新宿駅
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──新宿駅
2045年8月7日。
鏡花は新宿駅慰霊公園にいた。
彼女が情報テロリストになる原因となった事件を引き起こした事件の犠牲者を慰霊するために特別に設けられた公園に。
「よう。あんたたちのおかげで、この国は随分と住みにくくなっちまったぜ」
慰霊の花束などは置かないように注意書きがされた場所で鏡花が呟く。
「見ろよ。新宿は今や民間警備企業という名の民間軍事企業が闊歩している。二度と新宿駅のような事件を引き起こすまいってな。だが、あのときこの連中がいたとして対処できたと思うか?」
鏡花が皮肉気にそういう。
「あちこちに生体認証スキャナーや街頭監視カメラが取り付けられて、そこから得られた情報で国民は監視される。監視されるだけならまだしも、監視した情報がどこに渡っているかって? 日本情報軍の陰謀屋どもに渡ってるのさ」
情報は統制され、情報は監視され、情報は収集され、情報は使用される。
使用される。対テロ作戦という名目の日本情報軍の維持と現在の日本国の体制を維持するために。国民総監視社会という名のテロのないユートピアのために。ひとつの軍隊が国を牛耳るディストピアのために。
「まさか平和な日本でこんなテロが起きるとは思わなかった。誰もが口をそろえてそう言う。だが、日本情報軍の連中は知っていたはずだ。あたしの情報が確かなら、テロを起こした連中はアジアの戦争の最中に日本情報軍とアメリカ情報軍、オーストラリア情報軍が支援していた“自由の戦士”たちなんだからな」
アジアの戦争。2020年に勃発し、2027年まで吹き荒れた戦争。
その最中、日本情報軍、アメリカ情報軍、オーストラリア情報軍の3ヵ国の軍隊は、陰謀を張り巡らせた。如何にしてこの戦争に勝利し、かつ核兵器が使用されるような破滅的な事態を避けるかについて。
そこで実行されたのがシュライク作戦と言われる高度な機密に指定された作戦だった。高度な機密なのは当然だ。日米豪情報軍はこれまでテロリストと非難してきた集団を支援することで、中国国内で内乱を引き起こそうとしたからだ。
東トルキスタン解放戦線。チベット自由運動。ウイグル・イスラム運動。
そう言った中国からの分離独立を主張する宗教原理主義者、民族活動家、民主活動家、あるいはただの犯罪組織に日米豪情報軍が武器を与え、訓練を施し、中国内陸部で攪乱作戦を実行した、と言われている。
現実は不明だ。シュライク作戦なる作戦は公式にも非公式も存在しないというのが、日米豪政府の見解だからだ。だが、どうしてこれまで何の訓練も受けてなかったはずの活動家たちが軍隊として組織され、自動小銃から対戦車ミサイル、小型ドローン、果ては迫撃砲まで装備するようになったのかの説明はない。
そして運命の2027年。アジア太平洋合同軍の上海上陸作戦から2ヵ月のオスロの講和会議で、関連各国は数ヵ月の会議を重ね、ようやく講和に至った。勝者はおらず、誰もが疲弊し、もう戦争なんてごめんだと厭戦感情が高まっていた。
だが、中央アジアのテロリストたちにとって、日本を始めとするこれまでの支援国の撤退は裏切りだった。日米豪情報軍が育てたテロリストたちのネットワークは中央アジア全域に広がり、かつてない規模の内戦が勃発した。もちろん、中国内陸部も荒れ果てたままであった。
テロリストから軍閥にグレードアップした彼らが最初に試みたことは、裏切りに対する報復であった。自分たちを裏切った日米豪3ヵ国に報復することにあった。
そして、新宿駅に爆弾ベストを巻きつけて、カラシニコフを持った20名のテロリストが現れ、銃撃ととともに爆弾を起爆し、新宿駅とその周辺にいた1500名の民間人を無差別に虐殺した。
それが新宿駅爆破テロ。
それから世界は変わった。
中央アジアがどうなっているかの情報はぷつりと途絶えた。国連安全保障理事会の決議で国連平和維持軍が難民保護に限って派遣されることになり、日本陸軍からも部隊が派遣された。表立って発表されているのはそれだけで、ことの発端となった日本情報軍は何をしているのかは一切伝えられない。分かっているのは2027年から2045年の現在に至るまで未だに中央アジアの内戦は継続中ということだけだ。
日本情報軍の陰謀屋たちが中央アジアで何をしているかなど誰も知らない。
ただ、変化の波は日本国内にも及んでいた。
日本情報軍情報保安部は公式に権力を得て、各都道府県警察を“補佐”するという名目で、政治将校よろしく警察を監視し、管理下に置いた。
国内は国民総監視社会という日本国という名の牢獄が作られ、国民は罪状を問わず、囚人になった。彼らは囚人になったことにすら気づかず、日本情報軍が作ったユートピアで暮らしていた。
日本情報軍が作った秩序を乱すものは即座に排除され、徹底した情報統制と情報監視が行われていた。
鏡花たちはそれに反乱を起こそうとした。
今思えばあれは反乱と呼べるものでもはなく、ただのいたずら程度程度のことだった。だが、あの時の鏡花たちは誰もが本気でこのディストピアの破壊を試みていた。彼女たちは国民に知らせようとした。彼女たちは国民に行動を起こさせようとした。彼女たちは国民に立ち上がるように促そうとした。
だが、無駄だった。
ひとり、またひとりと無駄な運動からメンバーは離脱していき、最後まで残っていたのは夏妃のような鏡花の理解者だけになっていた。
「夏妃ちゃん。寂しいぜ。なんでこっちに来てくれなかったんだ?」
鏡花がそう呟く。
鏡花がこのままではダメだと強硬策に打って出てから、ついに夏妃たちも離れていった。残された鏡花はひとりでこの監獄で反乱を起こそうともがいていた。
それでもこの国民総監視社会も、個人情報を安全に管理するという情報セキュリティ企業という欺瞞に満ちた営利団体も、日本情報軍による統制と監視も、全く破壊できなかった。鏡花は戦いに疲れて始めていた。
だが、彼女は今や勇者としての力を手に入れた。
この力で魔王と勇者を残らず殺せば、願いが叶う。
鏡花の願いはひとつだけだ。このディストピアを完全に破壊して、再生不可能にすること。もう誰も監視されず、もうどの情報も検閲されず、もうどの情報を自由に発信でき、もう完全な自由になるということ。
それだけの願いが叶えられれば、それでよかった。
「じゃあな、亡霊ども。あんたたちの呪いのせいでこの国は今も滅茶苦茶だ。この国を変えてくれてありがとう。今度はあたしが国を変えてやるよ、亡霊諸君。それまでその慰霊碑の下でせいぜいこの世を呪ってな」
吐き捨てるように鏡花はそう言うと、公園から出ていった。
すぐに黒塗りのSUVがやってくる。
「気は済みましたか?」
メティスのミスター・ジョン・ドゥが尋ねる。
「ああ。済んだ。あたしは国を変えてやるよ。絶対にね」
「それでこそです。我々はあなたのことを高く評価しています。魔法という奇跡に至るにもっとも近い存在であると」
「魔法なんてないさ。そんなもん詐欺だよ」
鏡花はそう言って新宿駅慰霊公園を離れた。
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