第三楽章 精霊術工房からの帰り道
精霊が踊る。
初めて楽器を触った時は、すぐにパパと同じ音が出せると思い、ワクワクしたものである。
精霊が歌う。
その期待とは裏腹に、音を出すことすら叶わなかった。ぼくは泣いた。
精霊が走る。
新しいことを始めるのには、いつだって躊躇いが伴う。それでも、努力することでより楽しくなる喜びを知っている。
精霊が囁く。
ぼくは今、新しい世界に足を踏み入れようとしている。せっかくなら楽しまなくては勿体ない。
精霊が眠る。
今日より明日、明日より明後日を。
♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪ ♪
精霊付与の儀が終わり、ピッツにより心音の状態が確認された。
魔素に反応する試薬などを使い、心音の中の精霊の数を試算したところ、一般的な道具に精霊を付与した場合の平均値と比べ、およそ三倍もの数の精霊を内包していることが分かった。
人類が直接的には扱えない〝魔素〟を取り込んだ精霊が、直に人体に宿っているのである。健康被害が無いものか確認もしたのだが、ピッツは医学的知識に詳しい訳では無いので、状態を聴取したり熱を測ったりするくらいしか出来なかった。それでも、心音が全く問題なく――いや、むしろ前よりも元気にしている姿を見ると、杞憂であったかと納得した。
馬車の借用期間もある、心音とシェルツは工房に別れを告げ、街に帰ることにした。
『ピッツさん、五日間、本当にありがとうございました! 精霊術が使えるようになったし、何より会話ができるようになって、すっごく嬉しいです!』
『いや〜、後半に関しては完全に誤算だったんだけれどね。コト君が無事で良かったよ。ホント、大事になっていたらリッツァー君にも顔向けできなかったね』
心音が元気に挨拶をする。対するピッツは嬉しさ半分、困惑半分と言った具合である。
『ピッツさん、本当にお世話になりました。父さんが紹介してくれたのがあなたで、本当に良かったです』
『いやいや、こちらこそいい体験をさせてもらった。父君……リッツァー君にもよろしく伝えてくれたまえ』
今回の出来事が伝わることで、この工房とリッツァーの科学研究所との付き合いも、より良いものとなりそうである。
シェルツが日の昇り具合で大凡の時間を確認する。だいたいお昼前と言ったところだ。
『それでは、そろそろお暇いたします』
『ピッツさん! もっと勉強して、また遊びに来ますっ!』
『あぁ。キミたちの未来に、精霊の導きがあらんことを』
二人は大自然が囲む工房を後にし、馬車に乗って山を降り始めた。
♪ ♪ ♪
『ん〜っ、今日もいい天気! シェルツさん、風が気持ちいいですねっ』
心音はご機嫌の様子である。やはり今まで会話ができなかった鬱憤が晴れたことが大きいのだろう。
『コトって、結構明るい子だったんだね。対外念話が使えるようになる前までは、物静かな子だと思ってたよ』
シェルツが優しい表情で言う。短い付き合いでは無くなってきた。シェルツとしても今回得たものは嬉しいものであった。
『この辺りには魔物もほとんどいないし、野生動物に気をつけてさえいれば、あと二時間くらいで街に着くかな』
天候が良いことも幸いして、帰路はとてもスムーズであった。王国周辺は比較的安全な地域である。それ故警戒心が薄れていたシェルツは、馬車の護衛を付けていなかった。有事には自分がなんとか出来る、という自信もあったのだ。
……だからこそ、これから起きる出来事には動揺を隠せなかった。
『う、うわぁぁぁ!!』
馬車の御者が驚嘆する様子とともに、馬車が停車する。
何事かと心音とシェルツが外に飛び出すと、周りを鳥型の魔物が囲んでいた。
その数七体。
羽を広げ威嚇するその姿は、全長二メートルと五十センチ程であろうか、大きな鷹のようであり、額には魔物だということを示す赤い角が生えていた。
シェルツは意表を付かれた様子で言う。
『こんな所まで魔物が!? いや、飛行性の魔物なら偶然通りかかることも考えられるけど……大将鷹が群れて行動するだなんて普通じゃない!』
焦りながらもシェルツは抜剣する。見た目通りの生態であれば、恐らく肉食であろう。馬を狙って降りてきたのであろうか。
