20.雨は冷たく、涙は温かく
「メイアナ」
お父様の低い声が響く。
先ほどまでの穏やかな雰囲気は凍り付く。
「その意味を理解しているのか?」
冷たく鋭い視線が私を刺す。
私は背筋が凍るような寒気を感じた。
「わかっているの? 私たちと縁を切る……そう言ったのよ?」
お母様も同じだ。
にこやかに笑っているけど、冷たい笑顔だ。
二人の視線が私を責め立てる。
「今なら聞かなかったことしよう」
「ええ、せっかくの食事が美味しくなくなってしまうわ。楽しく食べましょう」
「……」
けれども私は、その圧力に負けじと声を出す。
「私はこの家を出ます! この日を以て、私はもうフェレス家の人間ではありません!」
「「――!」」
二人は驚く。
私がここまでハッキリと拒絶するとは思わなかったのかもしれない。
お父様が食事の手を止め、テーブルに肘を置いて手を組む。
「何を考えているんだ? 家を出るだと? 何を勝手なことを」
「まったくだわ。そんなこと簡単にできると思っているの?」
「……そのために、陛下に特例を頂きました。中身を読んでください」
お父様が私を睨む。
呆れたようにため息をこぼし、封筒の中を見る。
そこに記されている内容は、簡単に言うとこういうことだ。
私がフェレス家を抜けることを推奨する。
そして私の貴族としての地位は、フェレス家を抜けた後も維持される。
要するに、私はフェレス家から独立することを許された。
他の誰でもない……この国の王様に。
本来、国王であっても他の家の事情に深く介入できない。
ただし当事者が望んでいる場合、それを後押しすることはできる。
この特例書がまさに後押しだ。
「こんなことを陛下が……一体何をした? いや、何をしてきた?」
「お答えすることはありません」
「メイアナ!」
怒声が響く。
およそ聞いたことがない声量で、鬼のように怒りに駆られた顔で。
お父様は私を睨む。
怖い。
でも、ここで引いたら何も変わらない。
私はもう、怯えながら生きるのは止めると決めた。
これからも殿下の傍で働けるように。
殿下の部下として相応しい人間になるために。
「私はずっと考えていました。この家に……私の居場所はあるのかと。考えるまでもなく、そんなものはありませんでした」
姉ばかり優遇され、出来損ないの私はいないもの扱い。
声をかけても無視され、目も合わせない。
そんな扱いを、十数年続けられた。
「私が、お姉様より劣っていることは自覚しています。それでも……対等ではなくても、認めてほしかった」
私の頑張りを。
お姉様だけじゃない、私もここにいると。
叫ぶように努力した。
知識を学び、できることを探した。
けれど二人は、そんな私に見向きもしなかった。
「認めてほしかった……二人に、私のことを……でも、さっきわかったんです。お父様に褒められても嬉しくありませんでした。お母様と話しても、楽しくありませんでした」
ただただ気持ち悪くて。
私は不快だった。
消えるはずがないんだ。
今まで受けてきた仕打ちが、目に見えない傷跡が……。
「今さら優しくされても、認められても、嬉しくありません」
「それがなんだ? 認めて欲しかっただと? ならば相応の結果を出せ。そうしなかったからだろう」
「――はい」
やっぱり、この人たちは私を見ていない。
今も、認めているようで違っている。
二人が見ているのは私じゃなくて、その後ろにいる殿下なのだろう。
「ジリーク様と同じですね」
お父様がわずかに反応する。
「すでにご存じでしょう。私はジリーク様に再婚約の話を頂きました。ですが、お断りさせていただきました」
「聞いている。なぜかは……もはや聞くまでもないな」
「はい。私はフェレス家の名を返上します。私との婚約など意味はありません」
「……そうか。ならば好きにするといい」
「貴方」
「陛下が関わっているのなら、メイアナの意思を尊重すべきだ。元よりこの家に、お前の居場所などない」
そう、ハッキリと告げられる。
わかっていた。
けれど、こうも堂々と、お父様に言われるのは……やっぱりショックだ。
「今まで……ありがとうございました」
育ててくれたこと、感謝はしている。
たとえ愛がなくとも。
今日まで生きることができたのは、帰る家があったからだ。
それを失った。
いいや、自分で捨てた。
前へ進むために。
私は一人、屋敷を出る。
最後の食事は、あまり喉を通らなかった。
荷造りを簡単に終わらせて、荷物を手に夜空を見上げる。
「雨……降りそう」
分厚い雲に覆われて、星も月も見えない。
「メイアナ?」
「――!」
視線を戻すと、目の前には彼女がいた。
私の姉、いつも比べられていた相手が。
「お姉様」
「戻っていたのね」
「はい」
げっそりしている。
見るからに疲れていて、目つきも悪い。
暗くてよく見えないけど、目の下にクマができている?
「こんな時間にどこへ行くの?」
「……私、フェレス家を出ることになったんです」
「え?」
驚いたお姉様は固まる。
偶然でも、今日のうちに会えてよかった。
最後の家族にお別れを言える。
「何を……」
「私はもうフェレス家の人間じゃありません。だから、この屋敷にも戻りません」
私が抜けて大変な思いをしているのだろう。
お父様とお母様は、いつもストレスの発散場所として私を使っていた。
その私がいなくなった後、お姉様一人で、お父様たちの想いを受け止めないといけない。
家族として、期待されている娘として。
私にはもう、その権利も資格もない。
「出て行くって、どうして急に」
「わかるでしょ? 私の居場所はここにはなかった……だから、いい機会だったの」
伝えるべきことは伝えた。
これ以上長居はしたくない。
私は歩き出し、姉の隣を通り過ぎる。
「さようなら、お姉ちゃん」
「――メイアナ」
これが最後の、姉妹としての会話になるのだろうか。
私は振り返らなかった。
彼女がどんな顔をしているのか、何を言いたいのか。
聞くこともせず、速足で進んだ。
止まれば覚悟が鈍りそうだったから。
しがらみをなくして自由になった。
この足でどこへでも行ける。
私はこれからどこへ行く?
一人で……雨が降る中を……。
「風邪を引くぞ、メイアナ」
「――殿下」
いつの間にか、殿下が私の前にいた。
雨に濡れながら気にもせず。
「話は終わったんだな」
「……はい」
「ちゃんと伝えたか」
「……はい」
「よく、頑張ったな」
「――はいっ」
ずるい。
こんな時に、優しい言葉をかけられたら……涙が溢れてしまう。
殿下の前で泣くつもりはなかったのに。
情けなく涙する私の頭を、殿下は自分の胸に引き寄せる。
「当分止みそうにないな……この雨は」
私は一人じゃないと、教えてくれるように。
【作者からのお願い】
新作投稿しました!
タイトルは――
『残虐非道な女王の中身はモノグサ少女でした ~魔女の呪いで少女にされて姉に国を乗っ取られた惨めな私、復讐とか面倒なのでこれを機会にセカンドライフを謳歌する~』
ページ下部にもリンクを用意してありますので、ぜひぜひ読んでみてください!
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