恐らくは候補のひとり
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──恐らくは候補のひとり
「夏姉。ひとつ、調べてほしいことがある」
「何かな?」
セーフハウスは今のところ安全を維持していた。夏妃はこのセーフハウス周辺のセキュリティを独自に強化しており、何者かが侵入を試みれば直ちに警報が鳴るようになっていた。彼女は前々からこういう事態を想定してたようだ。
「私がではなく、元の凛之助が死んだ日に他に死者が出ていないかについてだ。自然死ではなく、事故死や殺人などについて。日本情報軍という組織がどうして凛之助を、元の凛之助を殺そうとしたかについての理由が分かるかもしれない」
「ふむ。新聞記事を調べてもいいけど、やっぱり警察のデータベースかな、そういうのは。ちょっと待ってて」
夏妃は神奈川県警のデータベースにアクセスしつつ、同時に警察庁のデータベースにもアクセスする。
「官憲のデータベースにアクセスできるのか?」
「何と言っても警察関係の防壁を作ったのはお姉ちゃんですから。自分用のバックドアは準備してありますよっと」
データベース内を雪風が進む。進捗状況はお茶を淹れる着物姿の少女のアイコンで示されている。夏妃が言うにはこれがネット上での雪風のアバターで、自己学習のためにAIでありながら、SNSなどでの活動も行っているという。
「雪風、結果は?」
『日本全国で死者は34名。うち、解決済みの案件23件。都道府県警察によって事件性があると判断されたものは10件。明白な事故は20件。3件は自殺と判断されてました』
「神奈川県では?」
『8件です。うち1件は海宮市で起きている連続殺人事件との関係性が考えられています。その他7件についてはいずれも半グレ集団による犯行と断定されました』
「オーケー、雪風。サーバーから離脱して」
『はい、マスター』
そこで夏妃が凛之助を見る。
「何か分かった?」
「恐らく、相手は私が転生する時期を知っていた。私が異世界で死ぬ時間は相手には予想できなかっただろうが、私が転生する時間は決まっている。それが凛之助が死亡した日だ。日本情報軍とやらは日本国内に私を呼び寄せるための器として、凛之助を殺したのだろう。つまりは……」
「待って。殺したのは日本情報軍だよ。リンちゃんじゃない」
「だが、原因を作ったのは私だ。日本情報軍はいくつかの器を作り、そのどれかに私の魂が収まることを期待した。それが襲撃の理由だ」
私は日本国外に転生する可能性もあったわけだがと凛之助は言う。
「リンちゃんが気にすることじゃない。悪いのは日本情報軍の連中。連中に責任を取らせてやらないと。こうして今のリンちゃんと私が出会えたのも運命だと思うから。きっと元のリンちゃんが導いてくれた縁」
夏妃はそう言って優しげに笑った。
「そう言ってくれると助かる、夏姉」
夏妃は本当に優しい女性だった。実の弟が死んだ原因が、今の弟の中に入っている存在のせいかもしれないのに、それを全く気にしていないのだ。
「それにしても連続殺人事件とは?」
「ああ。海宮市で起きてる連続猟奇殺人事件。犯人がなかなか捕まらないんだって。日本の警察は優秀だし、生体認証スキャナーができてから事件解決率はほぼ100%なのに、だよ? 偽装IDを犯人が使っているって噂もある」
それについて調べる? と夏妃は尋ねる。
「一応調べておきたい。捕まらない原因が偽装IDだけではない可能性がある」
「まさか、勇者としての固有能力?」
「そうだ。特異な事件についてはピックアップしてほしい。勇者である候補のひとりかもしれない」
勇者はアリスだけではない。
勇者の合計数は場合に応じて変化するが、概ね魔王が生まれた土地の近くに発生する。別の大陸や島に発生することはほとんどない。
そう考えるならば、勇者についてはこの海宮市に集まっている可能性すらあった。
「分かった。神奈川県警と警察庁から未解決事件について洗ってみる。警察庁には全国の都道府県警察からの事件の記録が集まっているから。神奈川県警は今はほぼ民間警備企業に業務を取って代わられているけれど、事件のついては記録している」
夏妃が雪風をサイバー空間の奥底へとダイブさせる。
雪風はAIらしい正確さと自己学習型AIという特性を以てして、事件ファイルを洗い、未解決かつ犯行の経緯が特異であるものをピックアップしていく。雪風は仮に日本情報軍のサーバーに侵入できれば、そこにある情報全てを制御できるだろう。
雪風は既にアリスに実用化されている『自分より高度なAIを作成する能力』を得ている。ゆっくりとだが、雪風は自分をアップデートし続け、より高度なAIに成長して行っている。これがアリスと雪風の接点であるとは今は誰も知らない。
そう、大学の卒業論文として提出した自己学習型のAIの理論こそ、アリスに南島博士が利用した理論なのである。アリスと雪風はいわば異父姉妹なのである。
進化し続ける雪風はあらゆる面で夏妃を助けている。パソコンにできる演算能力のギリギリを活かして、今も総務省のサーバー内にランダムな偽装IDを作成し続け、魔王と勇者に関する文献を探し、そして今は特異な事件について調べている。
「雪風はさ。優秀だよね。そのうち私より賢くなっちゃうんじゃない?」
『人間の思考とAIの思考を同一の価値観で判断することはできません。ですが、単純な演算能力であれば既に私の方がマスターより上です』
「言ったなー? 未だに私に作った防壁は突破できないでしょ?」
『そのうちできるようになります』
雪風は少しむきになったようにそう返した。
「期待しておくよ。君が日本情報軍の防壁を破れるぐらい進化するのを」
『演算リソースを使わせていただければ、もっと早く進化できます』
「分かった。今の作業の支障にならない範囲でなら使っていいよ」
『ありがとうございます、マスター』
雪風のアバターがペコリとお辞儀する。
「夏姉は本当に凄いのだな。電子のホムンクルスといったところか? そんなものを自分で作ってしまうなんて」
「まーね! 昔からやることと言ったらパソコンで、他のことに興味はなかったし。昔はさ、ゲーム作ったりもしてたんだよ? パズルゲームでAIと対戦するやつ。そのAIから随分と進化したなって我ながら思うよ」
「それは色を合わせて消すゲームではなかったか? 私──元の凛之助はAIに勝てなくて難易度を調整してほしいと言ったものでは?」
「そう、それ! リンちゃん、思い出したんだ!」
「ああ。ふと思い浮かんだ。凛之助が私に思い出すようにと繋いでくれたのだろう」
少しでも元の凛之助の記憶を取り戻したいのは今の凛之助の思いでもあった。
「よかった、よかった。でもね、リンちゃん。無理に思い出す必要はないからね? 今のリンちゃんには今のリンちゃんのいいところがある。もう元のリンちゃんには戻れないし、無理して元のリンちゃんらしく振る舞う必要はないからね?」
「ああ。だが、これから少しずつ記憶を取り戻すだろう」
「そっか。それは嬉しいかな。へへっ!」
夏妃は微笑んでくれた。
「夏姉。あなたが少しでも寂しい思いをしないようにしたい。あなたは私に良くしてくれている。そんなあなたのことを尊敬し、好んでいるのだ」
「ありがとう。お姉ちゃんは嬉しいよ」
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