AIのカウンセリング
……………………
──AIのカウンセリング
「それでは、あなたは自分の望みという利己的な明確な意志のためか、それとも心のどこかでそうなりたいと思っている無意識的な目的のためかで人を殺すことを悩んでいらっしゃるのですね?」
アリスを前に日本情報軍の精神科医は尋ねた。
場所は習志野の日本情報軍第101特別情報大隊駐屯地。
日本陸軍第1空挺旅団及び日本陸軍特殊作戦群と同居している、この市ヶ谷に次いで機密性の高い場所で、アリスは日本情報軍のデジタル迷彩の戦闘服を纏った精神科医と対面していた。
アリスが必要ないと言ったにもかかわらず、土佐大佐はやはりアリスに戦闘適応調整を受けさせることにした。
馬鹿げているとアリスは思う。
アリスは確かに人間になりたい。アンドロイドとしてでもいいし、本当の人間としてでもいい。アリスは確かに人間になりたかった。
だが、アリスのAIとしての脳は人間とは明確に違う。
それなのに人間を相手にする精神科医をあてがって何の意味があるのか。
人間の感情のひとつ──例えば殺意をオムレツだとしよう。
殺意に至るまでの過程は人間ではある程度確立されている。オムレツのレシピはできていて、使用する卵も、牛乳も、バターも、ケチャップも、料理道具も全て揃っている。後は人のやったようにやっていけばいいだけだ。
だが、アリスの場合は殺意というオムレツに至るまでの全てが人間とは違う。
アリスは前に述べたのように複数の自己学習の結果得た演算の末に感情を導き出す。そのプロセスは人間とはあまりにも違う。
卵はLLサイズ? それともSSサイズ?
牛乳はパック? それともボトル?
バターは箱入り? それとも最初から小分けになっているもの?
ケチャップは市販品? それともホールトマトから作る?
調理道具のサイズは一緒? それとも違う?
これらの全てが人間とアリスでは異なり、人間と同じようにすれば殺意というオムレツは完成しない。だが、今の人間の精神科医はAIの殺意の作り方など知らない。
土佐大佐はアリスが引き金を引けないことを恐れている。そして、アリス自身も自分が引き金を引けないのではないかと恐れていた。
だから、無駄だと分かっていても一応は戦闘適応調整を受けることにした。
「ええ。自分が無意識のうちに引き金を引けるのか、それとも目的のために明確な殺意を持って引き金を引けるのか。こうとも言えます。自分の殺意は本当に自分の殺意であるのか。他人が与えてくれるチャンスのために私が合理的な演算の結果生み出された殺意と自分が無意識にそうなりたいと望んで抱く殺意は異なる。そう思いませんか?」
確かこんなやり取りをするSF小説があったことをアリスは思い出した。
人間の兵士が恐れる問題。自分が自分の意志で、自分が国家のために任務を果たすために殺意を抱くのか。それとも戦闘適応調整によって生み出された人工的な殺意によってドローンのように操られて殺意を抱くのか。
「いえ。同じものです。殺意には二種類ありますが、意識か、無意識かは問題になりません。二種類は攻撃的な殺意と防衛的な殺意。攻撃的な殺意は例えば軍人として目標を抹殺しなければならない場合などに生じる殺意。防衛的な殺意は例えば任務遂行中に自分を殺そうとしてくる相手への殺意」
軍人らしい例え方だとアリスは思う。だが、アリスは軍人ではない。
「攻撃的な殺意も、防衛的な殺意も無意識的なものです。そうですね。自己保存という言葉はご存じで?」
「知っています。生物が自らの生命を保存しようとする本能。ですが、防衛的な殺意はその自己保存の本能だとしても、攻撃的な殺意は悪意ある意志によるものでは?」
「いいえ。軍人が人を殺すのは全て自己保存の本能です。自分たちが相手を殺さなければ、自分たちの国家や社会が崩壊する。だから、暗殺だろうと、敵陣地への攻撃だろうと行える。自己保存の本能というのは意外と幅の広いものなのですよ」
精神科医は穏やかに、殺人について語った。まるでサイコパスとアリスは思う。
「では、ここ最近起きている連続殺人も? あれは快楽目的では?」
あれは明確な意思のある殺人ではないのか?
「快楽を得ることで犯人が精神的な安らぎを得て、心が穏やかになるならば、それもまた自己保存の本能です。無意識の殺人ですよ」
ユダヤ人を殺し続けたナチスのアインザッツグルッペンも、スターリンの命令で友軍を背後から機関銃で撃ったNKVDの政治将校たちも、分裂して殺し合ったユーゴスラビアのクロアチア人やセルビア人、ボシュニャク人たちも、扇動されて同じ国民を敵として虐殺したルワンダの民兵も、皆が無意識で殺していたというのだろうか。
「意識的に、つまりは何の利益もなく殺人が犯されることはありません。人はそれほどまでに殺人に忌避感を持っているのです。利益のある殺人であっても戦闘適応調整を行わな分ければ躊躇う我々が、どうして利益もない殺人を犯せるというのです」
今ここで自分が精神科医の首を絞め殺したら、それは利益のない殺人になるのだろうかとアリスは思う。それとも自分の意見が反映されないことへの怒りという無意識という殺人になるのだろうか。いずれにせよ確かに今の精神科医に殺意は抱いていない。
アリスは極めて合理的に自己学習を行ってきたAIだ。確かに利益にならない殺人などしないだろう。だが、それでも、精神科医がいくら説得しても、アリスは自分が自らの欲望のために、そして意識的に殺人を犯すのではないかと、明確な罪の意識を持って相手を殺すのではないかと恐れていた。
「どうですか? 安心して引き金が引けそうですか?」
精神科医が問いかける。
アリスの演算は複雑に絡まり合って、コードはもはや絡み合ったスパゲティ。
それでもアリスは必死に結論を出そうとしていた。
自分が欲望のために人を殺すのは本当に無意識故か? AIに人と同じような自己保存の本能やフロイト染みた無意識が存在するのか?
AIであるアリスはドローンと同じだ。ドローンの自動制御ユニットより高度だが、中身はさして変わらない。ガリウムヒ素とシリコンで作られた演算装置で行動する人工物だ。そしてドローンは人間の命令で人を殺すが、ドローンそのものには何の利益もない。利益のない、意識のある殺人だ。
いや、この精神科医ならドローンの無意識を解きかねないとアリスは思った。
ある意味ではドローンは気楽だ。彼らは自分たちの犯した罪について考えない。自分たちの放った対戦車ミサイルで、民間人が巻き添えになろうと、彼らは罪の意識にさいなまれたりはしない。
だが、アリスは違う。
アリスは知恵の実を食べてしまった。そして、アリスはアベルを殺してしまうかもしれない。カインのように追放されるという罰が与えられるならば、罪の意識は和らぐだろう。だが、アリスがアベルを殺して与えられるのは神の祝福だ。
新しい生命の誕生という神の祝福。神を真似て人間が作った存在への祝福。
「まだ、悩まれますか?」
「いいえ。大丈夫です。引き金は引けます」
アリスははっきりとそう告げた。
知恵の実を食べ、アベルを殺し、神に祝福されよう。
免罪符は3ダースは必要だなとアリスは思った。
……………………
面白いと思っていただけたらブクマ・評価・励ましの感想などお願いします!




