40.私はここにいます
「完治まで一か月、だそうです」
力比べが終わり、みんなで私の研究室に集まっていた。
宮廷の医師から聞いた殿下の容態を、シオン君とカイジンに伝える。
右腕の火傷は酷く、今は動かすことも難しいそうだ。
「くそっ、勝ったのに釈然としねーな」
「す、すみません」
「てめぇがなんで謝るんだよ」
「ボ、ボクが先に動いていれば、殿下が怪我をしなかったかもしれないですから」
「あん? そんなことすりゃ、てめぇが大火傷を負ってただけだろうが。状況は変わんねーよ」
カイジンの言う通り、誰が犠牲になってもおかしくなかった。
ただ、迷わず最初に動いたのは殿下だったというだけで。
幸いなことに、リージョン殿下に怪我はなかった。
炎の全てをアレクトス殿下が抑え込み、衝撃も自身で肩代わりした結果だ。
ちなみにカイジンと騎士団長の戦闘は継続していたらしい。
騎士団長も魔導具を駆使し、怪物のごときカイジンを一人で抑え込んでいたとか。
どちらも普通の人間じゃない。
カイジンは最後まで決着がつかず、悶々としていた。
「んで、助けられた王子のほうは? ちゃんと負けを認めたんだよな?」
「そう聞いています」
「さ、さすがにこれで認めなかったら……人としてどうかと思いますよね」
暴走を身を挺して救ってくれた弟に、何も思わない薄情者ではなかったということか。
あの時、助けられたリージョン殿下の表情は、後悔に染まっていた。
「しっかしよぉ、あいつも無茶するよな。下手したら死んでたって話じゃねーか」
「……殿下はたぶん、死ぬことが怖くない、のかもしれません」
「あん?」
「あ、あくまでそう見えただけです。あの瞬間、殿下は躊躇していませんでした。自分が傷つくことに関心がないというか……どうでもいいと思っているみたいで」
シオン君が小さな声でそう語る。
どうなってもいい……確かに、私にもそう見えた気がする。
自分が大けがを負っているのに、無傷なリージョン殿下を心配する様子は、どこか異常さを感じた。
「無鉄砲ってだけじゃねーか。つーか探索はどうなるんだよ」
「一か月後に始める、と聞いています」
「かー、それまで暇かよ。何して時間潰すかな~ おいガキ、ちょっと遊べよ」
「い、嫌ですよ」
「なんだと?」
「ひぃ! ごめんなさーい!」
シオン君は涙目で逃げ出した。
それをすかさずカイジンが追いかける。
「待てこら! 暇つぶしにオレと戦えやー!」
「だから嫌なんですよー!」
「あははは……」
あの二人を見ていると、少しだけ落ち込んでいた気持ちが軽くなる。
「殿下……」
確か医務室で治療を受けていると聞いた。
なんとなく、様子が見たくなった私は医務室を目指す。
研究室の扉を開けると、意外な人物と遭遇する。
「メイアナ」
「へ、陛下!」
廊下に出ていきなり国王陛下と出くわす。
私はびっくりして変な声を出し、慌てて頭を下げる。
「よい。少し雑談をしに来ただけだ」
「は、はい……えっと……」
「アレクトスのところへ行くつもりだったか?」
「――! はい」
私がそう答えると、陛下は優しい目をする。
「事情はリージョンから聞いておる。あの子も少しは反省したようだ」
「そう、でしたか」
リージョン殿下が……。
「メイアナよ、君からアレクトスはどう見えた?」
「え? どう、とは……」
「危なっかしいと思わなかったか?」
「それは……思いました」
私はシオン君の言葉を思い出す。
「自分のこと……どうなってもいいと考えてるみたいだと……」
「その通りだ。アレクトスは、自分のことを軽く考えておる」
陛下が断言する。
驚き目を丸くする私に、陛下は続けて言う。
「あの子の母親……妻は、視察の帰り道に暗殺された」
「え……」
言葉を失う。
現国王の妻は、病死したと世間では広まっている。
それが事実だと私も思っていた。
「ほ、本当なのですか?」
「ああ、その場には小さかったアレクトスもいた。強い雨が降る日……襲撃を受けて母が殺される様を、アレクトスは隠れて見ていた」
