16.解読完了?
「――【ᛏ(テイワズ)】」
ルーンをなぞり魔力を活性化させる。
【ᛏ】に宿る意味は戦と正義。
人類の正義を掲げた戦いが始まったことを意味している。
私は指をなぞり、横の文字へと移す。
「次は……【ᛜ(イングズ)】」
宿りし意味は神。
相手は史上最厄の魔神。
人々の総力をかけて挑み、勝利に確証がもてないほどの相手。
「これで七行」
あれから解読のペースは順調に上がっている。
解釈が広がり、石板に描かれている文字の意志が少しずつわかるようになった。
この石板には魔神との壮絶な戦いについて描かれている。
殿下の憶測は正しいかもしれない。
まだ不完全で確証はないけれど、石板の最後に刻まれた文字は……。
「【ᛟ(オースィラ)】……」
意味は遺産、土地。
魔神と戦い、その強大すぎる力をどこに封じたのか。
おそらく最後まで読み解けばわかる。
限りなく確信に近い憶測を胸に、私は解読を続けた。
「……」
解読は集中しなければならない。
しかしどうしても邪念が入る。
再婚約を迫られたのはついさっきの出来事だ。
忘れることは難しい。
気持ちの切り替えも、ちゃんとできていたつもりだったのだけど……。
「はぁ、まだまだ甘いんだな」
と、自分の弱さを再認識する。
私はきっぱりと婚約の話を断った。
ジリーク様がどう考えようと、今さらよりを戻す気なんてない。
利用されるのはまっぴらだ。
殿下に背中を押され、拒絶したことに後悔はしていない。
ただ、この任務が終われば、私は屋敷へ戻ることになる。
フェレス家へ……私の家へ。
婚約を断った話を、ジリーク様が先にお父様へ伝えるはずだ。
利点の話なら、お姉様との婚約がある時点であまり意味はない。
それでも、私ごときが断るなんて生意気だと、お父様とお母様は思うかもしれない。
顔を合わせた時になんと言われるか。
考えるだけで憂鬱だ。
「いっそこのまま……」
なんて、情けないことを考えたところで我に返る。
このままローリエに残れれば、とか。
滞在期間を目いっぱい使ってとか、考えた時点で私は弱い。
逃げたところでいつかは向き合うんだ。
いい加減私も、私の弱さに立ち向かわないといけない。
そうしなければ成長できない。
「……よし」
パンと自分の頬を叩き、気合いを入れなおす。
早く仕事を終らせよう。
そして屋敷に戻って、お父様たちとちゃんと話そう。
殿下の下で働いていることも、ジリーク様と婚約する気はないことも。
嫌なことは否定できるようになろう。
そのためにも、今は目の前の仕事と向き合うんだ。
「えっと、次の文字は……」
私は黙々と解読に勤しんだ。
次の日も、その次の日も遺跡で石板と向き合う。
何日も同じ景色を見続けながら、飽きることなく解読する。
景色は変わらずとも変化はある。
少しずつ文字を刻んだ誰かの気持ちがわかっていく。
難しい迷路を攻略するような感覚は、ルーン魔術師にしかわからない感覚かもしれない。
ある意味、私だけの特権だ。
そして――
◇◇◇
「殿下、明日には解読が終わります」
「本当か?」
「はい。今日まで九段目の解読が終わりました。残るは最後の一段です」
「ついに、か」
「はい」
夕食の時間、私は殿下に現状報告をした。
解読のペースは加速し、一日一段の解読ができるようになっている。
この調子なら問題なく、明日の間に解読は終わる。
すでに解釈は深まった。
あとは最後まで解読して、全てを一つにまとめる。
「だったら、明日は俺も同行しよう」
「殿下もですか?」
「ああ、見学してる。仕事の邪魔をする気はないが、俺も世紀の瞬間に立ち会いたくてな。構わないか?」
「はい。もちろんです。私も、殿下に見ていてほしいです」
私は任務を無事に果たす瞬間を。
達成した時の喜びを、願わくば殿下と分かち合いたいと思っていた。
願ってもない申し出だ。
より気合が入る。
そうして翌日。
いつもより早い時間に視察を終らせ、私は殿下と共に遺跡へ入る。
まだ若干霧がかっている。
作業するには少々邪魔だけど。
「ウィンドカーテン」
殿下が右腕を大きく払い、足元に術式を展開する。
自身を中心に気流を操り、風の障壁を生み出す魔術だ。
霧がみるみる四方へ散っていく。
「これで視界は良好だろ?」
「ありがとうございます」
「これくらいはする。見学料だ」
私は殿下に見守られながら、解読を始める。
最後の一段、残り十二文字。
ここまでほぼすべての文字に、戦いや苦悩、怒りや絶望といった負の感情が多く込められていた。
魔神との戦いは多くの犠牲を生んだ。
激しい戦いであったことは、もはや疑いようもない。
悲しみが多いのはきっと、このルーンを刻んだ誰かも、大切な何かをたくさん失ったからだろう。
ルーンには感情が宿る。
意図せずとも、その時のコンディションが影響する。
「最後の一文字……」
意味はすでにわかっている。
遺産、土地。
魔神と戦い、その力をどこかに封じた。
最後まで解読を済ませても、場所まではわからない。
こういう時は最初から、意味を頭で連想しながら読み上げていく。
「【ᚺ】、【ᚾ】、【ᛊ】……」
一文字ずつ丁寧に、読み上げと一緒にルーンをなぞる。
魔力の活性化と、そこに込められた意志を感じる。
ルーンは魔術のために作られた文字だ。
文字には魔力が宿り、刻んだ術者の意志を宿し、想像を体現する。
石板に刻まれた文字にも微弱ながら魔力が宿っていた。
ただ文字に乗せるためだと思っていた。
私は、魔術全盛の時代を侮っていたんだ。
「【ᛟ】……!」
私は遅れて気づく。
この石板自体が、百二十のルーン文字全てで、一つの魔術を形成していたことに。
「メイアナ!」
「――!」
殿下の声が頭に響く。
その声が遠く聞こえて、意識が薄れていく。