人間に対しては警戒心を抱いているようである。威嚇しつつも中々襲いかかってこない。
しかしそれも束の間、均衡が崩れ、三羽の大将鷹がシェルツに襲いかかった。
三方向から同時に攻めてきたそれを、シェルツは左下から頭上、右下にかけて、半弧を描くように剣を薙ぐ。
魔物も、人間が持つ剣の恐ろしさを認識しているのか、剣閃を視認すると三羽とも後ろに飛び退いた。
その隙を逃さず、シェルツは一気に前進すると一羽の喉笛を掻き切った。
その様子に怒りの声を上げる他の大将鷹であるが、その叫び声を上げる間さえも利用してシェルツはもう一羽を仕留める。
あまりに早すぎる動作。これが彼の本気、身体強化を使った状態なのだろう。
心音は目で追うことすら難しいその闘争に、呼吸すら忘れて見入っていたが、眼前でシェルツの背後に危機が迫っていることに気が付き、叫んだ。
『シェルツさん!! 避けて!!』
シェルツはハッとして背後に振り向くが、既に回避が間に合わないほど大将鷹が接近していた。シェルツは一撃喰らう覚悟で、ガントレットを嵌めた腕をその身の盾とすべく差し出す。
心音は何とかしなくちゃと、ある準備のため漁っていた鞄の中から金属製の水筒を取り出し、投げつけた。
狙い違わずその大将鷹に飛んでいったそれを、大将鷹は空中で停止し、水筒を凶悪な足で掴んだ。
水筒は一瞬でひしゃげ、内圧が高まったそれは蓋を破裂させて水を飛び散らせた。
心音の背筋が凍る。もしあれがシェルツの腕だったら、と。
対するシェルツは冷静なものである。直ぐに気持ちを建て直し、急停止で体制の整わない大将鷹の首を落とすと、馬に襲いかかろうとしている残り四羽の元へ急行する。
しかし、今の三羽に気を取られすぎた。シェルツが辿り着く前に、馬に大将鷹の爪が襲いかかる。
瞬間、心音の声が戦場に響く。
『シェルツさん!! 目を瞑って!!』
(お願い精霊さん、シェルツさんの助けになるくらいの強い光を……!!)
疑問に思う前に、反射的にシェルツは目を瞑った。そして次の瞬間、目を瞑っていても分かる激しい光が一帯に走った。
『やった! 上手くいった!』
辺り一帯全てが飲み込まれたと錯覚するような輝き。その光が収まり心音の方を振り返ると、地面に並んだ紋様や木の実に鏡。
『今のはコトの精霊術……いや、それは後だ』
四羽の大将鷹は、今の光に目をやられ、地べたに転がりバタバタとしている。鳥類は目がいいと言うが、それ故今の光の効果も絶大だったのだろう。
シェルツは手際よくその四羽に止めを刺すと、剣の血を払い、納剣した。
『今の、精霊術だよね? そんなに強力なものまで教えて貰ったのかい?』
心音の元へ戻りながらシェルツが面食らったように言う。
『えっと……今のは暗闇を明るくする精霊術なんですけど、精霊さんにお願いしながら使ったら、思ったより強くなっちゃいました』
えへへ、と心音は言う。
『自然界の精霊だけでなく、コトの中の精霊も反応したのかな……? 戦闘に使える精霊術はほとんどないって言うけど、生活用の精霊術をこんな使い方するのには驚いたよ』
戦うために精霊術を学んだわけではなかった。それなのに、咄嗟の場面で持っている手札を的確に選べるセンスと、それを昇華させる程の潜在能力に、シェルツはただただ舌を巻いた。
心音はその事を自覚していないようである。彼女がシェルツたちと同じく魔力を扱える人間として生まれていたら、どれだけの魔法士になったことか……たらればの話をしてもしょうがないと、シェルツはそこで考えるのをやめた。
『ところで、シェルツさん。この状況どうしましょっか。ぼくのせいで帰れないかもです』
心音が困ったように言う。馬車の方を見ると、御者が「目が、目がぁ!!」と転げ周り、馬はコテンと横になっている。
後でちゃんと謝らなきゃなぁと、二人は顔を見合わせて苦笑した。
初投稿から一週間、誤字報告や小説の作法のアドバイス、感想にレビュー等々、たくさん反応して頂いてありがとうございます。
モチベーションにつながり、執筆も捗っております。書き溜めてはいますが、きちんと精査して完成度を高めてから投稿していきますので、どうかよろしくお願いします。




