横浜
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──横浜
横浜はカオスそのものの都市だった。少なくとも凛之助にとっては。
人口密度は海宮市とは比べ物にならない。駅は大混雑だった。
夏妃から接触する相手は中華街のいると聞いたが、中華街というものを見て凛之助は驚いた。まるで異国の地が現れたかのような光景が広がっていたのだ。
横浜中華街は華僑たちがアジアの戦争の最中に対日協力を明確にし、戦後になってから横浜市によって大規模な改装を受けた。本物の中国に近く、と。本場の中国に近く、と。それはアジア人同士で戦争による嫌悪感を引きずらないためでもあった。
大規模な区画整備とアジアの融合を掲げる大井の投資もあって、横浜中華街は生まれ変わった。煌びやかな反映した中国のスタイルを有する場所へと。
凛之助はそれに圧倒されながら、目的の住所に向かう。目的地までは雪風が案内してくれた。ドラゴンを描いたゲートを潜り、香ばしい香りで客を誘う店舗を横切り、凛之助はカオスそのものの横浜中華街を進む。
そして、目的地に到着した。
「ここか?」
『ここの地下2階です』
「ふむ」
凛之助は雪風にナビゲートされるままに、地下に降りていく。
「もしもし?」
そして、凛之助が扉をノックする。何の反応もない。
『凛之助様。インターフォンをお使いください』
「あ。ああ、そうだったな。この機械を使うのだったな」
凛之助がインターフォンを押す。
ピンポンとチャイムが鳴る。
『もしもし?』
「臥龍岡夏妃の使いの者だ。夏姉からあなたに頼みがあってきた」
『トラブルの予感しかしないっつーか……。まあ、入れ』
ドアの電子ロックが解除される。
「ようこそ。茶も茶菓子も出ないからな」
男は非常に痩せており、凛之助に背中を向けたままタイプを続けていた。
「それで、夏妃ちゃんは何だって?」
「大井の本社に仕掛けるからバックドアについて教えてほしいと」
「マジかよ。夏妃ちゃん、マジでぶっ飛んでるな。相手はビッグシックスだぜ? ブラックアイスに焼かれる恐れだってあるってのに」
凛之助はブラックアイスが何なのか理解できなかった。
「あなたは大井のサイバーセキュリティコンサルタントだったのだろう? 何か抜け道について知っているのではないか?」
「そりゃあ、まあな。メインフレームに入り込むだけならいける。だが、それからは分からない。連中は社内の人間にメインフレーム内のセキュリティを作らせた。俺が分かるのは、メインフレームに誰もに気づかれずに入る方法だけだ」
大井の傾向からして、内部は相当硬いぜと男が告げる。
「それだけでいい。報酬は準備している」
「報酬なんていい、いい。夏妃ちゃんはさ。俺の師匠みたいなもんなんだよ。あの人ほどクールなハッカーを俺は知らねえ。サイバーセキュリティコンサルタントとして大井ってデカいところから仕事が取れたのも、夏妃ちゃんのおかげなんだ」
だから、そんな恩人からは金は受け取れないと男は言った。
「そうか。だが、これはあなたにとって不都合なことになるのではないか?」
「ハッカーに依頼した防壁にバックドアがあるのは常識だ。ハッカーなんていう野次馬を相手にして、その手のものがないと思うほど連中は馬鹿じゃない。ただし、ただしだ。それが分かっているのと実際に使われるのは別問題だ。バックドアは本来メンテナンス用の出入口だ。メインフレームが何かしらの形で制御不能になったときに、利用するためのメンテナンスハッチだ」
そして、相手はビッグシックスだと男は言う。
「ビッグシックス相手に仕掛けるってことは、社会的に抹殺される可能性を考えなければならない。バックドアを俺が教えたってことは分からないようにしてほしいと夏妃ちゃんに伝えてくれ。まあ、あの人なら伝えなくても分かるだろうが」
「分かった伝えよう」
「それからどうして大井に仕掛けるのは教えてくれないか? 言っただろう。ハッカーは野次馬だって、さ」
男はそこで凛之助の方を振り返った。
「大井が連続殺人事件の犯人を匿っている可能性がある。理由については話せない。我々のためだけではなく、あなたを危険にさらすからだ。まあ、海宮市のニュースを見ていれば分からるだろう」
「日本情報軍絡みだな?」
「何故そうだと?」
「海宮市のニュースなんてちっとも流れて来ないからさ。連続殺人事件と海宮市シティビル爆破事件については伝えられてきたが、他はさっぱりだ。何か、裏があるんだろう? 日本情報軍、ビッグシックス。やばいことが起きているんじゃないか?」
鋭いなと凛之助は思う。
「まさに。不味いことが起きている。日本情報軍も関わっているし、ビッグシックスも関わっている。だからこそ、話すことはできない。分かってもらえるか?」
「分かった。こっちはこっちで忙しい。人様の揉め事に首を突っ込んでいられるほどじゃない。だが、気が向いたら野次馬させてもらうぜ。俺もやっぱりハッカーという名の野次馬だからな」
男はそう言ってプリンターからコピー用紙を取り出すと、そこに複雑な数字の羅列を掻き始めた。それは何かの座標であり、何かのパスワードであった。
「こいつを夏妃ちゃんに。夏妃ちゃんが見れば何のことかはすぐに分かる。俺は暫く地下に潜るから接触するのはこれが最後だ。夏妃ちゃんに限ってミスはないだろうが、俺がバックドアを教えたことがバレると、大井に消されかねない。暫くは安全な場所に隠れることにする」
「ああ。分かった」
「じゃあな。俺は引っ越しの準部を始めるよ」
男はそう言って乱雑にパソコンからハードディスクドライブを取り外し始めた。
「助かった。礼を言う」
凛之助もそう言い、足早に男の隠れ家から立ち去った。
「しかし、メールでやり取りするという方法は使えなかったのか?」
『日本情報軍に察知される可能性があります。それから結果的にはなくなりましたが、報酬の引き渡しは直接渡す方が確実です』
「そういうものか」
日本情報軍は通信インフラを掌握していると夏妃は言っていた。
本来ならばスマートフォンの通話の盗聴されているのだろう。だが、夏妃は日本情報軍に探知されない形で通話している。
しかし、メールは難しい。メールの文面から何をしようとしているか推測されるのはそう難しいことではない。それに今回の場合は暗号化したメールでも、相手が信用しないという点があった。相手は病的なまでに日本情報軍に情報を傍受されることを恐れていた。それゆえに直接会うというアナログな方法を使うことになったのだ。
「しかし、これで夏姉に必要なものは揃った。後は夏姉頼りだが、上手く行ってくれることを祈るばかりだ。上手くいかなければ……殺人鬼は止められないだろう」
『ええ。そこはマスターを信頼しましょう。きっと解決に導いてくださるはずです』
「ああ。夏姉ならやってくれるはずだ」
凛之助は確かな勝利への決意を胸に、横浜から海宮市に帰宅した。
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