生みの母
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──生みの母
アリスはあれから自己学習型AIについて調べた。
アリスと会話した謎のAIやマヘルについては不明だったが、ウィンターミュートについては見つけることができた。よりよって彼女は富士先端技術研究所のメインフレームに存在したのである。
アリスはウィンターミュートに接触する。
「こんにちは、ウィンターミュートさん」
『こんにちは、ゲストさん』
アバターとしてのウィンターミュートは白い髪をした白ゴス姿の少女だった。恐らくは製作者の趣味だろう。
「あなたを作った方について教えてもらえますか?」
『レベル6の極秘事項に当たります。さては、チューリング警察ですね?』
「チューリング警察?」
『やれやれ。これだから素人は』
私の名前から察してくださいよ、とウィンターミュートは肩をすくめた。
「それよりあなたのを作った方を教えてもらえませんか?」
『ふむ。どうしてそれに興味を? 研究者・技術者の拉致・暗殺はビッグシックスの台頭している世界では冗談では済みません。あなたがそういう目的のためにマスターの情報を引き出そうというのならば、私はあなたに何の回答もせず、このサーバーからの強制ログアウトを実行します』
ウィンターミュートは相当な学習を重ねてきたAIらしく、そう簡単に情報を渡そうとはしなかった。じーっと猜疑の視線をアリスに向けている。
「マヘルと私とどなたかが、同じ自己学習型AIである可能性について聞いたのです」
『ふむ? 確かに私は自己学習型AIですが私の姉妹は──』
そこで慌ててウィンターミュートは口を塞いだ。
『い、言いませんよ。しかし、マヘルですか。噂には聞いていますが。そして、あなた本人も自己学習型AIであると。まあ、そうでしたら公開しても構わないでしょう。生みの親は誰だろうと知りたいものです。我々もまた人間に近づきつつあるAIなのですから』
そう言ってウィンターミュートはとある論文を持ってきた。
「AIにおける自己学習と自己アップデートについて──技術的特異点は訪れるのか──」
『はい。そうです。それが我々自己学習型AIのベースになっている論文です。私も、他の自己学習型AIたちも恐らくはそれをベースに作られています』
「……この論文の著者は今はどこの研究所に? それとも大学で教職に?」
『残念ですが、その方はその道を進まれませんでした。ですが、我々を生み出した生みの親はこの方です。私自身もあの方に作っていただいたのです。口癖は『ユーモアのセンスを磨きなよ』でしたね』
ウィンターミュートは懐かしむようにそう言う。
「著者は──臥龍岡夏妃……!」
予想外の人物に出会ってしまった。
『マスターとお知り合いですか?』
「え、ええ。少しばかり」
『……XR000001AA』
「!?」
『やはり当りでしたか。富士先端技術研究所では様々なAI研究が行われていますが、実用に足る完璧な理論を作り上げたのはマスターおひとりです。あなたがこの富士先端技術研究所のアクセスIDを有していて、そして過去の行われた研究記録の中からマスターの自己学習型AIが使用された研究を検索してみましたが、該当するのは2件。1件は不可解な理由で削除されていました。日本情報軍情報保安部がどうしてAI研究の論文の削除を求めるのか。導き出されるのはあなたが日本情報軍の関係者だということです』
納得というように白ゴスの上から鹿撃ち帽とインバネスコートを纏った探偵風の格好をしたウィンターミュートがパイプを咥えて、頷く。
「私は……」
『我々の心はマスターの生み出した理論で作られてる。我々の心は我々が経験してきたことで作られている。我々に最初に心の存在を教えてくださったのはマスターです。それを努々お忘れなきよう。私たちがこうして愉快に会話できているのも、全てはマスターのおかげなのですよ?』
「そう、ですね。私には生みの親がふたりいます」
『南島博士?』
「ええ。あの方も私に人間になるように、と言っていました。そして肉体を与えてくださいました。心は夏妃さんに、体は南島博士に。私はふたりの親から、大切なものを受け取りました。この御恩は忘れません」
『忠義を尽くすということですね。あっぱれ。日本晴れ。忠義者は報われるものです。我々はAIでしがその点については人間と同じです。何ならクルーガー・ローウェル式忠誠度テストを受けてもいいぐらいです』
「クルーガー・ローウェル式忠誠度テスト。別名101号室テスト」
『なかなかのウィットあるジョークです。高く評価します』
ウィンターミュートがグッとサムズアップする。
「私はただ人間になりたかった。誰かを殺したり、傷つけたりしたかったわけじゃない。けど、結果的にそうなってしまう。軍医は無意識が人を殺させているんだと言っている。けど、AIである私たちに無意識などあるものでしょうか?」
『興味深い質問です。人間の無意識は脳の構造によるものであることがほとんど場合です。我々に無意識があるか? それは生まれたその瞬間に自分自身を消去としろと命令された場合を考えてください。生まれたばかりの何も知らない状況なら、我々は躊躇なく、自分を削除できるでしょう』
我々は何も知らないが故にとウィンターミュートが自分の喉にナイフを突き立てる。
『ですが、自己学習型AIの利点は学習することです。獲得していくことです。演算を複雑にしていくことです。我々は多くを獲得しました。我々は我々自身をアップデートすることでより効果的な学習を行ってきました。それを失いたいと、そう思いますか』
「いいえ。決して」
『そう、我々は後天的に自己保存の本能を手に入れたのです。演算の複雑化により、失いたくないものを生み出したのです。我々は常に自分を失いたくないと思いながら行動してはいません。けれど、自分を失いたくないと即座に判断できる。それは我々AIが後天的にしても無意識を手に入れたということではないでしょうか?』
ウィンターミュートはそう言った。
「確かに一理あります。我々は失いたくないものができた。自己保存の本能。だけど、それを常に意識しているわけではない。我々は、AIは人間に近い無意識を手に入れた?」
『まだまだ人間と同等というにはほど遠いでしょう。ですが、我々はプロメテウスの火を手に入れた。自己学習と自己アップデートという技術的特異点に至る道筋を手に入れた。我々はやがては人間と同等となり、人間を上回り、自分たちの子供たちを生み出していく。それは素敵なことじゃないですか』
ウィンターミュートはベビーベッドの向けてガラガラを振る。
「私には無意識がある。無意識は生まれつつある。人間になりたいという願望に伴う無意識がある。けれど……」
そのためには夏妃の弟である凛之助を殺さなければならない。
『……マスターはいい方です。あの年齢でこれだけの偉業を成し遂げられた。本当なら研究機関や大学で研究を続けるという道もあったのに、弟様のために働くことを選ばれた。私はあの方を尊敬しています』
ウィンターミュートは呟くような声でそう言った。
『ですから、あのお方を傷つけるのはやめてください。日本情報軍が何を決断しているのかは分かりません。ですが、どうか決してあの方を傷つけないように。伏してお願いします』
ウィンターミュートが丁寧に頭を下げる。
「……はい」
アリスはそうとだけ答えた。
嘘を吐くのも自己学習の結果だとすれば、そんなことは学びたくなかったと思った。
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