大井の焦り
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──大井の焦り
大井のミスター・ジョン・ドゥは正直なところ、人選を間違ったのではないかと思っていた。大河は殺人を続ける。SNSや掲示板で煽られた程度のことで!
他の勇者との接触を待っているが動きはない。
流石の大井のミスター・ジョン・ドゥを危機感を覚えてくるレベルだった。
『上手くいっていないようだな』
「そのようです。人選ミスかと。今からでも刻印を移しますか?」
『いいや。そこまでのリスクを冒す必要はない。どう転ぶか分からないのだ。今は様子見といこう。少なくとも死後3時間以内ならば、体から取り外せる。そういう状況に追い込まれてから考えていいだろう』
それよりも、だ、と電話の向こうの人物が言う。
『本社のメインフレームがハッキングを受けた。強力な軍用ワームが使用されたらしく、ブラックアイスも突破された形跡がある。何か心当たりは?』
「残念ですが。そちらのお力になれそうな情報は有りません。ただ、日本情報軍はこちらの勇者が軍用義肢を使っていることに気づいているようです」
『よくないな。よくない。日本情報軍にも見られたくない情報がメインフレームには収まっていた。これから情報はスタンドアローンで保存することになる。君との情報共有も難しくなるだろう』
「こちらはこちらで上手くやりますよ」
『ああ。我々の勇者に他の勇者を殺させることも忘れないようにな』
電話の向こうの人物が言う。
『我々が有している駒はひとつだけだ。替えはない。慎重に運用したまえ』
「了解しました」
大井のミスター・ジョン・ドゥは電話を切る。
「さてさて。大井のメインフレームにハッキングとは。素人ができることじゃあないですよね。できればうちの勇者様にも手伝ってもらいたいところですが……」
そこでセーフハウスの扉が開く音がした。
「帰ったぞ」
「お帰りなさいませ」
血を滴らせたTシャツとデニムのズボンを纏った大河が姿を見せる。
「今日はどうでした? 勇者とは戦えましたか?」
「いいや。連中は臆病者だ。出て来やしない」
臆病者はどっちのことやらと思いながら、大井のミスター・ジョン・ドゥは待機していた人員に大河の後始末を任せる。血塗れになったTシャツとズボンがナノマシンによって分解され、完全に分解され切ると、廃棄される。ナノマシンはリモートで活動を停止し、自己分解モードに移行し、証拠を全く残さない。
「大河さん。我々は結果を期待しています。あなたが勇者の情報を収集してもらわらないと、我々としてもこの事業は赤字だと言わざるを得なくなります」
「なんだと。俺に命令するつもりか?」
「命令ではありません。お願いです」
大井のミスター・ジョン・ドゥは慎重にそう語る。
「ですが、このままあなたがただの殺人を続けるだけならば、我々はあなたに命令せざるを得ないでしょう」
「誰にものを言っているのか分かってるのか!」
途端に大河の姿が消える。
そこで大井のミスター・ジョン・ドゥは手元にあるタブレットに表示されているボタンをタップしたのだった。
「うぐあああ!」
大河の呻き声が響く。悲鳴に近い呻き声は大河が再び姿を現すまで続いた。
「ペインデバイスです。痛風をご存じで? あれと同じような仕組みです。ナノマシンを使って似たような状況を作り出しているのです。まさか我々があなたのような連続殺人鬼を完全に信頼して、野放しにするとでも思いましたか?」
「ち、畜生。畜生!」
「ええ。畜生ですね。我ながら安易によくこのボタンをタップできたと思いますよ。ですがね。あなたには我々に従ってもらわなければならない義務があるのですよ」
大井のミスター・ジョン・ドゥは冷淡にそういう。
「我々はあなたの命を救った。あなたを助けた。であるならば、あなたは我々に少しでも恩を返すべきだ。他の勇者の固有能力を調べ、それが他の企業に渡る前に抹殺する。なんともまあ、単純なことじゃないですか」
「俺は、俺は殺しを続ける……!」
「趣味の範囲でしたご自由に。ですが、仕事としてはしっかりと働いてもらいますよ。そうですね。まず殺してもらいたい相手がいます」
大井のミスター・ジョン・ドゥはタブレット端末を操作する。
「この家族です。これはあなたの憎んでいる勇者のひとりに大打撃を与えることになりますよ。是非ともやっていただきたいですね」
大井のミスター・ジョン・ドゥはにこりと笑ってそう言った。
「こいつらを全員殺せばいいのか?」
「ええ。全員殺していただければいいのです」
「容易い仕事じゃないか」
「そうです、実に簡単なお仕事です。日本情報軍などに気づかれる心配もありません。やっていただけますね?」
「ああ。やってやるさ。だが、今すぐじゃない。お前は俺のプライドを傷付けた。俺はようやく弱い自分から抜け出そうとしていたのに、そのナノマシンを操って、俺に屈辱を味わわせた。その埋め合わせはさせてもらう」
「分かりました。ただし、可能な限り、迅速に願いますよ」
「分かっている!」
大河はよろよろと起き上がった。
「それからこれはアドバイスですが、勇者と戦う時には慎重に。居場所がある程度分かれば高火力の武器で叩き潰される可能性もありますからね。あなたがその左腕を失ったようにして」
「分かってる! 二度も、三度も同じミスは犯さない!」
「それは結構。慎重に戦ってください」
大河が出て行ってから、大河に埋め込んだGPSが報告する位置情報で、大河がセーフハウスから十二分に立ち去ったと判断すると、大井のミスター・ジョン・ドゥはスマートフォンを取り出して番号を押した。
「勇者が動くものと思われます。民間警備企業の対テロ特殊作戦部隊に出動準備を」
『確かなのか?』
「一応はスケジュール通りです。やや、遅延は見られるものの、問題なく進むと思われます。これでひとり、と言ったところですかね」
『まだひとり、か。これでは何年かかるか分かったものではないぞ』
「慎重にことを進めましょう。お焦りは禁物です」
大井のミスター・ジョン・ドゥはそう言う。
『この件は君に一任している。君からの要請があれば民間警備企業も動かそう。対テロ特殊作戦部隊を動員することも構わない。だが、結果は出してもらうぞ。すべて徒労の赤字でしたではすまされないほどの金も人間も投資しているし、リスクも抱えている』
「確かに結果を出してごらんに入れましょう。我々には日本情報軍以上の情報があります。この戦争のルールを理解している。そのはずです」
『そうであることを祈るよ。では、結果が出た連絡したまえ』
「畏まりました」
大井のミスター・ジョン・ドゥはスマートフォンを仕舞う。
「狂人の相手も大変だが、欲深い老人たちの扱いも難しい。だが、結果は出さなくては。私のような企業代理人にとってはひとつひとつの仕事が命がけ。ひとつしくじれば、自分が消されることも覚悟しなければならない」
大井のミスター・ジョン・ドゥはそう呟く。
「今回の件で儲けたとしても、また別の仕事が入ってくる。私が死ぬまでこの仕事に付き合い続けないと行けないとは。全く、どこで人生設計を間違えてしまったのやら」
大井のミスター・ジョン・ドゥはそう言ってタブレット端末の写真を見た。
「あなた方に恨みはないが消えてもらいますよ。私も自分の首かかかっているんでね」
写真は仲のよさそうな家族の集合写真だった。
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