29.興味がなかった
朝方、王城の廊下を歩いている。
反対側から見知った顔が近づいてきた。
「おはようございます! メイアナさん」
「あ、おはよう、シオン君」
偶然にもシオン君と顔を合わせる。
田舎から引き抜かれた彼も、私のように王城で部屋を貰い生活している。
男女で部屋の距離が離れているから、最近まで知らなった。
「どうしたんですか? こんなところで」
「え、ああ、なんとなく歩いてただけだよ」
「そうなんですか?」
ぼーっと歩いていただけだ。
あれから二日、特にやることもなく時間は過ぎる。
殿下は今頃、四人目を探しているだろうか。
彼の心に雨が降っていると知ってから、彼が抱える悩みについて考える時間が増えた。
やることがないせいで、ずっとそればかり考えている。
「シオン君はどこか行くところ?」
「ボクはこれから騎士団の訓練があるので」
「そっか。頑張ってね」
「はい! メイアナさんは、どうされるんですか?」
「私は……」
そうだ。
さすがに二日もサボっているわけにはいかない。
私も何かすることを見つけよう。
「研究室にいるよ。ルーンの研究をする。遺跡探索に役立つものを」
「そうですか。が、頑張ってください」
「ありがとう。シオン君もね」
「はい」
私は彼を見送って、来た道を戻る。
偶然だけど、シオン君と話せたのはよかった。
彼のおかげで、私もやることを探さなきゃって気持ちになった。
殿下の悩みは気になるけど、今の私には何もできない。
きっと殿下も、私が踏み込んだところで迷惑なだけだ。
「私は私の仕事を」
と、自分に言い聞かせて研究室に戻る。
扉を開けた時、人影が見えた。
背の高い男性だった。
一瞬、殿下かと思ったけど……違う。
別人だ。
ただ、知らない人というわけでもなくて、私は困惑する。
どうして私の研究室にこの人がいるのか。
彼は扉の音で振り返り、私と顔を合わせる。
「久しぶりだな、メイアナ・フェレス」
「……ノーマン様」
優秀な姉……レティシアの婚約者。
ホイッシェル家の若き現当主様。
貴族としての格はフェレス家よりも上だから、レティシアもこの人の前では強く出られない。
私もフェレス家の一員だったから同じだけど、そういう事情を抜きにして、この人は苦手だ。
「いや、今はもうフェレス家の人間ではないのだったな」
「……どうして、ノーマン様がこちらに」
「ここは君の研究室だろう? ならば来る理由は自ずと君だ。君と話をしたくてここにいる」
「私と……?」
意外、というより不自然だった。
ノーマン様が私に、自分から話しかけたことは一度もない。
この人は私に興味が一切なかった。
彼の興味は、自身の利益になる者に限定される。
姉のレティシアはフェレス家との繋がり、宮廷魔導士という肩書もあって婚約者として成立した。
私には何もなかったから、話しかける時間も惜しかったのだろう。
徹底的な無関心。
だから私は、この人が少し苦手だ。
ただ、無関心でいてくれるから、嫌味を言ったりもしない。
嫌いとは思っていない。
そんな人が私に話しかけてきたということは……。
「アレクトス殿下と一緒に、何やらしているらしいね」
私に対して興味を抱いた、ということ。
殿下の部下になり、遺跡を見つけて探索の準備をしている。
自分でも理解する。
私の存在意義は、以前よりも確立された。
ふと、ジリーク様に再婚約の話をされた日のことを思い出す。
まさか、と身構える。
「――安心するといい。私は無意味に婚約を迫ったりはしない」
「――!」
心を見透かされたような一言に、一瞬で背筋が凍る。
シオン君のように心が見えるわけでもないのに、今の一瞬で見透かされた。
「活躍は耳にしている。少し君に興味が持てるようになった」
「……興味」
「ルーン魔術、時代遅れの産物だと思っていたが、存外特異な力だったらしい。見誤っていたのは私の落ち度だ。私は君に興味がなかった。が、その君が確立された地位にいる。実に興味深い」
ノーマン様が笑みを浮かべる。
私は初めて、彼が笑っている姿を見た。
レティシアといるときも、誰と話しているときも表情一つ変えない人。
そういうイメージだったから、目を丸くして驚く。
「君は、この先も殿下の下で働くつもりか?」
「え? どういう意味でしょう」
「そのままの意味だ。聞けば陛下からの褒美で、フェレス家を脱し貴族として独立したのだろう? 君は今、限りなく自由だ。地位も、信頼も得始めている。だがその地位にいれば、いずれ必ず自由は奪われる。第二王子付きという肩書が、君の行動を制限する」
「何を……」
「もしそれを窮屈に感じたなら、私の所に来るといい」
ノーマン様は手を差し出す。
あの時の殿下と同じように。
「君の力を最大限生かし、不自由のない未来を保証しよう」
これは、勧誘だ。
殿下の下から、将来的に私を引き抜こうという算段だ。
驚きの連続で、もう頭がくらくらする。
私に興味もなかった人が、私に手を差し伸べている。
ノーマン様も立場があるお方だ。
適当な理由でこんな話をすることはない。
本気で、私に価値を見出してくれている。
そこは純粋に嬉しかった。
目的はどうあれ、私の力を認めてくれる人が増えたことは……。
ただ一つ、気に入らない。
「ありがとうございます。ですが私は、この先も殿下のお傍で働くと決めています」
今の立場を、私が今いる場所を否定されたことだ。
ここは私にとって、一番幸せな場所なのに。
それを窮屈だなんて思うはずがない。
「――ふっ、そうか。なら、居続けられるといいな。その場所に」
彼は小さく笑みをこぼし、私の隣を通り過ぎる。
「気が変わったらいつでも言うといい。それから一つ忠告だ。王族が皆、アレクトス殿下のような人格者だとは思わないほうがいい」
「え……」
振り返った時、ノーマン様は扉の奥にいた。
意味深な言葉を残し、後味の悪い余韻を残し、私は悶々とした気持ちで扉を見つめる。
ノーマン様の言葉の意味を知るのは、この翌日のことだった。






