た。
いつも気高く、凛々しく、誰よりも強く、みんなを引っ張ってきた背中とは……別人みたいだ。
「父上から聞いたか?」
「え……」
「母上のことだ」
殿下は背を向けたまま尋ねてきた。
突拍子のない質問に驚きながら、そんな気はしていた。
「どうしてそれを、陛下からお聞きになられたのですか?」
「いや、父上は何も言っていない。ただなんとなくな。そうじゃないかと思った」
殿下は立ち上がり、腰に両手を当てて空を見る。
「雨……降ってきそうだな」
「……はい」
雨は嫌いだ。
殿下がそう言った時のことを思い出す。
きっと思い浮かべてしまうんだ。
母親が目の前で殺された日の光景を……忘れたくても忘れらない悲しい過去を。
「どこまで聞いた?」
「……お母様が、暗殺されたと。詳しくは聞いていません」
「そうか……あの日のこと、偶に夢に見るんだ」
「殿下?」
彼は振り返る。
悲しそうだけど、無理して笑顔を作って。
「聞いてくれるか?」
「……はい」
私は小さく頷き、殿下の声に耳をすます。
一言も聞き逃さないように。
◇◇◇
その日は、朝から雲が濃かった。
いつ雨が降り出してもおかしくない天気だった。
けれど母がいれば、雨は降らない。
「お母さんがいれば雨は降らないわ!」
「どうして?」
「それはねー、秘密」
そう言ってごまかして笑う。
母上は太陽みたいな人だった。
いつも明るくて、言葉も、声も温かくて、一緒にいると心がポカポカする。
俺は母上のことが大好きだった。
忙しくて一緒にいられる時間が短いから余計に、こうして一緒にいられることが幸せだった。
特にこの日は、お母様と俺の二人だけの視察だったから、独り占めだ。
俺は浮かれていた。
そんな帰り道に、事件は起こった。
雨が降ったんだ。
母上と一緒の時、一度も降ったことのない雨が。
初めてのことだった。
子供ながらに不吉な予感がした。
その予感は的中した。
俺たちを乗せた馬車が急停車し、直後に大きな音を立てて横転した。
「っ、アレク!」
「母上!」
母上は咄嗟に俺を抱きかかえて守ってくれた。
横転した馬車の外装がはがれて、転がりながら外が見える。
どしゃぶりだった。
雨の中うっすらと、馬車に近づく人影が見えた。
「……母上」
「しっ、静かに」
声を出そうとした俺の口を母上が抑えた。
「アレク、何があってもここから出ないで、じっとしていて、声も出しちゃだめよ」
「母上?」
「お母さんとの約束よ。守れる?」
「……う、うん」
怖かった。
状況がわからなくて。
けれど母上が笑い、俺の頭を撫でてくれた。
きっと大丈夫なのだと。
母上は一人、壊れた馬車の隙間から外に出た。
俺の姿が見えないように、隙間の前に立っていた。
「あなたたち、何者かしら?」
「ミリタリア王妃だな?」
「そうよ」
「――悪いがここで死んでもらう。全ては人々の平和のために」
男たちは母上を殺すために雇われた暗殺者だった。
母上は気づいていたんだ。
だから、俺だけでも生き延びれるように、自分が犠牲になる道を選んだ。
母上は戦う術を持っていない。
相手は複数、凄腕の暗殺者たちだ。
もはや助かる道はなく、あっけなく、母上は殺されてしまった。
「――!」
声を出しそうになった。
けれど、母上との約束があったから、俺は必死にこらえた。
母上の身体は、俺の姿を隠すように、壊れた馬車にもたれかかっていた。
「情報では第二王子もいるはずだが?」
「……瓦礫の下敷きになったのだろう。目的は達した。撤収するぞ」
暗殺者たちが去って行く音が聞こえる。
何も見えない。
真っ暗で……微かに見えるのは、母上の身体から流れ出る血が、俺の足元まで届いていること。
声を殺し、気配を殺し、それでも涙はあふれ出る。
血と涙が混ざり合った匂いを、俺は生涯忘れられない。






