15私は風だ!と思った犬
アフガンハウンドことエリーがまたもや噛みついてきた。
今度はなんだというのだ。
すぐにミネルダが引き剥がしてくれて事なきを得たのだが。
「ワン!」
“”モリスがいなくなったからって、また私のワタシに舐めた真似するとタダじゃおかないわよ!””
ワンという音とは別に高慢ちきそうな女の声が頭に響いた。
舐めた真似ってダジャレか?
この声がエリーの声なんだろうか。
犬になった私は犬の言葉がわかるようになったのか。
この能力は少し、いや結構嬉しい。
この世界でも意思の疎通ができる相手がいる事がわかったのだ。
ワッサワッサ
「ワンワン!」
”噛みつかれて尻尾振るなんて、気持ちわるい男ね!”
それにしても言っている意味がわからない。
私のワタシってなんだ?
舐めた真似って言ったって、エリーには何もしてないはずだ。
寧ろ噛みつかれこちらが被害者なわけだが。
「ワン」
”私のワタシとはなんだ?私はお前には何もしていないが?”
「ワン!ワン!」
”嘘おっしゃい!いやらしい顔してワタシの脚を舐めまわしてたじゃない!
初対面の癖に失礼にも程があるわ!”
おお。
相変らず意味はわからないが、会話が成立している。
私は感動に震えた。
「ワン」
”お前馬鹿か?私が先程夢中になっていたのはミネルダ、そこの女の脚だ。お前の毛むくじゃらの足になんか興味ないさ。”
「ウー!ワンワン!」
言葉ではなく怒りの感情が伝わってきた。
そして気付いたらまた噛みつかれている。
痛い。
「こらこら、エリー。楽しいからって興奮しすぎよぉ。」
すぐにミネルダが私の首からエリーを引きはがす。
人間同士だったら傷害事件だぞ。
犬同士だからただじゃれているように見えるのか?
ミネルダが少しのんびり屋なのか。なんだか気が抜けてしまう。
よしよーし、と撫でられているうちにエリーも落ち着いてきたようだ。
「ワンワン!」
”ミネルダ?そういえば他の奴がワタシの事をミネルダって呼ぶわね。でもいつも私にはワタシっていうんだもの。きっとミネルダは世を忍ぶ仮の名前で、本当はワタシの名前はワタシなのよ!”
ワタシのゲシュタルト崩壊である。
でもなんとなく、犬の言葉についてわかったような気がした。
話の長さにワンの数は関係ないのだ。
ワンやらウーやらの鳴き声はただの感情の発露、もしくはただそう吠えたいだけ
発露した感情から、テレパシーのように相手に意思伝達ができるらしい。
また、犬は人間の言葉の音は聞き取って記憶するが、
意味のある言葉として理解するにはまた別のプロセスが必要なんだろう。
そりゃそうか。
例えば私の前世の地球では、
日本語のリンゴは英語でappleだ。
その前提が無い状態でappleという単語のみを聞いてもアポーという音を覚えるだけで、リンゴは連想できない。そんな感じなんだろう。
偶然この奇妙な状況に陥っている私が犬と人間両方の言葉を理解するせいで
このワタシのゲシュタルト崩壊が発生しているようだ。
それにしても世を忍んでいるとして、本当の名前を私に教えてもいいのだろうか。
主人の情報漏洩を躊躇しないだめな雌犬である。
しょうがないので教えてやろう。
「ワンワン」
”彼女の名前はミネルダだ。ワタシというのは人間の中では自分を示す言葉だ。
だから、ミネルダがお前に話しかけるときのワタシは私と同じ意味だ。”
「ウー!ワン!」
“新入りの癖に、口答えなんか生意気なのよ!”
あ、来る。
パターンがわかってきた私は、首を逸らした。
すると案の定、噛みつこうとして空振りし、パウンッと間が抜けた音が口から出たエリーと目が合った。最初は何が起こったかわからなかったように、不思議そうな顔をしていたが避けられた事がわかったんだろう。面白くなさそうにこちらを睨みつけている。
この雌犬と私は根本的に合わないらしい。
噛みつかれるばっかりじゃたまったもんじゃない。一応ミネルダの視界から外れない範囲で逃げる事にした。
しばらくそうしていただろうか。
ミネルダには仲良く追いかけっこをしているようにでも見えたのか、モリスの家の玄関の段差に腰掛け、肘を膝について支えた手に頬杖をつきニコニコとこちらを眺めていた。
雌犬が息切れをし始めた。
走る速度はいい勝負だが、スタミナはこちらが上なんだろう。
「ワンワン!」
“止まりなさいよ!卑怯者!”
誰が卑怯者だ、
止まったら理不尽に噛みつかれるんだ。
誰が止まってやるものか。
犬歴のまだ浅い私へ敗北した事、
その悔しさを噛みしめるがいい。
私は吠え立てる雌犬を無視してしばらく駆け回った。
風が気持ちいい。
耳に聞こえる風切り音が、自分が生み出したものだと思うと不思議な気分だった。
思いきり走りまわったのはいつぶりだろう。
大学時代だろうか、よく思い出せない。
だが、今までで一番必死に走った記憶は、と考えるとすぐに思い当たった。
指を交換するのだ、といきなり猟奇的な事を言い出し、はさみを持ってきた清美ちゃんから逃げた時である。
あの時はなりふり構わず走った。
余計な事を考えてたのがいけなかったんだろう。
「ワン!」
“こら、馬鹿!”
雌犬の失礼な呼びかけに気づいた時には、目前に大きな木がそびえていた。
「キャウン」
薄れゆく意識の中、驚いたミネルダの声と遊びに夢中になりすぎて障害物に激突した駄犬の情けない鳴き声のような音が聴こえた気がした。
読んでいただきありがとうございます!
20220209一部訂正。わかりにくい表現と思ったので少し書き直しました。




