(6)息子
「ただいまー」
「おかえり」
妻がようやく帰ってきた。
「今日も俺のほうが早かったな」
「えー、今日は私もだいぶ早かったのに」
悔しそうに言いながらも、妻は笑う。久しぶりにふたりで家で夕食を食べられることが、お互いうれしかったりする。
「いいにおいするね。家政婦さん、何作ってくれたんだろ」
妻はわくわくした気持ちを隠さずに、キッチンに向かう。俺も一緒にのぞきに行った。
「このお鍋のは温めたらいい感じだね」
「こっちのお皿は、レンジだな。あと冷蔵庫にサラダ入ってた」
「了解」
ふたりで食事の用意をしながら、他愛もない話をする。キッチンとリビングを往復している間に、かちかちといつもの音がした。
リビングの壁掛け時計はかなりの年代物だ。アンティークというわけではない。ただ、古いだけ。妻が子供のときからずっとここにあるらしい。秒針がうるさいのも、そのときから、ずっとだそうだ。
「そういや、そろそろこの家も築何十年だっけ? 建て替えはいかがですか、なんて話あったけど、どうする?」
「そうだねえ、あちこち痛んで、リフォームしたけど。んー、さすがに建て替えするなら、あの子に意見聞かなくちゃ」
妻はあの子、と。我が家の一人息子を気にかける。
俺はちょっと顔をしかめて、答える。
「戻ってくるか? 都会の生活にどっぷりなのに」
「戻ってくるかもしれないから、聞いておいたほうがいいよ」
「あ、でも、舞生もそうか。いったん都会に出て、それからこっち戻ってきたもんな」
「そうそう。実家に住みたいって言ったら、冬織がじゃあ俺、婿で! って言いだして。ここで暮らすことになったんでしょ」
「そうだった、そうだった」
俺たちは、二十数年前の出来事を懐かしんで話す。すっかりここの暮らしに慣れたけど。もともと、俺と舞生が出会ったのは別の街だった。
「結局俺たちが結婚してから、お義父さんたち、海外赴任になっちゃって。ずいぶん会ってないけど。最近どう? 連絡取ってる?」
「うん。元気にしてるよ。お父さんもお母さんも」
舞生はにこにこと、そう話す。俺の実家の両親も相変わらず元気だし。うん。離れてても、元気にしててくれたらそれがいちばんいい。
「そっか」
「じゃ、ごはんごはん」
俺たちはリビングのテーブルに並んだ料理を、いただくことにする。
◆
料理をひとくち食べて。
舞生がぽつりと呟いた。
「なんか、懐かしい味するね」
「ん? 家庭料理って感じ? やっぱいいよな手料理」
「そうじゃなくて」
「じゃなくて?」
舞生は少し考える素振りを見せたけど、へへっと笑って、また箸を動かす。
「んーん。好きな味ってこと」
「そっか」
この料理を作ってってくれた、今日の担当さん、初めての人だったな。ちゃんと名前、見ておけばよかった。夕暮れに紛れて、ぼやけて、顔もちゃんと見えなかったし。
今日の人にまた、来てもらうように、白井さんにお願いしてみようか? 舞生がずっとお世話になってる、何でも屋さん……、あれ? 親戚のおじさんだったっけ? まあいいや。
……なんて提案しようとしたけど。温かい料理に夢中の妻の邪魔をしたくなくて、言葉を飲み込む。
まあ、わざわざ頼まなくても。また、あの人が来てくれる日もあるだろう。お互い元気にしていれば。きっとまた。
(三億あげるから/終)