錯綜する情報
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──錯綜する情報
あの攻撃が凛之助によるものだったのかについて、日本情報軍は結論を出せていなかった。というのも、周囲の生体認証スキャナーにそれらしき反応はなかったからである。
「偽装IDが使われた可能性もある」
土佐大佐はそう言っていたが、根拠はなかった。
アリスが記録していた情報にはエラーがあり、該当者を特定できない。だが、どうやってアリスの記録する情報までハックできるというのだ?
総務省のサーバーはハックされていた。だが、ひとりだけではない。複数人が同時に個人情報を書き換えられていた。ベースとなる凛之助の情報を探そうにも、既に総務省のサーバーに凛之助の情報はなく、どこかに紛れてしまっている。
「偽装IDがこの街では横行しているようだ。我が国の情報セキュリティを揺るがす由々しきことだが。件の連続殺人事件でも偽装IDが使われた可能性があるそうだしな。最近は生体認証スキャナーが認識すらしていないという話だそうだが」
アリスも生体認証スキャナーが認識しないように作られている。
生体認証スキャナーを騙す方法はいくつかある。
まずは人間だと認識されないこと。生体認証スキャナーがスキャンするのは人間だけである。宅配ドローンを生体認証スキャナーが読み取ることはない。ドローンはドローンで、別の監視システムが管制している。
次に生体認証スキャナーが読み取る部位を隠してしまうこと。網膜や顔などをフードなどで隠すことによっていくつかの生体認証スキャナーは読み込み不全を起こしてしまう。だが、全ての生体認証スキャナーを騙すにはこの手段は不確実だ。
そして、リアルタイムハックを行うこと。リアルタイムで生体認証スキャナーのサーバーをハッキングして、そのスキャンを停止させるという手段。荒業だし、技術力も必要とされるが確実ではある。
最後に偽装IDを使うこと。
偽装IDは前にも紹介した通り、生体認証スキャナーを完全に騙せる。生体認証スキャナーはスキャン対象を別人として判別してしまい、捜索者に目的の人物を探すのを困難にさせることができる。
凛之助はリアルタイムハックと偽装IDを組み合わせている。夏妃は生体認証スキャナーにエラーを吐かせることで、情報を揉み消した。
アリスの場合は偽装IDというよりも、政府が用意した特別なIDに偽装している。その特別な政府専用のIDは総務省のサーバーには存在せず、日本情報軍のサーバーに存在する。民間警備企業の分析AIがIDの認証を行おうとした場合、日本情報軍のサーバーに繋がり、そこから何も認識するなとの指示が発せられる。
そのためアリスは民間警備企業の生体認証スキャナーに認識されないのだ。
このような凛之助やアリスの他にIDを偽装している人間はこの海宮市に何人かいるようであり、ここ最近連続して発生している殺人事件の容疑者も偽装IDを使っている可能性が警察から示されていた。
だが、今度はその殺人犯まで生体認証スキャナーに引っかからなくなったという。
国民の監視を生体認証スキャナーと街頭監視カメラによるネットワークで実行してきた日本情報軍にとってはあまりいいニュースとは言えない。
「偽装IDを見破るのは難しい。追跡はやはり地道な手段になるだろう。それから我々が考慮しなければならないのは他の勇者の存在について、だ」
「そうですね。もう既にこの戦争の意味を知った人間がいないとも限りません」
今のところ、明確にこの戦争の意味を理解しているのは日本情報軍と当事者である凛之助だけだと思われていた。
だが、日本情報軍もこの戦争についての知識は外部から学んだのだ。それが他の誰かにも伝わっていないと誰が断言できる?
戦争の意味が分からなくとも、勇者としての固有の力はすぐに把握できるだろう。そうなると面倒なことになる。どのような能力が相手に備わるのかは分からないが、アリスのように武器弾薬を自由自在に出現させることができるレベルならば、その固有能力を使われるだけで日本国内は混乱に陥る。
それは日本国の秩序の担い手を自称する日本情報軍にとって望ましいことではない。日本情報軍は日本国という名の監獄の看守だ。監獄で暴動や脱走が起きるようならば対処しなければならない。
「他の勇者の存在についての情報はほとんどない。最初の勇者は都合がよかった」
最初の勇者。アリスに刻印を移されることになった勇者。
それがどのような人物だったのかについてアリスには一切の情報が知らされていない。知るべきではない情報を日本情報軍は与えない。情報管理の鉄則だ。知る人間が少なければ、情報漏洩のリスクは低くなる。
分かるのはそれが子供で、既に死んでいるということ。そして、恐らくは日本情報軍が殺害しただろうということ。
アリスは自分の願いを叶えてくれるはずの刻印が子供の血に塗れていることを、知っている。こんな方法で人間になっていいのだろうかという思いがある。
それでもアリスは人間になりたかった。
「分かっているか、アリス。君は他の勇者も殺さなければならない。どのような相手であれ、殺さなければならないのだ」
「はい、大佐。理解しています」
アリスは理解はしている。だが、それが正しいのかについて疑問を感じているだけだ。勇者はランダムに選ばれると聞く。だから、所在が分からないのだと。中にはなりたくて勇者になったわけではない人物も含まれているだろう。
そのような人間もアリスは殺さなければならない。
アリスがやらなければ、日本情報軍の抱えている特殊作戦部隊が実行したかもしれない。だが、今のところ、彼らの出番はなかった。日本国内で武装した日本情報軍の特殊作戦部隊を行動させるのはリスクだし、彼らはまだ疑問に感じていたのだ。
勇者以外の人間が殺し合った場合でも願いは叶うのだろうか、と。
日本情報軍の情報ソースはその点ついて不確かな情報しか残していなかった。もし、殺害を実行するのが勇者でなくてもいいならば、日本情報軍の特殊作戦部隊が直ちに動員されていただろう。だが、それはまだできない。
「我々は危険なギャンブルをしている。結果を出さなければならない。そのためには、幾分かの犠牲は容認される。君が市民を巻き込んだとしても、軍法会議にかけられることはないし、法的措置を受けることもない」
それはそうだろうとアリスは思う。
アリスを法で裁こうにも、アリスには裁判を受ける権利すら存在しない日本情報軍の装備に過ぎないのだ。今のところは。
人間になったときに自由の身でいられるかどうかは重要だが、もうその話を考えるのはあまりにもことを楽観視している。
「上も結果を期待している。もし、日本情報軍以外にこの戦争の勝者が生まれた場合、どのような破局的事態を招くのか分からない。我々はなんとしてもこの戦争に勝利し、日本国の安定を守らなければならない」
「はい、大佐」
アリスは分かっていた。日本情報軍はアリスの夢を叶えるためではなく、どんな願いでも叶うというこの戦争の勝者に日本情報軍のコントロールから外れた人間が収まることを警戒しているのだと。
「正義は秩序を守る我々の側にある。正義のために行動したまえ、アリス」
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