ごくりと息を飲む。
幼い殿下はお母様の指示で隠れていた。
恐怖で声も出せず、無残に殺される様子を見ているしかできなかったという。
想像するだけでぞっとして、怖くなる。
そんな過去を、殿下は持っている。
「その日以来、あいつは強くなった。元々才能はあったがな……今や王国最高の魔術師だ。だが、あの子を突き動かすのは、雨の日の後悔。守れなかった自分の弱さ、不甲斐なさへの怒り……」
陛下は続けて言う。
悲しくも暖かな視線を向けて。
「あの子は、誰にも死んでほしくない。傷ついてほしくない。そのためなら自分が犠牲になればいいと、本気で思っておる」
「そんな……」
「ワシも止めた。何度も言い聞かせた。だが、変わらなかった。あの子は今も、母を助けられなかった後悔に取り憑かれておる」
以前、シオン君が心の話をしてくれた。
殿下の心は雨が降っていて、その奥に何かがある。
何か、まではわからないと。
きっとそれは、雨の日に助けられず、隠れていることしかできなかった幼い殿下自身だ。
「……どうして、その話を私に?」
「君は少し、ワシの妻に似ている。雰囲気がな」
「私が、ですか?」
陛下は小さく頷く。
「あの子が君を選んだのは実力もあるが、無意識に目で追っていたのかもしれん。だから、すまんがあの子のことを頼む」
「……私に、何かできるのでしょうか」
「わからん。ただ、声をかけ続けてほしい。なんでもよい」
「声……」
何と声をかければいいのだろう。
暗くて悲しい過去を、私なんかがどうこうできるはずもない。
陛下は私にその話をして去って行った。
お忙しい中で、わざわざ私に話を聞かせるために立ち寄ってくださったのだろう。
私は深々と頭を下げる。
そして、歩き出す。
向かったのはもちろん医務室だ。
殿下の部屋の前にたどり着き、深呼吸をする。
まだ、何を言えばいいのかわからない。
ただ無性に、殿下の顔が見たくて、扉をノックする。
「誰だ?」
「メイアナです」
「ああ、入っていいぞ」
許可を得て、扉を開ける。
冷たく湿った風が吹き抜ける。
奇しくも今日は、雨が降っていた。
医務室のベッドで座る殿下と視線が合う。
「よく来てくれたな。見舞いか?」
「はい」
「そうか。すまないな。俺がこんなザマで、一か月も待たせることになる」
「いえ、殿下のお身体のほうが大事ですから」
「……そうでもないさ。俺より、みんなが無事でよかったよ」
自分なんてどうでもいい。
そう、言いたげな横顔を見せる。
雨は嫌い。
以前に口にした意味を改めて理解する。
今日は雨が強い。
きっとこんな日に、殿下はお母様を亡くしたんだ。
もう二度と、誰かに死んでほしくないから強くなった。
自分を犠牲にしてでも、守れるように。
そんな彼に、私が言えることはなんだろう。
「殿下」
「なんだ?」
「――私は、ここにいますから」
殿下の傍らで、傷だらけの手に軽く触れる。
考えはまとまっていない。
けれど、不思議と胸の奥からこの言葉が現れた。
私はここにいる。
「メイアナ……?」
「無茶はしないでください。無茶するなら、私もお手伝いします。私も、殿下をお守りします」
陛下が言っても変わらなかったんだ。
私が止めたところで無意味だろう。
なら、私も一緒に行く。
危険な場所へも、怖いところだって関係ない。
殿下が行くなら迷わない。
それだけが、今の私にできること。
殿下に救われた私が、今度は殿下を守るんだ。
「――母さん」
「え?」
「あ、いや、今のセリフ、死んだ母さんに似ていたんだ。私はここにいる。ずっと見てるからって、口癖だった」
「そう、だったんですね」
「ああ……」
殿下は寂しそうに天井を見上げる。
お母様のことを思い出させてしまった。
余計なことを言ってしまっただろうか……。
「メイアナ」
いいや……。
「ありがとう」
間違っていない。
殿下が私に向けてくれた笑顔を見て、そう思えた。
私は強く思う。
この人の笑顔を、私が守れるようになりたい。
殿下の信頼に応えられる魔術師であり続けたい、と。