3-9 魔女と悪魔の疫病
翌朝、早くに起床したマンリーコの詩を背景に、心音とシェルツは広い庭で身体を動かす。
定期的に訓練をすることで、心音の動きも段々と洗練されたものに近づいていた。
一通りの動きを確認し休憩しようかという頃合、村の中央部の掲示板に人が集まっているのが見えた。
「あれは.......そうか、朝の新報掲示だね」
シェルツが合点がいったように頷く。
世帯ごとに新聞を配るような機構はこの世界では備わっていないし、文化もない。
地域の大きなニュースは、定期的に国の中央から伝令が来て、設置された掲示板ごとに一部ずつ掲示されるのが通例だ。
「ぼく、朝の掲示はよく見た事がないです。見てきてもいいですか?」
興味を持った心音が、腰掛けていた椅子からぴょんと立ち上がる。
断る理由もなくシェルツが快諾すると、心音は軽快に人集りに駆け寄って行った。
「随分朝早くに伝令が到着するんですね、一体何時にバードを発ったのか」
「バードからこっちの方角だと、この村が一番近いからね。ここからは中継地点ごとに引き継いで伝令を回すし、こんなものじゃないかな?」
感心するシェルツに、マンリーコが器用に木の枝を指の間で回しながら、こともない日常だと返す。
新報は掲示板に到着する事にその村や町の伝令係へと引き継ぎ、リレー的に伝えられる。そうしないと、バードから出た伝令は一日中走りっぱなしになってしまうのだから当然と言えよう。
二人が会話を交わしていると、心音が少し慌てて戻ってきた。
その様子を不思議に思いながら、シェルツは心音を出迎える。
「どうしたの、コト。何か重大なニュースでもあった?」
シェルツの眼前で立ち止まった心音は呼吸を整え、ボリュームをひと目盛り上げてニュースを伝える。
「ぼくたちが受けた依頼のその後って言いますか、例の魔女さんが捕まったようです! 明日バードで公開処刑を敢行すると書いてありました!」
ぽと、と大地に何かが落ちた音。
マンリーコが落とした枝をパキリと踏みつけながら、心音に近づき声を震わせる。
「魔女、魔女だって? この近辺でそんな呼ばれ方をしているのは一人しかいないじゃないか!」
豹変したマンリーコの様子に心音とシェルツが動揺するも、お構い無しにマンリーコは続けた。
「その人は、僕の母だ」
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バードの自治局の地下牢、暗がりに閉じ込められた初老の女性が、自治局員から厳しい声を向けられている。
「お前がしていた事の悪質さは分かっているのか? 重大な犯罪であり、国家反逆なのだぞ!」
女性は――魔女はガサつきのある声で落ち着いて返す。
「.......あんたは大きく勘違いしているよ。アタシが作っていたのは麻薬じゃあない、薬さ。それを勝手に麻薬として使っていたのは頭の悪いバード市民さ」
「お前ッ! これ以上罪を重ねる気か! 善良なる領民を侮辱するなどあってはならんことであるぞ!」
「事実を言ったまでなんだけどねぇ。アタシの言っていることが本当だということは、修道院で暮らす者に聞けばすぐわかると思うんだけれど」
「魔女を匿っていた奴らの言うことなど信じられるか! それに、お前の処刑は領主殿による決定事項だ。この領地の頂点である方の意向が変らない限り、お前の処遇は変らないと心得よ」
「そうかいそうかい。処刑台なりなんなり連れて行っておくれ。その代わり、せっかく処刑台に上がるのならば、多くの人を見降ろしたいねぇ。大々的に掲示をしておくれよ」
「言われるまでもない。公開処刑は民の娯楽になる。せいぜい晒し物になりながら身を焼き尽くすことだな」
火刑により苦しむ様を見せしめにするのがこの領地での定番である。
自治局員は魔女を見下しながら牢の鍵を確認し、その場を立ち去る。
彼を見送る魔女の口元は、薄ら笑いを浮かべていた。
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朝焼け色の太陽に向けて馬車を走らせる。
新報掲示の内容を確認してすぐ、心音たちとマンリーコ、レオナの七人はバードに向かっていた。
荷車の中、いつもの飄々とした様子からは想像もできなかったほどの動揺をマンリーコが見せる。
「何故.......どうして母さんが処刑だなんてことに.......」
「マンリーコ、私が住んでいたバードでは、魔女に関する良くない噂が流れていたの。人を狂わせる麻薬を蔓延させているって」
「麻薬だって? とんでもない! 母さんはずっと、〝悪魔の疫病〟を断つ特効薬を作っていたんだ! 動物実験時は副作用も大きかったけれど、最適な量を突き止め、人間には問題なく処方していたはずだよ」
レオナの情報に、マンリーコは憤慨する。その会話内容に引っかかる点があったのか、心音が間に入る。
「副作用って、どんなものでしたか?」
「どんなものかだって? そうだね、過剰な投薬を受けたネズミは、不眠不休で手当り次第何かを齧っていたよ。覚醒作用や幻覚作用があると母さんは言っていたね」
それを傍らで聞いたアーニエは「なるほどね」と独りごちる。
同時にエラーニュも嘆息を漏らす中、心音は確信を持たせるために重ねて質問する。
「薬は、修道院で作られていました。町の病院やその近くではなく.......。それはどうしてなのでしょう?」
「〝悪魔の疫病〟の患者は、教会や修道院に相談に来ることがほとんどらしいんだ。だから母さんは、信頼できる修道女にお願いして、修道院で薬を与えるすることにするって.......」
確信にまた近づく。心音は質問を続ける。
「その〝悪魔の疫病〟の具体的な症状は分かりますか? 精神を蝕むもの、と聞きましたが」
「そうだね、悪魔に魂を奪われたみたいに、口数が極端に減ったり、寝たきりになったり、支離滅裂な言動をしたり.......」
予感は確証に変わる。
〝悪魔の疫病〟とは十中八九、心音の世界で言うところの精神疾患の類であろう。
ただでさえ戦時中で精神的に安定しない世の中である上、精神疾患は伝播し、集団的に罹患することもあるという。
その治療には向精神薬が用いられることがあるが、過剰に摂取した時の副作用も大きい。
そして魔女の薬がよからぬ噂に変わった原因は.......
「マンリーコさん。魔女の薬は、患者のふりをして不当に薬を入手した人が、麻薬として売っていたのだと思います」
「なんだって? アルコの民を救うために研究を重ねていた母さんの気持ちを、なんということで.......」
医師の診断ではなく、修道女の感覚で処方していた。その穴を付かれたのだろう。
しかし、それさえ証明できれば魔女の処刑は取り消してくれるかもしれない。
処刑の最終判断をするのは領主だ。まずは、一刻も早くバードに到着しなければならない。
焦る心を抑え、心音は朝焼けの先を見据えた。
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