4.ルーンの魔術師
「そうか。ならテストをしよう」
「テスト?」
「ああ」
殿下は懐から半透明の結晶を取り出し、テーブルに置く。
結晶の中にはルーン文字で【ᛊ】と刻まれていた。
「これはとある遺跡から発見されたルーンストーンだ。このルーンを起動してみせてくれ」
「わかりました」
返事をしたレティシアがルーンストーンの前に移動する。
そして一瞬、私に視線を向けた。
籠っていたのは敵意だ。
生まれて初めて私が選ばれかけて、嫉妬しているのだろうか。
こんなにも余裕がない彼女は初めて見る。
「何がルーンよ。結局これもただの魔術でしょ」
ぼそりと悪態をつき、ストーンに触れる。
彼女は魔力を流し込む。
しかし、直後にバチっという音を放ち、彼女の手は拒絶される。
「っ! なっ」
「失敗だな」
「も、もう一度」
「必要ないよ。今の一回でわかる。君はルーンのことを何も理解していない。お手本を見せてくれるか? メイアナ・フェレス」
「は、はい!」
名前を呼ばれた私は、慌ててルーンストーンの前に駆け寄る。
レティシアは私を睨みながら下がった。
彼女の視線と、殿下の視線に挟まれて緊張する。
思えば誰かの前で魔術を使うのって、久しぶりだったりする。
急激な緊張で、手が震えてきた。
「大丈夫だ。いつも通り、帰り道だと思ってやればいい」
「え……」
今……。
振り向くと、殿下は優しく微笑みかけてくれた。
帰り道と彼は言った。
辛い仕事を終えた帰り道、唯一の自由時間に、私はルーン魔術の練習をしている。
あの時間と同じように、今も使えばいい。
大きく深呼吸をした私は、ルーンストーンと向き合う。
刻印されている文字は【ᛊ】。
文字が持つ意味は太陽。
ルーンストーンに触れ、刻印された文字に込められた魔力を感じ取る。
術者が何を考え、何を望んでこの文字を刻んだのか。
刻印を解読し、初めてルーンは起動する。
「――【ᛊ(ソウェル)】」
ルーンに込められた魔力が解放され、ストーンは浮かび上がり、まばゆい光を放つ。
「お見事だ」
「あ、ありがとうございます」
パチパチと称賛の拍手が殿下から聞こえる。
初めて褒められて嬉しい私は、自然と表情が崩れる。
「だから何なのよ」
ぼそっと、レティシアが言葉を漏らす。
私に聞こえるように。
「ただ石が光った程度で何が凄いんだ、って言いたそうだな?」
「あ、いえ……」
殿下にも聞こえていたらしく、彼女は焦る。
殿下は怒る様子もなく、穏やかな表情のまま説明する。
「他人のルーンを発動するには、ルーンに対する確かな理解と知識、そして他人の意志を汲み取る思考が必要になる。ただ魔力を注げば発動するわけじゃない。ルーン魔術は時代遅れだと、君はさっき言ったな?」
「……はい」
「その解釈こそが間違いだ。ルーン魔術がなぜ現代まで浸透していないのか。それはルーン魔術の理解が難しく、使い熟せる者が極端に少なかったからだ」
殿下は語る。
ルーン魔術の歴史は深い。
魔術がこの世に誕生した時に生まれた系統の一つ。
魔力を宿した文字、それがルーン。
他の魔術が言葉や術式、行動に魔力を込めるのに対して、ルーン魔術は一文字で全てを表す。
故に、同じ文字でも刻んだものによって効果や性質が異なる。
理解するほど深く、広く、たかが一文字に数多な解釈が生まれる。
だからこそ、圧倒的な知識、知恵が必要不可欠だ。
「才能だけでは不十分、努力と経験を経てようやくスタート地点に立てる。ルーン魔術が時代に置いていかれたわけじゃない。魔術師が、ルーン魔術から逃げたんだ」
「――!」
そんな風に考える人に初めて出会った。
衝撃を受けた。
「って言うと、現代の魔術師には嫌われそうだけどな。けど事実だと俺は思っている。なぜなら俺自身が体験している。俺は唯一、ルーン魔術だけは使いこなせなかったからな」
現代の大天才。
あらゆる魔術を手にした殿下でも、ルーン魔術だけは身に付けられなかった。
そう語る横顔は少し悔しそうで、期待しているようにも見えた。
「俺からすれば、君こそが真の天才だと思う」
「――私が、天才……?」
そんな風に言ってもらったこと、今まで一度もなかった。
認められることなんてなかった。
私は姉の出がらしで、金魚のフンで、出来損ないだから。
だけど……。
「改めて言おう、メイアナ・フェレス。君の力を俺に貸してほしい」
こんな私を、必要だと言ってくれる。
優秀な姉ではなく、姉の代わりでもなく、私が必要だと。
「……はい」
断る理由なんて一つもない。
返事をした私は、瞳から流れる涙をぐっと堪える。
そんな私を、レティシアは睨みつける。
いつもなら怖いと思うのに、今は何も感じない。
ただただ、選ばれたことが嬉しくて、心がいっぱいだった。