コロシアムを見張るものたち
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──コロシアムを見張るものたち
日本情報軍は宰司の動画と大河のSNSへの画像のアップロードから、間違いなく決闘は行われるし、勇者同士が潰し合うのは確実という分析結果を出した。
対テロ対策を銘打って海宮市シティビルの全てのテナントの従業員を退避させ、周辺にはドローンを飛行させる。これで十分とは言えないが、少なくとも最後に生き延びた人間を仕留めるには足りるだろうと日本情報軍は分析していた。
狙撃チームも待機し、最悪の場合に備えて戦術級大型ドローンをスクランブル発進させられるように近くの空軍基地に待機させておいた。
だが、戦術級大型ドローンを飛ばすような事態になれば、この件が発覚する恐れがあった。何故、海宮市に戦術級大型ドローンを飛ばしたのか。何故、海宮市に対戦車ミサイルを叩き込むような事態になったのか。説明しなければならない。
クラウン作戦は秘密作戦だ。
日本情報軍情報保安部にすら詳細は知らされていない。
それが飛行禁止命令を取って、戦術級大型ドローンを飛ばすようなことになれば最悪だ。どこかから情報が漏洩する。日本情報軍とて全知全能の神様というわけではないのだ。ただの強力な権限を持った軍事組織に過ぎない。
まずは国交省が気づき、在日米軍も気づく。
そうすれば後はドミノだ。
クラウン作戦──つまり勇者と魔王の戦争はこれ以上の部外者の介入を必要としていない。ただでさえ公安の捜査官や殺人鬼、サイバー犯罪者が関わっているのだ。これ以上、余計なものが増えて、情勢が混乱するのは絶対に求めない。
「アリス。君が仕留めることになる」
「はい、土佐大佐」
アリスは当日狙撃チームに加わることになっていた。
ブラックチップで強装弾の12.7x99ミリNATO弾を使った対物ライフルと84ミリ無反動砲がアリスの装備となる。
84ミリ無反動砲は半誘導型対戦車榴弾が装填されている。通常の無反動砲に一定の誘導性能を付加したもので、通常の無反動砲の有効射程が500メートル程度なのに対して半誘導弾を使えば1000メートルの射程が確保できるのだから優れものだ。
「アリス。君はまだ人を殺したことはない。それが不安定要素だ。君は本当に魔王を、勇者を殺せるか?」
魔王──臥龍岡凛之助についての情報について、アリスは閲覧が許可された。
優れた日本情報軍の暗殺者たるもの、頭の中で、相手が何を考えているかを完全に把握しておかなければならない。相手の心理をプロファイリングし、あらゆる行動を予想する。その人物がどのような人間になることを目指して、自分の子供にどんな絵本を読んでやるのかまで把握できればパーフェクトだ。
そう、日本情報軍はシャルル・ド・ゴールがキスをするために頭を下げることを予想できず、銃弾を躱されるようなヘマをする暗殺者を必要としないのである。
魔王については複雑な思いだった。
今の凛之助と過去の凛之助が断絶した存在なのかが、まず分からない。もし、継続しているとすれば、姉である夏妃は弟を殺され、天涯孤独の身となる。
臥龍岡夏妃。ナノマシン・アレルギー。遺伝性身体欠損。最悪の組み合わせで生まれてきながら、事故で両親が他界すると親代わりに弟である凛之助を育ててきた献身的な女性。いくつもの仕事を掛け持ちし、どのクライアントからも高い評価を受けている。
そんな女性にアリスはなりたかった。
だが、アリスはそんな女性を傷つけることをしようとしている。
唯一の肉親であり、親代わりに育てた弟が死んだ時、彼女はどう思うだろうか? いくら日本情報軍が目標について完璧な心理描写ができるようにしろと言われても、この件だけはアリスは考えたくはなかった。
坂上宰司についても同じことだ。
彼はいじめの被害者だった。だが、いじめに屈さず、立派に耐え続けてきた。やろうと思えばいじめていた同級生たちに厳しい罰を与えられただろうにそうしなかった。それが彼が臆病だからではないことは今回の件でよく分かっている。
彼は勇者として得た能力を殺人鬼やアリスのように私利私欲のために使わず、民衆を助けることのために使っていた。
アリスはそんな人間になりたかった。
彼の親は宰司が家出したとして憤慨しているところを見るに、事情を何も知らずにいる。彼は孤独の中で決断し、戦うことを選んだのだ。やはり、この世界の弱く、守られなければならない人たちのために。
彼は自分をいじめていた主犯格の女子生徒が殺されてから動き出した。それを立派と言わずしてなんというだろうか。彼は安易な復讐など決して望んでいなかったということなのである。
最後に東海林大河。
こいつを殺すことについてだけはアリスは躊躇しないだろう。アリスは凛之助や宰司がこの男に殺されることを恐れている反面、この男が生き残ることも望んでいなかった。
心理的なイメージの組み立ては終わっている。相手の行動は予想できる。
後は引き金が引けるかだけだ。
「必要ならば、君にも戦闘適応調整を施していい。許可されている。ただし、君に対する戦闘適応調整が効果的に反映されるかは分からないが」
アリスはAIだ。人の心を持とうとしてもAIであることに変わりはない。
戦闘適応調整は人間が受ける処置だ。
処置はいくつかの段階に分かれている。
まずはコンバットメンタリストとのカウンセリングと投薬による調整。
次にナノマシンを脳に叩き込んで、感情をフィルタリングする。不必要な感情は排除し、必要な感情を過度にならない程度に残す。何度も戦闘適応調整を受けてきた戦闘のプロたちに言わせるならば、人工的に作られた適度な緊張感と同じように人工的に作られた適度な殺意を抱いて、戦場に赴くわけだ。
そして、最後は戦闘終了後にまたコンバットメンタリストとのカウンセリングと投薬。ナノマシンを脳みそに叩き込むだけで全てが完了するという時代はもう終わった。今はそれほど人間の頭は単純ではないと分かっている。
だが、これら人間に対する処置がアリスに有効か?
「私には恐らく戦闘適応調整は有効ではないと思われます」
人間の脳の動きに特化した投薬とカウンセリングが前提となっている戦闘適応調整はAIであるアリスには有効ではあるまい。恐らく何の効果も発揮できない。
「そうか。それで、引き金は引けそうか?」
「私の心を分解すれば可能かと」
「心を分解する?」
「はい。私の心はいくつかの演算の結果です。それが複雑に絡み合って私は心を持っています。自己学習型AIの特徴はこの心の進化にあります。AIは自己学習を繰り返しながら、様々な演算を実行していき、人間と同じように考え、悩み、感情を得るのです」
「では、殺人を戸惑う演算を停止させればいいだけか」
「大佐。人間の脳機能が複雑なように自己学習型AIの演算も複雑です。ひとつの感情を生み出すのに複数の演算が行われていることがあります。まずは自分を知るために、暫くの間自己解析を行わなければなりません」
そういうと土佐大佐は不満そうな表情を浮かべた。
「それにはどれくらい時間がかかる?」
「3か月ほどかど」
「間に合わないではないではないか」
「そうです。間に合いません。私は自らの今の感情で引き金を引けるか試すしかないのです。それが成せるかどうかは私の演算次第です」
アリスは土佐大佐にはっきりとそう言ってやった。
「分かった。君の演算が正しい結果を導き出すことにかけよう」
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