やるべきこと
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──やるべきこと
凛之助たちにはやらなければならないことが山積みだった。
まずは2軒のセーフハウスの両方を稼働させなくてはならない。夏妃はこういう時に備えて、備蓄可能な食料を貯め込んでいた。軍用のレ―ションの民生用で、災害時などに使用されるものだ。
その賞味期限の恐るべき長さに凛之助は戦慄した。
『とりあえず、このスマホを使ってて。支払いも振り込んでおいたから遠慮なく使っていいよ。ただし、不必要な出費で日本情報軍の目を引かないようにね』
「偽装ID、なんですよね?」
『そう、偽装ID。けど偽装IDを使わないと、もう普通のIDでは買い物はできない。坂上宰司という人間をどこかでAIが拾い上げたが最後、彼らは猟犬として君を追いかけてくる。偽装IDには確かに抵抗があるかもしれないけど、今は納得して』
「はい。こんな情勢下ですからね」
日本で偽装IDの使用が発覚すれば懲役刑だが、そうでなくとも既に日本情報軍と民間警備企業は宰司を追っているのだ。偽装IDを使わなければ、生き残ることすらできずに終わってしまうだろう。
今は生き延びなければ。宰司はそう決意していた。
「私の連絡先だ。理論的には日本情報軍による盗聴を防げるそうだが、何があるかは分からない。連絡は必要最小限に留めよう」
「ええっと。まずは何をしたら?」
「ネットに繋いでみてくれと言われている。ただし、メールやSNSなどの個人を特定できるサービスにはログインしないようにと」
凛之助はそう言って、デスクトップパソコンを指さした。
『宰司君はパソコン詳しい?』
「いえ。どちらかというとスマホで……」
『ごめんね。そのスマホは逆探防止のためにいろいろと制限付きだから。それで演算量のあるパソコンの方を使ってほしい。少なくともその回線は安全だから。流石に個人を特定できるサービスにログインされちゃうとそこから辿られちゃうけどね』
スマートフォンにも、パソコンにも、雪風がインストールされている。雪風の最新バージョンが。それは回線の盗聴を防ぐため、偽の通話情報を流してる。
そうでもしなければ日本情報軍の電子情報軍団が運用する日本版PRISMである極東電子防衛企画に探知されかねない。極東電子防衛企画は極東アジアを中心に無線・有線のあらゆる情報を収集し、盗み見ていると言われている。少なくとも日本情報軍はそのようなプロジェクトの存在を公式にも、非公式にも認めていないが。
「宰司。君の決断には感謝の意を表する。我々はともに戦い、ともに生き延びよう」
「ええ。この戦争をなんとしてでも」
凛之助と宰司は強く握手を交わした。
「それで、これからについてだが、今の段階では日本情報軍を相手にするのはまだ難しいところがある。だが、テロリストが日本情報軍を攻撃し、彼らを戦争から脱落させてくれる見込みもある。それでも追うべきは連続殺人事件の犯人だ」
凛之助が語る。
「勇者、勇者でないにかかわらず、この犯人は人として許されざるべきことをしている。我々は何としてもこの男を排除するべきだ。だが、日本情報軍は一歩先を行っている。そして、この犯人を囮にしている節すらある」
凛之助は犯人の自宅に近づいた途端、狙撃を受けたのだ。こう考えるのも無理はない。だが、日本情報軍も同じように行き詰まっているとまでは思っていなかった。
日本情報軍も神出鬼没の犯人に翻弄され、戸惑い続けている。明確に犯人が追えているわけではないのだ。
「我々は密かに犯人の痕跡を追わなければならない。日本情報軍が待ち伏せているかもしれないし、犯人に行き着くかもしれない。どうなるかは分からない。だが、何もせずに大勢の人々が殺されて行くのを見ているだけというのは嫌だろう?」
「ええ。その通りです」
自分は所詮は引き篭もりの不登校なのかもしれない。だが、今は違う。今は勇気がある。それは何事にも代えがたいものだ。それがあるかないかでは、人間の生きざまがことなってくるのだ。そう、宰司は思う。
日本情報軍は確かに恐ろしい。何もなかったはずの自分を日本情報軍情報保安部は追いかけているのだ。本来ならばテロリストやスパイを追っているはずの組織が、自分を追いかけているのである。
それでも。それでも、この手にした力と勇気で、人々を助けたい。
そう、宰司は思っていた。
「夏姉。パソコンの電源を入れた。注意すべきことは?」
『個人情報は一切入力しないこと。メールアカウントはこっちで作っておいたからそれを使って。絶対に自分の前に持っていたメールアカウントにアクセスしちゃダメ。宰司君にはそう伝えておいて。他はどうにかするから』
「だろうだ」
凛之助が宰司の方を見る。
「お互いに後悔しないようにしよう」
「ええ。それで何か調べますか?」
「調べ物は雪風というホムンクルス──AIがやってくれる。雪風、いるのか?」
凛之助がマイクに呼びかける。
『お呼びですか、凛之助様』
「聞きたいことがある。最新の連続殺人事件の現場は鑑識は撤収したか?」
『はいといいえです。凛之助様が最新と思われている連続殺人事件の犯行現場からは民間警備企業も日本情報軍情報保安部も神奈川県警も撤収しました。しかし、また新たに犯行が行われました。今日の夜中のことです』
「そうか。では、前の現場には近づいても大丈夫か?」
『ドローンで偵察していますが、今のところ問題はありません。しかし、行かれるのであればマスターにご連絡を。リアルタイムハックは必要になる場面もあります』
「分かった。夏姉に連絡を取ろう」
雪風が喋る様子を宰司は驚きの目で見ていた。
「い、今のAIなんですか……?」
「ああ。夏姉は凄腕の電子情報戦の専門家で、在宅プログラマーでありサイバーセキュリティコンサルタントという凄い立場だったのだ」
「いや。それでも今のレベルのAIが組めるとなると専門家というより……」
なんだろうかと宰司は自分で言いだしておいて首を傾げる。
ただのプロでは言葉が足りない。このレベルのAIが組めるのはその手の研究機関に務めている人間である。事実、この夏妃の作った雪風の基礎のAI理論はアリスという富士先端技術研究所で製造されたアンドロイドにも使用されている。
「夏姉。これから犯行現場を調べる。最新のもののひとつ前の現場だ」
『了解。ドローンで援護するから、遠慮なく行っていいよ』
「ありがとう、夏姉」
凛之助はそう言って電話を切った。
「お姉さんと仲がいいんですね」
「ああ。だからこそ、今回の戦いでは死ねないんだ。私が死ぬことで夏姉を悲しませたくない。そして、夏姉を傷つけさせたくない」
「立派なことだと思います」
宰司は家族のために魔王として戦う凛之助に感銘を受けた。
「では、行こう。夏姉の援護があれば日本情報軍でもどうにかなる」
「了解」
そして、凛之助と宰司はセーフハウスから出発した。
目標はただひとつ。連続殺人事件の犯人を追うこと。
目標を追い詰めて、排除する。
日本情報軍が待ち構えているかもしれない。あるいは犯人が待ち構えているかもしれない。いずれにせよ、決めたのだ。凛之助と宰司は生き延びるために、この戦争を戦い抜くということを。
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